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【SIDE】 ミリー:家族

子供を虐待する描写があります。苦手な方は避けてください。

「おかあさん、まだかなぁ?」


 母に「迎えに行くからここで遊んでいてね」と言われて、大きな森の中に連れてこられた。


 大きくて、暗くて、そして恐い……


 風に揺られた木の、ざわざわ、という音が、恐ろしい魔物が出てくるんじゃないかと思わせて、その度に私は震えていた。


 遊んでいてね、と言われたけれど、ここから動いたら、きっと迷子になってしまう。だから、ずっと同じ場所で、ひたすら母を待っていた。


 今思うと、とても運が良かったと思う。だって、魔物に襲われることがなかったのだから。


 いつの間にか私は眠っていて、いつの間にか朝になっていた。


 だから、気付いてしまった。私は捨てられたんだって。



 私は母との二人暮らしだった。物心ついた頃には、母はほとんど家にいなかった。


 6歳になった今、帰ってきたかと思えば知らない男の人と一緒で、声をかけると、汚い臭いと罵られ、蹴られて殴られる。


 それでも、たった一人の家族だったから、いつも母の帰りを待っていた。


 けれど、もう母は帰ってこない。だから自分で歩くことにした。ずっとこの場所で待っていても、誰も迎えに来てはくれないから。


 行く当てもなかったけれど、ただひたすら歩いた……


 でも、お腹が空いて、足も痛くなってきて、そして、とうとう涙が零れた。


「私、死んじゃうんだね……」


 そう思った瞬間から、もう涙が止まらなかった。


「帰りたい、帰りたい、帰りたい……」


 帰る場所がないことくらい分かりきっているのに、そんな言葉が涙と共に溢れ出して止まらなかった。そんな時、突然声が聞こえてきた。


「どうしたの? 迷子?」


 突然現れたその人は、とても格好良くて、とても優しい雰囲気を纏う人だった。


 こんな時なのに、思わず私は笑顔になった。こんな時だからこそ、嬉しかった。


 だって、王子様が助けに来てくれたんだって思ってしまったから。もう暗い森に一人じゃないって思えたから。


 でもすぐに、私はお姫様なんかじゃないことを思い出す。


 ぼろぼろの服を着て、全身汚れていて、髪もボサボサで、きっと私が少しでも近付いたら、汚いって怒鳴られて、殴られる。


 何も言えずに黙って俯いていると「飲めるかい?」と、そっとお水を渡してくれた。


 私はこくりと頷いて、お水を受け取り一気に飲み干す。その姿を見たその人ーーお兄さんは、優しく微笑みながら、今度は甘いお菓子を口の中に入れてくれた。


「美味しい……甘くて美味しい!」


 突然のことに驚いたけど、忽ち笑顔になった。


 初めて食べたお菓子がとても甘くて美味しかったからなのか、私を見るお兄さんの笑顔が嬉しかったからなのか。


 口の中に広がる甘さが私の心まで広がって、優しくされることに慣れていない私は、その優しい甘さに、また泣いてしまった。


 私が食べ終わるのを見届けると、今度は私の前に背中を向けて屈み始めた。


「?」

「さあ、早く」

「……」

「おんぶするから、背中に乗って?」

「え? 私、汚いから、お兄さんが汚れちゃうよ。やめた方がいいよ」

「大丈夫だよ。君は少しも汚くなんてないよ? でもそうだなぁ? 泣いていたら背中が濡れちゃうから、笑ってくれると嬉しいな。さあ、一緒に帰ろう」

「……私には帰る場所がない、家族はもういないの」


 本当は捨てられたんだけど、捨てられたとは言えなかった。


 その言葉を口にした瞬間、お兄さんにまで、見捨てられてしまうかもしれない、と思ってしまったから……


「そうなんだ……じゃあ、俺と一緒だね。俺も血の繋がった家族はもういないんだ。でも、もう一つの家族がいる。しかもたくさん! 君にも俺の家族に会わせてあげる。だから笑って、俺の背中に乗って」

「……本当?」

「ああ、本当だ。心配なら約束をしよう」


 お兄さんは小指をそっと出して、笑ってくれた。その小指に自分の小指を絡めて、私は生まれて初めての約束を交わした。


 それから、大きな背中に乗って、森の中をひょいひょいと進んでいった。あんなに暗くて恐いと思っていた森の中が、いつの間にか恐くなくなっていた。


 いつの間にか、温かい背中の上で眠っちゃったら、いつの間にか、大きなお家に着いていた。


 目を覚ました私の下には石畳があった。不思議な綺麗な模様が描かれていた石畳。今でもよく覚えている。


 きょろきょろと周りを見回しても、全く知らない場所だった。そして、お兄さんの姿もなかった。


(また、捨てられた?)


