体育祭に行こう!
楽しい時間が過ぎるのは早いとは言うけれど、早すぎる気がする。だって、もう中等部の最高学年の三年生の秋だ。
秋と言えば、運動の秋!
「行きたい、けれど、行きたくない……」
サロンの中をぶつぶつと呟きながら、ひたすら右往左往している私は、明らかに不審者だ。
「どうなさったのですか、サフィーお嬢様?」
さっそくジェイドが心配そうに尋ねてきた。どれだけ挙動不審な行動をしていても、まずは私の心配をしてくれる。ジェイドはやっぱり優しい。
ちなみにアオは、というと、サロンの床にぐったりと寝そべっている。秋といえども、まだ夏の暑さが残っているからだ。
(まだまだアオには厳しい暑さみたいね。でも、ぐったり感満載なアオも癒しだわ)
そして、ジェイドの質問に答える。
「明日ね、高等部で体育祭が開催されるの。ラズ兄様の勇姿を見たいけれど、高等部に足を踏み入れるのがちょっと……」
高等部、そこは、乙女ゲーム「マジ恋」の舞台だ。
さすがの私でも、自分が断罪される予定の場所に赴くのは、やはり躊躇いがある。
でも、高等部の体育祭が開催されるのは三年に一度だけ。ラズ兄様の勇姿が見られるのは明日だけ。だから迷っている。
「決めた! ジェイド、明日の体育祭に一緒に行ってくれる?」
行かないで後でやっぱり行けばよかったって後悔するのが一番嫌だ。高等部に足を踏み入れたからって、即断罪ってわけではないと思うし。
「もちろんです。サフィーお嬢様が行くところなら、どこまででもお供いたしますよ」
ジェイドは快く頷いてくれた。
「ありがとう。あっ、ラズ兄様には内緒よ。びっくりさせたいの!」
******
そして、体育祭当日。
「ここが高等部か……」
心なしか、手が震えて足がすくむ気がする。それを察したのか、ジェイドは私の前に立ち、エスコートしてくれるかのように、優しく手を差し出してくれた
「サフィーお嬢様、お手をどうぞ」
(心配してくれているのね。私ったら、いつまでも子供じゃないんだから、迷惑かけちゃだめじゃないの。それに、今日は体育祭、言わばお祭りよ! 思う存分楽しまなきゃ!)
差し出されたその手を見つめながら、少しだけ擽ったい気もしながらも、私はその手を取った。
「ラズ兄様に見られたら、怒られそうね」
「えぇ、でも手遅れのようですよ……」
「えっ?」
ジェイドの苦笑いを含んだ返事を聞き、顔を上げると、殺気を身に纏うラズ兄様が、目の前に仁王立ちしていた。
一体いつからそこにいたのだろうか。そして、どうして私たちが来ていることが、分かったのだろうか。
いくら探知能力があるからと言っても、今日は大勢のお客様がいらしているのに、純粋にすごいと思う。
「ラズ兄様、どうなさいました? せっかくの体育祭を抜けてきてはいけませんよ」
「俺の出番はまだまだだ。可愛い妹が見にきてくれたんだ、案内しようと思ってきて見れば……そこの不届き者は、水攻めの刑に処した方がいいかな?」
顔は笑っているけれど、ラズ兄様の目は笑っていない。ジェイドを殺らんとばかりの勢いで睨んでいた。
「お生憎様ですが、ラズ兄様、今日は体育祭。魔法は使えないのです!」
私は、勝ち誇ったようにラズ兄様に言い放った。
魔法学園高等部の体育祭は、アルカ先生に以前聞いていたとおり、一風変わっている。
魔法学園なのに魔法禁止、言わば、前世でいうスポーツマンシップに則った普通の体育祭だ。
体育祭の開催中、魔法学園高等部の敷地全体に魔法無効化の魔術を発動している。
ロバーツ王国には魔術師はいないと言われているけれど、例外が存在した。王家と契約をしている魔術師がいるのだという。私も体育祭のことを聞くまで知らなかった。
「サフィー、例外はどこにでもあるんだぞ。魔法無効化と言っても、一定の強さまでの魔法が無効化するだけだ。それよりも強い魔法であれば難なく使える。むしろそれが目的だ。だからサフィーも絶対に魔法を使うなよ!」
そう言うと、ラズ兄様は体育祭に戻っていった。きっと、まもなく出番が来るのだろう。
それから、私とジェイドは体育祭を楽しんだ。ラズ兄様は相変わらず超絶イケメンだ。何をやっても格好良い。
個人競技の障害物競走は、断トツで一番だった。絶対にモテるはずなのに、一切浮いた噂がない。
(もしかして、ずっと誰かのことを思ってたりするのかしら?)
