不穏な影
そしてノルン嬢ーーもといノルン特別講師による課外授業が始まった。
「足元にあるこの魔術陣、何がすごいって、魔王を召喚……じゃなくて、一瞬で患者のもとへ向かえるし、患者に必要な薬をすぐに届けることができるのよ。それだけ救える命が増えるってことは私たち医療に携わる者にとってなくてはならないものになるわ」
絶対にわざと言い間違えたとしか思えない。俺ともう一人は、魔王を召喚という言葉が気になって仕方がなかった。
そこで思い出すのは、サフィーの言葉だ。
ーー魔族召喚からの乗っ取り事件
もちろん俺は乗っ取られるようなヘマはしないし、サフィーのおかげで心も充実しているので、俺の中に入り込む余地は皆無と言える。
それに魔術陣は完成前に消したから、魔王が召喚されてしまう心配ないだろう。
現に、ノルン特別講師が小瓶から一滴垂らすと、きちんと転移の魔術陣が発動され、医師と生徒たちが転移した。そこには大怪我をした患者が待っており、一緒に来た医師が的確に処置をする。
その他にも様々なパターンを想定し、救急システムについて実践を交え課外授業は進んでいった。
課外授業も終わりを迎えた頃、俺はどうしてもある存在が気になって仕方がなくなっていた。
……あそこにいる偽物はなんだ?
いつの間にか俺たちの課外授業を見ていたある存在たち。
一人は、チェックスターくんの着ぐるみを着ている。心なしか作りが雑なチェックスターくん。
そして、そのチェックスターくんよりも場違いな存在がその隣にいる。
その場違い感からか、触れてはいけないと思われたらしく、誰もその存在について口にしようともしなかった。
……どうしてここであんな格好をしてるんだ?
スキーウェアフル装備。ここは王城だ。場違い感半端ない。顔も見えないから不審者確定。
けれど、俺はその不審者ーー母様のおかげでもう一人の存在ーーチェックスターくんの中の人が誰なのか察しがついた。
……どうして父様までチェックスターくんの格好をしているんだ?
父様の属性魔法は風だ。魔力を遮断する機能付きのチェックスターくんの着ぐるみを着る必要はない。
それを裏付けるようにハイネ嬢は父様と同じ風属性魔法使いのニイットーとは仲良く話している。
そこで俺は思い出した。ハイネ嬢の想い人という存在が誰なのかを。
目の前にいるチェックスターくんこそ、ハイネ嬢の想い人だということに。
もしかしたら父様もハイネ嬢の気持ちに気付いていて、一見して誰かわからないようにあのような格好をしているのかもしれない。
そう思っていたら、なんと、ハイネ嬢が母様に声をかけているではないか。それを見た周りの生徒たちが騒めいた。
あの不審者に声をかけるなんてなんて、と。
そんな周りの騒めきをよそに、二人は和かに言葉を交わす。
「ケール王妃様、お願いします。どこにいらっしゃるのか教えてください!!」
「それは私に聞かれても困るわ。聞く人を間違ってるわよ?」
「でも、……そうですよね」
俺は気が気でなかった。一番聞いてはいけない人に尋ねているという現状。
そして何よりハイネ嬢の探し人はすぐ隣にいる。それに気付いた瞬間はじまる、自分の両親と自分の同級生の修羅場……
そんな心中をよそに、ハイネ嬢はすぐに引き下がり、平穏に課外授業は終わりを告げた。
……はずなのに、
「ハイネ嬢、何か忘れ物?」
すでに生徒たちはお土産とともに王城を後にしたはずなのに、ハイネ嬢だけが一人、大広間に残っていた。
まだ父様のことを諦めきれずに探しているのかもしれない。
チラリともう一人のチェックスターくんを見れば、こちらもこそこそと怪しい動きをしているようだった。
まさか密会をするつもりじゃ……
「いえ、ノルン様に重大な任務があるから残るように言われたんです」
疑惑はすぐに否定された。けれど、こちらはこちらで不安しかない。
「重大な任務? ……ろくなことにならないから帰った方がいいんじゃないのかな?」
「そんなことないですよ! ノルン様はとても優しいんですから」
俺が話しかけているのに逃げないで、しかもきちんと返してくれることが正直嬉しい。この気持ちは決して浮気ではない。
「また浮気中? 本当にサフィーちゃんに告げ口しちゃおうかしら?」
一瞬ドキッとしたけれど、俺は何もやましいことはしていない。
「ハイネちゃん、お待たせ。では始めましょうか」
「ノルン様、これから何をするんですか?」
「もちろん魔王召喚よ。ハイネちゃんもさっき私が魔王召喚と言い間違えた時、すごく期待していたでしょ?」
「バレてましたか! それで、本当に魔王様に会えるんですか!?」
ハイネ嬢は驚きつつも嬉しそうだ。
ハイネ嬢の魂は魔族の魂だから、同族、しかも王を召喚することが嬉しいのかもしれない。でもこれだけは確認しなくてはいけない。
