黒魔術の生贄 前編
「……もう行った、わね?」
イーサン先生が隠し部屋を出て行ったのを見計らい、私はむくっと起き上がった。
私は死んだ、フリをしていた。凶器の氷でお腹を刺した、フリをした。
全ては、事前に立てた綿密な計画通り……
******
時は遡り、歓迎会という名のお食事会が開催される少し前。
「お母様、ボルシチューの作り方を教えて頂きたいのですが?」
せっかくの機会なので、知らない料理も作れるようになりたいと思った私は、再度お母様を尋ねた。
それに、何のためにボルシチューを作るのかということを考えた時に、私が自分で作らなければ意味がないと思ったから。
「あら? 作ってもらうから大丈夫よ?」
「いえ、イーサン先生へのお礼なので、感謝の気持ちを込めながら、自分で作った方がいいと思ったんです」
「そう? じゃあ、一緒に作る? サフィーちゃんにも知っておいて欲しいことがあるから、ちょうどいいわね」
(ボルシチューの関係で知っておいて欲しいこと? それって、お母様とイーサン先生の馴れ初め的な話? 気になるけれど、娘としては聞きたくない、でもやっぱり気になる……)
ということで、後日、ボルシチューを作ることができる方を別邸に呼んで、一緒に作ることになった。
そして、ボルシチューの試作の日。
「こんにちは、カーヌム先生、アルカ先生。お久しぶりです」
家庭教師のカーヌム先生とアルカ先生が別邸にやってきた。二人は魔物学の先生で、お父様の従魔ちゃんたちのお世話もしてくれている。
(でも、どうして? アルカ先生が薬草に詳しいから?)
「こんにちは、サフィーお嬢様、少し見ない間にさらに美しくなられましたね」
「本当ですか! お世辞でも嬉しいです! でも、どうしてカーヌム先生とアルカ先生が?」
「ボルシチューは私たちの故郷の伝統料理なんです」
「そうなんですか! イーサン先生と同じなんですね」
でも、イーサン先生の故郷って、乙女ゲームの設定だと壊滅してるはずだ。それに、よく考えてみると、何かと共通点が多い気がする。
カーヌム先生とアルカ先生は魔物学の先生で、薬草にも詳しくて、なぜか魔術にも詳しい。
そして、イーサン先生も魔物学の先生で、薬草にも詳しくて、乙女ゲームの中では魔術師の末裔だ。
(あれ? そう思ってきたら、なんとなく顔も似ている気がしてきたわ。もしかして……)
「カーヌム先生とアルカ先生のお名前って?」
カーヌム先生とアルカ先生は、クスクスと笑いながら、私に自己紹介をしてくれた。
「カーヌム・シュタイナーです」
「アルカ・シュタイナーです」
にこりと笑いながら自身の名前を教えてくれた先生を前に、私は驚きを隠せなかった。
「えっ! もしかして、イーサン先生のお父様とお母様?」
(どうして、イーサン先生のご両親が生きているの? とても嬉しいことだけれど。今まであれだけアルカ先生と魔術師についてのお話をしていたのに! 魔術に詳しくて当たり前じゃない!!)
私の困惑をよそに、お母様が笑いながらとどめを刺してきた。
「サフィーちゃん、もしかして今頃気が付いたの?」
「気付くわけないじゃないですか! どうして、イーサン先生に名乗りでないんですか? きっと喜ばれますよ?」
私の言葉に、三人は少しだけ戸惑いを見せた。そして、お母様は教えてくれた。
「私のせいで名乗り出られなくなっちゃったのよ」
「スーフェ様のせいではありません。私たちの意思です。私たちは魔術師として国に届け出ているので、その私たちの息子だと分かってしまったら、きっとイーサンは、今ある生活が一変してしまう。私たちがイーサンを見つけた時は、立派に学園の特待生として通っていたので、その生活を壊したくないから内緒でいようと決めたんです。ですが……」
アルカ先生が言葉を詰まらせてしまい、アルカ先生に代わり、お母様がとても言い辛そうに話を続けてくれた。
「ただね、イーサン先生の様子が、ある時から一変してね。魔物を集めたり、幻影術を使ってまで人を雇ってベロニカのことを襲わせたり、そして、宿泊学校の件も」
宿泊学校で起こったことも、お母様は知っていた。
(ラズ兄様から話が言ったのかしら? それともジェイド?)
