旧孤児院の石畳
「サフィーお嬢様、お願いがあるのですが」
そう私に告げてきたのは、私専属のメイドのミリーだ。いつものミリーらしからぬ、実にしおらしい物言いに、これはきっとお強請りだな、とピンときた。
「俺様シリーズの新刊は、まだ出てないはずよ?」
因縁の俺様シリーズ。
(まさか、自分の執事が――だなんて、夢のような物語だったわ)
悔しいけれど、神本だった。悔しいけれど、俺様も良い。そう思ってしまった自分がいる。それが一番悔しい。
「違います! プリンの作り方を教えていただけないかな? と思いまして」
「プリン? 食べたいならいくらでも作るわよ?」
ミリーは捥げてしまうのではないかと心配になるくらい豪快に頭を左右に振った。
「孤児院の子供たちに食べさせてあげたいんです。もうすぐ新しい孤児院ができるので、引越しのお祝いにと思って。今度、古い孤児院のお別れのお掃除会があって、その後に新しい孤児院でささやかな引越しのお祝い会をする予定なんです」
(まぁ! 孤児院の子供たちのためにだなんて!! やっぱりミリーは優しいのね。たしかにプリンならきっと子供たち喜んでくれるはずだわ。それにしても、孤児院のお掃除かぁ、きっと子供たちだけでは大変よね?)
「ねぇミリー、私も何か、手伝えないかしら?」
******
「ここがミリーの育った孤児院なのね!」
「はい、すごく古くて汚いですが、私にとっては大切な思い出の場所です。お引越ししたら壊されてしまうのかと思っていたのですか、そのまま使っていただけるとお聞きして、とても嬉しいんです。だから、今までのお礼とこれからその方にたくさん使ってもらえるように、できるだけ綺麗にお掃除をしたいんです」
私は今、ミリーの育った孤児院に来ている。なんと、フロー村から少し離れた場所のポツンと一軒家が、ミリーの育った孤児院だった。
ニナちゃんとヒナちゃんもお手伝いに来てくれている。
「ニナちゃんとヒナちゃんも、お手伝いに来てくれてありがとう」
「フロー伯爵領の孤児院のことなんだから当然です! それにサフィーちゃんにはいっぱい良くしてもらっているので、今度は私たちが頑張りますよ!」
なんとも頼もしい限りだ。ちなみに、ヒナちゃんは、よほどジェイドのことが気に入ったのか、今も隣をキープして、べったりとくっついている。その姿が実に可愛いすぎる!!
(ふふ、ヒナちゃんったら、もう少し大きくなったら「ジェイドお兄ちゃんのお嫁さんになる」って言い出すんじゃないかしら?)
孤児院には、下は3歳から上は13歳までの子供たちがいる。16歳の子もいるみたいなんだけど、魔法が使えるということで、特待生として魔法学園の高等部に通っているという。
「そういう機会を与えてもらえるだけでも、私たちの孤児院はとても恵まれているんです。残念ながら、私にはそんな素晴らしい能力はないんですけどね」
「大丈夫よ、ミリーにはミリーの良いところがたくさんあるんだもの!」
「ありがとうございます、サフィーお嬢様!!」
孤児院のお世話をしている先生は、ミリーが孤児院に来るずっと前からこの孤児院で働いている、ミリーのお母さん代わりのテレーサ先生1人だけ。だから、自然と上の年齢の子が下の子の面倒を見るようになるみたい。
さっそく、テレーサ先生の指示の下、古い孤児院の掃除を開始した。
古い孤児院は、とても大きな建物だった。たくさんの子供たちが一緒に暮らしているんだから当たり前だけど。
大きな建物が二つ並んでいて、真ん中にその二つの建物を繋ぐ通路がある。それぞれの建物が居住スペースと大広間になっていた。
居住スペースと言っても、ほとんど寝るためだけに使われた部屋で、前世の私も過ごしたことのある、病院の大部屋みたいな感じだったという。
大広間は、とても天井が高く、広くて大きい。食事や勉強、団欒と、生活のほとんどをこの大広間で過ごしていたそうだ。
家具などは、すでに新しい孤児院に運び出しているので、何もない状態だから掃除もしやすそうだ。
孤児院の子供たちがテレーサ先生の指示に従って、てきぱきと掃除を行っているので、とても感心してしまう。私も負けじと掃除に取りかかった。
