【SIDE】 ジェイド:ヒロインの誘惑
「ノルン様、サフィーお嬢様からの伝言です」
正直言うと会いたくなかった。けれど、サフィーお嬢様からの伝言を預かったからには、確実にお伝えしなければならない。
放課後のカフェテリアには、生徒はほとんどいない。それでも、人目につきにくい場所に座るノルン様を見て、彼女の警戒心の強さを感じた。
ノルン様は信用ならない。サフィーお嬢様と俺の関係も、それとなく探りを入れてきたし、何よりも図書室での一件。
わざと俺にだけ聞こえる声で発したあの言葉は、まるで俺がチェスター王国の者であると言っているようだった。
(本来なら俺がさっさとサフィーお嬢様に自分の正体を言うべきだろうな)
けれど、高校生活、サフィーお嬢様の懸念する断罪イベントというものが何事もなく終わるまでは、サフィーお嬢様に余計な心配を掛けさせたくなかった。
全てが終わった時に「結局何も起こらなかったじゃないの!」と笑い合っている時に、俺の想いと共に真実を伝えようと、そう心に決めている。
入学初日に、サフィーお嬢様が「逃げたい」と言っていたら、チェスター王国に連れて行こうと本気で思っていたけれど……
サフィーお嬢様が頑張ると決めたのだから、俺は全力でサフィーお嬢様の願いを叶えるまでだ。
それが俺の出した答えだ。誰にも邪魔はされたくない。だからこそ、ノルン様には関わるべきではない。
(必要なことだけを言って、さっさと帰ろう。それに、今まさに、サフィーお嬢様は魔物学科の教材室に行っているんだから。あそこにいるのは……はあ、嫌な予感しかしない)
「……では、失礼させていただきます」
ノルン様に要件だけを端的に伝えて、さっさとこの場を去ろうとした。それなのにノルン様に呼び止められた。
「少しくらい話していきなさいよ?」
今までの甘ったるい雰囲気とは違う、やけに挑発的な声色で。
(こっちが本性か。とんだ猫被りだな。やはり信用などできるはずがない)
「いえ、結構です。ノルン様とお話ししたいことなどありません」
俺は、はっきりと断った。
サフィーお嬢様と同じく、前世の記憶を持っているらしいが、敵か味方かはまだ分からない。どれだけ、乙女ゲームに詳しいのかさえも何も。
このような状況で、深入りするのは得策じゃない。
「素っ気ないわね、そんなんじゃ、嫌われちゃうわよ、ルーカス王子? 私の方はあなたに聞きたいことがたくさんあるの」
「!?」
(今、何て言った?)
やっぱり知っているのか。俺の正体が、隣国チェスター王国の第二王子ルーカスだということを。この乙女ゲームの攻略対象者であるということも。
思わずノルン様を睨みつけていた。
「あら、怖い。あまり女性を睨んではいけないわよ。あの子には言ってないから安心しなさい。あなたはどこまで聞いてるの? ここが乙女ゲームの世界で、私たちが転生者って言うのは聞いているのよね?」
サフィーお嬢様がすでに話している以上、誤魔化しても無駄だろう。
「はい。サフィーお嬢様が前世の記憶をお持ちであることと、この世界が乙女ゲームの世界だということは存じております」
「断罪されることは?」
「はい」
「あなたが攻略対象者だということは?」
(やはり知っていたのか。きっと、ルーカス王子ルートとやらをやったのだろうな)
「はい、正確にはジェイドではなく、ルーカス王子が、です」
「同じことじゃない。少し早いようだけど、あなたは留学生ってことよね? よく偽名でバレないわね?」
それは、母様が裏で手を回してくれているからだけれど、そんなことノルン様に言う必要はない。
「攻略対象者は三年の時に留学してくる王子ということなので、私ではない可能性があります」
サフィーお嬢様は、俺とノルン様の出逢い方が出逢いのイベントっぽいとか、縁起でもないことを言って笑っていたけれど、あれは偶然に起きたことだ。
しかし、ノルン様は俺の言葉を聞くと、頭を左右に振った。
「残念ながら、攻略対象者はあなたで間違いないわ。入学式の日に私が階段から落ちそうになったところを助けてくれたでしょ? それはね、ルーカス王子との初対面のシーン、ルーカス王子ルートの出逢いのイベントのスチルシーンなのよ」
信じたくない。知らぬ間に、この馬鹿らしい乙女ゲームに巻き込まれていたなんて。
(サフィーお嬢様、正解です。こんな時ばかり、勘を働かせないでくださいよ)
サフィーお嬢様が笑いながら言っていたことが冗談ではなくなったと言う事実に、俺は泣きたくなった。
「あの子があなたに気付いていないってことは、ルーカス王子ルートをやっていないってことよね?」
「……」
「そんなに警戒しなくてもいいじゃないの。一つ教えてあげるわ。あの子は『ゲームの強制力』を信じ込んでるわ。悪役令嬢は断罪されて当然、それが運命だとでも思っているのね。普通なら受け入れられないと思うのに……でも、そうだとしたら、あの子の前世の記憶がそうさせてるの。自分の命の終わりを、常に感じながら生きてきたせいね」
そう話すノルン様からは、深い後悔の念が見えた気がした。それに、サフィーお嬢様の前世を知っているかのような口振りだった……
「あなたは前世のサフィーお嬢様と、どのような関係があるのですか?」
「それはまだ秘密よ。ねぇ、私と手を組まない? あなたの大切なあの子の悪いようにはしないわ」
(手を組む?)
ノルン様は何を企んでいるのだろうか。けれど、サフィーお嬢様の前世に関わりのある人かもしれない。
(どうすれば……)
俺は、一瞬だけ見せたノルン様の表情が、脳裏から離れなかった。
「少しだけ、考えさせてください」
俺はサフィーお嬢様を守りたい。サフィーお嬢様の願いを叶えてあげたい。そのためなら、俺は何だってやってみせる。
「それにね、心配なことがあるの。あなたのこともそうだけど、イーサン先生もマジ恋のゲームとは全く違う。私からすれば、レオナルド王子も、ワイアット様も全く別物だけど、それはあの子がやったことでしょ?」
「……」
(イーサン先生か……)
俺も入学してすぐに確認しに行ったが、実はルーカス王子として魔物意見交換会に参加した際に会っていた者だった。
直接会話はしていないが、俺はみんなの前で自己紹介をしていたから、向こうは俺の正体も知っているだろう。
しかし、俺の正体は、母様がベロニカ王妃様も巻き込んで、箝口令を敷いてくれている。余程のことがない限り、イーサン先生が俺の正体をバラすことはないだろう。
(何から何まで、母様たちには感謝しかないな)
それにしても、サフィーお嬢様をお姫様抱っこして誑かすなんて、絶対に許せない。
今まさに、サフィーお嬢様に危険が及んでいるかもしれないと思うと、気が気でいられなくなりそうだ。
(やっぱり、チェスター王国に連れていってしまえばよかった……)
「あなたも何か思うところがあるようね? まあ、考える時間は必要よね。とりあえず、私とあなたがこの話をしたことは、あの子には黙っていてね。あの子に余計な気遣いをされたくないの。もし、話したりしたら、あなたと手を組むのはやめにするわ」