「あれは、やっぱりイーサン先生がアンデッドを召喚したんですね?」
「そう。それにきっと、イーサン先生はサフィーちゃんのことを狙っているわ」
「狙う?」
(まさか!? お母様はイーサン先生ルートのことを言っているの!? いや、さすがにお母様が乙女ゲームのことを知るはずないわ)
「生贄としてよ! 禁忌の黒魔術を使う予定なのよ。魔物を使って王都を襲わせるのね。宿泊合宿の件はたぶん、そのための練習よ」
「王都を襲うなんて、何のために?」
「復讐よ。イーサン先生は私たち、私とベロニカとケールが魔術師の一族を襲ったと思っているわ」
「どうしてですか? いくらお母様の魔法が凄くても、襲うなんてそんな野蛮なことできるはずがないのに。戦うことさえできそうにもないじゃないですか!」
「「「……」」」
私の言葉に、なぜか三人は苦笑いをしながら黙ってしまった。
「お母様たちが誰か人を雇って襲ったと思っているってことですか?」
「ま、まあ、どういう勘違いをしたのかはわからないけれど、きっとそういうことなのよ」
(ちょっと待って、生贄、禁忌の黒魔術、復讐、勘違いって、マジDEATHの方のイーサン少年ルートと同じなんじゃないの?)
私の頭の中では、ノルンちゃんに聞いた、マジ恋の前身の乙女ゲーム、マジDEATHのイーサン少年ルートが思い浮かんできた。
「それって、もし、私が生贄にならなかったらどうなるんですか?」
「イーサン先生が自分の身を差し出すか、計画を諦めるか。おそらく前者だと思うわ。彼の意志は固そうだから」
「イーサン先生が死んじゃうってことですか?」
私が今にも泣き出しそうな顔をしていたのだろう。フォローするかのように、アルカ先生たちの意向を話してくれた。
「でも、その前に私たちがイーサンに名乗り出ようと思っているんです。そうすれば、イーサンの生活は変わるけど、このような愚かなことはやめるだろうから。それには、今度の食事会の日が丁度いいだろうと話していたんです」
確かに、一族を壊滅させた復讐だとしたら、両親が名乗り出て、事情を話せばやめるかもしれない。
(でもそれだと……)
「お母様、私がイーサン先生を説得してみてもいいですか?」
「危ないからダメよ。もし生贄になったら死ぬかもしれないのよ?」
「死んだフリ、でもダメですか?」
死んだフリという私の突然の提案に、お母様は首を傾げた。
「どういうこと?」
「生贄というか、魔術を発動させるのに必要なのは血ですよね?」
肝試しの時に、私の血の一滴でも魔術が発動した。
「その魔術でやろうとしていることにもよるけれど、おそらく、イーサン先生は今まで集めた魔物たちの封印を解いて、王都に呼び寄せて襲わせることと、アンデッドの召喚だと思うのよね。アルカ先生、それだとどれくらいの血が必要ですか?」
「それだと、普通の人で、命を捧げるほどの大量の血が必要です。魔力が高い者の血だと、それなりの血が必要だと思います」
魔術の発動要件には、血の中に含まれる魔力の量も関係するということみたい。
「アルカ先生、私だとどれくらいの血が必要ですか?」
私の魔力はさほど多くはないと思うけど、一応氷魔法が使える。きっと、平均よりは上だと予想した。
「サフィーお嬢様だと、少なめでも大丈夫かもしれませんね。それでも一滴や二滴ではなく、お腹を刺して流れ出る血ぐらいは必要になるかもしれません」
(お腹を刺して流れ出る血の量っていうと、死んだフリじゃ済まないかもしれないわ?)
「私だと?」
なぜかお母様まで聞き始めた。とっても気になるけれど、答えを聞くのも恐ろしい気がする。
「スーフェ様だと、ほんの数滴で大丈夫だと思われます。それ以上捧げてしまうと、逆に何が出てくるかわかりません。きっと世界が滅亡します」
「あら、そうなの?」
ふふふ、と笑うお母様を私は化け物を見るような目で見てしまう。
(うわっ、お母様の魔力ってどんだけなのよ? 何が出てくるかわからない? 魑魅魍魎が出てきて、世界が滅亡? 若しくは、魔王降臨?)
