【SIDE】 料理長 ジョナ
私は、オルティス侯爵家の専属料理人で料理長を仰せつかっております、ジョナと申す者です。
オルティス侯爵邸の食料庫には、旦那様とスーフェ様が取り寄せた世界各国の食材や調味料がたくさん置かれています。
「……これ、どう使うんだ?」
正直、どのようにして扱えばいいのかわからないものが殆どで、スーフェ様に聞いても、一応は説明してくれるのですが、何が何だかわからない状態でお手上げでした。
ある日、スーフェ様がサファイアお嬢様をお連れして、厨房にやってきたのです。
このお嬢様が曲者で、いや曲者なんて可愛いものじゃなく、悪魔の生まれ変わりと言っても良いほどのお方で、使用人の間では『要注意人物』に認定されていました。
料理をお出ししては、文句を言うのが当たり前、碌に食べずに残したり、料理人を侮辱する行いの数々に、正直嫌気がさしていました。
「もうこの仕事を辞めてしまおうか……」
そう思った矢先、お嬢様が二階から落ちて気絶してしまったのです。
「天罰だ」
思わず本音を呟いてしまったのは、もちろん秘密です。
残念ながら、お嬢様が目を覚ましたため、その日の夜はお部屋でお食事が摂れるように、体に優しいスープをお出ししました。
「どうせ食べないで文句を言うくせに」
そう思いながらも、そこは私も大人なので仕事だと割り切っていました。ところが予想と反して、文句も何も言われず、空になったお皿が戻ってきました。
「誰かが気を使って料理を食べたことにしてくれたのかな?」
その時は、その程度にしか思っていませんでした。しかし次の日も、その次の日も、文句を言われることはありませんでした。
それよりも、メイドのミリーが驚くことを言ってきたのです。
「料理長! サフィーお嬢様のお食事の量と品数を減らしてください」
「は? そんなことしたら、また文句を言われるだけだぞ?」
「ふふ、サフィーお嬢様は劇的にお変わりになったから大丈夫ですよ。今のサフィーお嬢様は、控えめに言っても天使です!」
ミリーの言葉に、半信半疑でそのとおりに減らしてお出ししました。それでも、全部は食べきれなかったようですが、文句も言わず食べてくれてました。
「一体、あの悪魔の身に何が起きたというのか?」
そして、とうとうスーフェ様と一緒に厨房にまでやって来たのです。
「サフィーにも厨房を自由に使わせてあげて」
「はい、かしこまりました」
口では了承しつつも、もちろん本音は違います。
(あれだけ食べ物を冒涜した悪魔が神聖な厨房に足を踏み入れるなど、以ての外だ!!)
スーフェ様が席を外すと、それは突然聞こえてきました。
「今まで本当にごめんなさい」
「!?」
あの、お嬢様が、あの悪魔が、頭を深く下げて謝ってくるではありませんか。
使用人に対して、ゴミ同然というような態度を取っていたお嬢様が、そのゴミに向かって謝罪をするなんて、目と耳を疑いました。
本音を言えば、私が丹精込めて作った料理を、今まで料理をしたこともない小娘に文句を言われていたのだから、そう簡単に許すことなどできません。
(でも主従関係には逆らえないよな、私も大人だから)
お嬢様が何をするのか、初めは何も口を出しませんでした。私は沈黙を貫きました。すると、徐に「これ使ってもいいですか?」と聞いてきたのです。
それは、スーフェ様に懇願されながらも、手をこまねいていた“コメ”という食材でした。
スーフェ様には「煮るのよ」と言われ、渡されたのですが、煮たらドロドロになるし、焦げ付くし、正直言って何が正解で、美味しいのか、答えが出なかった代物でした。
「どうぞ、お好きにお使い下さい」
「ありがとうございます! ふふ!! 念願の炊き立てのご飯よ」
喜ぶお嬢様を横目に、私は、やれるものならやってみろ、と内心で思っていました。
お嬢様は、手慣れた様子でコメを水で洗い、鍋にコメと水を入れて放っていました。それから、蓋をして煮ているようでした。
火力を随分と気にしているようなのに、鍋の蓋を取ることはなく、中身を全く気にしない。「そろそろかな?」と言いながらも、今度は火を止めてそのまま放っておくではないか。
(やれやれ、何してるんだこのお嬢様は? ままごとなら他所でやってくれ)
ため息しか出ませんでした。
10分くらい経ったころ、お嬢様はやっと蓋をとって、その中身を確認しました。
(どうせ鍋の中身は焦げ付いて、ドロドロして、食えた代物じゃないだろう。料理を舐めんな)
勝ち誇ったような気持ちになり、ちらりと鍋の中を覗き見ると……
(ツヤツヤとふっくらした白い粒が輝いていて、まるで宝石箱や〜)
「良い香りだ……」
思わず涎が出てきそうになりました。
「この味! 美味しいわ〜、幸せ〜!」
そのコメを食べたお嬢様は、それはもう幸せそうでした。
(今までお嬢様はコメを食べたことがあるのか? オルティス侯爵家では、お出ししたことなんてないぞ?)
