期限付きの恋
「はあ、もう……」
私は今、盛大に溜息をついた。夕食も食べ終え、後は寝るだけの状態でベッドの上に寝転がり、今日の出来事を思い返していたからだ。
「どうして私、あの時ジェイドの手を握っちゃったの!? 無意識でそんなことあり得る?」
思い出しただけで、顔から火が出そうになる。無意識だからこそ、それが私の本当の気持ちなのかもしれない。そんなこと、もう自覚しているから余計に恥ずかしくなる。
ジェイドはラズ兄様に連れてかれ、現在まで姿を見ていない。夕食の時にもラズ兄様は顔を出さなかった。
少し前の私なら、ラズ兄様が怒っているのを見て「ふふ、ラズ兄様ったら、ジェイドを取られて嫉妬しているのね」とか思ったはず。
今思えば、どうしてそんな考えに行き着いたのか、恥ずかしすぎて、穴があったら入りたい……
今では、そんなバカなことは微塵も思わない。だって……
「やっぱり、私はジェイドのこと……」
ーーーーカツン
私の部屋の窓に、“何か”が当たる音がした。私の部屋は二階なのに……
「え? おばけ?」
私は青褪め、もふもふに顔を埋めた。
『大丈夫だよ、サフィー。外を覗いてみなよ』
「うん、分かった」
窓を開けて、おそるおそる下を覗いた。
「え!? ジェイド? どうしたの?」
窓の下にいたのは、ジェイドだった。
(どうして、こんな時間にここにいるの?)
さっきまで、ベッドの上でジェイドのことを考えていたせいか、目の前にジェイドがいることが夢なんじゃないのか、と思ってしまう。
「サフィーお嬢様、今、少しだけお時間いただけますか?」
「うん、ちょっと待って、すぐに下に行くわね」
そう言うと、くるりとドアの方に反転しようとした。
「あ! サフィーお嬢様、そこから飛び下りてください」
「え!?」
「大丈夫ですよ。また、私が必ず受け止めますから」
ジェイドからの思いもよらぬ提案に、私が驚き戸惑う声を上げたからか、ジェイドは笑いながら約束してくれた。
「いいの?」と聞きながらも、私の足はすでに窓枠の上に掛かっている。今すぐにでも飛び下りる気満々だ。
ジャンプして飛び下りると、ふわりとジェイドの風魔法が優しく私を包み込み、ゆっくりとジェイドの腕の中へと運んでくれた。
ジェイドの風魔法のおかげで、私は空を飛んでいるような気持ちになった。本当にわくわくして楽しい。一度味わったらやめられない。
でも、どうしてなのか、ふわりと風に包まれると、やっぱりどこか懐かしく感じて、心の中にまであたたかい風が吹く。
「サフィーお嬢様、このまま庭園を散歩しませんか?」
「もちろんいいけど、誰かに見られちゃうわよ?」
「見られても構いません。さあ、行きますよ」
ジェイドにお姫様抱っこをされながら、庭園へと向かった。
今日は月明かりがとても綺麗で、灯りがなくても庭園の花が綺麗に咲いているのが、遠くからでも良く見えた。その月明かりに照らされた花々が風に揺れるたびにキラキラと優しい光を放つ。
夜に外に出ることのない私にとって、それはとても幻想的で、まるで別の世界にいるような気がした。
(もしかしたら、本当に夢の中にいるのかも……)
イマが幸せすぎて、そう思わずにはいられなかった。
そっと地面に立たせてくれると、ジェイドは自分が着ていた上着を、ふわりと優しく私の肩にかけてくれた。冬に少しずつ近付いているせいか、夜になると少しだけ肌寒い。
上着にすっぽりと包まれたおかげなのか、ジェイドの温もりが残っているからなのか、寒さなんて全く感じないほど、とても暖かく感じた。
「サフィーお嬢様、お身体は大丈夫ですか?」
「うん! いっぱい休んだもの。それにノルンちゃんの聖女の力はやっぱりすごいわね。全く痛いところも苦しいところもないわ」
「本当に良かったです。あの時は、生きた心地がしませんでした」
「心配させちゃってごめんね」
「大丈夫です。そのかわり……」
優しく私の手を取り、そして強く握りしめた。
「もう絶対に、離しませんからね」
私の胸は、とくん、と高鳴り、繋がれた手から全身に向かって、一気に熱が広がっていった。
「あ、あのさ、ジェイド、さっき……」
「さっき、俺からサフィーお嬢様の手を取ったんです。サフィーお嬢様と手を繋ぎたいと思ったんです。サフィーお嬢様、俺……」
「ちょっと待って、やっぱりだめっ!!」
私には、ジェイドが言おうとしていることが分かってしまった。その言葉を聞いた瞬間、私はきっと我儘になってしまう。
だからこそ、その続きを言わせることができなかった。
「どうしてですか?」
ジェイドは繋いだ手を離さないまま、私と向かい合わせに立った。真剣な面持ちのジェイドを見上げながら、私は何とか言葉を発しようとする。
私の世界が滲みはじめたけれど、私はきちんと伝えなければならないから。
「だって、私は断罪されるのよ? 死んじゃうのよ?」
「絶対に死にません。絶対に俺が守ってみせます」
「でも、ゲームの強制力は絶対よ?」
「……そう仰られるだろうことは想定内です。では、こうしませんか? 卒業式の日まで。俺がジェイドでいるのも卒業式の日までの約束ですから、そのジェイドの間だけでも、サフィーお嬢様も俺の気持ちを受け入れてください」
「そんなの、私に都合の良い我儘じゃない」
きっと、その我儘が終わりを告げる時、私はジェイドのことを思いっきり傷つけてしまう。
「我儘ではないけれど、我儘でいいんです。それに、俺はサフィーお嬢様の我儘をたくさん聞きたいんです。もし、俺のことを思って我儘を言えないのであれば、言ってくれない方が、きっと俺が後悔します。きっといっぱい後悔して傷付いて、サフィーお嬢様のことを恨んでしまいます。そんなのは嫌でしょ?」
「ジェイド……」
私の瞳から、次から次へと涙が零れはじめた。
(そんなこと言われたら、私……)
「サフィーお嬢様、俺はあなたのことが好きです。愛しています」
「……ジェイド、私もジェイドが、好き……」
その言葉を口にした瞬間、涙で何も見えないはずなのに、ジェイドが優しく笑ってくれている気がした。
もちろん私の涙は、ジェイドがその指で優しく拭ってくれる。目の前には、私の知る中で一番と言っていいほど、嬉しそうに笑うジェイドがいた。
そして、そのまま、大きな腕で抱きしめられた。
力強いけれど優しくて、大切なものを扱うように私のことを包んでくれている。
「俺、今、すっごく幸せだ!!」
いきなりジェイドが叫んだから、私は思わず、ふふっと笑ってしまった。
「私の方が幸せよ?」
ジェイドの顔を見るために、少しだけ見上げると、本当にすぐ近くにジェイドの顔があった。ジェイドも私が見ていることにすぐに気付き、私を見つめ返してくれる。
翡翠色の澄んだ瞳には、しっかりと私が映し出されている。
(夢かもしれない、夢でもいい、このまま時間が止まってしまえばいいのに……)
こんなことを私が願うのは、とてもおこがましいことだと思う。けれど、
(この恋が、終わりを告げてしまう時、願わくば、この恋がジェイドの未来への糧となり、良き思い出となりますように……)
月明かりの下、ジェイドの腕の中で、私の初めての恋、終わりの見えている恋が始まった。