ドキドキ! 図書室での勉強会
前途多難なこれからを示唆するような入学式を終えて、学園生活が始まった。
最初はどうなることかと心配したけれど、あれから平和な日常を過ごせている。
同じクラスだから仕方のないことだけど、ノルンちゃんがレオナルド王子やワイアット様と親しく話しているのを良く見かける。
その度に「きっと好感度が爆上げだわ」などと邪な目で見てしまう自分がいる。
(心が狭すぎるわ、私)
もちろん私はノルンちゃんのことを苛めたりはしない。
時々、ノルンちゃんが私のことを見ているのではないかと自意識過剰になる時があるけれど、お澄まし顔で気付いてないふりをしている。
(あら? もしかして、これって無視したって言われてしまうパターン!? もう、どうすればいいのよ!)
そんな風に毎日を過ごしていると、もう夏休み前の試験が近付いてきた。この試験で赤点を取ると夏休み返上の補習が待っている。
(どうにかして、それだけは回避しなければ! ニナちゃんと一緒に、フロランドでお泊まり会をしようって約束をしているんだから!)
違うクラスになってしまったけれど、ニナちゃんも無事に高等部に入学している。
ワイアット様とは今も変わらず恋人同士なので、ゲームの強制力による入学前の破局はなかったようだ。
けれど、安心はできない。だって、入学早々ノルンちゃんはワイアット様との出逢いのイベントを見事に果たしているのだから。
(このまま行くと、ドロドロの三角関係とか略奪愛とか!? その時はニナちゃんのために、私が悪役令嬢らしく、バシッと言ってあげるわ!)
そんな私に、ニナちゃんから朗報が舞い込んできた。
「サフィーちゃーん、クラス離れちゃって寂しいよ。私がおバカのせいよね。今度の試験も心配だよ」
「ニナちゃん、一緒にお勉強しない? 私も試験は心配なの。ニナちゃんと一緒なら、私も頑張れる気がするの!」
「本当? じゃあ、放課後一緒に勉強しようよ! 私ね、良いこと聞いたんだけど、図書室で勉強をするとそれだけで加点が付くんだって」
「と、図書室……」
図書室と言えば、乙女ゲームのイベント『ドキドキ! 図書室での個人授業』がある。
(でも、きっと大丈夫よね。私はノルンちゃんのことを罵倒しないもの。ノルンちゃんが図書室に来るかどうかもわからないしね)
その日の放課後から、私たちは図書室で勉強することにした。
「サフィーちゃん、こっちこっち!」
ニナちゃんの隣にはワイアット様が座っていた。
「ワイアット様もいらしていたんですね」
「ニナだけじゃ、心配だからな。サフィー嬢の迷惑にしかならないと思うよ」
「もう! 本当のことだから文句も言えないけど。サフィーちゃんに迷惑かけちゃいけないと思って、先生役をお願いしたんです。もしかしてジェイドさんも?」
「うん、私も分からないところがいっぱいあるから、教えてくれる人が必要だと思ってね」
「私はサフィーお嬢様の従者ですから、サフィーお嬢様に言われなくても、もれなく付いてきますよ」
このメンバーで、和気あいあいと図書室に通っていた。
それから数日後の教室で……
「フンッ」
私の隣の席からデジャブのような美声が聞こえてきた。
(もういい、忖度とか抜きにして、今回はさっさと聞くことにしよう)
「どうされましたか? レオナルド王子?」
待ってました、と言わんばかりに、食い気味にレオナルド王子が訴えてきた。
「どうしてお前らは、俺を仲間外れにするんだ?」
(……やっぱりデジャブ? でも、今回ばかりは身に覚えがあるから、無下にはできないわね)
「図書室での勉強会のことですか?」
ムチウチになりそうなくらい凄い勢いで、レオナルド王子が頷いた。
「レオナルド王子はもう試験の心配などいらないと思って……」
