熱い抱擁とキス
「ねえ、ジェイド。今度の宿泊合宿の準備はどこまで終わった?」
私とジェイドは今、夏の宿泊合宿に向けた準備をしているところだ。
宿泊合宿は、体育祭と同じく三年に一度行われ、昼は海で遊び、夜は肝試しを行う。全学年合同で行われるんだけど、参加するかどうかは個人の自由。
というのも、現地集合、現地解散だからだ。
「だいたいの準備は終わりました。サフィーお嬢様はまだですか?」
「うん、私もだいたいは終わっているんだけれど……実は、水着を着てみたらサイズが合わなくて、買いに行きたいの。でも、ミリーがお母様に呼ばれちゃって、行けなくなってしまったの」
まだまだ成長していない子供のつもりでいたら、見事に水着が小さくなっていた。気が付けば、すでに前世の私の年齢を追い越している。
前世で言えば16歳はもう結婚できる年齢。いつの間にか私も大人になっていた。まだ学生のうちは、結婚なんて考えられないけれど。
「水着、ですか……」
ジェイドの表情が一気に曇った。それもそのはず、買いに行きたいのは水着だ。以前にも一度断られている。
私だって、ジェイドと一緒に水着なんて買いに行けないと思っていたけれど、ジェイドは私を義妹だと思っている。私もジェイドのことを義兄だと思えば大丈夫な気がした。
(うん、きっと大丈夫よ。恥ずかしいけれど、大丈夫)
「やっぱりだめかしら? そうよね。じゃあ、ジェイドは、どんな水着が好き? どんなのが私に似合うと思う?」
どうせなら可愛いと思ってもらえる水着が着たい。今度こそは心から可愛いと言ってもらうことが目標だ。
「サフィーの水着なら、俺が選んであげるぞ」
「ラズ兄様!!」
どこからともなくラズ兄様が現れた。
(そろそろサロンで話すのは、やめた方がいいのかしら?)
サロンで話をしていると、必ず誰かが盗み聞きをしている。薄々その事実に気が付き始め、対策を練る必要がある気がしてきた。
「ジェイドに水着選びを任せていたら、サフィーの魅力を十分に発揮できるわけがない。久々に俺と一緒に買い物に行かないか?」
「ラズ兄様が一緒に行ってくれるんですか?」
ラズ兄様からのお誘いに、私の胸は一気に高鳴る。だって、願ってもないとっても嬉しいお誘いだから。
「ああ、いつ行く? 今からか?」
さあ、行くぞ! とラズ兄様が私の手を取る。
けれど、残念ながら今の私は買い物に行けるような準備は整っていない。できることなら、少しくらいお洒落がしたい。
「せっかくラズ兄様とお買い物に行けるのなら、ゆっくり行きたいです!! 来週の休みの日なんてどうですか?」
「ああ、わかった。楽しみにしてるよ」
******
「で、どうしてこうなってしまったの?」
私は今、水着が売っている王都の街の洋服店に来ている。
王都の別邸からは、ラズ兄様と一緒に歩いてきた。結局ジェイドも「一緒に行きます」と言ってくれた。
それはきっとラズ兄様と一緒にいたいからだろう。
(まさか!? 私にやきもちを焼いてたりして。ジェイドったら、意外と嫉妬深いのね)
そこまではいい。想定内だから。いざ、お店に着くとそこには……
「どうして、お母様がいるんですか?」
どうしてなのか、お母様がその洋服店にいた。このお店は失礼ながら、侯爵夫人が来るようなお店ではない。市井の若者向けのお店だ。
ましてや、一緒にいるお方が来るようなお店でもない。