「私にも、食べさせて下さい」
料理人魂が刺激され、気が付けば思わず懇願している自分がいたのです。
(はっ!? 言ってしまった、絶対に文句を言われる)
文句を言われる覚悟を決めた私に差し出されたのは、ふんわりと白いコメが盛られたお皿でした。まさか……
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとうございます!」
今までに見たことのない優しい顔で、お嬢様は差し出してきたのです。私は、おそるおそるコメを一口食べてみると……
「美味い……」
(な、何だこれは!? ほのかに甘みがあって、でもどこか懐かしくて、とにかく美味い!)
そんなことをしていると、滅多に厨房になんて来ないスーフェ様が、厨房の入り口にやってきました。
「ご飯が炊けた匂いがする!!」
「お母様! 今ちょうど炊き上がったところです。お母様もどうぞ」
「サフィーちゃん、天使! いただきます! 美味しい! 幸せっ!!」
スーフェ様はコメを見てご飯と言い、未だ嘗てないくらい喜んでいらっしゃるではないか。
(負けた、いや、これはまぐれかもしれない。まだ、認められないっ!!)
食料庫にある、私の使えなかった食材について、お嬢様に尋ねてみると、案の定、殆どの食材を知っており、「すごいです! これでいろいろ作れます!!」と喜び感激してらっしゃいました。
(プライドなんてなんだっ、料理人として作れない料理や知らない食材がある方が恥ずかしい! そんなちっぽけなプライドなんて捨てちまえ!!)
「私を弟子にしてください」
「……ええっ!?」
「師匠、どうかよろしくお願いします」
お嬢様は目を丸くして、おろおろとしはじめてしまったのですが、スーフェ様は自信を持って言ってくれました。
「サフィーちゃんから料理を教わったら、きっとあなたはこの国一番の料理人になれるわよ」
「はい、誠心誠意、オルティス侯爵家の料理人の名を世界に広めさせていただきます」
(あぁ、なってやろうさ、世界一に!)
「それはそうと、海苔が必要ね。今から買ってくるわ! 一番近くて、マーリンの町ね」
「お母様、マーリンの町って? って行っちゃった……料理長、マーリンの町ってどこですか?」
こてりと首を傾げて私に尋ねるお嬢様は、まるで天使のようにとても可愛らしい。
「確か、隣の領の港町の名前がマーリンって言うはずですが。どんなに早馬を飛ばしても往復で三日? いや、場合によっては一週間前後はかかると思いますよ」
それなのに、次の日の朝には厨房に“ノリ”が大量に置かれていることに度肝を抜かれました。
おそらく、王都にでもノリを卸しているお店があったのだろう、と納得はしたのですが……
さっそく朝食に、炊きたてのコメで作った“オニギリ”というものを出すと、これがまた大好評だったのです。
それから本格的に、オルティス侯爵家の食の改革が始まりました。
お嬢様のレシピは神のお導きのようで、知識もとても豊富でした。私はもうお嬢様に足を向けて寝ることなんてできません。
「一体師匠はどこでその知識を?」
「ふふ、秘密です!」
可愛らしい笑顔で秘密と言うその姿は、ミリーの言うとおり控えめに言っても天使そのものでした。
お嬢様の許可を得て、試しに王宮料理人の友人にプリンを食べさせてみたところ、泣いた、男泣きだった。あのプライドの塊の王宮料理人が。
私もお嬢様の前でなかったら、あの一口を食べた時、おそらく泣いていただろう。
「あの日、お嬢様の身に降りかかった『天罰』だと思ったあの出来事は『天佑』だったのか」
私は神に感謝しました。
いつしか、オルティス侯爵家の料理人は、王宮料理人に匹敵するほど一目置かれる存在となっていったのです。