「ノルン嬢は分かるけど、ハイネ嬢はどうして魔王を召喚したいの? 人間界を支配するため?」
「えっ!? 人間界を支配するだなんて考えたこともありません! 魔王様だって絶対にそんなことするわけないじゃないですか!!」
そして少し逡巡したのち、ハイネ嬢は語り始めた。
「……私、魔界にいた時、兄がいたんです。兄は、人間界を支配するために人間界からの召喚に応じました。そして、弱った人間の体を乗っ取ったんです。でも結局、人間界を滅ぼそうとして、……ケール王妃様たちによって兄の魂は浄化されました」
「母様たちが……」
兄を殺されたという割に母様とハイネ嬢は親し気だ。それを裏付けるかのようにハイネ嬢は告げる。
「誤解しないでください!! ケール王妃様たちを恨んでるんじゃなくて、とっても感謝してるんです! 人間界は人間たちのものですから。誰かが止めてくれなかったら、私がこの手で……」
「それなら、どうしてその体を乗っ取ったの?」
ハイネ嬢の中には今、魔族の魂だけが存在している。本来その体にいるはずの魂がいない。
「乗っ取るだなんて! 確かに、人間の魂と共生しなさいと言われた時、きっと私も乗っ取ろうとしてしまうんじゃないかって不安でした。だから、この体の元々の魂は、私の妹として生まれてこられるようにお願いしたんです!!」
私の妹はとっても可愛いんですよ、とハイネ嬢が言う。縁あってお仕えしていた神様にお願いしたのだとか。
正直、神様にお仕えしていたとか突然言われてもちょっと困るけど、ハイネ嬢はいたって真面目に言っている。もしかしたら前世とかそういう話かも知れない。
「それならハイネ嬢が妹として生まれることは考えなかったの?」
「それができたらよかったんですけど、この体は産まれる時に生死の境目を彷徨っていて、私の魂が入って辛うじて生きることができるという状態でした。だから私がこの体に入らないという選択肢はなかったんです。……それに、人間界に会いたい人がいるんです。とっても尊敬する大好きな人が。その人に少しでも早く会いたくて……」
ハイネ嬢の真剣な想いに胸が苦しくなる。
元凶の父様の方を見ると、見てはいけないものが目に入ってしまった。
「う、嘘だろ……」
「ルーク、本当なの。……私はもう聖魔法が使えなくなってしまったの。……もう聖女じゃないの、だから、あなたには相応しくないわ。私たちの関係ももうお終いよ」
……再現が始まっていた。始まること自体は別にいい。ただ、ニイットーのことを俺の名前で呼ぶのだけは本当にやめてほしい。
「ノルン、聖女とかそんなのは関係ない。俺にはお前しかいないんだ」
「だめなの。……もうこうやってあなたと、ニイットーと再現もできないわ。私はこの時間がとても好きだった。けど、私はもうあなたの期待には応えられない」
「えっ? ノルン、ゲームにはそんなセリフはないぞ? 間違えるなんてノルンらしくない、どうしたんだ?」
戸惑うニイットーを気にすることなく、ノルン嬢は続ける。
「今の私は普通の平民の女の子、だから、ニイットー王子殿下、あなたのことを足蹴りにすることはもう二度とないわ」
平民の女の子でなくても、どこぞの姫でも、一国の王子を足蹴りする人はいないだろう。
「待ってくれ、足蹴りができなくても、拳があるじゃないか!? 平手じゃなくて拳が!」
一向に引き下がらないニイットー。ノルン嬢は無言で首を振るう。
「さようなら、私、聖女引退します。普通の女の子に戻ります……」
ノルン嬢は、大切に持っていた小瓶を床に置き、反転して大広間を去っていった。
「嘘、だろ? 俺のノルンがいなかったら誰が俺を痛ぶってくれるんだ!?」
ニイットーはその場に崩れ落ちた。その表情は生気が抜け落ち、まるで屍のようで、不穏な影が近づいても微動だにすることはなかった。
不穏な影はノルン嬢が置いた小瓶を手に取ると、どこからか取り出した紙をいそいそと開いて、その紙に小瓶の液体を一滴垂らす。
紙から黒い光--魔術陣が浮かび上がり、一気に黒い靄が大広間を包み込んだ。
そして、黒い靄が収まると、魔術陣の中央には、人間ではない存在が召喚されていた。
魔族召喚。
「この魔力は、まさか……」
「ハイネ嬢、召喚された魔族が誰か知ってるの?」
「ミ、いや、二番隊……これも違う、えっと、現在の魔王様です!!」
「魔王様!?」
俺の叫び声と同時に召喚した張本人は歓喜の声を上げた。
「成功だ! これで次の奇襲にはアイツを返り討ちにできるぞ!!」
不穏な影ーー父様が喜んだ瞬間、父様の背後には、いつの間にかいつも奇襲をかけてくる張本人が不敵な笑みを浮かべ立っていた。
そして、大広間には悲鳴が響き渡った。