「そういう問題じゃない。図書室で勉強をすることに意味があるんだ。俺は学んだ。例え勉強ができたとしも、万が一解答欄がずれていたらお終いだ。だから貰える点数は貰いたい。けれど……」
「けれど?」
「一人じゃ寂しいじゃないか」
「……分かりました。毎日みんなで図書室でお勉強をしているので、レオナルド王子もいらっしゃいませんか? 特に集合時間は決めていませんので、放課後に集まれる人から集まりましょう」
そしたらなんと、レオナルド王子が一番に来て座って待っていた。そして今日も勉強会が始まった。
「ジェイド、ここが分からないんだけど、どう解くの?」
「ここはですね……」
「ああ、なるほど! ジェイドって教えるのうまいのね。すごく分かりやすいわ。でも、ジェイドは自分の勉強は大丈夫?」
「えっと、一応ここが分からないのですが、試験の範囲ではないので、後で先生に確認しに行きます」
「試験の範囲外? 何の勉強をしているの?」
私はジェイドの問題集を覗き込んでみた。案の定、全く分からない。私が分かるわけがない。
「それはね、こう解くんですよ」
私とジェイドの後ろから、甘く可愛らしい声が聞こえてきた。
「ノルン嬢、君も図書室に勉強しに来たのかい? ぜひ一緒にどうだい?」
レオナルド王子がノルンちゃんに声を掛けた。
(しかも誘ってる!? どれだけノルンちゃんに対する好感度が高いんですか!!)
「本当ですか! 嬉しいです。みなさんは、いつもこちらでお勉強をされているのですか? 私は今日初めてきたんです」
そう言いながら、ノルンちゃんはごく自然にジェイドの隣の席に座った。
(図書室でこのメンバーって、嫌な予感しかしないんだけれど……)
ため息が漏れそうになった。
「それでですね、ジェイドさん、ここは……」
ノルンちゃんは、ジェイドに体を寄せ、ジェイドが解けないと言っていた問題を、スラスラと解いていった。
(乙女ゲームのノルンちゃんの勉強ができない設定はどうした? とても頭が良さそうに見えるんですけど? それにちょっと二人の距離が近くない!?)
「なるほど、ありがとうございます。それにしても、よくお勉強されてるんですね」
「それはこちらのセリフですよ。これって二年で習う問題ですよね?」
「えっ!? ジェイドはそんな問題やってるの? なんで?」
私は驚いた。範囲外とは言っても、まさか上の学年の問題をやっているなんて思わなかったから。
「まあ、備えあれば憂いなしっていうか……」
ジェイドが少し言い澱んでいると、ノルンちゃんがコソッとジェイドに耳打ちする。
「チェスター王国では、もう習う範囲なんですか?」
「!?」
ノルンちゃんの耳打ちに、ジェイドの身体がビクッと跳ねる。何て言ったのかなんてもちろん聞こえない。けれど、今の私には内容なんて関係なかった。
(な、何なの!? あんなに近い距離でコソコソして!! 二人の間に何かあるの?)
どうしてか、私は無性に胸がムカムカしてきた。
「そう言えば私、読みたい本があったのを忘れていたわ。ちょっと探してくるわね」
気が付いたら、私はそんなことを口走っていた。もちろん読みたい本なんて本当はないのに。
とりあえず困った時のもふもふだ。私はもふもふの本が置いてありそうな、魔物学の本が並んでいる本棚へと向かった。
「もふもふもふもふ…… あ! あった!! でも、一番上か」
残念ながら、もふもふの本は本棚の一番上の段。仕方がないので、近くにあった踏み台に乗って一生懸命背伸びをした。
「も、もうちょっとだ、よし! っと、きゃあっ」
本に手が届いたことで、油断してしまった私は、体勢を崩して踏み台からよろけてしまった。
(あ、落ちる……)
咄嗟に目を瞑り、床に打ち付けられる覚悟をした。瞬間、ふわりと柔らかい感触に包まれた。
(あれ? 痛くない? どうして?)
