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従者を辞める日

「えっ……」


 畏怖すらも覚える、とても異質な微笑みから放たれた言葉に、私は言葉を失った。


(今、ジェイドのことを殺せばいいって言ったの? 嘘よね? 冗談よね? もし冗談だとしても、全く面白くないわ!!)


 イーサン先生は、私が戸惑っていることなど全く気にも留めることなく、その貼り付けたような笑みを崩すことのないまま、さらに淡々と言葉を放つ。


「そうすれば、彼のことで君が悩む必要はなくなるよ? 君ができないのなら、君の従魔のアオくんに頼めばいい。きっと君のお願い事なら聞いてくれるよ」


 もう考えることすらできなくなっていた。


 怒りの感情と、身体の中で燻っていたもう一つの想いが爆発するかのように、一気に口から溢れ出した。


「何でそんな酷いことを言うの? いつも私の事を一番に考えてくれているジェイドが、何も考えなしに私を傷つけるようなことをするわけないじゃない! それに、ジェイドがどんな人であっても、ジェイドと過ごす毎日は、すごく幸せで楽しいんだから! 私には、ジェイドが隣にいないなんて、絶対に考えられないんだから!!」


 肩で息をするほど、思いっきり怒鳴りつけていた。溢れ出して止まらなくなった自分の思いに任せて、相手が先生だってことも忘れるくらいに。


「それが君の答えなんじゃない?」


 ふっと、安堵の表情を見せ、優しく私に問いかける。


 先ほどまでの、貼り付けたような笑顔が見間違いだったかのように、いつもの優しい笑顔のイーサン先生がそこにいた。


 続けて確認するように、イーサン先生は私に本当の答えをくれた。


「自分で答えが出せたじゃないか。彼がどんな人でもいい、彼は君のことを一番に考えている、彼に隣にいて欲しいって。君は秘密を打ち明けられるほど、彼のことを信頼できるのだから、もっと素直に信じてみればいいんじゃないのかな?」

「イーサン先生、もしかして、わざと?」


 ポンポンと優しく頭を撫でられた時、イーサン先生の思惑に、存分に嵌ってしまったことに気付いた。

 瞬間、顔から火が出るほど恥ずかしくなった。


「きっと誰もが、本当に守りたいものができた時、自分の人生を犠牲にしてもいい、捧げてもいい、そう思う時が来る。他人からしたら、どうしてそこまで? と思うかもしれない。けれど、それがその人にとっての信念、譲れないものなんだと思うよ」

「譲れないもの、ですか?」

「そうさ。そのためには、必要があれば嘘だってつくし、できることは何だってやろうとしてしまう。だからと言って、誰かに迷惑をかけてはいけないし、やっていいことと悪いことがある。だからこそ、世の中には、厳しい法規制があるんだよ」


 少しだけ遠い目をしたイーサン先生が、さらに言葉を続ける。


「誰かに秘密を打ち明けるのは、とても勇気のいることだけど、秘密を打ち明ける相手がいるということは、とても幸せなことなんだ。自分が間違った道に進もうとした時には止めてくれたり、正してくれる可能性だってある。世の中には、秘密を抱えたまま誰にも言えずに苦しむ人だっている。その苦しみと四六時中向き合わなければならない人だっているんだよ」


