前世の記憶
私が見た夢。
それは、今の私とはまるで正反対の、素直で前向きな少女の短い人生の物語だった。
その少女は、生まれつき身体が弱かった。10歳まで生きられるか分からない、と無情にも余命宣告を受けるほど。
余命ー-はじめは、その運命を受け入れることができなかった。目を背けて、毎日泣いて、先生を悲しませた。
けれど、いつしか「最期の時まで、今を楽しもう」と思えるようになり、本を読んだり勉強したりと、限られた環境の中でできることはなんでもやった。
それくらい、素直で、前向きで、誰かのことを思って、命というものに本気で向き合った記憶が、痛いほど“今の私”に突き刺さった。
----前世の記憶
「あおいちゃん、回診の時間よ。調子はどう?」
「先生! もちろんばっちりです」
……と言いながらも、今まさに、ふぁ〜っと大きな欠伸が出てしまった。
慌てて、えへへ、と愛想笑いで誤魔化してみた。けれど、先生に通じるわけがない。
「まさか、隠れてゲームしてたんじゃないでしょうね?」
「えへへ、バレました?」
ジロリ、と私に向かう鋭い視線に、素直に「ごめんなさい」と言うことしかできなかった。
「治すことが先! ゲームは一日30分までよ」
「!?」
(うそ、小学生かよっ!)
教育ママのように、ビシッと突き付けられた言葉に、私は思わずツッコミを入れる。もちろん心の中で。
それにも気付いたのか、先生は優しく私の頭を撫でてくれた。
だから私は、厳しい言葉も全て私を思って言ってくれているんですよね、との意を込めて笑った。
先生は、小さい頃から入退院を繰り返していた私にとって、主治医でもあり、お姉ちゃんみたいな大切な存在だった。
今回は特別入院が長い。覚悟はもうできている。けれど、不安がないわけではない。
そんな私の気持ちを知ってか、先生はいつも通りに、勉強の相談に乗ってくれたり、本やゲームを貸してくれる。
私が昨夜プレイしていたゲームも、先生のお勧めのもの。
「女の子なんだから、恋もしなきゃだめよ!」と、熱気のこもったプレゼンと一緒に貸してくれた乙女ゲームだ。
案の定、見事に布教活動の恩恵を受けてしまった。
イケメンたちとの恋愛ゲーム、胸キュン必須で、夢中にならないわけがない。
だから、最近の先生との目下の話題は、この乙女ゲーム“マジ恋”についてだ。
「今は誰を攻略してるの? 何人目?」
「ふふ、イーサン先生ですよ! 三人目だから、これでもう終わっちゃうのかぁ、もっと続きがやりたいっ!!」
私が今まさに攻略中のルートは、眼鏡をかけたミステリアスな魔術の先生との少しだけ背伸びをした恋物語。
恋愛初心者の私は、先生の甘い言葉に終始ドキドキさせられっぱなしだった。
「あら、それならもう一人、隠れ攻略対象者がいるわよ。もちろん“私の推し”じゃなかったけどね」
一気に悲壮感を漂わせた先生には、攻略対象外の推しのキャラクター、いわゆる“推しメン”がいた。
その推しメンの隠しルートがあると信じて、ありとあらゆる方法でゲームを進めたにもかかわらず、見事に撃沈したらしい。
それはもう、このゲームのセリフを一言一句違わずに言えるくらい、やりまくったそうだ。
医者になるくらい頭脳明晰なのに、使う方向性を間違っちゃってるような、と思ってしまったのは秘密だ。
「隠れ攻略対象者!? うわぁ、楽しみ! あ、できればもうひとつのゲームもやりたいんですけど?」
「そっちは年齢規制があるから貸せません」
きっぱりと貸せないと言われて、やっぱり隠れ攻略対象者のルートが開放されるのを楽しみにしよう。……と思っていたら、まさかのネタバレ投下。
「ふふ、隣の国のルーカス王子よ。ちなみにサファイアは……」
「あっ、待って! ネタバレはだめ、ストーップ!!」
「……刺されちゃうのよね」
ちーん、と完膚なきまでに私は撃沈した。
