文化祭 前編
「お祭りだわー! すごくわくわくするわね」
私は教室の窓から外を見渡した。学園の至る所に色鮮やかな飾り付けがしてあり、屋台もたくさん出ている。
「サフィーお嬢様は本当に行事が好きですね」
「もちろんよ! それに今日は文化祭よ? 思いっきり楽しまなきゃ! どのクラスの催し物を見に行く?」
パンフレット片手にジェイドと話していたら、突然、そのパンフレットが奪われてしまった。
「その前に、サフィー様は喫茶店に出すデザートの準備をしてください! デザートはサフィー様頼みなんですよ? ジェイドさんも飲み物の準備をお願いします。私はチラシを配ってきますから!」
「ノルンちゃん! えっ、その恰好……本気?」
「はい! 私にぴったりじゃないですか?」
ノルンちゃんのコスプレ姿を見て驚いた。そんな私に、ノルンちゃんはわざとらしく、くるりと一回転をして衣装を見せつけてくる。
私たちのクラスの催し物は、喫茶店だ。去年の喫茶店が好評だったので、今年も喫茶店をやることになった。しかも、今年はコスプレ喫茶!
そして、私が心配するノルンちゃんのコスプレ衣装は、というと……
「確かに、聖女様だからナース服っていうのは私には理解できるわ。でも、みんなには伝わらないんじゃないのかしら? それによく見つけたわね。もしかして特注?」
聖女様と言えば癒しの女神。だから、前世で言う医師や看護師みたいなもの。
だから、ナース服だというのは理解はできる。けれど、この国にナース服なんてものはない。もちろん、聖女様がナース服を着るなんて聞いたこともない。
「もちろん特注です! と言っても私が作ったんですけどね」
「ノルンちゃんはお裁縫も出来るの? すごいわ!」
「こんなの簡単ですよ! ただ聴診器が手に入らなくて。一応、作ったは作ったんですけど、クオリティーが低くて……」
「クオリティー? 十分本物に見えるわよ? これのどこがいけないの?」
ノルンちゃんの首にかけてある聴診器を見せてもらったけれど、本物と見間違えるほどそっくりだった。
「だって、聴診器なのに音がきちんと拾えないんですよ!? こんなの許せません!」
「求めるレベルが高すぎよ……」
「サフィー様こそ、何ですかその恰好は?」
「可愛いでしょ! もちろん特注よ。ジェイドと合わせたの」
今日の私の恰好は、不思議の国のアリスの衣装だ。一度でいいから着てみたかったコスプレ衣装だ。
私に合わせてジェイドは時計を持った白ウサギ。ジェイドのうさ耳は反則だ。うさ耳をつけた瞬間、全てを持ってかれた気がしたのだから。
「可愛いのは認めます。でも、それって狙ってますよね?」
「狙う?」
私はキョトンとしながら、首を傾げた。攻略対象者を含めた男性の視線を狙うってことなら、ノルンちゃんのナース服に勝てるわけがない。
「だって、サフィー様、“夢オチ”を狙ってのその恰好なんですよね? 現実逃避はだめですよ」
「夢オチ!? いや、決して狙ってないわ! 偶然よ!!」
必死で否定する私の言葉を待たずに、ノルンちゃんはチラシ配りに行ってしまった。
確かに、断罪イベント直前に「私の人生は全て夢でしたー!」って逃げることができたら、どれだけ幸せだろうか。案外それもいいかもしれない。
「夢オチって、何ですか?」
「ジェイドは夢オチって言葉を知らないの?」
「はい、初めて聞きました」
「物語とかの最後に、主人公が目を覚まして『夢だったのか』って、今まであったことを全て夢のせいにすることよ。どんな物語でも、結末がうまく纏まらなくても、主人公が目を覚まして『夢だった』と言えば、そこで物語が終われるの。ある意味、物語の最強の終わり方なのよ」
「そうなんですね。でも、サフィーお嬢様との出来事が全て夢だったら悲しいですね。それなら、サフィーお嬢様は一生夢を見ていてもいいですからね」
「どう考えても、絶対に夢オチにはならないから。どれだけ破滅エンドが嫌でも、これは現実だって、きちんとわかっているから!」
私とジェイドが不毛なことを話していると、私の背後から、女の子の可愛い声が聞こえ、ぎゅーっと抱きつかれた。
「サフィーお姉ちゃん!」
「ヒナちゃん!」
「サフィーお姉ちゃん会えて嬉しいです! ジェイドお兄ちゃんもお久しぶりです」
「こんにちは、ヒナちゃん、大きくなったね」
「はい、もうすぐニナお姉ちゃんの背も抜かせるんですよ!」
ヒナちゃんは、少し会わない間に背が大きくなって、すごく大人っぽくなっている。ジェイドが肩車していた頃が懐かしい。
「ヒナちゃんは、今日は誰かと一緒に来たの?」
「学園までは一緒に来ましたが、今は一人です。今日は格好良い男の子を見つけるために来たんですから!」
さすがニナちゃんの妹。行動力抜群だ。けれど、さすがに心配になってしまう。案の定、心配性な人がヒナちゃんを呼び止める。
「ヒナ!」
「お兄ちゃん!」
ヒナちゃんの言うお兄ちゃんとは。ジェイドのことではない。ワイアット様のことだ。
「変な男に引っかかるから、一人では行かせないよ。今すぐ準備するから待ってなさい」
「えーっ! お兄ちゃんはお姉ちゃんと二人で回ってよ。いつも仲が良いところを見せつけるんだもの。私だって格好良い男の子と仲良くなりたい!」