 でも、そうじゃないってすぐに分かった。大人の女の人が、優しい笑顔で私に近付いて来てくれた。


「ここは、どこ?」

「ここは孤児院よ。これから、私たちがあなたの家族になるわ」


 女の人がそう言いながら、私を抱きしめてくれた。


(きっと、お兄さんの家族だ)


 それから、体の汚れを落としたり、着替えをさせてくれたり、ご飯を食べさせてくれたりした。

 そして、落ち着いた頃に、女の人は私に告げた。


「ここで一緒に暮らしましょう。これからは私たちがあなたの家族になるわ。もしあなたが嫌じゃなかったら、だけど」


 私は慌てて首を振った。


「嫌じゃないですっ」


 私の言葉に、その女の人ーーテレーサ先生は優しく微笑んでくれた。


 この日から、私に新しい家族ができた。それも、たくさんの家族が。

 

 テレーサ先生に何があったのかを聞かれた時に、ありのままを話した。


 新しい兄弟はみんな笑うだけで信じてはくれなかった。けれど、テレーサ先生だけは、やっぱり優しく微笑んでくれた。


 それから時々、私と同じように、ある日突然、綺麗な模様の石畳の上に子供が寝ていることがあった。


 みんな揃って口にする言葉は「誰かに連れてきてもらった」と言う言葉。そしてみんな揃って「顔を覚えていない」と言う。


(どうして? 私はお兄さんの顔をはっきりと覚えているよ? とても格好良かったし、あの優しい笑顔は絶対に忘れない)


 その綺麗な模様の石畳の上には、食べ物が置いてあったり、お金が置いてあったり、私たちに必要な、いろんなものが置かれていた。


 私はすぐに、お兄さんだと分かった。



 ある日、渡したくても渡せない手紙を書いている時に、とても綺麗な女の人が私に尋ねてきた。


「その人のこと、まだ覚えてる? 会いたい?」

「うん! よく覚えているよ。とても格好良くて優しい顔で笑ってくれるの。会って、約束を守ってくれてありがとうって言いたいの。私のことをお兄ちゃんの家族にしてくれてありがとうって。お兄ちゃんのおかげだよって」

「そう、叶うといいわね。きっと彼も喜んでくれるわ」


 その女の人ーースーフェ様は、決して私を馬鹿にすることなく応援してくれた。

 その時に、少しだけ悲しそうな笑顔を浮かべていたことに、私は気付けなかった。



 私が16歳になった頃、そろそろ孤児院とお別れをしなければならなくなった。

 そんな時、スーフェ様が私に「オルティス侯爵家のメイドとして働かないか?」と誘ってくれた。


「教養も作法も、私には何もありません。侯爵家のメイドなど務まるわけがありません」


 私は当たり前のことを、ありのまま話した。もちろん、就職先が見つかること、しかも、みんなに羨ましがられるような侯爵家のメイドをやりたくないわけがない。


 でも、できるって嘘をついて、迷惑を掛けたくなかったから。


「ミリー、私はね、ありのままのミリーを必要としているの」

「ありのままの私を、ですか? でもどうして?」

「一つは、私の娘のため。もう一つは、ミリーの大切なお兄さんが、もしも傷付いてしまった時に会わせてあげたいの。そして会った時に、ミリーのありのままの気持ちを伝えてあげて欲しいから。ただ、お兄さんにお礼を言うタイミングは私に許可を得て欲しい。勝手なことを言ってごめんなさいね」


 私のことを馬鹿にせずに信じてくれたスーフェ様の言葉を信じて、孤児で教養も特技もないのに、オルティス侯爵家のメイドになった。


 メイドになってすぐの頃は、まずは基本的な教養と作法を身につけた。


 そして、大体のことを学び終え、メイドとしても慣れてきた頃、スーフェ様に呼ばれた。


「サフィーの専属メイドになって欲しいの」

「はい、分かりました!」


……とは、即答したものの、正直不安だった。

 だって、その頃のサフィーお嬢様は……だったから。

 でも、孤児院育ちの私は意外と平気だった。


 一つ目のスーフェ様のお願いは順調に叶えられていると思っていると、もう一つのお願いを思い出す。


(お兄さん、今頃、何をしているのかな?)


