庭園と薬草園と厨房
「ケンさーん!!」
庭園を整備しているオルティス侯爵家専属庭師のケンさんに、大きく手を振りながら、私は足早に駆け寄った。
「サフィーお嬢様は今日もお元気ですね。どうなさいましたか?」
「プランター栽培に適した、野菜や肥料などを教えて欲しいの」
孤児院に訪問した時に思いついた、プランター栽培を実行に移そうと、庭師のケンさんに相談しにきたのだ。
「プランター栽培ですか? プランターに花ではなく野菜を? 面白いことを思いつきますね。そうなると大きく育ちすぎないものがいいでしょね。ミニトマトやピーマン、いちごなんかはいかがですか?」
「いいわね! いちごはみんな好きだもの!」
「余っているプランターもありますし、種は種類によって植える時期が違いますから、ちょっと見繕ってきますね」
(さすが、ケンさん! 植物についてとても詳しいので頼りになるわ。この前、米を作れ、とお母様に無茶振りされていたけれど、できたのかしら? 米は是非とも頑張って欲しいわ)
ケンさんを待っている間、薬草園を見に行くことにした。薬草園には、時々ハーブティー用のハーブやバジルを貰いに行く。
薬草園に着くと、そこには家庭教師のアルカ先生がいらっしゃった。
「アルカ先生!」
アルカ先生は魔物学の先生だけど、薬草にも詳しいから、薬草園もアルカ先生が管理している。
「サフィーお嬢様、こんにちは。今日はどのようなハーブをお探しで?」
アルカ先生は、私の突然の来訪にも、いつも笑顔で迎えてくれる。
「今日は、レモンバームが欲しいんです。ありますか?」
レモンバームはハーブティーにしてもいいし、クッキーに入れても美味しい。それに、風邪の予防や不眠症、不安な気持ちの時にも良いらしい。
(最近は不安なことを考えちゃうから、少しリラックスしなきゃね!)
「はい、こちらですよ」
アルカ先生は、小さな袋にレモンバームの葉を入れて手渡してくれた。
「そういえば、アルカ先生は魔術にもお詳しかったですよね?」
「魔術ですか? まぁ、少々ならばお答えできるとは思いますよ」
アルカ先生はにこりと微笑んで、椅子に座るように促してくれた。
「以前、魔術師の一族が壊滅したって仰られていましたが、本当にもう誰も生き残っていないのでしょうか?」
質問があまりにも唐突だったのか、アルカ先生はとても驚いた表情をしていた。
「突然、どうされましたか?」
「孤児院を訪問した時に、魔術陣みたいなものがあったんです。もう古くて壊れているようでしたが。ロバーツ王国には魔術師はいないはずなのにって不思議に思ったんです」
すると、ふふふと笑ったアルカ先生は教えてくれた。
「サフィーお嬢様、実は魔術師は全くいなくなったわけではないんですよ」
「そうなんですか?」
思わぬ回答に、私は驚いた。
「はい、それにこの国では確かに魔術は禁忌とされていますが、実は例外もあるんですよ。国やそれに代わる者の監視下においてなら、魔術師もこの国で生活をすることが可能なんです」
「監視下に、ですか。何となく自由がなくて嫌な感じですね」
監視という言葉に、私は眉を顰める。日常生活をずっと監視されるなんて、どういう気分なのだろうか?
(私だったら、魔術師ということを隠して生きる道を選んでしまうかも……)
「それに、知ってらっしゃいますか? 魔法学園高等部の体育祭のお話」
「え? いいえ、知りません」
アルカ先生の言葉にキョトンとしながら、首を左右に振った。
(体育祭? どうしてこのタイミングで体育祭の話が? たしかに今は運動の秋と言われる季節だけれど?)
「魔法学園なのに、体育祭は魔法禁止なんですよ。魔法無効化の結界の魔術陣を張り、強制的に魔法を使えなくしているのです。私はそれが好きで、毎回観に行っているんですよ」
「魔法結界の魔術陣!? そんなものもあるんですね!」
けれど、そこでふと思う。
(魔法が使えない体育祭って、どう考えても普通の体育祭ってことよね? まあ、体育祭自体が楽しい行事だから、魔法が使えなくても楽しいものね)
「その魔法無効化の結界を張っているのが、王族と契約をしている魔術師って噂なんですよ」
(なるほど! 完全に排除するのではなく、必要になった時には働いてもらうってことね。上手いように使われている気もしなくはないけれど、もしかしたら、お互いウィンウィンの関係なのかもしれないわね。でも、学生の体育祭に、わざわざその魔術師を呼んで魔術を使うって、普通は誰も思いつかないよね?)
