文化祭 後編
レオナルド王子にスパイ疑惑をかけられたジェイドは、今まさに大ピンチだ。
(どうしよう? このままでは本当に捕まってしまうわ……)
どうすればいいのか分からずに、あたふたしてしまう。けれど、どうしてか可愛らしい笑い声が聞こえてきた。
「ふふっ、そういうことなんですね!」
ステファニーちゃんが、両手で口元を隠しながら、何かに納得をしたように可愛らしい声を上げた。
「先ほど、お母様たちからこれを預かってきたんです。『レオナルド王子がルーカスお兄様のことを“スパイダー”と叫んだら渡してね』って言われていたのですが“スパイダー”じゃなくて“スパイだー”だったんですね!」
少し照れ笑いをしながら、ステファニーちゃんは一通の手紙を「はい、どうぞ」とレオナルド王子に手渡した。
ステファニーちゃんの可愛い笑顔にレオナルド王子はメロメロだ。さっきまで怒っていたのが嘘のように顔がにやけている、と思う。
先ほど、ステファニーちゃんがジェイドに向かって、スパイダー(蜘蛛)の衣装じゃないのかと尋ねていた理由はこのせいだった。
「コホン、どれどれ?」
レオナルド王子は私たちにも聞こえるように、手紙を読み上げてくれた。
----レオナルドへ
パンパカパーン!
ジェイドの正体がルーカス王子だと見抜いたのね。おめでとう。これで国王への道、第二関門も突破ね。
王妃として、母として、とっても嬉しいわ。
隣国の王族の顔と名前くらい、きちんと把握しておくことは、国王として当たり前のことだものね。
国王たる者、国内情勢だけに留まらず、世界情勢にも常に目を向けなければならないわ!
まさか、ジェイド改めルーカス王子のことを、裏切り者だと思っていないわよね?
ルーカス王子はあなたのためを思って、偽名まで使って単身ロバーツ王国に来てくれているのよ?
チェスター王国の第二王子という立場でありながら、あなたのためを思ってこの学園にいるの。
あなたがいるロバーツ王国に永住したいがために、サフィーちゃんとの結婚も考えているのよ?
全ては、あなたが国王となったロバーツ王国に、身も心も捧げるため。
可愛いステファニーちゃんも寂しいけれど、あなたのためを思って我慢しているの。
それも、全てはあなたが立派な国王になるため。
追伸、ステファニーちゃんには、婚約者はいないみたいよ。
----母より
「ジェイド、まさかお前、俺のためにそこまで……」
ジェイドは手紙の途中あたりから、すでに茫然自失の状態だった。この手紙のどこまでが真実で、どこまでが作り話なのかも分からない。
(きっと、追伸以外は、ほぼ作り話だろうな。そうじゃなかったら、私にとっても、かなりショックな内容だもの)
切実にそう思いたかった。
「ステファニー王女、寂しい思いをさせてすまなかった」
「……はい?」
もちろんステファニーちゃんも分かっていない。でも、そのキョトンとしたお顔も可愛いすぎる。
きっと「渡してね」とお願いされ、レオナルド王子に手紙を渡しただけなんだと思う。
確かに、大好きなお兄ちゃんである、ルーカス王子と会えなくて寂しかったはずだ。けれど、どうしてそれを関係のないレオナルド王子が謝るのだろうかと、疑問に思ったに違いない。
そんな私たちの心情を知ってか知らずか、レオナルド王子はただ一人、テンションが高くなってしまったようだ。
「よーし! 急いで母上に報告だ! ジェイドとサファイア嬢を結婚させるぞ。俺も婚約するぞ!!」
「「ええっ!?」」
私とジェイドは同時に叫んだ。
「侯爵令嬢なら身分的にも問題ないし、俺とステファニー王女には敵わないが、他のどのカップルよりもお似合いだしな。そう思わないか? ノルン嬢?」
「本当ですね、王子と侯爵令嬢、サフィー様は容姿端麗だし、お家柄もしっかりしてるし、結婚相手として相応しいと思います。それにサフィー様の魅力にジェイドさん、ルーカス王子もメロメロのようですし。本当に羨ましい、羨ましすぎて、私、嫉妬しちゃいそうです」
いつの間にか、ノルンちゃんが目の前まで来ていた。そして今、ノルンちゃんが言っているそのセリフ。
(それってルーカス王子ルートの考察、ノルンちゃんが私を刺す理由だよね!?)
