氷魔法と瞳の秘密
目の前が真っ暗闇に堕ちそうになった瞬間、ふわりと私の身体が宙に浮いた。
「!?」
私は驚いて、手放そうとしていた意識を取り戻した。
「ラズ兄様! え、ちょっと!!」
気が付いた時には、いとも容易く横向きに抱きかかえられ、お姫様抱っこをされていた。
「すぐに着きますよ、お姫様」
私の意識が戻ったことに安堵したのか、ラズ兄様は悪戯な笑みを浮かべながら軽快に歩き始めた。
「みんなが見ていて、恥ずかしいですっ」
「あはは、それはサフィーが可愛いからだよ」
「もうっ、それはないですっ!!」
周りの視線を痛いほど感じた私は、真っ赤になった顔を両手で覆い隠す。
もちろんラズ兄様は私のことを下ろしてくれる気配なんてない。そのまま目的のお店に着いてしまった。
そのお店は人気のカフェということもあり、たくさんのお客様がいたけれど、落ち着いた雰囲気で、案内された席は、半個室のようになっていて、ゆっくりと会話をすることできる。
ラズ兄様は壊れ物を扱うかのように、優しくゆっくりと私をイスに座らせてくれた。
「本当に大丈夫か? これを飲んで少し落ち着きな」
「ありがとうございます」
そう言いながら、水の入ったコップを手渡してくれた。コップを受け取ると、ゆっくりと水を口に含む。
(甘い、果実水だわ)
ほんのり甘い果実水とラズ兄様のおかげで、私は落ち着きを取り戻していた。
「心配かけてごめんなさい、もう大丈夫です」
「それなら良かった」
にっこりと笑うと、ラズ兄様は徐に水の入ったコップの上に手をかざし始めた。
「よし、サフィーのために、今からこの水をもっと美味しくしてあげるからな」
「えっ?」
「3、2、1、はい」
数を数え終えた瞬間、手品のように手からポロポロっと氷が落ちてきた。
水属性魔法の上級魔法、氷魔法だ。
「すごい……」
感嘆の声が自然と溢れた。
この世界には魔法が存在する。
火属性、土属性、風属性、水属性魔法を基本とし、聖属性、光属性、雷属性、闇属性魔法があると言われている。
私もラズ兄様も水属性魔法が使える。それは、乙女ゲームの中でも同じだった。
お母様の言っていたスキルについては、私にはよく分からない。ただの勉強不足なんだろうけれど。
ラズ兄様が今見せてくれた氷魔法は、水属性魔法を応用して行うものだ。通常よりも魔力を必要とする上、さらに高い集中力、イメージ力が必要となる。大人でも難しいとされている。
だからなのか、この国では氷はなかなか手に入らない。先ほど飲んだ果実水も、実は少しだけ温かった。
驚きのあまり、ポカーンと呆気に取られてしまっていた私に、ラズ兄様が笑顔で勧めてくれる。
「サフィー、美味しいから早く飲んでみな」
促されるまま、私は冷たくなった果実水を一口飲んだ。
「冷たくて美味しい! ラズ兄様すごいです!」
「だろう。サフィーが喜ぶ顔が見れて嬉しいよ」
少し照れながら、嬉しそうに微笑んでくれた。
(何なのこの人は!! 本当にイケメンすぎるんですけど!!)
思わず、ラズ兄様に惚れ惚れとしてしまう。このままいくと、私はきっと立派な小姑になれる気がしてしまった。
「それで、あいつのことが好きなのか?」
「へっ?」
突然向けられた想定外の言葉に、思わず気の抜けた言葉を発してしまう。
(って、あれ?)
その異変は突然始まった。
ラズ兄様の紺碧色の瞳が、だんだんと赤色に変わっていくように見えて……
(目の錯覚? まるで夕焼け空に変わっていくような……)
「だから、サフィーはあいつのことが好きなのか?」
(錯覚じゃないわ。瞳の色が、今度は夕焼け色から真紅色に変わろうとしているもの。それに、ラズ兄様が持っているコップの水が、凍ってきてる!? えっ、どうして?)
「さっき、ワイアットが女の子を連れてるのを見たから気分を悪くしたんだろ? だから……」
ラズ兄様の瞳の色も、コップの水も、とっても気になった。けれど、
(……ラズ兄様がおかしな事を言い始めてるんですけど!! これだけは、絶対に有耶無耶にしてはいけないわ!!)
攻略対象者に関することは、全て破滅エンドに繋がる恐れがあるかもしれない。堪らず、私は訂正をする。
「全く違いますっ、ラズ兄様の勘違いです!! 本当に少し疲れてしまっただけです。それにワイアット様とはお会いしたこともないし、侯爵家の嫡男様で鉄面皮って噂しか知りません」
一瞬の沈黙が流れた。
「鉄面皮って、サフィーは可愛い顔して毒舌だな」
あはは、と笑うラズ兄様の苦笑いで気付く。
(そういえば、鉄面皮は前世の乙女ゲームのファンの間で呟かれていたんだったわ。まぁ、いっか、ノープロブレム!)
気が付けば、ラズ兄様の瞳の色も、いつの間にか、いつもの紺碧色に戻っていた。
(戻ってる? こんなの乙女ゲームの設定にはなかったはずよ? 何かのフラグ? そんな設定いらないわよ!!)
ちらりとラズ兄様を横目で見る。
(なんとなく、聞き辛い……)
ラズ兄様に聞きたかったけれど、見事に聞くタイミングを失してしまった。
そして、私たちは帰路へと着くことにした。
「はい、サフィーにプレゼント」
「なんですか?」
「サフィーに似合うと思って」
帰りの馬車の中で、差し出されたものを見ると、それは、とても綺麗なグラデーションの石の飾りが付いた髪飾りだった。
「きれい……」
その色は、紺碧色から真紅色にだんだんと変わっていく夕焼け空のようなグラデーション。
まるで、先ほどのラズ兄様の瞳のようだった。
「とても可愛いです。ラズ兄様ありがとうございます!」
嬉しすぎて、さっそくその場でその髪飾りを使い髪を結った。満足そうなラズ兄様の様子に、今がチャンス! と、私は思い切って先ほどのラズ兄様の異変について尋ねてみた。
「ラズ兄様? 先ほどラズ兄様の瞳の色が変化した気がしたのですが? この石のように、青から赤に……」
「秘密、だ。そのうち気が向いたら教えてやるから、今は聞かないでくれ」
「……はい」
私の言葉を遮るように、ラズ兄様に秘密だと言われたことで、私はそれ以上は問い質せなかった。
“気が向いたら”ってセリフは、絶対に言う気のない時の都合の良い断り文句だと思う。
(もぅ、お母様といいラズ兄様といい、みんな秘密が多すぎよ!!)
思わず叫びたくなってしまった。