それでもどうにか、ヒロインとのラストシーンのネタバレを食い止めることができたのが、せめてもの救いだった。
入院中だからだいたい毎日こんな感じ。けれど、先生は時々こっそりとイケナイことも教えてくれた。
病院食は、美味しいけれど味が薄い。だから無性にジャンキーなものが食べたくなる。
そんな私を屋上に呼んで、ホットプレートで一緒にホットケーキを作ったり、たこ焼きを作ったりした。
春になれば、屋上から見える大きな桜の木を見て、一緒にお花見をした。
「満開の桜って、とっても綺麗ですよね」
「ええ、でも散っていくのも、とても綺麗よ」
「散っていくのが、ですか? 寂しくないですか? 私は何となく寂しく感じます」
桜が散る姿を見ると、命がなくなっていくような気がして、悲しくなってしまう。まるで自分のようで。けれど、先生は教えてくれた。
「ふふ、まだお子ちゃまね。たくさんの人を喜ばせた綺麗な花が潔く散って、今度は夏に向けて青々とした葉が顔を出すの。来年の春にまた咲くために。それが格好良いじゃない。それに、散るって分かってるからこそ、見る人はみな、記憶に残そうとするじゃない。花見なんてしちゃうほど」
「なんか奥が深い。さすが先生! 考え方が大人〜!!」
「でしょ。さ、乾杯よ」
もちろんお酒なんて飲めないから、シュワっとしたサイダーを飲んで乾杯をした。楽しい思い出として記憶に残すために。
趣味がコスプレと聞いた時には「コスプレ姿が見たい」とお願いをした。そしたらなんと、ハロウィンの日にわざわざ休暇を取って、お見舞いに来てくれた。
血塗れゾンビナースの恰好で。
「トリックオアトリート!」
「うぎゃあぁぁぁ!!」
「ふふ、さすがあおいちゃん、驚かしがいがあるわ」
「しぇ、しぇんせいっ、ひどいっ!!」
衣装はもちろん小道具も完璧に作り上げてきやがった。剣先が収納するおもちゃのナイフを持ったゾンビナースの恰好なんて、患者から見たら、恐怖でしかない。
おかげでその日の夜は眠れなかった。
次の日、先生は「偉い先生からめっちゃくちゃ怒られた」と笑いながら、私に謝ってきた。それから、おばけは怖いけれど、ハロウィンは大好きになった。
そんな私でも、医学の進歩という恩恵を受け、奇跡的に15歳の誕生日を迎えることができた。
「もしかしたら、もっと……」
我儘だと思いつつも、淡い期待を抱いてしまった。
だから『5つのやりたいことリスト』を神様に祈りながら願いを込めて紙に書いた。もちろんやりたいことはたくさんあった。けれど、5つだけ。
それは暖かい太陽の光が室内に射し込み、窓の外を眺めながら、幸せな白昼夢を見た日のことだった。
「空を飛びたい」
そう願って窓の外に飛び出したら、小鳥たちと一緒に優しい風に包まれて、ふわりと空を飛べた。
すごくすごく幸せな夢だった。外の世界に飛び出したい、もっと自由に遊びたいって、何度も思っていたから。
もしも、私が悪役令嬢って呼ばれるような女の子でも、元気な身体を持っているだけで、羨ましいって思っちゃうくらい、外の世界に憧れていたから。
だから、たとえ夢であっても本当に嬉しかった。今とは違う自分になって、違う世界にいける気がした。
そんな白昼夢を見たからなのか、強く願えばきっとどんな願い事も、我儘も、叶えることができる、そんな気がした。
(……神様、どうかお願いします)
紙に書いた私のお願い事は、いつでも目につく場所に貼っていた。
それを見た先生が、笑いながら私に言った。
「5つ目のお願い事は、私が叶えてからにしなさいね」
思わず私まで笑ってしまった。
でも、やはり運命には抗えなかった。
程なくして、その願い事はひとつも叶えることができずに、私は深い深い眠りについた。
幸せな毎日だったから、きっと我儘を言いすぎたのかもしれない。
けれど、私は幸せだったからこそ、眠りにつく時に願うことができた。
「目が覚めたら……」と。