「大丈夫? 怪我はない?」
「!?」
聞き覚えのある声に、私はゆっくりと目を開ける。すると、すぐ目の前にその人の顔があった。そして、気付く。
(えっ、もしかして今、お姫様抱っこをされてるの!?)
私が真っ赤な顔で口をぱくぱくさせていると、その人は私に気付いてくれ、優しく微笑んでくれた。
「あれ、この前の? そっか、入学するって言っていたもんな」
「この前は、ありがとうございました。それと、今も、ありがとうございます。……もう大丈夫です」
私を助けてくれたのは、高等部に入学する前に魔境の森で会った、そっくりさんだった。
(びっくりしすぎてドキドキが止まらないわ。鎮まれ、私の心臓!!)
「ははは、今下ろすからね」
「すみません、重かったですよね?」
「いやいや、軽すぎるよ。もっといっぱい食べて大きくならなきゃ。本はこれで良かった?」
そっくりさんは、私をゆっくりと下ろし、私が読みたかったもふもふの本を取ってくれた。
「そうです! ありがとうございます」
「フェンリルの本か。本当に羨ましいな。俺もまた会いたいよ」
「はい、とっても可愛いですよ。もふもふも気持ちいいし、ぜひ先生も試してみてください」
「ははは、そうだな一度はもふもふとやらを試してみたいな、っといけない、もう行かなきゃ。あまり無茶はせずに誰かにお願いしろよ。後ろにいる君の彼氏も心配しているぞ」
「えっ、彼氏?」
私が後ろを振り返るとジェイドが立っていた。心なしか怒ってるように見えるのは気のせいだろうか。
先生に会釈をして見送ると、すかさずジェイドが私に駆け寄り、私の心配をしてくれた。
「サフィーお嬢様、お怪我はありませんでしたか? 届かない本があれば、遠慮なく言ってください」
「ええ、大丈夫よ。先生が偶然通りかかって助けてくれたもの。でも、心配かけてごめんなさい」
「そうですか……」
ジェイドは一言そう言うと、ぷいっと顔を背けてしまった。
(ジェイドは一体いつから見てたのかしら? 全く気付かなかったわ。でも、やましいことなんてしてないし。なのに、どうしてジェイドの機嫌が悪いの?)
それから、なぜか気まずい雰囲気が流れ、お互いに言葉を交わすことのないまま、みんなのところへと戻った。
すると、今まさに……
『ドキドキ! 図書室での個人授業』のスチルシーンが繰り広げられていた。
レオナルド王子がノルンちゃんの後ろから覗き込むようにして、優しく勉強を教えてあげているではないか。
(終わった。ノルンちゃんはレオナルド王子ルートを選んだんだ。キラキラ王子は王道だもの)
私が撃沈していると、レオナルド王子は静かに自分の席に戻って行った。
「俺には分からない……ワイアット殿お願いだ」
「では、僭越ながら」
今度はワイアット様が、ノルンちゃんの背後からノートを覗き込む。
(今度はワイアット様ルート? 結局どっちが本命なの?)
「……? どこの国の言葉だ? 残念ながら俺にも分からない。サフィー嬢、お願いしてもいいか?」
「みなさんが分からないのに、私が解けるとは思いませんよ?」
どうしてか、私が指名されてしまった。
(どうせ、私に分かるわけがないじゃない。ノルンちゃんを罵倒するんじゃなくて、私のおバカが露見するだけよ)
そう思いながらも、私はジェイドとノルンちゃんの間にグイッと割り込み、ノルンちゃんのノートを覗き込んだ。
「えっと……!?」
ノルンちゃんのノートを見た瞬間、その問題の意味も、答えも簡単に分かった。
それなのに、ただ驚くことしか出来ずに、何も答えることなく、その場に立ち尽くした。
『サファイア様、あなたは転生者ですね?』
ノルンちゃんのノートに書かれていた問題。それは、前世の言葉、日本語で書かれた問題だった。
ゆえに、前世の記憶を持つ私だけが、容易に答えられる問題だった。