【SIDE】 ジェイド(2)
サフィー様の案内で、辺境の地の村にしてはとても大きな屋敷にやってきた。道中アオ様の背中に乗せてもらって移動した。
フェンリルの背中に乗るなんて、今まで聞いたことも考えたこともなかった俺は、こんな時だというのに、わくわくして胸が躍った。
(これほど高揚した気持ちになったのはいつぶりだろう、もう覚えてないな……)
屋敷に入ると、治療と着替えを用意してくれた。アオ様と回復薬のおかげで、殆どの傷は癒えていたけれど、森の中を逃げ回ったうえに血塗れだったことから、その気遣いにとても感謝した。
着替えを終えた俺は、サロンに案内された。そこには、サフィー様とサフィー様のお母様が待っていた。
(そんな、まさか……)
その姿を見て、一気に青褪めた。
昨日、チェスター王国の第二王子として参加した魔物意見交換会の会合で、お会いしたばかりの女性、スーフェ様がそこにいたから。
(そうだ、サフィー様もオルティスと名乗っていた。俺はそんなことにも気付かなかったのか……)
天国から地獄に一気に落とされた。同時に、どれだけ浮かれていたのだろうかと、自分の愚かさを呪った。
(知られてしまった。俺がチェスター王国の王子だと言うことを。きっと、国に帰される……)
すでに今までの経緯を、サフィー様が説明してくれていたけれど、答えは聞くまでもなく明らかだ。
王子という立場である以上、チェスター王国に帰されるだろう。
(俺の運命は何も変わらない。呪われた運命なのだから……)
しかし、スーフェ様が発した言葉は、思いもよらないものだった。
「サフィーの専属従者になってくれる?」
「!?」
自分の耳を疑った。
(まさか、俺が王子だと気付いていないのか? それとも他の思惑があるのだろうか?)
だが、それ以上に驚くべきことを言われ、俺は言葉を失ってしまう。
(俺が、魔法が使える、だと!?)
そんなはずはない。今まで毎日かかさずに訓練してきた。その度に、俺は絶望の淵に立たされたのだから。
(俺は、この方たちをも失望させてしまうのか、けれど、この方たちなら、母様のように俺のことを理解してくれるかもしれない)
淡い期待だった。けれど、同時に希望でもあった。
俺は促されるままに全神経を集中させる。
不思議と、温かい“何か”が身体の中を駆け巡る。死の淵から蘇った時に感じた温かい“何か”を。
今まで、どれだけ訓練してきても、一度も感じたことのなかった「魔力」を。
今の俺には、はっきりと分かった。
堰を切ったように、俺の両手から竜巻のような突風が吹き荒れる。まるで長年溜め込んでいた全ての魔力を吐き出すかのように。
慌てて魔法を止めると、目の前で綺麗に咲いていた花壇に花が全て無くなっていた。
ひらりひらりと、色とりどりの花びらが空から舞い落ちる。
「きれ〜い」
そんな言葉が聞こえ、俺は空を見上げた。
(あぁ、本当に綺麗だ。俺の世界はこんなにも広くて鮮やかな色をしていたのか)
涙が零れないように、俺はひたすら空を見上げた。
******
数日が経ち、従者業務も少しずつ慣れてきた。
今までは仕えてもらう側だったけれど、仕える側になってはじめて、私に仕えてくれていた人たちの素晴らしさが身に染みて分かった。
邪険に扱うことはしなかったものの、もっと感謝をすればよかったと、今更ながら反省することが多い。
(最期に命懸けで俺を守って、俺を逃してくれた護衛騎士たちはきっと……)
それを思うと、俺の胸は締め付けられた。
ある日、サフィーお嬢様と一緒に、スーフェ様の部屋に呼ばれた。
「仕事は慣れた? 心配事はない? 体調は大丈夫? サフィーは我儘だから大変でしょう?」
矢継ぎ早に質問されるソレは、まるで親が子を心配するかのようで、懐かしくも少しだけ気恥ずかしくもあった。
「私は、我儘を言うのは卒業しました。それにまだ、ジェイドに我儘を言ったことはありません!」
頬を赤く染めながら、サフィーお嬢様が抗議する姿がとても可愛らしくて、つい本音を洩らしてしまった。
「サフィーお嬢様の我儘を言っている姿を見てみたいです」
「私の黒歴史だから、放っておいて」
今度は耳まで真っ赤に染めて顔を背ける姿が、やはりとても可愛らしかった。
「ふふふ、ジェイド、今日はあなたにこれを渡そうと思ってね」
スーフェ様は綺麗な箱を取り出して、俺に差し出した。
「開けてみて。サフィーの従者になった記念よ。ぜひ、あなたに持っていて欲しいの」
言われるがままに箱を開けると、目に飛び込んできたものを見て、思わず自分の目を疑った。
それは紛れもなく、あの方が大切に持っていたものだったから。
故郷にいる母様の、短剣だった。
「な……」
何でこれを持っているのでしょうか? と言いかけるも、咄嗟に口を噤む。
スーフェ様の俺を見る眼差しが、愛しい我が子を見る母様の眼差しと同じだったから。
「あなたの思っているとおりよ。あなたがここにいることは、その方だけには伝えたわ」
(この人は全てを知っている。他の思惑なんてない、全てを知っていて、その上で俺を受け入れてくれているんだ)
俺の視界が涙で滲んだ。
俺たちのやり取りを見ていたサフィーお嬢様はキョトンとしていたものの、突然閃いたように、満面の笑みを浮かべて言葉を発した。
「じゃあ、ジェイドが前に使っていた短剣は私にちょうだい!」
突然の申し出に、俺は心底驚いた。
「危ないですし、私が絶対にお守りしますので、サフィーお嬢様には必要ありませんよ?」
「護身用に持ちたいの! だって、そうすればジェイドが守ってくれてるみたいでしょ? だからちょうだい!!」
可愛すぎる、と思ってしまった。
サフィーお嬢様が言った初めての我儘に、俺はいくらでも彼女の我儘を聞いてあげたいとさえ思ってしまった。
俺は、護衛騎士たちに命懸けで守ってもらったこの命をも、一度は諦め、死を覚悟した。それでも今、俺は生きている。生きて欲しいと救ってくれた人がいる。
漆黒の闇の世界から、眩い光の世界に導いてくれ、俺に纏わりついていた長年の呪いをも解いてくれた。
(俺は生きてやる! 生きて、守ってくれた護衛騎士たちに、いつかお礼を言うんだ)
サフィーお嬢様が導いてくれたこの世界は、希望に満ち溢れているのだから。強く願えば必ず叶う。
サフィーお嬢様の正面に跪き、彼女の手を取る。
「あなたが救ってくれたこの命、俺は全力で生き抜いてみせます。そして、生涯、サフィーお嬢様をお守りいたします。あなたがずっと笑っていられるように。あなたが望む願いを、俺の手で叶えさせてください」
サフィーお嬢様の手から、茹だるような熱さが伝わる。
真っ赤な顔をしたサフィーお嬢様の横でスーフェ様が優しく発した言葉に、俺までも顔を赤く染めてしまった。
「ふふふ、まるでプロポーズのようね」
真っ赤な顔で、俺とサフィーお嬢様は顔を見合わせて笑った。