でも、魔術師の人が生きてくれていてよかったと思った。
「てっきり魔術師の方は一人もいなくなってしまったのだと思っていました。ぜひ一度お会いしたいわ。そしてお願いするの。転移の魔術でアオの故郷に連れて行ってくださいって!」
「きっとアオ様も喜びますよ。もしかしたら、その方の他にも、魔術師の一族の生き残りの方がいるかもしれないですし、探してみるのも面白いかもしれませんね。ただ、目撃した者がいないという噂ですから、幻影術の類の魔術を使っているかもしれないので、見つけるのはきっと大変ですよ」
「幻影術? そんな術も使えるんですか? すごいですね」
私たちの話が盛り上がっていると、薬草園の入口に人影が見えた。
「サフィーお嬢様、こちらにいらっしゃいましたか!」
「ケンさん!」
庭師のケンさんが息を切らせて、薬草園にやってきてくれた。
「アルカ先生もちょうど良かった! 先ほど旦那様がお帰りになられて『カーヌム先生が不在なので、怪我をしている魔物を連れてきたから様子を見てほしい』と仰っていられましたよ」
カーヌム先生とはアルカ先生の旦那様のこと。カーヌム先生は魔物の博士と呼ぶのに相応しいほど魔物に詳しい。
(お父様ったら、久しぶりに帰宅したと思ったら怪我した魔物を拾うとか、もうペット感覚よね。
魔物がペットか、アオみたいな可愛い子ならありね!)
「あらあら、ではラベンダーの薬草でも持っていこうかしら? それに少し眠って貰わないと治療もできないかもしれないわね。ではサフィーお嬢様、お先に失礼させていただきます」
アルカ先生が持っていこうとしているラベンダーの薬草は、癒傷やリラックス効果がある。私もラベンダーの香りは大好きだ。
「えぇ、アルカ先生、ありがとうございました」
アルカ先生にお礼と共に別れを告げると、再びケンさんにお強請りをした。
「ねえ、ケンさん、もう一つお願いができたんだけど、ハンマーってあるかしら?」
そして私は今、厨房にいる。
私の右手には、ケンさんにお借りしたハンマーが握られており、今まさに、その右手を頭上高くから振り落とそうとしているところだ。
「お、お嬢様!! 早まらないでください!!」
「料理長、離れてください! えーい!」
ボフッ、ボフッ、ボフッ
私は一体何をしているのかというと、以前買ったコーヒー豆を粉砕している。音が鈍いのは、飛散防止にコーヒー豆を袋に入れて、さらにその袋が破れないようにタオルに包んでいるからだ。
「思っていたよりも大変だわっ、でも、できた!」
邪道極まりないけれど、これでミルがなくてもコーヒー豆を粉にすることができる。コーヒーマニアからしたら、きっとコーヒーへの冒涜だ! と言われてしまうだろう。
「さあ、お湯を注いで濾過して、香ばしい香りのコーヒーの出来上がり! せっかくなので、先ほどのレモンバームの葉を添えようかしら。ふふ、少しおしゃれに見えるわ」
そして、ドキドキの試飲だ。味は……
「苦っ!」
思わず顔を顰めてしまった。苦いと感じるのは、まだ私がお子ちゃまだからだろうか。
「料理長も一杯いかがですか?」
「サフィーお嬢様、もしかして不味くて飲めないからですか?」
料理長からジトリとした視線を感じた……
「違いますよ! これはコーヒーと言って、大人の飲み物なんです。残念ながら私にはまだ苦くて。でも、大人な男の方はだいたい好きだと思いますよ!」
「そこまで言われるのであれば、ごくっ……おぉ! 美味しい!! このほろ苦い深い味わいが癖になりますね」
先ほどまで私に向けていた疑いの眼差しが嘘のように、今の料理長は幸せそうだ。
「実は、眠気覚ましにもいいんですよ。遅くまで働いているお父様に、仕事中に飲んでもらいたいと思ったんです」
「旦那様は、きっと泣いて喜ばれますね」
そして、今回は珍しくお母様が来なかった。私が厨房に入ると必ずと言っていいほど、出来上がった頃に顔を出すのに。
せっかくなので、残りのコーヒーでコーヒーゼリーを作ってみた。
「それは、何ですか?」
「コーヒーゼリーですよ。少し甘くしてあるので子供でも美味しく食べられるんです」
すると……
「美味しそうなものを作っているのね!」
厨房の入口にお母様がやってきた。コーヒーには反応しなかったのに、コーヒーゼリーには反応したようだ。
「これから冷やさなければいけないので、まだ食べられませんよ? そのかわり、コーヒーがあるので飲みませんか?」
「コーヒーはいらないわ。だって苦いんだもの。ゼリー! ゼリー! ゼリー!!」
突然のゼリーコールが始まった。まるで、駄々をこねている子供のようだ。
「お母様、まだですってば。冷やし固めなきゃ……って冷えて固まってる!? お母様、まさか?」
「早く食べたいでしょ? こういう時に魔法を使わないでいつやるか? 今でしょ!」
お母様はどうしてか、絶妙なタイミングで両掌を開いて、少しだけ指を曲げた状態で上に向けながら、胸の前に出した。
(お母様のそのポーズ、なんとなく既視感がある。けれど思い出せない。でもなぜか、今やらなければいけない気がしてくるわ……はっ!? 危うく騙されそうになったわ)
「お母様! 魔法を使うタイミングは他にたくさんあると思います。むしろ、ゼリーを魔法で冷やし固めるなんてことの方が、誰も思いつきませんよ!」
私の言葉は無視して、お母様は料理長に生クリームを出してもらい、コーヒーゼリーの上に乗せて、一緒に食べてはじめていた。
「お母様、それ絶対に美味しいやつですよ! 私にもください。生クリーム! 生クリーム! 生クリーム!!」
「ふふふ、サフィーちゃんたら、駄々っ子ちゃんなんだから!」
「!?」
(もう、お母様ってば、お互い様ですから!!)