秘密の共有
王妃様が死ぬ。それは、乙女ゲームの中で起こる出来事だ。けれど、この世界はその乙女ゲームの世界。きっと現実に起こってしまう。
その事実を思い出した私は、固く決意する。
(このまま私が何もしなかったら、王妃様が死んでしまうかもしれない。命よりも大切なものなどない、だから……)
頭がおかしい人だと思われるのも重々承知の上で、私はジェイドに切り出した。
「ジェイド、これから私が言うことを、驚かないで聞いて欲しいの」
泣き噦る私の側で、何も聞かずに見守ってくれていた翡翠色の瞳に向かい、私は唐突に告げる。
返事を口にする代わりに、私のことを真っ直ぐに見つめ返すその瞳が、
「あなたの全てを受け止めます」
と言ってくれているようで、私の決意を後押ししてくれた。
(大丈夫、ジェイドなら、必ず信じてくれる)
心臓が早鐘をうち続ける中、意を決して、私の最大の秘密を打ち明けた。
「私、前世の記憶があるの」
その言葉を口にした瞬間、堰を切ったように涙が溢れ出して、再び止まらなくなった。
それは「やっと言えた」という安堵感からくるものなのか。「拒絶されたら」という不安感からくるものなのか。おそらくどちらも、だったのだろう。
ふわりと大きな手の温もりが、私の頬を優しく包み込み、武骨な長い指が、溢れ出す私の涙を繊細に拭ってくれた。
擽ったくて、とても温かいその手は、厳しい鍛錬を積み重ねてきたのがよく分かるほど、剣だこにまみれた、とても大きな手だった。
(こんなにも優しくて、逞しい手に、私は守られているんだね)
そう思うと、だんだんと心が落ち着いてきた。この手に全てを委ねれば、全ての不安を拭いとって、どんな困難をも乗り越えられる気がしたから。
(絶対に大丈夫、私は一人じゃない)
そして、少しずつ私はジェイドに打ち明け始めた。
この世界が前世の私がプレイした乙女ゲームの世界であること。
私が悪役令嬢として断罪されること。
王妃様が今度の旅で賊に襲われて、死んでしまうかもしれないこと。
これらを全て、できるだけ分かりやすいように掻い摘んで説明した。
きっと、要点を得なくて、支離滅裂で、何が言いたいのか、絶対に分かり辛かったと思う。
けれど、ジェイドは最後まで聞いてくれた。
急かすこともなく、呆れることもなく、真剣に私の話に耳を傾けてくれた。
それだけでも、私の心が救われた気がした。
ようやく全てを話し終え、ジェイドがとても難しそうな顔で何かを考えている。そして、
「その乙女ゲームの世界というのが、この世界のことなんですね?」
ジェイドが確認するように尋ねてくる。
この世界にはもちろん乙女ゲームどころか、ゲーム機ですら存在しない。理解しろって方が難しいと思う。
「ええ、そうよ」
私は、首を縦に振り肯定した。
(やっぱり信じられないよね、いきなりこの世界は乙女ゲームだ、王妃様が死んでしまう、なんて言われても……)
私だったら、絶対に信じないと思う。明らかに頭がおかしいと思う。即入院案件だ。
「信じられないっ!」
ジェイドが大きな声で叫んだ。
(そうよね、当たり前よ。どう考えても信じられるわけがないもの)
「サフィーお嬢様が悪役令嬢だなんて、ヒロインを虐めて断罪されるなんて、そんなの絶対に信じられない。虫の一匹だって殺せない、天使のようなサフィーお嬢様が、悪役って!?」
「えっ、そこ?」
論点がずれていた。けれど、たまらず私も反論してしまう。
「私だって、蚊だったら殺せると思うわよ? バチッと一撃で」
私が主張しても、ジェイドは全く聞いてくれない。それどころか、さらに論点がずれていく。
「百歩譲って、サフィーお嬢様が悪役令嬢だとしても、私が必ず守ってみせます。そうだ! 私が悪役令嬢になります!」
「ジェイドがっ!?」
つい私は思い浮かべてしまった。ジェイドの女装姿を。
(イケる。確実にイケる。むしろ私よりも可愛いかもしれないわ!)
めちゃくちゃ可愛い女装姿を想像してしまった。それこそ、乙女ゲームのサファイアが着ていた、無駄にフリルの付いている制服が似合ってしまうんじゃないかと思うほど可愛い女装姿を。
思わず、ふふっと声に出して笑ってしまった。私の笑い声に安堵したのか、ジェイドも目を細めて微笑んでくれる。
「それで、王妃様をどのようにすればお救いできるか、ですよね。どのような状況下で賊に襲われるのかは、お分かりなのですか?」
ジェイドのその言葉に耳を疑った。
まさか、こんな話を信用してくれる人が、本当にいるなんて思えないから。
「もしかして、信じてくれるの?」
「もちろんです。一緒にお救いできる方法を考えましょう。王妃様をお救いした後で、ゆっくりと悪役令嬢についてのお話しをしましょう」
「ジェイド……」
止まっていたはずの涙が、ぽたりと零れ落ちた。今度は紛れもなく「信じてくれる人がいた」という安堵感からくるものに違いない。
「泣かないでください。今までお一人で苦しい思いをなさっていたんですね。お気付きできなくて申し訳ありませんでした」
「ううん、こんな話を信じてくれただけで、私は嬉しいわ。普通なら誰も信じてくれないもの」
すると、ジェイドは悪戯な笑みを浮かべながら断言する。
「サフィーお嬢様が白って言えば、私は黒でも白にしてみせますよ!」
そう言い切るジェイドは、本当にやってしまいそうな勢いだ。
「本当に、ジェイドが悪役令嬢になれそうね」
ジェイドがいてくれて本当に良かった。ジェイドに打ち明けて、心がすっと軽くなったから。
心から思った。私は幸せ者だ、と。私とジェイドは顔を見合わせて笑い合った。