 それを知ることができる日は、突然やってきた。


 サフィーお嬢様の学園のお手伝いで「孤児院の子供たちがバーベキューをしている場所に焼肉のタレを持ってきて」と頼まれた時のこと。


 バーベキューのお手伝いは、私が孤児院にいた頃にはなかったこと。だからこそ、少しでも孤児院の子供たちが生活できるようにと、機会を与えてくれるなんて、とても優しい先生なんだな、と思っていた。

 そしたら……


(あの時の、お兄さんだ……)


 一目見て分かった。サフィーお嬢様の学園の先生が、あの時、私を助けてくれたお兄さんだということに。


 絶対に間違いない、私が間違えるわけがない。昔も、今も、とても格好良かった。


 想像していた以上に格好良かったから、サフィーお嬢様が好きになってしまうんじゃないかって、少しだけ心配になってしまったほど。


 でも、その時はお礼を言わなかった。喉の直ぐそこまで「ありがとう」って言葉が出掛かったけれど、必死で堪えた。


 スーフェ様が許可を出すまでは決して名乗り出ない、と私もスーフェ様と約束をしていたから。


 私は屋敷に帰るとすぐに、スーフェ様にお話をした。


「お兄さんを見つけました。サフィーお嬢様の学園の先生に間違いありません」

「ミリー、我慢してくれてありがとう。でも、もう少しだけ待っててね。もう少しだけ……」


 そして、私は簡単にだけれど、イーサン先生(お兄さん)」についてのお話を聞いた。




******




「来てくれたのね、ミリー。今まで待たせてしまってごめんなさいね」


 サロンの入り口に佇む私をスーフェ様は中まで入ってくるように手招きしてくれた。

 私は、イーサン先生(お兄さん)の前に立ち、一生懸命言葉を紡いだ。


「あ、あの、あなたは覚えていないかもしれないのですが、森に捨てられて迷子になっていた時に、私のことを助けてくれてありがとうございました」


 イーサン先生(お兄さん)に向かって勢いよく頭を下げた。


 ずっと、会ってお礼が言いたかった。その願いを、やっと叶えることができた。


「私のことを覚えている、ということは……」


 イーサン先生(お兄さん)は驚き、目を見開いた。


 迷子の子供たちを助ける時に、イーサン先生(お兄さん)が幻影術という認識阻害の魔術を使っていたということは、スーフェ様に事前に聞いていた。それは私を除いて、だということも。


「はい、いっぱい勇気付けてくれて、甘くて美味しいお菓子もくれて、おんぶもしてくれました。私はいつの間にかあたたかい背中の上で寝ちゃってて、起きたら孤児院のあの綺麗な模様の石畳の上にいました。家族に捨てられた私に、その日から新しい家族ができました。私はお兄さんに会ってからずっと幸せでした。ずっとお兄さんが孤児院に寄付をしてくれていたことも知っています。ずっとお礼が言いたかった。私はお兄さんに救われました。約束を守ってくれて、ありがとうございます」


 私は深く深く頭を下げた。


「君は私が怖くないの? 魔術師だし、君のご主人様を傷付けた……殺そうとしたんだよ?」

「サフィーお嬢様のことは絶対に許せません。だから今度は私がお兄さんが間違っていることをしていたら、身体を張ってでも止めます。悪いことをしそうになったら、いっぱい叱ってあげます。それに、サフィーお嬢様が良いと言えば良いのです。私は細かいことは気にしません。だって、水に流すのが得意ですから!」


 ありのままの自分を見せた。飾ることもせず、まるで久しぶりにあった家族のように、ごく自然体のありのままの姿をイーサン先生(お兄さん)に見せた。


「はは、君たちは本当に優しいんだな。そっか、君があの時の女の子か……大きくなったね」

「はい。もう私も孤児院ではお姉ちゃんですから! いっぱい家族がいるんですよ。とても賑やかです」

「ああ、バーベキューの時に、毎年みんなの成長を見ていたから分かる。とても仲が良くて、楽しそうだった」

「はい! 自慢の家族です。これも全て格好良くて優しいお兄さんのおかげなんです! でも、そのお兄さんはなかなか帰ってきてくれないんです。みんなでお兄さんが帰ってくるのを、今か今かと待っているのに。孤児院も新しくなったんですよ? って、お兄さんが建ててくれたんですよね。でも私、新しくなってから二つだけ不満があるんですよ」

「え?」


 イーサン先生(お兄さん)は少しだけ驚いていた。けれど、私は言葉を続けた。


「一つは、大切な家族であるお兄さんが帰ってこなくて家族が揃わないことです。もう一つは、綺麗な模様が描かれた石畳がないことです。私の思い出の場所。古い孤児院ではいつの間にか壊されていて……だから早くお兄さんに帰ってきてもらって、描いてもらわなきゃ! 描いてくれますよね?」

「魔術陣を?」

「はい。あの模様が私たちの希望でした。命を救ってくれた大切な模様。辛い時はあの石畳の上に行って思いっきり泣いて、嬉しい時もあそこで思いっきり飛び跳ねて喜んだ、とても大切な場所なんです」

「魔術が、希望……そうか、ありがとう。描きに行くよ、心を込めて魔術陣を……」

「はい、約束ですよ!」


 私はにこりと微笑んで、小指を差し出した。その小指にイーサン先生(お兄さん)も自分の小指を絡め、新しい約束を交わした。





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