 イーサン先生が、私に言い聞かせるようにゆっくりと、しっかりと言葉を紡いだ。

 私はその言葉の一つ一つを噛み締めるように聞き、そして自分の頭の中で紐解く。


「ジェイドは、もしかしてずっと苦しんでいたのかもしれないんですね……」


 私は悲劇のヒロインぶっていた。運命は変えられないからと、攻略対象者は自分の敵だと敬遠していた。

 それを知りながらも、ジェイドは自分のこと以上に私のことを考えてくれ、私が幸せになれるように導いてくれていた。


 ジェイドは、たしかに嘘をついていたかもしれない。でもそれは、私のための優しい嘘だった。


 アンデッドに襲われた時も、自分が囮になってでも私を逃してくれようとしたし、正体が知られると分かっていても、自分の本当の名を告げた。


 ジェイドの全ては、私を守るため、私のためだった。


「イーサン先生、ありがとうございます。私、ジェイドの所へ行ってきます!」

「ああ、また泣かされるようなことがあれば、俺で良ければいつでも胸を貸すよ」

「ふふ、本当に冗談がお上手ですね。ありがとうございました」


 イーサン先生にお礼を言い、ジェイドを探すために走った。


「サフィー!!」


 途中、私に声をかけてきたのはラズ兄様だった。昨夜のラズ兄様ではなく、いつものラズ兄様。


「あの、ラズ兄様、ジェイドを知りませんか?」

「ジェイド? 見てないけど……」

「そうですか、……え?」


 そのとき、虹色の光が、私の周りにふわふわと浮かんでいるのが分かった。


「虹色の光? シャボン玉?」

「サフィー、これは、精霊だよ。精霊がサフィーに何かを伝えようとしているみたいだ」

「精霊さん? 何ですか?」


 すると、その虹色の光がふわりと優しく輝き、その光の中に、少しだけぼやけた映像を写しはじめた。


「え、ジェイド?」


 そこに映し出されたのは、階段に座り項垂れるジェイドの姿だった。


「ここって、もしかしたら宿泊施設の裏にある広場かも。裏側だから誰も来ないようなところだ」

「でも、どうして精霊さんが?」

「精霊が、自分の記憶を見せてくれてるみたいだ。きっと、サフィーの力になりたいんじゃないのかな?」

「記憶を? ジェイドの居場所を教えてくれたのね。……精霊さん、ありがとう」


 私がお礼を言うと、虹色の光の精霊さんは、ふわりふわりと消えていった。


「サフィーはもう大丈夫か?」

「はい。もしかして、心配してきてくれたんですか?」

「まあ、そうかな」

「ふふ、ありがとうございます。あ! ラズ兄様に、いっぱい聞きたいことあるんですからね。でもその前に」


 ラズ兄様の正面に向き合って立ち、私は深く頭を下げた。


「助けてくれてありがとうございました。黒猫ちゃん!」


 私は、敢えて黒猫ちゃんにお礼を言った。何となく、昨日のラズ兄様はラズ兄様であって、ラズ兄様ではない気がしたから。


「はは、気が向いたら教えてあげるよ。ふっ、さっさと行け。ジェイドはきっと待ってるよ」


 そう告げるラズ兄様の瞳の色は、一瞬だけ真紅色に変わったと思ったら、直ぐに紺碧色に戻るという、何とも不思議な瞳の色の変化を見せた。


「ラズ兄様もありがとうございます! 絶対に後で教えてもらいますからね!!」


 そして、宿泊施設の裏側の広場についた。石段に座り込むジェイドの後ろ姿を見つけた私は、ジェイドの名を大声で叫んだ。


「ジェイド!」


 びくり、と肩が一瞬だけ震えたのが分かった。けれど、私の方を振り向こうとはしない。ジェイドはずっと俯いたままだった。


 私はジェイドの真正面に立ち、ジェイドの顔が見えるように蹲み込んだ。


「ジェイド、お願いだから、顔を上げて?」

「サフィーお嬢様、申し訳ありません。私にはサフィーお嬢様に合わせる顔などありません……」


 その姿は、乙女ゲームに出てくるキラキラした攻略対象者ではなく、年相応の男の子の姿だった。


 今までたくさん背伸びをして、頑張ってきてくれたのだろう。そう考えたら、不謹慎にも可愛いとさえ思え、ありのままのジェイドの姿が見れた気がして嬉しかった。


「ごめんなさい。ジェイドはルーカス王子かもしれないけれど、ジェイドはジェイド、私の大切な従者のジェイドなの。そこに偽りなんてなかったわ。だからお願い、顔を上げて、私のことを見て?」


 私の言葉に、今度は素直に顔を上げてくれた。酷く憔悴し切っていて、目は腫れぼったい。


 そんなジェイドの顔を、翡翠色の瞳を見つめる。初めて会った時から変わらない、とても澄んだ綺麗な色をしていた。

 そして、その瞳の中には、いつもと同じように私が映っていた。


「今まで言えなくて辛かったでしょ? 本当にごめんなさい」

「謝らないでください。私がさっさと言えばよかっただけなんですから」


 ジェイドの手を取り、両手で握り締めた。

 いつもは、この優しい手に私は守られている。これからは、私もこの優しい手を守りたい、そう決めたから。


「ううん、ジェイドは私のために言わなかったんでしょ? 私はジェイドがいてくれたから、みんなの過去のトラウマも回避できたし、今まで楽しく過ごせてきたのよ。全部ジェイドのおかげよ。本当にありがとう」