もはや、ノルンちゃんの私を見る目が暗殺者の目だった。震える。けれど、早く誤解を解かなければならない。
「ちょっと、ノルンちゃん! ちょっと!! あぁ、行っちゃったわ……」
私の呼ぶ声も虚しく、ノルンちゃんはどこかへ行ってしまった。
(やっぱりノルンちゃんに刺されちゃうのかしら?)
ノルンちゃんに刺されているところを想像し、一人怯えていたところ、ステファニーちゃんが可愛らしい天使の声で、私を現実に引き戻してくれた。
「お義姉様、私も文化祭を一緒に回らせていただいてもいいですか?」
「ええ、もちろん! 私もステファニーちゃんと早く仲良くなりたいわ」
上目遣いでそんなに可愛く言われたら、断れるはずがない。もちろん断るつもりなんてさらさらなかったけれど。
それからすぐに、私とジェイドとステファニーちゃんはラズ兄様のクラス、3年S組に向かった。
「ステファニー、第三王子のニイットーは元気にしているかい?」
ジェイドの言葉を聞いた途端、ステファニーちゃんはあからさまに怪訝な表情を浮かべた。
「ルーカスお兄様、ニイットーお兄様はもうルーカスお兄様の知っているニイットーお兄様ではありません。おそらく、来年この学園に留学されると思いますが、どうかショックを受けないでくださいませ」
ステファニーちゃんがとても嫌そうな顔をしたことを気にして、ジェイドはすぐに話題を変えた。
「サフィーお嬢様、ラズライト様のクラスは何をされるのですか?」
「ええっと、歌声サロンって言っていたわ。ステージが作られて、歌に自信のある者がみんなに歌を披露するらしいの」
要は、前世で言うところの、のど自慢大会だろう。
私たちは和気藹々とラズ兄様のクラスに向かっていた。ステファニーちゃんの「先ほど、お母様たちからこれを預かってきました」という言葉をすっかりと忘れて。
先ほど、ということは、すぐ近くにいる、ということ。すっかり忘れていたからこそ、その光景を目の当たりにした時の衝撃は、より一層強かった。
「やめなさい、スーフェ、あなたが歌ったら、窓ガラスが割れて、みんなが気絶してしまうわ!!」
「離せ、歌わせろー! リサイタルだー!!」
ラズ兄様のクラスに入った瞬間、目を覆いたくなるような光景が、私たちの視界に飛び込んできた。
ステージ上で、マイクを片手に、今まさに歌おうとしているお母様と、背後からガッチリとお母様を固めて歌うのを阻止するラズ兄様、お母様を必死に説得するベロニカ王妃様の姿だった。
(……カオスだわ)
見てはいけないものを見てしまった。家族だと名乗り出ることさえも躊躇われた。
「母様、一体これは何の騒ぎでしょうか?」
ジェイドが騒ぎを見守る綺麗な女性に話しかけた。
(あぁ、この方も間違いない。だって、そっくりなんだもの。絶対にジェイドのお母様ね)
私がジェイドのお母様を見ていたことに気付いたのか、ジェイドのお母様も私の存在に気付いてくれた。
「あら? もしかしてサフィーちゃん? ルーカスの母、ケールよ。息子が大変お世話になっています。本当にいろいろとありがとうね」
ジェイドのお母様、ケール王妃様は、とても優しそうな顔で微笑んでくれた。
「お初にお目にかかります。サファイア・オルティスです。こちらこそ、ルーカス王子にとてもお世話になっております」
「ふふふっ、そんなにかしこまらないで。本当に可愛らしい女の子だわ。それで? いつ式をあげる?」
「母様!!」
「ケール、そんなことよりこっちよ、サフィーちゃんも一緒に止めて」
ベロニカ王妃様が、今も必死で猛獣を宥めている。ちなみに、その猛獣を体を張って必死で抑えているラズ兄様は、そろそろ限界が近付いているようだ。
そして、あろうことか、その猛獣が私の方を見てしまった。
(大変! 猛獣が私に気付いてしまった……)
一瞬にして、身の危険を感じた。と思ったら、
「おお! 心の友よ!」
「いえ、あなたの娘です」
どこかで聞いたことのあるセリフを耳にしたけれど、きっと気のせいだと思いたくて、ピシャリと否定した。
「もうっ、ノリが悪いんだから!! サフィーちゃんも私の歌を聞きたいのよね?」
「え?」
ここにいるみんなが、同時にブンブンと首を左右に振っている。すごく息の合った光景だ。
(お母様の歌声は、きっと、そういうことよね?)
