断罪イベント
覚悟を決めると、私は迷うことなく中庭へと入って行った。
隣にジェイドがいないという違和感を感じながら、いつも隣を歩いてくれていた人がいないという寂しさと、これから起こることへの恐怖心を紛らわすように、一目散に中庭の中央を目指した。
そこには春の訪れを待ちわびていた花々が綺麗に咲き誇り、すでに卒業を祝い合う人たちで溢れかえっていた。
こんなにもたくさんの人がいて、卒業を喜びあっているというのに、私には一緒に卒業を祝う余裕なんてない。
目の前がボヤけて、周りの人たちの顔すらよく見えなかった。
(なのに、どうして?)
この物語のヒロインとその隣にいる王子様だけが私の目にはっきりと映ってしまう。
私は、すぐに二人から目を逸らした。けれど、運命からは目を逸らすことなんてできない。
この乙女ゲームのヒロインはノルンちゃんで私は悪役令嬢、それは紛れもない事実であり、運命なのだから。
私は断罪されて、破滅エンドを迎えなければいけない。
だから、今日だけは、ラズ兄様にもらった髪飾りを付けてこなかった。あのお守りの石の効果はきっと、私の身代わりになるくらい強い効果のものに違いないから。
これ以上、ラズ兄様には迷惑をかけられない。私が破滅エンドという運命を背負えばこの乙女ゲームは終わる。その運命からは目を逸らしてはいけない。
だからせめて、初恋の人の隣に私以外の人がいるという現実だけは、目を逸らしたかった。
(きっと、それだけは許してくれるよね?)
そして、私は再び自分の運命に目を向けた。
この中に、私を殺そうとしている人がいる。その人にそんなことをして欲しくない。
だったら……
「誰にも迷惑をかけないで、私は自分の手で散ってみせるわ」
最初から決意していた。誰にも迷惑はかけないと。
スチルシーンとの差異は出るかもしれない。
けれど、私が自分で死ぬことで、私を殺そうとしている人は私を殺す必要がなくなり、罪には問われなくなる。
もう一度、進むべき道を歩み直そうと考えるチャンスが生まれるもしれない。歩んで欲しいと、そう願っている。
固く決意した私は、隠し持っていた護身用の短剣を両手に持った。それは、初めてジェイドにお強請りをして貰ったもの。
ジェイドから譲り受けた護身用の短剣にも、チェスター王国の紋章が入っていた。だから、この短剣のおかげで、私はこの計画を実行に移せる。
覚悟を決めて、短剣を持つ両手を高く掲げた。一思いに、自分の心臓に突き刺すために。
高く掲げた短剣の刃に、太陽の光が反射したその瞬間、私の目の前で何かがキラリと光り、私の目に“虹色の光”が飛び込んできた。
「え?」
それは、ペレス村の礼拝堂で見た虹色の光、精霊の加護の木で見た虹色の光。
私の目の前に、虹色の光に包まれたたくさんの思い出たちが走馬灯のように、ふわりふわりと、次から次へと蘇る。
宿泊合宿で見た虹色のしゃぼん玉のように、そして、前世の記憶を思い出す前に見た虹色の“小鳥”のように。
その虹色の映像は、私が歩んできた私の人生だった。
あれは、お母様にぎゅーと抱きしめられた時の思い出。苦しかったけれど、その度に愛されてると感じたわ。
こっちは、ラズ兄様と初めて買い物に行った時の思い出、あっちは宿泊合宿。
ラズ兄様は、私が困っている時にいつもすぐに駆けつけてくれる。突然、黒猫ちゃんがラズ兄様に変身した時は、とても驚いたけれど。
むこうには、大好きなお父様と従魔ちゃんたち。
家族のために一生懸命働いて、疲れているのにいつも優しい笑顔を私に向けてくれる。お父様の大きな手で、頭を撫でられるのが大好きだった。
今度は、レオナルド王子とステファニーちゃん。
これから二人は幸せに愛を育んで、ステファニーちゃんを大切に大切に愛してあげるに違いない。
そして、ワイアット様とニナちゃん。
底抜けに明るいニナちゃんとクールなワイアット様、正反対の様でいて、とってもお似合いなカップル。結婚式、行きたかったな……
イーサン先生とミリーに孤児院の子供たち!
