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黒魔術の生贄 後編

 私のお腹は今、真っ赤に染まっている。でも、怪我なんて一切していない。

 だって、お母様にほんの些細な怪我も負ってはいけないと言われたから。


 そして何と言っても、私のお腹にはお母様特製の防具が仕込んであるのだから。


 超薄型、超軽量、衝撃吸収機能付き、まるでシルクの肌着のような滑らかな着心地。


 これが防具だなんて「絶対に嘘だ!」と言いたいけれど、私の自慢の凶器の氷で思いっきりぶっ刺しても、全く痛くなかった。


 しかも、この防具には一見して分からないけれど、お母様のお守りの石が隠されている、らしい。

 万が一、私が血の一滴でも流すようなことがあれば、お母様に伝わるように、と。


 おそらく身代わりの石の類なんだろう。私が怪我をしたら、お母様も怪我してしまうのかもしれない。だから、絶対に怪我をすることなんてできない。


 そして、防具の表面には、お母様の血の入った特製トマトジュースが仕込まれていた。


「数滴でいいのなら、私の血だけで十分よ」


 その言葉に甘えたはいいけれど、正直言って後悔している。


 血が流れ出て発動した魔術陣の光は、肝試しの時とは桁違いに凄まじいものだったから。


「一体、どれだけの魔物たちが、王都に向かっているのかしら? 本当に魔王が降臨、いや、魔王以上の存在が降臨しちゃったりして」


 想像しただけで背筋が凍る。


 そして私は、自身の下にある魔術陣を新しい氷を出し、めっためたに壊し始めた。


「アルカ先生は、魔術陣を壊せば魔物たちは目標物を失って、そのうち正気に戻るだろうって言っていたのよね? 本当に大丈夫かしら? こればっかりは信じるしかないわね」


 ちなみにアンデッドに関しては、魔術陣を壊しても、消えないのだという。


「誰がアンデッドと戦ってくれるのかしら? 怪我には気を付けて頑張って欲しいわ」


 魔術陣を壊し終えると、部屋から出る方法を模索した。出入口のドアは見当たらない。唯一、外に繋がる窓に手をやると、窓は全く微動だにしなかった。


「もしかして結界が張られてるのかしら? 本格的にまずいかも……」


 実は、さっきからずっと頭がクラクラしている。きっとこれが、イーサン先生の言っていた幻覚作用の薬草の効果だろう。


 甘い香りがとてもいい香りで、本当にこのまま眠ってしまいたくなる。


「私、死んでしまうの?」


 マジDEATHの悪役令嬢はここで死ぬ運命だ。


「私はマジ恋の悪役令嬢なのに。予定よりも、早すぎよ。まだ最期にきちんとお別れができてないのに……」


 私の頬に涙が伝った。


「会いたい、会いたいよ……」


 ジェイドに会いたい、私の涙を拭ってくれる人が隣にいない。そう思ってしまったら、より一層私の涙は止まらなくなった。


「……フィ……さま……」


 朦朧とする意識の中、私の耳に微かに声届く。


「サフィ……お……さま……」


(この声は、ジェイドの声だ)


 聞き間違えるわけがない。何年も、毎日のように隣で聞いてきた声。私の大好きな声。


(ふふ、とうとう幻聴まで聞こえるようになったみたいね。きっと、最期に会いたかったって思ったからかしら?)


「ジェイド……」


 小さく呟かれた私の声に応えるかのように、私の胸元で、私のことをいつも守ってくれているネックレスが、少しだけ光った気がした。


 ペレス村の教会で、ジェイドに貰ったネックレスに付いているお守りの石が、私に教えてくれる。


 隣にジェイドがいなくても、ジェイドが私を守ってくれている、と。


 私はネックレスに付いているお守りの石を、強く握りしめた。


「ジェイド、助けて!!」


 その言葉を発した瞬間、私は青白い光に包まれ、その輝きは隠し部屋全体に瞬く間に広がった。



ーーーーパッリーンッ



 隠し部屋に張られていた結界が解かれたのが分かった。ジェイドに貰ったネックレスに付いているお守りの石の力だとすぐに気付いた。お守りの石にヒビが入っていたから。


「サフィーお嬢様っ!」


 その瞬間、窓の外から私を呼ぶジェイドの声が、はっきりと聞こえてきた。


 最後の力を振り絞り窓に手を掛けた。さっきまで微動だにしなかった窓が、勢いよく開いた。


「ジェイド!!」


 下には必ずジェイドがいてくれると信じて疑わなかった私は、窓から身を乗り出して大声で叫んだ。


「サフィーお嬢様! 大丈夫ですか?」


 酷く焦った様子で私を呼ぶ声に、胸が苦しくなった。目が霞んで、ジェイドの表情が見えていなくても、私を心配してくれていることが分かったから。


「うん……」


 うん、とは言ったものの、立っているのも限界だった。


「そこから飛び下りてください」

「えっ!?」


 ジェイドの言葉に、さすがの私も耳を疑った。


 確かに、二階からなら飛び下りた経験がある。けれど、さすがに三階からとなると、どんなに私の悪運が強くても無理だと思った。

 

 私はもう一度、窓から身を乗り出して下を見た。ぐらり、と目の前に広がる世界が歪む。


(私の意識が、もう限界だわ……)


「サフィーお嬢様! 思いっきり空を飛んでみて下さい。約束したでしょ? 今度は必ず俺が受け止めるって」


 その言葉は、私とジェイドが初めて会った時に、笑いながら交わした取り留めのない会話の中の約束。


(そんな些細なことも、ジェイドは覚えていてくれたのね)


 その事実が、涙が零れてしまうほど嬉しかった。


「うん。必ずよ!」


 私は大きく頷いた。私がジェイドを信じないわけがない。ジェイドの言葉に、ほんの少しの躊躇いもなく、窓から一気に飛び下りた。


 私の身体はふわりと宙に浮き、重力に逆らいながら、ゆっくりと落ちていく。


 こんな状況にも関わらず、楽しくて、嬉しくて、そして、懐かしい気持ちになった。


 ジェイドの腕の中に優しく包み込まれ、満面の笑みを浮かべた私は、自然と言葉が溢れていた。


「私、空を、飛べた、ね……」


 目の前が一気に暗転し、ジェイドの腕の中で、私の意識はぷつりと途絶えた。





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