「私は水魔法で外壁を綺麗にしてくるね」
「私は、みなさまの手の届かないような場所の埃を、風魔法で綺麗にします」
それを聞いていたニナちゃんが、とても危険なことを言い出した。
「じゃあ、私も、火魔法で……」
「ニナちゃん!! 火はだめだよ、孤児院が燃えちゃうわ!!」
「そっかあ、残念。じゃあ、向こうを手伝ってくるね!」
危うく大火事になるところだった。
孤児院の子供たちがとても良く動いてくれたので、古い孤児院の掃除は予定よりも早く終わった。
「では、みんなで最後にお礼を言ってお別れしましょう」
「「「ありがとうございました」」」
テレーサ先生の声に続いて、一斉に感謝の意を述べる。
挨拶を終えた子供たちは、テレーサ先生と一緒に新しい孤児院へと向かった。
「あれ? ミリーは?」
「先ほど、裏庭の方で歩いているのを見かけましたよ」
「じゃあ、私はミリーにところに行ってくるわね」
「はい、新しい孤児院に向かう準備をしてお待ちしています」
ジェイドに断りを入れ、私は裏庭へと向かった。
「ミリーどうしたの?」
「サフィーお嬢様! 今日は本当にありがとうございました」
「私も子供たちと過ごせて楽しかったわ。ミリーはここで何をしていたの?」
私が尋ねると、ミリーは自身の足元に目を見やる。
「サフィーお嬢様、実は私は、森に捨てられていたんです。森の中で迷っていた時に、格好良いお兄さんが声をかけてくれて、泣き噦る私を宥めながら、この孤児院に連れてきてくれたんです。連れてきてくれたというか、気が付いたら私はここにいて、この場所に寝ていたみたいなんですけどね」
ミリーの足下には、壊れた石畳があった。
「ここは私のはじまりの場所なんです。おかしな話ですよね。森で捨てられて、格好良いお兄さんに拾われて、気が付いたらここに寝ていたなんて。もちろん誰も信じてくれなかったんですけどね」
ふふっと笑ったミリーはさらに言葉を続けた。
「ただ、テレーサ先生とスーフェ様だけが、私のこの話を信じてくれたんです。スーフェ様なんて、私が『その格好良いお兄さんにいつかお礼が言いたい』と言っていたら『その夢を叶えられるように協力するわ! それまではうちで働いてくれる?』と仰ってくれて、今の私がいるんです」
(だからミリーが侯爵家のメイドになったのね。孤児院出身の者が、貴族の家のメイドになることなんて滅多にないもの。お母様ったら……)
「そっか、ここがミリーのはじまりの場所なのね。素敵な思い出の場所ね」
私もミリーの隣に座った。話を聞いた後だからか、とても不思議な気持ちが胸の中に広がった。
「ミリーは今、幸せ?」
「はい、もちろんです! サフィーお嬢様に出会えた私は、世界で一番幸せ者です。だから、その格好良いお兄さんにも言ってあげたいと思って。あっ! 本当に格好良いからサフィーお嬢様も恋しちゃうかもしれませんよ!」
「うーん、どうかしら? 私の目はとても肥えているから、少し格好良い程度では、格好良いと認めないわよ!」
自分が今座っている石畳を撫でながら、私はこっそりと「ミリーに会わせてくれてありがとうございます」と呟いた。
(あれ? この石畳に何か模様が描かれているみたいだわ?)
立ち上がって石畳をよく見てみた。壊れているし、薄くなっていて、良く目を凝らして見なければ気付かなかったけれど、私はこれと同じような模様を見たことがあった。
「サフィーお嬢様、どうされましたか?」
私の動きが不審だったのか、ミリーが不思議そうに尋ねてきた。
「ミリー、この石畳に何か模様が描いてあったの?」
「はい、綺麗な模様がありましたよ。円の中に線や文字のようなものが描かれた模様でした」
(やっぱり! これはきっと魔術陣だわ!)
前世の記憶の中にある、本で見た魔術陣の模様にとても良く似ていることに、私は気が付いた。
この世界では、まだ魔術陣を見たことがない。けれど、これがもし魔術陣なら、ミリーが森の中からいきなりこの場所に来たのも肯けた。
以前、アルカ先生から転移の魔術陣のことを教わっていたから。
(でも、考えすぎよね? ロバーツ王国には、魔術師なんていないはずだから)