エッティ村の黒猫
「違う本のケースに隠すとは、なかなか巧妙な手口だな」
「もうっ、問題はそこじゃないです!!」
あろうことか、私はまたこの人に相談をしてしまった。ニイットー王子に。
あれから私は何も考えることができず、泣きそうになりながらもとりあえず攻略本を元通りに戻した。
あの時一緒にいたアオには『ボクの口からは何も言えないし、ほら! もう寝る時間だよ! 夜ふかしは美容の大敵だよ』とはぐらかされてしまった。
そして今の今まであの攻略本の存在を誰にも相談できなかった。できるわけがない。
ようやく攻略本の存在を話しても差し支えない相手を見つけたと思ったら、行き場のなかった気持ちが爆発したのだった。
「ルーカスも男だ。間違いなく乙女ゲームを満喫しようとしているな。攻略本を持っていればハイネを逆に攻略することなんて簡単だろう」
「ルーカス王子に限ってそんなことあるはずないです!!」
「またまた〜しかもサファイアに内緒にしてるときたら、浮気確定だな」
「うっ……」
そこを突かれたら否定できない。たとえ忙しくても私に言うタイミングはあったはずだ。それなのに言ってくれなかったなんて、後ろめたいからとしか思えない。
でも、絶対に認めたくない私は必死で攻略本がルーカス王子の本棚にあった理由を考える。
「で、でも、ルーカス王子が攻略本の存在を知らない可能性もあるかもしれないし!」
「それはない。あの攻略本にはなぜか自然と手を伸ばしてしまいたくなるという不思議な力が宿っていた。そのせいでサファイアも攻略本を手にしたのだろう? しかも挿絵は綺麗すぎて芸術的だ。特に表紙。あの表紙を見てしまったら中を見たくならないわけがない」
いや、私はお母様おすすめの地図の載った本が欲しかっただけだ。
でもまあ、たしかにあの攻略本の表紙は綺麗だった。中を見てみたいと思ったさ。必死で堪えたけど。あれ?
「どうしてニイットー王子が攻略本のことを知ってるんですか!?」
「ん? 公式の攻略本の話だろう? 俺も持っていた。そして穴が開くほど読み込んでトレースもした。どのページにどのような構図で挿絵が描かれているのか、今も完璧に覚えているぞ」
「なる! ……じゃなくて、それならどうして前世でしか存在しないはずの攻略本がこの世界に存在するんですか!」
「……神たちの手によって書かれたに違いない。それより、もうそろそろ着くぞ」
納得できなかったけれど、ニイット王子に促され前を見るとそこは……
「な、何ですか! この素敵な村は!!」
私たちは今、ナタリー様の領地グリーン男爵領の問題の村、エッティ村に着いたところだ。
今はまだ残暑残る秋のはずなのに、アンソニー様のお話通り見渡す限り銀世界。
普通の馬車ではもちろん来ることはできなかったから途中からそりを引いてくれている。
一年中こんな状態だから、作物は育てられないし川はカッチコチに凍っているしで、飲み水の確保さえも難しいというのは本当だろう。これではお母様たちご所望の美味しい水は手に入らないかも。
それなのに、私が素敵な村と言った理由。それは……
「黒猫祭りにゃ!!」
至る所に黒猫ちゃんが飾られているからだった。
「ニイットー王子、サファイア様、遠いところよくおいでくださいました。寒いので中にお入りください」
すでに到着していたナタリー様とアンソニー様に促されて、私たちは可愛らしいお家に入った。村長さんの家だ。
エッティ村にはいかにもな領主様のお屋敷はないらしく、温もりのあるこじんまりとした丸太作りの家が並んでいて、それがまた素敵さに輪をかける。
大雪が降りつもる寒い冬を越さなければならないためには、頑丈でかつ部屋の中がすぐに暖まる効率的な家が良いらしい。
「あの、村中至る所に黒猫ちゃんがたくさん飾られていましたけれど、何か意味があるんですか?」
「はい。もふ神様が居なくなって魔物が棲みついたとお話ししたじゃないですか」
「はい。でもそれと黒猫ちゃんに何の関係が?」
「あの魔物が唯一怖がる存在というのが黒猫様なんです」
「えぇっ、黒猫ちゃんを怖がるんですか!?」
「だからこの村のみんな黒猫様をお慕いしているのです」
瞬間、ナタリー様が勢いよく立ち上がり叫んだ。
「私は黒猫なんて大っ嫌いなんだから!!」
「ナタリー様!?」
ナタリー様はそのまま外に出ていってしまった。
どうすればいいのだろうかと戸惑っていると、アンソニー様がやれやれと言った雰囲気で立ち上がった。
「ナタリーはこの寒さに慣れているから大丈夫ですよ。行くところは決まっていますし。連れ戻してきますから待っていてください」
「いえ、心配なので私たちも一緒に行きます!!」
「俺は無理だ」
「ちょっと! そこは嘘でも一緒に行くって言うところじゃないですか!!」
「寒くて死ぬ」
たしかに一度ぬくぬくを味わってしまったら簡単には外には出られない。
「でも、これってイベントっぽくないですか! だから行きましょうよ!!」
「無理」
「そう言わずに、準備してくださいよ!」
本来ならニイットー王子なんて置いてさっさと行きたいけれど、しつこく誘うのには理由があった。
マジアカのストーリーなんて知らないけれど、何となくそんな気がする。もしそうならマジアカのストーリーを知っているニイットー王子がいてくれた方が心強い。
「ハイネがいないんだからイベントなんて起きるはずがない。だから俺は行かない」
ヒロインがいないという事実にとうとう心が折れてしまったのか、全く行く気はないらしい。
「もういいですよ!! アンソニー様、早く行きましょう」
「そうですね。ニイットー王子はお疲れだと思うのでゆっくり休んでいてください。サファイア様はこれを着てください」
「これは?」
「ナタリー用の防寒服ですが、ナタリーはあの通り黒猫が嫌いなので……」
渡された防寒服を着てみる。黒猫仕様。可愛いがすぎる。
「ノルンがいないのに別ルートのイベントが起きるわけないが一応教えておく。ナタリーはハイネを崖から突き落として殺そうとする。夕方、ナタリーしか帰ってこないことを不審に思ったアンソニーがハイネを探しに行き、弱っているハイネを見つけるんだ」
「……寒いから嫌だとかじゃなくて、思いっきり後から登場する気満々ですよね? 結局イベントが起こると思ってるんじゃないですか!!」
そもそもアンソニー様本人がいるというのにアンソニー様役ができると思っているのだろうか?