ちなみに乙女ゲームではそんな描写はない。ラズ兄様はあくまで悪役令嬢の兄、脇役だ。
体育祭は屋台も出ていて、色んな食べ物も売っている。私たちは、ラズ兄様の出場する団体競技の棒倒しがもうすぐ始まるので、よく見える場所を陣取った。
棒倒しは、その名のとおり、とても大きな棒を早く倒したチームが勝つ。
ワクワクしながら競技が始まるのを待っていると、ふとジェイドが視線を下げた。
視線の先には、ジェイドの服の裾を掴んで泣いている、可愛らしい女の子がいた。きっと迷子になってしまったのだろう。
「どうしたの?」
「ママとはぐれちゃったの……」
「じゃあ、ママが探しているかもしれないから、お兄ちゃんと一緒に迷子センターに行こうか」
ジェイドが優しくその女の子に言うと、女の子はこくりと頷いた。
どれだけ可愛い女の子のハートを掴む気なのかだろうか。小さい子だから良いものの、その笑顔を向けられたら、大人の女子は勘違いしちゃうと思う。
(誰にでも分け隔てなく優しいところが、ジェイドの良いところだよね)
「サフィーお嬢様、すぐそこなのでちょっと行ってきますね」
ジェイドは女の子と手を繋ぎ、歩き出そうとした。
「ジェイド、私も一緒に行くわ」
「サフィーお嬢様は、まもなくラズライト様の出番ですから、ここで見ていてください。学園の中は安全です。そのかわり、絶対に動かないでくださいね。サフィーお嬢様まで迷子になっちゃいますから」
「もう! 子供扱いして」
「では、行ってまいります」
ジェイドを見送った後、私は一人でラズ兄様の出番を待った。一人で待つのはちょっと寂しい。だから、気を紛らわすために、私はきょろきょろと、人間観察をすることにした
すると、私の視界には、ふらふらと揺れだしたお年寄りの姿が目に入った。
「あら? 大丈夫かしら? もしかして、具合が悪くなってしまったのかも。あの、どうなさいましたか?」
お年寄りの方に声をかけても、明らかに反応が薄い。
「どうしよう? すごく顔色が悪いわ。どうしたらいいの?」
私は戸惑った。どうしていいか全く分からなかった。誰かに声をかけようかとあたふたしていると、一人の少女が、声をかけてくれた。
「大丈夫ですか?」
同い年くらいの小柄な少女だった。
日焼けをしたくないのか、目深にスカーフを頭に巻き、サングラスをかけている。
(ちょっと不思議な子? でもそんなこと思っている場合じゃないわ!)
「突然この方がふらふらとしだして、とっても顔色が悪いんです」
うまく説明できないでいると、その少女はテキパキとそのお年寄りの様子を確認しはじめた。不思議と、その様子に懐かしさを覚える。
(まるでお医者さんみたいね。前世の私もよく診てもらったわね)
懐かしさに思い耽っていると、少女が呟いた。
「きっと熱射病ね、何か冷たいものがあればいいのだけれど……」
けれど、ここは屋外。そのようなものはない。
(……と言うことは、出せばいいじゃない!)
「冷たいものって、氷でもいいですか?」
「ええ、でも氷なんて……」
ラズ兄様に「魔法は絶対に使うな」と言われたことをすっかり失念して、渾身の氷魔法を披露した。忘れていなくても、人助けだから魔法を使っていたと思うけれど。
「えいっ」
----ガツッ
毎度お馴染みの、円錐形の鋭利な氷が出てきた。もちろんそれを見た私はがっくりと肩を落とす。
(相変わらずこの氷か、進歩ないな)
----ザワッ
その瞬間、なぜか私の周囲が騒がしくなった。
(え? 私、何かいけないことしたかしら? たしかに氷魔法は珍しいけれど……?)
今はそんなことよりも、このお年寄りをどうにかしなければいけない。そんな疑問は置いといて、私は少女に氷を手渡した。
「あの、形は悪いけれど氷です。これでも大丈夫ですか?」
「ありがとう。これで冷やせば、応急処置は終わりよ。あとは涼しいところで休ませて、水分をとったりすれば大丈夫。誰か医務室まで連れていってあげてください」
少女が声をかけると、近くにいた大柄な男性が手を挙げてくれ、お年寄りを医務室まで連れて行ってくれることになった。
「あの、ありがとうございました、おかげで助かりました」
私は少女に礼を述べた。私一人では、ずっとオロオロとしたままで、きっと何もできなかったはずだ。
「いえ、こちらこそ。それにあなたが氷を出してくれたから処置ができたのよ? こちらこそありがとう」
「とても格好良かったです! まるでお医者さんみたいでした!」
「そう見えました? それは光栄ですね」
私の言葉に少女は嬉しそうに微笑んでくれた。お医者様は尊敬する。それは前世でも今世でも共通認識だと思う。
「私、来年からこの学園の高等部に入るんです。同じクラスになれるといいですね、サファイア・オルティス様」
「えっ!?」
(この子は私のことを知っているの? 初めまして、よね?)
