ヒロインの思惑
「わ、私にも、やっぱり分からないみたい。ごめんなさい、ノルンちゃん」
私は、焦っていた。焦りすぎて「ノルン様」や「ノルンさん」ではなく、まさかの「ノルンちゃん」呼びをしてしまうほど。
こんなタイミングで、いきなり私の最大の秘密が暴かれるなんて。
けれど、それ以上に、間違いなくノルンちゃんも転生者だという事実に衝撃を受けていた。
(転生者のヒロインって、もう私の人生詰んだも同じじゃない!! 確実に逆ハーレムルート狙いよ! 逆ハー!! しかも、ジェイドというオプション付を狙っているんだわ!)
転生者のヒロインが逆ハーレムルートを狙うのは、ラノベあるあるだ。このノルンちゃんはそれだけでは満足せずに、ジェイドも狙っているに違いない。
「サフィーちゃんはもうノルンちゃんって呼んでるの? 私もノルンちゃんって呼んでもいいですか?」
ニナちゃんの底抜けに明るい声が、今の私には辛すぎる。
(呼びたくて呼んだんじゃないわよ。不可抗力よ)
「はい、嬉しいです! ニナ様よろしくお願いします」
花が咲いたようなノルンちゃんの可愛い笑顔が、ニナちゃんまで攻略しようとしている。
「わぁ! 私のことも覚えていてくれたんですね、嬉しいです〜。私に“様”なんて付けなくていいですよ〜」
(え? ニナちゃんもノルンちゃんと顔見知りなの?)
「もちろん覚えてますよ。入学式の日はありがとうございました。では、お言葉に甘えて、ニナちゃん」
ノルンちゃんにニナちゃんと呼ばれ、ニナちゃんはとても嬉しそうだ。
実は、入学式の日にワイアット様と一緒にノルンちゃんを校舎まで道案内したみたい。
「サフィーお嬢様、どうされましたか?」
ずっと顔面蒼白で突っ立っていたからだろう。ジェイドが心配そうに、私の顔を覗き込んできた。
「私、教室に忘れ物をしたことを思い出しちゃったの。ちょっと行ってくるね、ジェイドはここで待っててね」
(ここにいるのはもう辛い。それなら思い切って、ノルンちゃんを誘き出すわ! おそらく私が一人になればノルンちゃんは仕掛けてくるはず。ふふ、私って意外と策士ね!)
教室に着くと、案の定ノルンちゃんが追いかけるように教室に入ってきた。
「サファイア様、お答えしてもらってもいいですか?」
(どうしよう、誘き出したのはいいけれど、その後のことは何も考えてなかったわ。一応、ノルンちゃんの出方を窺って、様子を見た方がいいよね? 知らぬ、存ぜぬ、で乗り切るわ!)
「わ、分からないわ、ふふ」
私は愛想笑いで誤魔化した。
「じゃあ、忘れ物ってこれですか?」
ノルンちゃんは一冊のノートを取り出して読みはじめた。
『マル秘☆マジ恋攻略本』
それは、前世の記憶を思い出した時に書いた私のノートだった。
「きゃーっ! 私のノート! どうしてそれを!?」
奪い返そうとするも、ひょいっと避けられる。同時に、じろりと私に向かう視線に、素直に謝ることしかできなかった。
「すみません、嘘をつきました」
(あの可愛いノルンちゃんが、まさかそんな目で睨む? ノートなんか持ってくるんじゃなかったわ。少しでも参考になるかも、と思って持ってきたのが全ての間違いだったのね)
日本語で書いたから油断していた。まさか、私の他に転生者がいるとは思わなかったから。
「でも、どうしてそのノートを?」
「サファイア様のことを見ていたら、このノートを大切そうに持ってるし、チラチラと見てるし、何かな? って思ってたら、恥ずかしげもなく表紙に『マル秘☆マジ恋攻略本』って書いてあるんですもの。ちょっとだけ拝借させていただいちゃいました」
「嘘、泥棒だっ!! ……ごめんなさい」
泥棒と咎めたら、めちゃくちゃ睨まれた。
「あの、もしかしてノルンちゃんも?」
「はい、そのとおりです。でも、私はサファイア様の敵じゃありませんよ。私が攻略したい人はもう決まっているし、むしろ転生者同士、お友達になりたいと思っているんです」
ノルンちゃんは私の両手を握りしめ、にっこりと微笑んだ。
(ま、眩しい。みんなこの笑顔に騙されるのね。それに、敵じゃないってことは、攻略対象者の中にお目当ての男性がいないってこと?)
