断罪イベントその後 前編
(私、死んだのね……)
結局、ジェイドの手を汚させてしまった。誰にも迷惑をかけたくないと言いながら、私は取り返しのつかないことをしてしまった。
(私はどうして、ジェイドにあんなことをさせてしまったの?)
優しいジェイドのことだから、自分を責めて心が壊れてしまうかもしれない。
最期に目にしたジェイドの顔、辛そうで苦しそうで、ジェイドには、あんな顔は似合わない。
……でもそうさせたのは私だ。
(ごめんなさい、本当にごめんなさい。死んでから悔やんでも遅すぎる。そんなこと、今さら気付くなんて、もう遅いよね……)
「……お嬢様、サフィーお嬢様! 起きて下さ〜い!!」
(ん? ミリーの声? どうして、ミリーがいるの? ミリーが起こしに来たってことは、朝? 私、死んでるのよね? 断罪イベントは?)
そう思いながら、私はゆっくりと目を開けた。
「ふふ、やっぱりサフィーお嬢様は私が起こさないと起きませんね!」
「ミリー、いつもそんな起こし方をしてるの? 随分と酷いわね」
目を開けると、いつもの笑顔のミリーがいた。その隣には、私を覗き込むお母様の姿。
「え? ミリー? お母様? てことは、今までの、もしかして……夢?」
だって、刺された場所は全くと言っていいほど痛みを感じない。
それに、私を抱き抱えながら微笑むジェイドが、いつものように私の涙を優しく拭ってくれている。その後ろには、お父様とラズ兄様がいた。
「……えっ、まさかの夢オチ!?」
私はゆっくりと起き上がり、周りを見回した。ここは学園の中庭で間違いない。
さっきまで、断罪イベントが行われていて、私はジェイドに短剣で心臓を刺された。だから、私の胸部分は真っ赤に染まっている。
(うん、そこまでははっきりと覚えている。でもどうして、お母様たちがいるの?)
よく見ると、レオナルド王子やニナちゃん、ワイアット様もいる。三人は学園の生徒だから、ここにいてもおかしくはない。
ベロニカ王妃様もケール王妃様も保護者だからおかしくはない。
けれど、ミリーにマリリンさん、他にも見知った顔が大勢いるのは、どう考えてもおかしい。
「夢オチ、でもない? じゃあ、やっぱり走馬灯の続き?」
だって、みんなが私に向かって微笑んでいるのだから。
(神様が私に、最期にいい思い出を見させてくれてるのかしら?)
そして、遠くからゆっくりともふもふ様が、私に向かって歩いてきた。
(……となると、もふもふ様が神様? 冥土の案内人?)
「ん?」
もふもふ様が手に持っているプラカードに、何かが書いてある。
「えぇっと『ドッキリ大成功おめでとう!』?」
(ドッキリ? ドッキリって!?)
私が再度、周りを見回すと、みんなが笑いを堪え切れていないようで、肩を小刻みに震わせている。
「え! えぇぇぇぇぇ!? ドッキリって、もしかして私、死んでないの? 断罪イベントは?」
私の身に起こっている予想外の出来事に、私の頭は最大級の混乱を起こしている。
「サフィーお嬢様、もちろん生きていますよ、断罪イベントも無事に終わりました」
ジェイドがにっこりと、満面の笑みを浮かべながら教えてくれた。
「見事なスチルシーンを見れて感無量です! 真っ赤に染まって倒れたサファイアに、ひらひらと舞い落ちる花びら。ゲームのスチルと同じで、目が奪われるほど美しい光景でしたよ。見事に華々しく散りましたね!」
ルーカス王子ルートの乙女ゲームのスチルシーンを知っているノルンちゃんが、私に説明してくれた。
「どういうこと? まだよく分からないんだけど? ここは天国じゃないの? 私は死んでないの?」
「だから、死んでいません。サフィーお嬢様の願いを叶えつつ、必ずサフィーお嬢様をお助けするって約束したでしょ?」
「でも、心臓にグサッとジェイドの短剣が……血もこんなにいっぱい出てるし、でも全く痛くないけれど?」
私の心臓付近は見事なほど、真っ赤な血の色に染まっている。実際にこれだけの血が出ていたら、出血多量で死んでしまうのではないかと思うほど。
なのに、痛くない上に私はピンピンしている。
「短剣って、これですか?」
くすくすと笑うジェイドの手には、真っ赤に染まった短剣が握られている。
「うん、それ、その短剣!」
ジェイドは徐に、その短剣で自分のお腹を刺した。
「きゃぁぁあ……あ?」
ジェイドは、これでもか! と何回も何回も自分のお腹を刺しているのに、一向に死なない。
すると、ノルンちゃんが自慢げに仕掛けを教えてくれた。
「ふふ、私特製の、刃体が柄の部分に収納する短剣です。もちろん細部にまでこだわって作りました。なんと、チェスター王国の紋章入り!」
「しかも、ジョナ料理長の血糊風特製ソースが仕込める優れものなんですよ! とっても美味しいんですよ!」
「師匠の一番弟子ですから、これくらいできて当然です」
ミリーがひょっこりと顔を出して教えてくれた。その隣には、ジョナ料理長までいるではないか。
言われてみれば、私の血はフルーティーで美味しそうな良い香りがする。それにしても、ミリーはすでにこの特製ソースを食べていたとは……
「でも、どうして?」
どうして、わざわざみんながこんな茶番を? と私は不思議に思った。
「こうでもしないとサフィーお嬢様はずっと乙女ゲームに囚われてしまうでしょ?」
ジェイドの的を得た言葉に、私はぐうの音も出ない。
確かに、今回、もしも断罪イベントが起きなかったとしたら、きっと私はイーサン先生の時のように、乙女ゲームに歪みが生じているのではないかと考えてしまうだろう。
そして、いつ断罪されるのか、という不安に怯えている気がする。
「みんな、サフィーお嬢様のことを心から心配して、どうにかして救いたかったんです、過去のトラウマからも」
「過去のトラウマ?」
(私に過去のトラウマなんてあるのかしら? そもそも小さい頃のトラウマだとしたら、記憶がないからトラウマにならないよね?)