「あら? 私が買い物をしていたらいけないのかしら? 今度みんなでフロランドに行こうってことになって、水着を買いに来たのよ。ね、ベロニカ」
「ふふふ、サフィーちゃん、お久しぶりね。元気にしてた?」
優しい笑顔で微笑む王妃様は、いつお会いしても癒される。
ノルンちゃんが、マジDEATHのヒロインかもしれないと言っていたけれど、たしかに、この美しさと癒しの笑顔は、ヒロインの中のヒロインに違いない。
「はい、とっても元気です! 王妃様も水着を買いにいらっしゃったんですか?」
「今日はね、レオナルドの水着を選んであげようと思ったの」
「俺は別に何でもいいんだが、母上がどうしてもっていうから……」
さりげなく、王妃様の隣にはレオナルド王子がいた。
過去のトラウマを回避していなかったら、この二人が仲良く買い物をしている姿なんて見れなかったのかもしれないと思うと、とても感慨深い。
そして、私たちは水着を選びはじめた。というか、みんなが私の水着を選びはじめた。
「サフィー、これなんかサフィーに似合いそうだぞ?」
「ラズ、あんたセンスがないんだから向こうに行ってなさい。サフィーちゃん、こっちはどう?」
「スーフェは露出狂だから、それはだめよ。刺激が強すぎるわ。サフィーちゃんはこっちの方がいいわよね? 娘の服を選んでいるようで嬉しいわ。やっぱりサフィーちゃん、うちにお嫁に来ない?」
「母上!!」「「王妃様!!」」
王妃様の言葉に私が愛想笑いをする中、三人の声が被っていた。
レオナルド王子が必死に否定するのは分かるけれど、ラズ兄様とジェイドまでどうして否定するのだろうか。
(ラズ兄様とジェイドは、私の幸せを願ってはくれいのかしら? 王族に嫁ぐって、とても光栄なことよね? まあ、どう転んでも、私がレオナルド王子に嫁ぐことはあり得ないけれど)
「ちょっと、ちょっと!! あんたたちは揃ってセンスがないわね。アタシが選んであげるわ!」
突然現れた、聞き覚えのあるその声の主は……
「冒険者ギルドの!」
女性というか、男性というか、何とも言えないあのお方だった。
「あら! マリリンはどの水着にするか決まったの?」
「えぇ、とても悩んだけれど、とっておきのに決めたわ」
(気になる、すごく気になる……どんな水着を選んだのかしら?)
それと同時に、衝撃の新事実が判明した。お名前がマリリンさんだということ。これで呼びやすくなった。
「あらぁ! ジェイドちゃん! アタシの愛しのジェイドちゃんがいるわ!!」
マリリンさんは、ジェイドを見付けるなり一目散に駆け寄り、それはそれは、骨が折れるのではないかというほどの勢いで、一方的な熱い抱擁を交わしていた。
私はラズ兄様の方をちらりと窺った。
(ラズ兄様は、きっとマリリンさんに嫉妬をしているはずよ)
それなのに、辺りを見回してもラズ兄様の姿が見えなかった。どこに行ってしまったのだろうか?
「あれ? ラズ兄様は?」
「ラズちゃんもいるのね。絶対に逃さないわよ。それで、サフィーちゃんの水着を選べばいいのよね? えっと……」
マリリンさんに見つめられた私は、一ミリたりとも微動だにできなくなった。まるで、金縛りにでもあってしまったかのように。
「これね!」
マリリンさんが持ってきた水着は、あろうことかスクール水着だった。
「え!? これは無理ですよ!」
「大丈夫よ、これしかないわ。これを着れば、トップの売り上げを誇れること、間違いなしよ!」
マリリンさんは宿泊合宿を、何か違うものと勘違いしているのだろうか?