ふと、以前ノルンちゃんに聞かれたことが頭を過った。
『サファイア様とジェイド様ってどういう関係ですか?』
(まさか、ジェイドが本命? オプションじゃなくて、本命なの!? それは、嫌だ……)
「……でも、ゲームの強制力は絶対ですよ? 現に、過去のトラウマのスチルシーンは回避できませんでしたから」
私は不安を顔に出さないように、自分にも言い聞かせるように、強い口調でノルンちゃんに伝えた。
「サファイア様は、本当にそれでいいんですか?」
「……私は誰にも迷惑をかけたくないんです。だから品行方正な悪役令嬢になるんです。そして残りの余生を楽しく過ごすんです」
「品行方正って、すでに悪役ではないですよね……」
冷めた目のノルンちゃんに、冷静に返される。
(やっぱり、ノルンちゃんは絶対に頭良いよね? 全て計算して動いてるのよね?)
「でも、私も楽しく生きたいのは同感です。それにサファイア様にはとても感謝してるんですよ」
「感謝?」
ノルンちゃんの言葉に、私は首を傾げた?
「感謝されるようなことは何もしてませんよ? 何のことですか?」
「それは、今は秘密です」
(えっ、ノルンちゃんも秘密至上主義!?)
それから、ノルンちゃんと改めて話し合いの場を設けることを約束し、私だけ図書室に戻ろうと廊下を歩いていた。
すると、前方からジェイドが歩いてきた。
「ジェイド、どうしたの? 図書室で待っててって言ったのに」
「待っていられませんよ、明らかにご様子がおかしかったじゃないですか? ノルン様もすぐに出て行かれたから、お二人の間で何かあったのかと思って。みなさんには、今日は先に帰るとお伝えしておきました」
「ありがとう、ジェイド」
(さすがね。ジェイドは本当に私のことをよく見てくれているわ)
図書室に置いてきた私の荷物も、ジェイドが全て持ってきてくれていた。
私は学園からの帰り道、ジェイドにノルンちゃんとの間にあったことを話した。
「ノルン様も前世の記憶があるのですか……」
「うん、でも敵じゃないって。私に感謝してるって言うの。どうしてかしら?」
やっぱりどう考えても私がノルンちゃんに感謝されるようなことは思いつかない。むしろ、怒られる覚えならたくさんある。
レオナルド王子とワイアット様の恋愛イベントで最重要な過去のトラウマを回避ているのだから。
「サフィーお嬢様は、ノルン様とお友達になりたいという気持ちはあるんですか?」
「できれば関わりたくないけれど、敵に回すと負ける予感しかしないのよね。それに、ノルンちゃんは乙女ゲームを相当やってきてると思うの。だって、あんなにスムーズに出逢いのイベントから図書室のイベントまでやってのけるんだもの。私の知らないルーカス王子ルートもやってるはずだから、その情報が貰えたら嬉しいと思ってるの」
「……」
「ルーカス王子って格好良いのかしら? 隣の国の王子様なのよ。絶対に格好良いはずよ! しかも隠しルートになるくらいだから、レオナルド王子やワイアット様以上にスペックが高くないと隠しルートとして相応しくないもの」
「……」
「ジェイドはどう思う? そういえば、攻略対象者じゃないのに、ジェイドもノルンちゃんと出逢いのイベントっぽい出逢い方をしてたわね? 階段から落ちるノルンちゃんを助けるとか、出逢いのイベントの王道じゃない!!」
「……」
「まあ、ジェイドは私の従者だもの。攻略対象者じゃないってことは私が一番分かってるわ! って、ちょっと、ジェイドどうしたの? さっきから何も喋らないし。どこか具合でも悪いの?」
「いえ、大丈夫です。ちょっと、いろいろとダメージが……」
どうしてか、ジェイドは頭を抱えていた。私は、というと、ジェイドとの気まずい雰囲気もいつの間にかなくなっていたし、もしかしたらノルンちゃんも味方かもしれないと分かり、浮かれ気分だった。
だからなのか、図書室で起きたもう一つの出来事、イベントの王道的な出来事を、すっかりと忘れていた。