悪役令嬢の目覚め
「ここは、どこ? って、私の部屋か」
煌びやかな部屋のふかふかなベッドの上で、今日も目が覚める。
紛れもなく自分の部屋なのに、まだ夢の中にいるような錯覚を起こしてしまった私は、ふうっと息を漏らす。
毎日“ここ”で寝起きしているのに、安心感と違和感とが混在してしまうのは、夢で見た“前世の私”が、真っ白い部屋の少し硬いベッドの上が指定席だったからだろう。
夢で見ただけでなく、記憶として定着しつつあるからか、どちらが夢で現実なのか、分からなくなってしまいそうになる。
「少しだけ早く目が覚めちゃったみたい。二度寝は……無理そう」
窓の外を見ると、まだ少しだけ薄暗い。
いつもなら間違いなく“二度寝”という至福の時間を堪能する。
それに加え、起こされるまで絶対に起きることがないくらい、私の寝起きはよろしくない。きっと、寝ることがとても好きなんだと思う。
けれど、色々と考えなきゃいけないことがありすぎて、もう一度眠る気にはなれなかった。
うーん、と身体を伸ばし、勢い良くベッドから飛び下りる。
「さあ、少しずつ準備をしておかなくちゃ!」
意を決して、私はクローゼットの扉を開けた。今までは、身支度の全てをメイド任せにしていたけれど、少しくらい自分の手でやってみようと決意したからだ。
「断罪されたら、自分のことは自分で、が基本だもの。その時にできなくて困るのは私だし。……斬首、暗殺ルートだと、そもそも関係ないだろうけれど」
少しだけ悲しくなった。けれど、クローゼットの中を覗いた瞬間、その悲しみなんて一瞬にして忘れてしまうほど、ときめきに胸が高鳴った。
「うわあっ!! 可愛い服がいっぱい! もう、どうして私ったらあんな派手な服ばかり着ていたのよ?」
その理由が何なのか、本当は分かっている。けれど、気付かないふりをして、クローゼットの中に並んでいる数え切れないほどの服やドレスを眺めた。
一度しか袖を通していないものから、真新しいもの、見たことのないものまであった。たくさんの可愛い服に、私の乙女心はくすぐられた。
「えっと、うん、これにしよう!」
フリルやパールが付いた豪華なドレスを横目に、一番動きやすそうでいて、さりげなくリボンがアクセントになっているシンプルなワンピースを手に取り、クローゼットの扉を閉めた。
「やっぱり、動きやすいのが一番ね。それに私の顔は少しだけキツいから、フリルがいっぱい付いた可愛すぎるのは似合わないもの」
シンプルだからこそ、着替えも簡単だった。
初めてなのに、随分と慣れた手つきで着替えを済ませることができたのは、きっと前世の記憶のおかげだろう。
「ふふ、私もやればできる子なのよ」
少しだけ調子に乗って鏡の前に立ち、くるりと一回転して、鏡の中の自分を見つめた。
「よし、上出来!! これからは、乙女ゲームのサファイアのような、無駄に豪華な服を着るのはやめよう。と言っても、学園は制服だったよね。“普通”の制服を着よう」
乙女ゲームの中のサファイアは“普通じゃない“制服を好んで着ていた。
無駄にフリルが付いていたり、キラキラしたものが付いていたり、とにかく趣味が悪かった。
「趣味が悪い制服……」
何かを思い出しかけた時「コンコン」とドアをノックする音が聞こえてきた。
慌てて時計を見ると、メイドのミリーが私のことを起こしに来てくれる時間だった。
「どうぞ、入って」
「えっ、あ、し、失礼します」
私が入室を促すと、少しだけ慌てた様子のミリーの声が聞こえてきた。ミリーは私専属のメイドだ。
(やっぱりミリーの声だわ。今日も時間ピッタリに起こしにきてくれたのね。ふふ、きっとミリーも一人で着替えられた私を見て、感激して声も出ないはずよ)
そんなことを私が思っていると、ドアが開き、ミリーが部屋の中に入ってきた。
正確には、部屋の中に一歩入ったところで、急にピタリと立ち止まってしまったのだけれど。
私の予想通り、ミリーは一言も言葉を発しない。けれど、何かがおかしい。
(あれ? どうしたのかな? あ! きっと私の予想を遥かに上回るくらい驚いているのね)
してやったりな気持ちを隠しつつ、ミリーにわざとらしく声を掛けた。
「ミリー、おはよう。そんなところで立ち止まってどうしたの?」
幼心からか、褒めてくれることを期待しつつ、未だ入り口で佇むミリーの顔に目を向ける。でも、やっぱり何かがおかしい。
ミリーの目は、この世のものではない、見てはいけないものを見てしまったかのように、それはそれは大きく見開き、ガタガタと小刻みに震えているではないか。
「ミリーっ! 大丈夫!?」
ミリーの身に何が起きているのかを理解できないまま、私は慌ててミリーに駆け寄った。
そんなミリーは、口をぱくぱくとさせ、ようやく言葉を発する。
「お、起こさないと昼過ぎまで眠っているはずのお嬢様が、まさか、まさか、起きていらっしゃるなんて。大変! きっと重いご病気に違いありません!!」
「へっ?」
私の予想の遥か斜め上を行くミリーの言葉に、思わず淑女らしからぬ声が溢れてしまった。
「お熱は、ありませんよね?」
「……熱?」
こてりと首を傾げた私の額には、ミリーの手が当てられている。
少しだけ考えた結果、ひとつの結論に辿り着く。
「心配、してくれてるの?」
「はい、もちろんです。お嬢様が起きていらっしゃるなんて、天変地異並みに、絶対におかしいですから!!」
さらに斜め上を行く回答に、思わず言葉を失った。
(天変地異並み? どんだけ? ……けれど、これって、私のことを心配してくれてるんだよね?)
十中八九、以前の私なら「馬鹿にするんじゃないわよっ!!」と、ミリーに向かって罵声を浴びせたに違いない。
けれど、この時のミリーの必死の形相が、前世の私の記憶の中にいる「親身になって、看病してくれた病院の人たち」と重なって、私のことを心配してくれているんだ、と素直に有難いと思うことができていた。
なんとなく恥ずかしい。けれど「ありがとう」と言わずにはいられなかった。
「ありがとう。私のことなら心配はいらないわ。身支度も終わったからもう大丈夫。食事の用意が整った頃にダイニングに行くね」
だから安心してね、との意を込めながら、私は完璧な笑顔をミリーに向けた。
ありがとう、と伝えられる時に伝えなきゃ、言えなくなってしまうことだってあるから。それを、私は夢の中で知った。
それなのに、その笑顔を見たミリーは、先ほど以上に震えながら部屋を出て行った。
「えっ、どういうこと? これでも私は10歳のうら若き少女だよね? まだ悪役令嬢じゃないよね? それなのに、どうしてなの?」
まるで、バケモノ扱いだ。
少なからずショックを受けたので、改めて私がそのような扱いを受ける原因を考えてみた。
「……ある、いっぱいありすぎる」
少し思い出しただけでも、いっぱいありすぎた。「ごめんなさい」と今すぐに謝らずにはいられないくらいに。
私は、がっくりと項垂れてしまった。