『ぎゃぁぁぁぁぁ!!!!!!』
『わぁぁぁぁぁぁ!!!!!!』
その瞬間、棒倒しの競技が行われている会場から、物凄い悲鳴と大歓声が沸き起こった。
「うわ〜! すげ〜な。あんな魔法が使えるなんて、今年のスカウトはあいつで決まりだな」
一部始終を見ていた観客の一人が大きな声で話し始めた。
「スカウト?」
(スカウトって何のスカウト? 魔法と何か関係があるの?)
私がキョトンとしていた様子が気になったのか、少女が教えてくれた。
「もしかして、知らないでさっき魔法を使ったの?」
「はい、夢中で。使うなとは言われていたんですけどね」
「今日は王宮魔導師団の方が会場に紛れてて、一番魔法が使えた者を王宮魔導師団にスカウトするのよ。王宮魔導師団の訓練は厳しいし、勧誘はとてもしつこいって噂だし。王宮魔導師団に入りたい人はいいけれど、そうじゃなければ地獄よ。さっきあなたが魔法を使った時もザワついたでしょ? ついそこまで来ていたわよ、魔導師団っぽい人たちが」
「えっ?」
(そんなの初耳よ!! だから、ラズ兄様は絶対に魔法を使ってはいけないって言っていたのね。それなら……)
「ラズ兄様、まさかわざと魔法を使ったの?」
そうとしか考えられなかった。私が魔法を使ったのが分かったから、ラズ兄様が私を庇うために魔法を使ったのだろう。
(ラズ兄様に、また迷惑をかけちゃったわ)
「もしかして、今、あちらで魔法を使った方はお知り合いなの?」
「はい、兄のラズライトお兄様です。とっても格好良いんですよ!」
「えっ!?」
少女は、どうしてかとても驚いていた。
(ラズ兄様が格好良いから、ラズ兄様のファンの方だったりして)
「……高等部でお会いできるのを楽しみにしているわ」
「はい、私もです」
私と少女は、高等部でまた会う約束をして別れた。
なんとなく少女の後ろ姿を目で追っていると、頭に巻かれたスカーフから、ちらりとピンクブロンドの美しい色の髪が見えた。
「よく顔は見えなかったけれど、小柄で可愛いらしい感じの子だったわ。髪は王妃様とお揃いのピンクブロンドで綺麗な色なんだから隠す必要なんてないのに……」
(あれ? 王妃様と一緒? それって、もしかして……)
「遅くなってすみません、ラズライト様は相変わらず凄かったですね。サフィーお嬢様?」
ジェイドが息を切らせながら戻ってきてくれた。きっと、走って戻ってきてくれたのだろう。
「ねえ、ジェイド。今ね、ノルンちゃんっぽい子に会ったよ」
(きっと間違いない。あの少女は、乙女ゲーム、マジ恋のヒロインのノルンちゃんだわ。まさか、こんなところで出会すなんて……)
「え? 何もされなかったですか? 大丈夫ですか?」
「何もされてないわ。むしろ私が悪役だから私が何かする方だもの」
でも、正直言って、ノルンちゃんの印象が少しだけ違った。
小柄で守ってあげたくなるような見た目なんだけれど、中身はとてもしっかりしていた。
なぜか私の名前は知っているし、王宮魔導師団のことも知っていた。普通の平民の女の子とは到底思えない……そして、
(どうしてなの? とても懐かしい気がしてしまった……って、懐かしさを覚えるほど、どれだけ前世でゲームをやり込んでるんだ、前世の私!!)
「サフィー大丈夫か?」
自分の競技が終わったラズ兄様が私の元に駆けつけてくれた。
(ラズ兄様に謝らなきゃ!)
「ラズ兄様、ラズ兄様の忠告も聞かずに魔法を使ってごめんなさい。ラズ兄様の方こそ大丈夫でしたか?」
「あぁ、なにも問題ないよ。俺の凄さにみんながびっくりしていただけさ」
「でも、スカウトがいっぱいきて大変って……」
「遅かれ早かれ、俺は超優秀だからスカウトが来るのは想定内だ。だから気にするな」
また、そんなふうに茶化して許してくれるなんて、私の周りの人はみんな優しすぎる。
「ラズ兄様、ありがとうございます」
ラズ兄様は優しく微笑みながら私の頭をポンポンと叩いて戻っていった。
ただし、ラズ兄様の渾身の水魔法により、会場が水浸しになって、観客にも被害が及んだことから、当初の体育祭の演目の予定がだいぶ狂ったことは言うまでもない。