ミリーの恋の話をもっと聞きたかった。ミリーならきっとイーサン先生を支えてあげられる。私の時みたいに。でも、私が死んだら、ミリーはきっと泣いちゃうよね……
ふふ、ノルンちゃんとニイットー王子まで。
ノルンちゃんは、なんだかんだ言っても、私のことをお姉ちゃんみたいにたくさん心配をしてくれた。初めて会った時には、お医者さんみたいって思ったのもいい思い出。
って、お姉ちゃん……お医者さん……!?
アオだ! アオと出会って本当に私の人生が一気に変わった。
私の大切なもふもふ、大好きなもふもふ。
私がいなくなったら絶対に寂しがっちゃう。
私も、もう二度ともふもふができないなんて淋しいよ……
ジェイド……格好良くて、優しくて、とても温かくて、とても大切な人、私の初恋の人。
もう二度とあの温かい手と、手を繋げないの? あの優しい手の温もりを感じることができないの?
あれ? 今度は私? 私の思い出なのに私が見れるって不思議だ。
ふふ、みんなと一緒に笑ってる。私って、あんなに嬉しそうに笑うんだ。
ジェイドと手を繋いでる私、とても恥ずかしそうだけど、それ以上に幸せそう。
……本当にとっても幸せだったもの。
次は、私が飛び下りる瞬間? これは前世の記憶を思い出した時?
(これは、私をずっと守ってきてくれた精霊さんたちの記憶だ……)
虹色の“小鳥”を見たあの日、あの日から私の人生は大きく変わった。
私は愛されていることを実感し、たくさんの人たちに出会った。家族、友達、私が出会ってきた人たちみんなが、私に向けてたくさんの笑顔をくれた。
(私は一人じゃない、あの日とは違う、今は窓から飛び下りても、抱きとめてくれる人たちがいる!!)
そう思った瞬間、ふわりと私の身体が包まれた。あたたかい風魔法に包まれた瞬間、
ーーーー逃げてもいいんだぞ
その言葉が脳裏を過る。そして、その言葉に私の短剣を持つ手の力が緩んでしまった。
私の人生、悪役令嬢として断罪されて破滅エンドを迎える人生。色々あったけれど、とても楽しかった、とても幸せだった。
(それなのに、本当にもうこれで終わりなの? 終わりにしなきゃいけないの?)
私は今までたくさんの人たちに守られてきた。私を思って、逃げ道まで用意してくれていた。
(みんなは私のこの選択を、どう思うんだろう? 本当に私には、破滅エンドを迎える道しかないの? ゲームの運命には本当に抗えないの?)
頬を一筋の涙が伝った。
(いやっ!! 私、本当は死にたくない!!)
その瞬間、私を中心に突風が吹き荒れた。
身体を揺さぶられるほどの突風に、思わず強く目を瞑ってしまった。
私の手のわずかな力で握られていた短剣は、その突風に飛ばされ「カツン」と音を立てて、地面に落ちた。
その音に、はっと我に返り、ゆっくりと瞼を開けた。すると、私の目の前には……
「ジェイド……」
私の目から涙が溢れ出し、止まらなくなった。
会いたかった人が目の前にいる。手を伸ばせば、手を繋ぐことのできる距離にジェイドがいる。
けれど、私の言葉をかき消すように、ジェイドが一言だけ、苦しそうに呟いた。
「最後の願いを、叶えます……」
「うっ……」
同時に、私の心臓に向かって短剣を突き刺した。刃体なんて見えなくなるほど、とても力強く。
唯一、私の目に飛び込んできたのは、唇を強く噛みしめ、辛そうに顔を歪めるジェイドの姿と、しっかりと握りしめられた短剣の柄に刻まれた、チェスター王国の紋章だった……
突風が止み、中庭の色とりどりの花々が私たちの上に舞い落ちる。
胸を緋色に染めた私は、その場に倒れた。トマトジュースなんかじゃない、色鮮やかな緋。
それはきっと、ルーカス王子ルートのサファイアの断罪イベントのスチル、美しくも儚い一枚絵、そのものだったに違いない。