「ジェイドさん、そこは前世のトラウマと言った方が正しいですよ。サフィー様の前世の記憶に植え付けられた『余命が決まっている限り、その命の期限を迎える運命には抗えない』というトラウマです。けれど、一言だけ言わせてください。そのトラウマ自体がサフィー様の勘違いです」
「勘違い?」
ノルンちゃんの言葉に私は首を傾げた。
「はい。サフィー様の前世、あおいちゃんは10歳までしか生きられないという余命宣告を受け、死を覚悟していました。けれど、精一杯生きようと抗ったんです。確かに若いうちに亡くなってしまいました。でも、サフィー様、あおいちゃんは何歳まで生きましたか?」
「15歳……あっ!?」
「はい、あおいちゃんは『もっと生きたい』と願っていました。そして見事に五年も運命に抗ったんです。だから、運命に抗えないなんてことはないんです。少しでも抗って長生きできれば、特効薬だって開発されるかもしれないんですよ?」
「はい……」
「余命を受け入れること自体は、必要かもしれません。でも、自ら死のうとすることは、愚かで最低な行為だと私は思います。残された人たちのことを考えてください。どうして苦しみに気付けなかったのか、どうして救えなかったのか、何かできたかもしれないのに、という思いを、一生その人たちに背負わせることになるのですから」
「ごめんなさい……」
「気が付いていないだけで、心配してくれる人はいるんですよ? 現にサフィー様の周りにはこんなにたくさんの方たちがいるんですから」
私はノルンちゃんに言われ、周りにいるみんなの顔を、もう一度ゆっくりと見回した。
みんな優しく微笑んでくれて、ニナちゃんとミリーなんてもう泣いている。そんな姿を見てしまったら、私まで涙が溢れ出して、止まらなくなってしまう。
私は「運命」に囚われすぎていた。
サファイアは「破滅エンドを迎えて死ぬ」という運命に。
余命が決まっている限り、その命の期限を迎える運命には抗えないと勘違いして、それがトラウマとなって、自分の思考をも狭くしていた。
「サフィーお嬢様、お怪我はありませんでしたか?」
「うん、不思議なことに、全く痛くないの。ジェイドが私の心臓を目掛けて、思いっきり飛び込むように刺したのに」
「それはスーフェ様のおかげですよ」
「お母様の? って、どうしてお母様まで制服を着ているんですか!? ていうか、どうしてみんな制服なんですか!!」
なぜか、もふもふ様以外のここにいる人たちはみんな、学園の制服を着ている。
改めて見ると、明らかに違和感というか、コスプレ感満載だ。
「もちろん『わちゃわちゃ要員』よ」
「わちゃわちゃ要員?」
お母様まで、最低なネーミングを付けて、人の断罪イベントを面白おかしくしようとしている。
「もしかして気付いてなかったの? サフィーちゃんが中庭に入ってくる前から、みんなここで準備していたのよ?」
「え? 私が中庭に来た時には、もうたくさんの生徒たちがいて、でも、確かにどんな人たちがいたのかは、ぼんやりとしていて、よく思い出せないんです。けれど、ノルンちゃんとその隣にジェイドがいたことはよく覚えています。だから、ルーカス王子ルートの断罪イベントだと確信したんですから」
「えっ!?」
ジェイドが驚きの声を上げ、途端に項垂れた。その姿はどうしてか悲壮感が漂っていた。
「ふふふ、サフィーちゃん、ちょっとだけ幻影術を使わせてもらったわ。ちなみに、ジェイドはノルンちゃんの隣にはいなかったわよ? ずっとサフィーちゃんの前に気配を消して立っていたはずよ」
お母様が笑いを堪えながら教えてくれた。けれど……
「え? だって白銀色の髪色の人が、ノルンちゃんの隣にいたはずです。ジェイドしかいないじゃないですか!」
白銀色の髪色を持つ人は、ジェイドの他にはケール王妃様がいる。けれど、髪の長さが全く違う。ケール王妃様だったら、さすがにすぐに気付くはずだ。
「はっはっは! サファイアもまだまだだな。それとも、俺のことがそんなに好きなのか?」
私の前に颯爽と現れたのは、白銀色の……
「ま、まさか!? ニイットー王子!?」
白銀色のカツラを被ったニイットー王子だった。ということは……
「本当にショックです。まさか、ニイットーと私を間違えるだなんて……本当に最低、信じられない」
「ジェイド、ごめんね。ほら、私、あまり正気じゃなかったからさ、髪の色しか見てなかったの。本当よ、信じて!!」
私は必死で弁解をした。何なら土下座する勢いだ。
「この件は、夜の庭園でしっかりと話し合いましょう」
「……はい」
ジェイドの言葉に、私は素直に頷くことしかできなかった。
でも、再び夜の庭園でデートができるという事実に、嬉しさがこみ上げてくるのを必死で隠していたことは秘密だ。
それなのに、遠くで「今日も夜の庭園が楽しみですね、見に行かなくちゃ」とミリーが言っていたことは、聞こえなかったことにしたい。