もう勝手にして、と私はアンソニー様と一緒にナタリー様を探しに向かった。もちろんアオも一緒だ。もし魔物に遭遇したとしてもアオがいれば百人力だもの。
「ところで、心当たりがあるってどこに向かおうとしているのですか?」
「僕とナタリーが初めてあの魔物に会った場所です」
「どうしてナタリー様はそんな危険なところに!?」
「わかりません」
普通なら魔物に出会した場所になんて二度と行きたいとは思わないはずなのに。
けれど、ナタリー様はエッティ村に来ると時間があればその場所に行くのだという。
アンソニー様はサクサクと登っていくけれど、雪山を登るのは想像以上に大変で、息も絶え絶えな私を心配したアオが背中に乗せてくれた。
「アンソニー様は雪山に慣れていらっしゃるんですね。尊敬します」
「慣れですよ。幼い頃からこの山が遊び場でしたからね」
「ここにはよく来ていらしたんですか?」
「はい。僕は昔、父に連れられてこの村に来ていたんです。この村の水が体に良いと評判で、特に万病に効くと言われる水はなかなか手に入らなかったみたいです」
「万病に効く水ですか!」
「残念ながら僕は飲めませんでしたが。父がどうしても欲しいと足繁く通っていたんですよ。だからナタリーとは幼馴染みのように育ちました」
「幼馴染みですか! どおりでお似合いだと思ってました!」
「お、お似合っ!!」
私の言葉に顔を真っ赤に染めて狼狽えるアンソニー様。
「アンソニー様って、ナタリー様のことが大好きですよね!」
「ど、どうしてそれを!? ……そんなにわかりやすいですか?」
「えぇ。まぁ、わかりやすいっていうか……」
幼馴染み設定はだいたい両片想い。特にナタリー様はツンが強そうだから自分の気持ちもアンソニー様の気持ちも簡単には認めなさそうだな。
「……僕のことは置いといて、もふ神様が消えたと噂になってすぐに僕とナタリーはもふ神様を探しに行ったんです。たまたまナタリーとはぐれてしまった時に、運悪くあの魔物に遭遇してしまって」
「えぇっ!?」
「僕が近くに落ちていた木の棒で応戦しようとしたところ、ナタリーが僕の前に飛び出してきたんです。それで……」
「その時の傷が、あの腕の傷というわけですね」
「はい、僕がナタリーに一生消えない傷を負わせてしまったんです」
魔物はそのままいなくなってくれたけれど、死んでいてもおかしくなかった出来事だったという。
どうして何もせずにいなくなってくれたのかと不思議に思っていたところ、魔物が山を降りてきた時に偶然居合わせた子供が黒猫のぬいぐるみを落としたら、それを見て逃げていったのだとか。
それで、黒猫が苦手なことに気付いた、と。
「ナタリー様は黒猫ちゃんみたいで可愛いから、魔物は逃げていったんですね」
「本人は否定しますが、そうとしか思えません。それで、年に一度のこの時期に村の子供たちは黒猫を模した服を着て村をまわるのが恒例になりました。大人たちはお礼にお菓子をくれるので、子供たちにとっては嬉しいイベントなんですよ」
「この服はそのためのものなんですね。でもナタリー様が黒猫ちゃんが嫌いな理由はなんでしょう?」
黒猫ちゃんを彷彿させる見た目だからこそナタリー様は助かったのに。
そうしているうちに、一人佇むナタリー様を見つけた。アオから降りてアンソニー様に次いでナタリー様に駆け寄る。
「ナタリー、やっぱりここにいたんだね」
「もう放っておいてよ……」
そして私を見た瞬間、ナタリー様は目の色を変えて怒り出した。
「何よっ、黒猫なんて!! 早くもふ神様を返してよ!!」
「きゃっ!!」
勢いよく飛びかかられた拍子に私は雪によろけてしまった。
運が悪いもので、だいたいこういう時って崖の近くとかだったりする。もちろんこの時も例外ではなくて。
あっ、まずいかも……
そう思った時には手遅れだった。足元の雪が崩れ真っ逆さまに落ちて……
「……あれ?」
でも痛くない。それどころか雪の冷たさも感じない。
そしてこのふわりと包み込まれるような優しい魔力を私が間違えるわけがない。
「サフィーは本当に危なっかしいな。探したぞ」
「ラズ兄様!!」
私を抱き止めてくれたのは、冒険の旅に出ているはずのラズ兄様だった。