「サフィーお嬢様……」

「それに、ルーカス王子のことは、ジェイドが言いたくなったら言ってくれればいいわ。私はジェイドのことを信じる! 私はジェイドの全てを受け入れる覚悟ができたんだから!」

「はい」


 私の言葉に、ジェイドは大きく頷いた。それを見て、私は少しだけ安堵する。同時に、疑問も浮かび上がる。


「でも、ちょっと待って? 隣の国の王子様をこのまま従者にしてるのって問題よね? それにジェイドのご家族もそうだけど、国家間の問題でもあるわ。名前もルーカス王子って呼ぶべきかしら? ど、どうしましょう?」


 落ち着いて考えたら、一国の王子を従者として従えている侯爵令嬢なんてあり得ない。一瞬にして、私は青褪めた。

 そんな私を見て、くすりと笑いながら、ジェイドは言った。


「今まで通り、ジェイドでお願いします」

「え? いいの?」

「はい。それに、他のことについても心配しなくて大丈夫です。スーフェ様が全て手配してくれていましたから」

「お母様が? 一体いつの間に?」

「初日にはもう……」


 それはそれは言いにくそうに教えてくれた。


「え? どうして? 本当にお母様は何者なの?」


 普通の人よりも普通ではないとは思っていたけれど、ここまであり得ない人だとは思わなかった。


「それに、スーフェ様は私の母とも交友があるみたいです」

「もしかして、お母様のチェスター王国のお友達って、ジェイドのお母様のことなの!? 王妃様ってことよね? どんな交友関係が? 本当に恐ろしい人だわ」


 不思議な交友関係に、チートすぎる能力と魔法。まだまだ隠されていることがあるのでは? と勘ぐってしまう。


「それに、母からは中等部の時に、俺の好きなようにしていいと言われています。国に帰ってきてもいいし、このままサフィーお嬢様の近くにいてもいいと」

「それでも、こっちに残ってくれたの?」

「はい、サフィーお嬢様を守ると誓いましたから。それに、母は……」


 ジェイドが言い淀んだことに、私は少しだけ不安を覚えた。


(本当は、ご家族のみなさんも帰ってきて欲しいと思っているはずよね……)


「……お母様が?」

「ええっと、サフィーお嬢様にお会いしたいって言っていました」

「よかったぁ! 私もジェイドのお母様にお会いしたいわ! じゃあ、いいの? ジェイドは私の従者としてこのままで?」

「はい! 私の命にかえても、生涯サフィーお嬢様を守ってみせます!!」


(生涯って、前にも言われたけれど、なんかそれって……ううん、でもだめ)


「生涯はだめよ。高等部の卒業の日までにしましょう。ジェイドはジェイドだけれど、ルーカス王子でもあるのだから。きちんとけじめはつけなきゃいけないわ」


 だって、私の運命は高等部の卒業の日まで、なのだから。


「はい、分かりました。その時には、必ず、ルーカスとして、けじめをつけさせていただきます」


 ジェイドの顔はとても晴れやかで、その優しい眼差しは、今までで一番決意に満ち溢れていた。




 その夜、私たちはみんなを誘って花火をした。もちろん、花火はかき氷の売り上げで買ったもの。


 小さい頃の話を聞いて、私に花火の思い出がないのなら、もう一度、花火の新しい思い出を作ろうと思ったから。


 花火は私が想像していた以上にとても綺麗で、そして儚く散っていった。

 けれど、楽しい思い出として、ずっと心に残しておくことができる。私の心に、誰かの心に……


(楽しい思い出なら、私がいなくなっても思い出して笑ってくれるよね……)



「ノルンちゃん、昨日は心配かけてごめんなさい。そして、ありがとう」

「ジェイドさんと仲直りできたんですね。よかったです」


 私はノルンちゃんにお礼を言った。ノルンちゃんがいてくれなかったら、きっと私は、今も部屋の隅っこでウジウジしていたと思う。


「ノルンちゃんの聖女様の力はすごいわね! 私の心まで癒してくれたんだもの」

「あら? サフィー様、そんな余裕なことを言っていていいんですか? 私の作戦かもしれませんよ?」

「え? どういうこと?」


(私を攻略? ……なわけないし!)


 不適な笑みを浮かべ、ノルンちゃんは告げる。


「ルーカス王子ルート、知っているのは私だけですからね!」

「え? 何それ? どういうこと?」

「まだ秘密ですよー」


 そう言うと、ノルンちゃんは、逃げるようにジェイドの方へ行ってしまった。






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