いや、むしろ宿泊合宿は学校行事だから、ある意味これが一番正しい選択なのかもしれない。
(でも、これを私が着たら、どう考えてもコスプレ感満載よね……)
マリリンさんから、グイッとスクール水着を差し出される。受け取りたくない。けれど、震える私の手がその水着を受け取ろうと勝手に動く。
「だめだ、だめだ!! サフィーにそれは絶対にだめだ!!」
姿を隠していたはずのラズ兄様が、どこからか現れた。
「ラズちゃーん! やっぱりいたのね。アタシから逃げられると思っているの?」
マリリンさんは待ってました! と言わんばかりの勢いで、ラズ兄様を捕まえた。
「お、お前、わざとサフィーを囮に使ったな!!」
「そうしないとアタシの前に出てこないでしょ? あぁ、アタシの愛しのラズちゃん。ずっとずーっと会いたかったわ」
マリリンさんは、熱い抱擁を交わすだけでなく、ラズ兄様の頬に、一方的な熱い接吻までもぶちかましている。
ラズ兄様の頬には、真っ赤な口紅でくっきりとキスマークの跡が付けられた。
「ジェイド、ジェイドは大丈夫?」
「……」
その様子を見てしまったジェイドは、放心状態だった。
突如現れた強敵に、私たちにはなす術がない。だから、助けを求める。
「お母様、ラズ兄様を助けてあげてください」
「嫌よ。この前、私のことをババアって言ったんだもの」
「お母様、まさか、あの時のことをまだ根に持ってるんですか?」
「さ、ベロニカ、私たちは水着を選びましょう。サフィーちゃんもおいで」
お母様は全く助ける気がないらしい。ちらりとラズ兄様を見るも、熱い抱擁は今もなお続いている。
「助けてくれぇぇぇぇぇ」
ラズ兄様の叫び声も虚しく、マリリンさんのその逞しい腕は、ラズ兄様を離そうとはしない。
「ラズちゃん、アタシの最愛のルべちゃんを呼んでくれたら離してあげるわよ」
「ルべちゃん?」
(ルべちゃんって誰? ラズ兄様のお友達?)
初めて聞く名前に、私は首を傾げた。
「サフィーちゃんは気にしなくていいわよ。さあ、これを着てきなさい」
お母様は無理矢理私に水着を渡してきた。そして、その馬鹿力で試着室に押し込んだ。
「えっ、お母様、これは見るからに、だめなやつですっ!」
「いいから着なさい。“ここぞ”っていう時に、これを着るんでしょ? それに、恋を進展させるには刺激が必要よ? 見に行くから必ず着るのよ」
私にはこの水着は絶対にだめなやつだと分かっている。けれど、これを着なければ絶対にお母様が納得しないだろう。
私にはこれを着るという選択肢しかなかった。
(恥ずかしい、恥ずかしすぎて死ねる)
お母様にだけ見せたら、即刻着替えようと心に決めた。
「お母様、着ました。けれど、やっぱり絶対に見せられないやつです……」
試着室の中から、お母様に向けて叫んだ。お母様たちが何か言っているようだったけれど、私には聞こえなかった。
「ちょっと、ジェイド見てきなさい、命令よ」
「え? でも、絶対に見せられないって……」
「ジェイドが行かないんじゃ、レオナルド王子に行ってもらうわよ?」
「それだけは絶対にだめな気がします。それなら、私が行きます」
「サフィーちゃん、入るわよー」
お母様の声に、私は思いっきり油断していた。何も考えずに返事をしてしまったのだから。
「はい、どうぞ……」
やっぱりお母様にさえこの姿を見せることは躊躇われた私は、モジモジと下を向いて恥じらっていた。
けれど、いつになってもお母様の反応はなかった。少しだけ不安になり、俯いていた顔を上げる。
「あ、あの、お母様……!? ってお母様じゃない!? きゃあぁぁっ!!」
顔を上げた瞬間、私の目に飛び込んできたのは、耳まで真っ赤にして顔を覆っていたジェイドの姿だった。
(死んだ。恥ずかしすぎて死んだ……)
もちろん、私も咄嗟に蹲み込んだ。だって、お母様が選んだ水着は、あの……
前世で人気のイケメンアーティストを彷彿とさせる、真っ黒なガムテープを格子状に貼り付けたかのような、あの水着だったから。
(どうして、水着バージョンもあるの!? これって、以前ラズ兄様が着てたやつと同じですよね? あの時、確実に処分したはずなのに……まさか、このお店に売ってるの!?)
たしかに、夏に、海にぴったりだけど……
「「これは絶対にダメです!!」」
「スーフェ的にはオールオッケー!」
もう絶対にお母様には選んでもらわないと心に決めた。ちなみに店内を見て回っても、この水着は絶対に売ってそうになかった。
ちなみにその頃、王妃様とレオナルド王子は、仲良くお買い物をしていました。