よく見れば、この部屋にいるのは錚々たるメンバーだ。
ロバーツ王国の王妃様、チェスター王国の王妃様、第二王子に第一王女。
そして大暴れする猛獣と、それを抑える息子。
(早くこのクラスから退出しないと、他の方々に迷惑よね?)
「ジャイア……いえ、お母様、それよりもその恰好は?」
「とうとう気付いちゃった? サフィーちゃんの制服を借りちゃったの!」
「私の消えた制服! 返してください!!」
どうしてか、お母様は私の制服を着ていた。
そして、私たちは何とか猛獣を捕獲して、迷惑のならない場所へと移動した。
「サフィーちゃんは、ケールに会うのは初めてよね? ケール、うちの可愛い娘のサフィーちゃんよ」
「さっき、スーフェが大暴れしている時に挨拶してくれたわよ。ルーカスが迷惑をかけていないかしら?」
「はい、とても優しくしていただいています。優しすぎるくらい優しいです」
私が本当のことを言ったら、ステファニーちゃんが異論の声を上げた。
「あら? ルーカスお兄様、今時の女性は優しいだけではだめなんですよ? 前に貸して差し上げた本を読んでらっしゃらないの?」
「ステファニー、その本のタイトルだけは絶対に声に出して言ってはいけないよ」
ジェイドが顔を痙攣らせながら、静かにステファニーちゃんを窘めた。
すると、私たちの目の前のテーブルの上に、ステファニーちゃんが一冊の本を置いた。
「きっとまだ読まれていないだろうと思って、持ってきましたわ」
「わぁっ!!」
ジェイドは凄い速さでその本を手に取り、どこかへ隠してしまった。だから、私にはその本のタイトルがなんだったのか、全くわからなかった。
「ルーカス『ご令嬢を胸キュンさせる【ドSな俺様王子】になる100の方法』なんて本を読んでいたの?」
あの一瞬で、ケール王妃様は本の題名を見て暗記していた。暗記力もさることながら、凄い動体視力だ。
(ジェイドがそんな本を読んでいたなんて、私のことをとやかく言えた立場じゃないじゃない!!)
「あら! サフィーちゃんも俺様好きだから『ご令嬢を胸キュンさせる【ドSな俺様王子】になる100の方法』って本を読んでいるのなら、尚更お似合いね」
「羨ましいわぁ、レオナルドにも『ご令嬢を胸キュンさせる【ドSな俺様王子】になる100の方法』という本を読ませて、婚約者の立候補を募ろうかしら?」
みんな、ジェイドの心を痛めつけて面白がっている。ジェイドは、一人が喋るごとに、グサ、グサっとライフポイントを削られていた。
(怖い、怖い、ここは悪魔たちの巣窟だわ。悪魔というか、ラスボス級だわ)
そんな中、レオナルド王子が息を切らせてやってきた。
「母上!」
「あら、ちょうどいいところに来たわ」
その姿は相変わらずのも“ふもふもどき”の姿だった。だから、走ってくる姿もとても可愛い。
(この学園のマスコットキャラクターにしてもいいわね)
「母上、お願いがあります、ってステファニーちゃん!!」
“もふもふもどき”がケール王妃様の隣にちょこんと座るステファニーちゃんに気が付いたようだ。
「あら! もふもふ様」
ステファニーちゃんはとても可愛らしい笑顔で“もふもふもどき”に微笑んだ。きっと、中の人は悶絶しているに違いない。
「お母様、私、ルーカスお兄様と結婚できないのであれば、もふもふ様と結婚したいです」
こんなにも早くレオナルド王子の婚約者に立候補する者が現れた。正確にはレオナルド王子ではなく、“もふもふもどき”と結婚したいらしいのだけど。
「はう、俺、一生もふもふでいる……もふもふ国王に、俺は、なる!」
次期ロバーツ国王は、もふもふ国王になるかもしれない。