ぷいっとヒナちゃんが頬を膨らませながら、S組の男子生徒を物色し始めた。その様子に、保護者代わりのワイアット様は頭を抱えてしまう。
「ふふ、ヒナちゃんはおませさんね」
「全くだ。碌でもない男に引っかかるんじゃないかって、ヒヤヒヤして大変だよ」
ワイアット様がお兄ちゃんを通り越して、お父さんのようだ。
「ワイアット様、先に休憩に入られたらいかがですか?」
「今はお客様の入りも少ないし、もう少しで交代の時間になるものね。私も賛成だわ」
「本当か? それは助かる。ほらヒナ、一緒にニナを迎えに行くよ」
「えー、そんなぁ……サフィーお姉ちゃん、ジェイドお兄ちゃん、バイバイ」
ヒナちゃんはワイアット様に手を引かれ、ニナちゃんの教室に向かって歩いて行った。
最近になって、ワイアット様とニナちゃんは、婚約の話も出ているみたい。
フロー伯爵領がペレス村と肩を並べる一大観光地となった今、財政難が嘘だったかのように、活気で溢れている。
そもそも、アンドリュー侯爵家とフロー伯爵家は家族ぐるみで仲がいい。もう二人の恋の行方を阻むものは何もないようだ。
そこで明らかになるのは、ノルンちゃんが確実にワイアット様ルートではないということ。私の暗殺エンドと、ラズ兄様の暗殺者ルートがなくなって一安心だ。
「ジェイド、私たちも交替の時間よ。ラズ兄様のクラスを見に行きましょう!」
「はい。でもその前に、サフィーお嬢様に会わせたい人がいるんです」
「会わせたい人?」
「もう着いていてもおかしくないのですが、もしかしたら迷っているのかもしれないので、ちょっと向こうを見てきますね。サフィーお嬢様はこちらで待っていてください。もし行き違いになったとしても、すぐ分かると思いますので、ぜひ声をかけてあげてください。喜びますから」
「分かったわ!」
ジェイドは、その待ち合わせの人を見つけに出掛けて行った。すると、すぐにその待ち合わせの人が私の前に現れた。
「お義姉様!!」
少女の可愛らしい声が聞こえるのと同時に、私はギューっと抱きつかれた。
(デジャブ?)
その少女を見ると、中学生くらいの可愛らしい女の子だった。というか、可愛すぎる!!
白銀に輝く美しい髪、くりっとした愛らしい翡翠色の瞳。天使のような、可愛い子犬のような、ギューっと抱きしめたくなる女の子。
きっと、間違いない。
「お義姉様は、お話しに聞いていたとおり、本当に綺麗な方ですね。ルーカスお兄様ったら面食いなんだから」
可愛い子に綺麗と言われ、正直言ってお世辞でも嬉しい。この女の子は絶対に良い子に間違いない。
「ねえ、お義姉様、早く結婚して、国に一緒に帰ってきてください!」
可愛いらしい笑顔で、唐突に私に告げた。その眩しすぎる笑顔に、思わず頷きたくなってしまう。
けれど、「結婚」して「国に一緒に帰る」って、いつかのお母様の言葉の「結婚」か「国に帰る」か、の選択の余地すらなくなっている。
私が戸惑っていると、私の背後から不穏な美しい声が聞こえてきた。
「ジェ、ジェイド、お前、また俺の気持ちを弄ぶのか? 俺の初恋の思い出も、去年もそうだ。どうしてお前はいつも悪戯に俺の心をかき乱すんだ? しかも、今回は身長も、声も、俺好みに変えるほど、手をこみやがって!!」
突然私たちの目の前に現れた“もふもふもどき”が変なことを言い出した。レオナルド王子だ。
今日のレオナルド王子の衣装は、もふもふの毛皮を纏った“もふもふもどき”の姿だ。
とても可愛くて、中の人が誰なのかを知らなければ、思わず抱きつきたくなってしまう仕様だ。
それもそのはず、この毛皮、アオの毛を刈り取った本物の毛で作ったのだから。
そのせいなのか、アオはジェイドの方に行ってしまい、一緒に寝てくれなくなってしまった。
それにしても、身長も声も違うということが分かっているのに、どうしてこの可愛い女の子をジェイドだと思うのだろうか。
ちなみに、レオナルド王子の言う「去年」とは、去年のクラスの催し物「男女逆転の執事&メイド喫茶」のことだ。
ジェイドがメイドに女装した姿を見て、レオナルド王子が大変だった。
「あの、一応お伝えしておきますけれど、この方はジェイドではありません」
「何!? じゃあ、本物のジェイミーちゃんか!」
すごく嬉しそうな声でジェイミーちゃんの名前を呼ぶレオナルド王子。一途なんだか、ばかなんだか……
「……もちろん、それも違います」
「ふんっ、喜ばせやがって。では、この可愛らしい天使のような妖精のような女性はどなたなんだ? 夢か幻か?」
怒っている“もふもふもどき”に、女の子はしずしずと近付き、可愛らしい声でお願いを口にした。もちろん上目遣いは忘れない。
「あ、あの……もふもふしてもいいですか?」
「え? もふもふ? アオがいるのか?」
“もふもふももどき”は自分がもふもふだということを、どうやら忘れているようだ。だって、周囲を見回してアオを探しているんだから。
そして次の瞬間、“もふもふもどき”の答えを待たず、女の子はぎゅーっと、もふもふに抱きついた。
「え、え、え、え、えぇぇぇぇ!!!!」
“もふもふもどき”の表情は変わらない。けれど、おそらく中の人は昇天寸前だろう。
目の前で繰り広げられる可愛い女の子と“もふもふもどき”のイチャラブシーンを見て、私は悶絶した。これぞ眼福!