「もし、イーサン先生を説得できなかったら、私が自分で自害します。もちろんフリですよ。お腹を刺して、そこから仕込んでおいた血を流します。トマトジュースか何かに血をそれなりに混ぜればいいと思うんですよ。私だけの血じゃ足りないだろうから、みんなに少しずつ協力してもらうことになってしまいますが」
「でも、うまくいかなかったら危ないもの。そんなことサフィーちゃんにやらせられないわ」
「お母様、私、イーサン先生を救いたいんです。私が本当に悩んでいた時に、救ってくれたのはイーサン先生の言葉でした。でもきっとあれは自分のことだったんですね。もっと早く気が付けば良かったんです」
(秘密を言えないで悩んでいたのは、イーサン先生自身のことだったのね)
今さらながら、私はそれに気付く。
「あ、でも、魔物がもし王都に押し寄せちゃったら、それはそれで大変ですよね。しかもアンデッドまで。ジェイドに頼むしかないのかしら?」
「それは大丈夫よ。魔物の方は全く問題ないの。なんとかできる方法があるから」
さらりと放たれたお母様の言葉に、私は唖然とした。
(普通、大量の魔物をどうにかできるって簡単に言える? もしかして、いや、まさかね……)
頭の中を過るのは、ラズ兄様の「魔王以上」と言う言葉。きっとその言葉は冗談でも嘘でもないのだろう。
「それなら、何にも問題はないですね!」
「でも、やっぱりサフィーちゃんにそんなことはさせられないわ」
「はい、私たちが名乗り出ればいいだけですよ。それで、また森の中でひっそりと暮らすことにします。私たちはそれだけでも十分に幸せなんですよ」
アルカ先生は困惑しつつも、全てを受け入れているようだった。
「もちろん、カーヌム先生とアルカ先生には名乗り出てもらいます。でも、その前にイーサン先生は誰かに打ち明けて、自分を止めてもらいたい。でも、一番は魔術をたくさんの人に認めてもらいたいんじゃないのかな? って思うんです。イーサン先生はきっと魔術を嫌っていませんから」
体育祭が楽しみだって言っていた。あれはたくさんの人の前で、魔術が使われる日だから。魔術が必要とされ、みんなが心待ちにしてくれる日だから。
「それと、もし本当に魔術陣を使って魔物を故意に集めていたというのなら、反省してもらわなきゃいけないこともあるんです。実は、私にとって、それが一番の理由なんです」
「魔境の森の魔物のことね。ジェイドたちが襲われたんだものね」
お母様の言葉に、私はふふっと笑みを浮かべてしまう。
(本当にお母様はよく分かってくれてるな)
「はい、ジェイドたちを狙ってのことではなく、偶然だと、不慮の事故だと分かってます。けれど、自分でそのつもりがなくても、そういう悲しい出来事を招いたと反省してもらいたい。もし、アルカ先生たちがただ名乗り出るだけだったら、ジェイドたちが襲われたことなんて、気付きもしないかもしれない」
私が今言おうとしていることは、とっても性格の悪いことかもしれない。けれど、私は悪役令嬢だもの。
「だから、懲らしめてあげたい! お灸を据える意味でも、私が死んだフリをして、取り返しのつかないことをした、って思ってもらわなきゃ! だから、カーヌム先生とアルカ先生には申し訳ないのですが、少しだけお付き合いをお願いできませんか?」
私の話を聞き、三人は顔を見合わせ、少しだけ困惑した後に、観念したかのように笑った。
「ふふふ、サフィーちゃんも案外いい性格してるわね」
「はい、だってお母様の娘ですから」
(それに私は悪役令嬢ですから!)
「そうね、分かったわ。そのかわり、お守りの石を渡すわね」
「もう貰っていますよ? ジェイドからも、ラズ兄様からも」
今も付けているネックレスと髪留めを見せるようにして言った。
「それとは効果は別よ。少しでも怪我をしたら私に分かるようになるからね。一滴でもサフィーちゃんが血を流したら、この計画は即刻中止にするわ」
「一滴って、厳しいですね」
「当たり前でしょ? 誰が好き好んで我が子を危険な目に晒すもんですか!」