魔王召喚からの乗っ取り事件
「きゃあぁぁぁ!!」
大広間に響き渡る恐怖に慄く悲鳴……ではなく、歓喜に湧き上がる黄色い悲鳴。
えっ? と不思議に思いつつも、その声の主の方を見ると、母様だった。
「ミケちゃーん!!」
初めて耳にする名を叫びながら、猛ダッシュで召喚された魔王と呼ばれる存在に駆け寄る。
母様は小さい子供やアオのようなもふもふっとした動物に目がない。
魔王と呼ばれる存在は、ミケという名が似合うほど愛らしい子供のような姿をしていた。はっきり言ってしまえば魔王感は全くない。
「にゃ、にゃんだお前は!! 確かに俺はミケっすけど、久しぶりにその名前で呼ばれたっすけど、俺はお前のことなんか知らないっすよ!!」
魔王は、全力で逃げる。
それもそのはず、俺は母様だと気付いているけれど、側から見れば母様の今の姿は全身スキーウェアに包まれた得体の知れない存在だ。
魔力を読むことに長けている魔族でも、今の母様の魔力は感じることができないはずだ。
そんな得体の知れない存在が猛ダッシュで近寄ってくるのだから、驚きを通り越して恐怖すら感じるだろう。
母様は魔王の言葉に、私のことを忘れたとは言わせないわよ、と華麗にスキーウェアを脱ぐ。
「私よ!」
「ケ、ケールさん!?」
「そうよ、ケールよ!! ミケちゃん会いたかったわー!!」
「ケールさん、だめっす! まずいっす!!」
再び魔王に抱きつこうとする母様。
父様の修羅場からの母様の浮気現場(現在進行形)。ちなみに父様は今、スーフェ様の目の前にいる。
あの時、父様の背後に現れたのはスーフェ様だった。
父様が「魔族召喚」という、魔術を習う前に交わされる契約を違反したものだから、スーフェ様が現れたのだ。
俺の知る限り初めての契約違反。契約違反をしたらどうなるのか、実は俺も知らない。契約違反をしたら身分一切関係なく罰すると言っていたから、父様にも相応のペナルティーが科せられるのだろう。
まさに今、一国の王が床に正座をさせられ、ぶるぶると怯え震えている。この光景は、王の威厳も何もない。絶対に国民に見せられない姿だ。
そこでハッと思い出し不思議に思う。父様の顔は露わになっている。それなのに不思議なことにハイネ嬢は見向きもしていない。
あれっ? ハイネ嬢の想い人は父様のはずなのに?
いくら惨めな姿を晒していようとも、今までずっと会いたかった人が目の前にいるというのに、どうして無反応でいられるのだろうか?
母様のように飛びついてきてもおかしくないはずだ。そんな疑問の中、再び悲鳴が上がる。断末魔に似た悲鳴が。
「うにゃぁぁぁっ、死、死ぬぅ!!」
母様はとても嬉しそうに光属性魔法の魔力をこれでもかと放出しながら魔王を抱きしめていた。
「死ぬ、死ぬっすー!! ケールさん! 俺、これでも高位魔族になったから、昔のように抱きしめられたら、死んじゃうっす!! ……あ、もう無理……どこか、どこか逃げる場所は……」
それでも母様は抱きしめるのをやめない。ところどころ過去の恋人関係を思わせるような魔王の言葉も無視して、母様は長年会えなかった思いを魔力に乗せ全てをぶつけるかのように抱きしめて離さなかった。
「ミケちゃん、辛かったら早くありのままの姿になってもいいのよ? 私たち三人によく抱かれてたじゃない?」
「そうもいかないっす! 一緒に旅してた頃は高位魔族じゃなかったから命の危険がなかったのでケールさんたちの思うがままに抱かれてたっすけど、当時だって三人相手は辛かったんですからね!! てか、今は無理っす……まじで死ぬっす……俺もあそこにいるのみたいに……」
魔王の力が尽きようとしていたその時、魔王の視界にはすでに生気を失って倒れている人物が目に入ったらしい。
「にゃんと! ちょうどいいところに生きる屍がいたっす。お借りするっす!」
魔王の魂は母様の腕の中にその体を残し、生きる屍ーーニイットーの体に乗り移った。
「えっ、ニイットーが乗っ取られた!?」
魔王の魂がニイットーの体の中に吸い込まれるように入っていった。
ルーカスならぬニイットー乗っ取り事件。
気付けばマジアカの物語どおりに(人違いという大幅な変更点はあるものの)進んでいる。しかもバッドエンドに向かっているではないか。
そのことに気付いた俺は焦り周囲の反応を確認するも、乗り移った瞬間をみんなも見ているはずなのに、どうしてか誰も焦っていない。
父様は絶賛ペナルティー実施中だ。スーフェ様の心底楽しそうなあの笑顔が怖すぎる。
母様は母様で、残念そうにだらんとなった魔王の抜け殻を確認すると、母様たちの愛犬のケルベロスーを呼び出しそのポケットに魔王の抜け殻を収納する。
「ケールさん、預かっててくれるんっすね! 何も言ってないのにさすがっすね!」
間違いなくニイットーの姿なのに、話し方も動作も先ほどの魔王そのものだった。そこにニイットーの魂のかけらも微塵も感じられなかった。
それなのに母様は動じない。
「どうせなら猫の姿になってから、そっちに行ってくれればよかったのに」
「そしたらずっと抱いてるつもりっすよね? 俺を一生自分の体に戻れなくさせるつもりっすか?」
母様は図星だったようで、誤魔化すようにケルベロスーを撫でている。
「まっ、ケールさんはベロニカさんと違って常識を弁えてるから冗談だって思えるからいいっすけど」
ここまで言われてしまうベロニカ王妃様は過去に何をやらかしてきたのだろうか?
確かにスーフェ様と母様と一緒に旅するくらいだから、普通ではないのだろう。
そして、ニイットーの姿をした魔王に駆け寄り、愛らしく挨拶をする者が現れた。
「二番隊隊長!」
「にゃんと! そこにいるのは一番隊隊長っすか!?」
「気付くのが遅いです! お久しぶりです!」
魔族の魂を持つハイネ嬢だった。旧知の仲だと思わせるその挨拶に、一抹の不安が過る。
このままチェスター王国が魔族に支配されるというバッドエンドまっしぐらになるのではないかと。
「お久しぶりです、じゃないっすよ!! いつまでかかってるんすか!? 見つかったっすか?」
「それが、まだなんです、かたじけない……でも、いいんですか? 魔王業務が忙しいはずですよね?」
「それなんすよ! 俺には荷が重いんすよ!! あの席は早く返上したいっす!! そしたらスーフェさんの魔力でお喚ばれしたもんだから……ある意味危険な気もしたけど……思わず召喚に応じてしまったっすよ!!」
「そうだ! 二番隊隊長も一緒にスーフェ様を説得してくださいよ。得意の猫撫で声で頼めばいけますよ! 猫族の底力を見せてください!」
「それは無……」
無理と言いかけた瞬間、二人は大広間の出入口に顔を向けた。
「にゃに!? この魔力は……」
「えっ、この魔力は……」
ハイネ嬢とニイットーは顔を見合わせて、大広間の出入口に向かって猛ダッシュ。
そして勢いよくドアを開け叫んだ。
「「魔王様!!」」