「ステファニー!!」
「ルーカスお兄様!」
遠くから、女の子の名前を呼ぶジェイドの声が聞こえてきた。女の子は一瞬にして可愛らしい笑顔を浮かべる。
けれど、ジェイドに向かって呼んではいけない名前を呼んでしまった。その言葉をあの方も聞き逃してはいなかった。
「ルーカスお兄様ぁ?」
“もふもふもどき”が怪訝な声で尋ねる。
“もふもふもどき”の中の人の安否は確認できたけれど、少しだけ危険な予感がしてしまう。
「ステファニー、今、ステファニーが抱きついているのはレオナルド王子、この国の王子様だよ? 失礼だから離れなさい。レオナルド王子、妹のステファニーが申し訳ありません」
ジェイドは“もふもふもどき”の中の人の正体を言ってしまった。絶対に言ってはいけないことなのに。
「もっと、もふもふしたいのに。 ……あら? ルーカスお兄様はスパイダーの仮装じゃないのですか? さっきお母様たちから聞いたのに?」
“もふもふもどき”から引き離されて残念そうなステファニーちゃんは、ジェイドに尋ねた。
(どうしてジェイドがスパイダー? スパイダーって蜘蛛のことよね? 蜘蛛の仮装は、ちょっと嫌だわ。まだシーツおばけの方が可愛いもの)
ジェイドの恰好は白ウサギ。蜘蛛とは似ても似つかない。
「俺は構わないぞ。思う存分もふもふしてくれ」
レオナルド王子の顔は赤い。もしかして、と思ってしまう。
「ありがとうございます、レオナルド王子。ステファニー、まずはきちんと御挨拶をしなさい」
「はい、ルーカスお兄様。レオナルド王子殿下、ご挨拶が遅くなったことをお許しください。ステファニー・ヴァン・チェスターと申します。以後、ルーカスお兄様共々お見知り置きください」
可愛らしくステファニーちゃんが挨拶をする。それを見て、レオナルド王子も意気揚々と挨拶を返す。……はずだった。
「俺は、レオナルド・フォン・ロバーツだ。この国の王子だ。……って、ルーカスって誰のことだ? しかも、ヴァン・チェスターって、隣国の? それに、さっきからジェイドのことをルーカスお兄様って?」
レオナルド王子はみるみるうちに、顔を歪めていった。
レオナルド王子は、ジェイドがルーカス王子だということをまだ知らない。レオナルド王子に言った覚えはない。
この後どうなるか、容易に想像ができた私は、どうにか誤魔化す戦法に出る。
「ジェイド、ステファニー王女殿下をご案内して差し上げたら?」
「ジェイド? ああ! ルーカスお兄様のことですね。それにお義姉様、もう義妹だと思って、ステファニーとお呼びください。もちろん、様もつけたら嫌ですからね」
見事、秘技、話題転換の術も失敗に終わった。ステファニーちゃんの無垢な笑顔が余計に辛い。
「つまり、ジェイドがルーカス王子ってことなのか? まさかお前ら、また俺のことを騙していたのか? 正体を偽って、学園に入り込むなんて、まさか、お前、隣国からのスパイか? 誰か、捕えよ、ジェイド、お前はスパイだー!!」
とうとうジェイドがルーカス王子だということをレオナルド王子に知られてしまった。このままでは、スパイ容疑でジェイドが捕まってしまう。
前回は、ここでお母様たちが登場したけれど、今日はきっといない、はず。
(あることないこと言われて大変だったけれど、お母様! どうか助けてください!!)