流れ時…5プラント・ガーデン・メモリー11
その時、
「花姫!」
と遠くでミノさんではない男の声がした。
その声にヒエンがいち早く反応を見せた。
血相を変えて走ってきた男は水色の浴衣を着ており濃い緑色の髪をしていた。
髪は背中まであり、髪の先端は葉になっている。
髪というよりツルと表現した方がいいか。
そのツルのような髪をなびかせながら精悍な顔つきをしている若い男が花泉姫神を何度も呼んでいた。緑の瞳はヒエンのものそっくりだった。
「お兄様……。」
ヒエンが声を震わせてつぶやいた。
「あの神が……イソタケル神……。ヒエン、あれは本の中のイソタケル神よ。」
アヤは咄嗟にヒエンに目を向ける。
先程のアヤと同様、ヒエンも何かするかもしれないと思ったからだ。
「大丈夫ですよ。わかっていますから……。」
ヒエンは不安げな顔でこちらを見たが何もする気はなさそうだ。
これがアヤとヒエンの生きた年数の違いなのかもしれない。
ヒエンは冷静だった。アヤは頷くと広い土地へと目を向ける。
「……っ……何をしたんだ……。一体何をした!」
イソタケル神は倒れている花泉姫神を抱き起すと声を張り上げた。
「ああ……来てくれたのね……。タケル……。この土地を見て……あなたは何を思う?」
花泉姫神は泣きながらイソタケル神の腕を掴む。
「ひどいな……。僕がいない間に何があったんだ?」
「そんな顔しないで……。いつもみたいに怒りなさいよ……。」
悲痛な顔をしているイソタケル神に花泉姫神は苦しそうにつぶやいた。
「冷林は……あれは何をやっていたんだ!お前はまだ力が弱いから冷林の一部の林を守る事で実りの神として力をあげるんじゃなかったのか?」
「そうだった……。はじめはそうだったのよ……。」
ミノさんは二人の会話を静かに聞いていた。今神になったばかりのミノさんには何の話なのかはわからなかった。
「それなのになんでお前はこんなに弱りきっているんだ……。この土地も……なんでこんなに荒れている……。」
「私は所詮、神になんてなれなかったのよ……。」
花泉姫神は嗚咽を漏らしながらイソタケル神の胸に顔をうずめる。
「神になってまだ間もないのに何を言っているんだ。これからだろう?」
イソタケル神が必死に声をかけるが花泉姫神は首を横に振った。
「……。最後まで私は中途半端だった……。ごめんね……。あなたに私の後始末を押し付けて……。」
花泉姫神は瞳に涙を浮かべながらミノさんを見上げる。ミノさんは怯えた表情で花泉姫神を見おろしていた。
「どうしよう……。ちゃんと始末をしてから死にたいのに……時間は待ってくれないみたい。」
「おい!しっかりしろ!」
「タケル……。」
花泉姫神はイソタケル神の頬をしなやかな指先でそっと撫でると目を閉じ、消えていった。
「おい……なんでこんな事になったんだ!なんでだ!」
イソタケル神はいままで感じていたぬくもりを握りしめながら悲痛な声を上げた。
「……っ……。」
目の前に立っているだけのミノさんは怯えた瞳でただ地面を凝視しているイソタケル神を見つめていた。
刹那、イソタケル神が威圧のこもった瞳でミノさんを睨みつけた。
「なんでお前が花姫の神力を持っている……。花姫はなんで消えた……。あの子はまだ神になってから一年も経っていないんだぞ!」
「し、知らねぇよ!俺は今神になったんだ……。そんなの知るわけねぇだろ!」
ミノさんは動揺しながらイソタケル神に叫んだ。
「……あいつの管理が悪いからこんな事になったんだな。」
イソタケル神はそうつぶやくとミノさんの前から姿を消した。
「……なんだったんだよ。……で、俺のやる事はこの村の再生か……。ここら周辺の活性化か?」
ミノさんは腕を横に広げる。ミノさんの身体に赤いちゃんちゃんこと白い袴が巻きつく。なぜか服を着るやり方を知っていた。
「さっきまでの禍々しい気持ちはなんだったんだろうなあ……。」
今や穏やかな気持ちのミノさんはゆっくりと村へ歩きはじめた。その背中に悪意は感じられなかった。
アヤ達は一通り話を聞き終わり、ふうと息をついた。
「あの女神は誰だったのかしら……。なんだかすごく切なそうな感じだったけど。ミノがらみでなんかあったのね。」
アヤはカエルとヒエンに目を向けた。
「うーん……。なんかあの女神がやっちゃったみたいだね。」
「お兄様はもしかしたらあの女神を本で調べているのかもしれませんね……。
神にしてはやたらと寿命が短いと思います。
一年も経っていないと……。ミノさんへの力の譲渡が原因で死を早めてしまったらしいですね……。」
カエルとヒエンは複雑な表情で今や誰もいない空き地を眺めている。
「たたり神になりかけていたミノをあの女神が救った……。
そして自分はもうダメだと悟って
ミノにこの土地を守る神になってくれと願った。
というわけよね?ミノ……の原型はあの女性だったのね……。」
「そういう事になりますね……。何があったのかはよくわかりません。」
「この本はここで終わってるんじゃないのっ?過去を見たいなら別の本に入ろうよっ!」
ヒエンが首をひねっている横でカエルがしおりを取り出した。
「ちょっと、まだこの本には続きがあるんじゃない?」
アヤがそうつぶやいた刹那、目の前が急に真っ白になった。
「なっ……何なに?」
そう思うのもつかの間、白い光が裂けるように消え、気がつくと図書館の椅子に座っていた。
「あらあら?おかえりなさい。」
雨の音が外でしている。天記神が目の前に座っていた。アヤ達はいきなりの事でまだ頭が回転していなかった。
「な……え?」
三人はきょろきょろとあたりを見回す。本が高く積まれており、遠くの椅子に男版天記神が座って本を読んでいる。
「大丈夫かしら?時間にして四時間ってとこね。」
天記神がぼうっとしているアヤ達の前に緑茶を置いて行く。
「ああ、そっか。本の中にいたんだもんねぇ……。感覚ないや……。」
カエルがつぶやいたのを境になんだかどっと疲れた。
「わたくし達はしおりで戻ってきたんですか?」
「違うよっ!あたしはしおりを地面に置いてないよっ?」
「じゃあ、あれで話が終わっていたんですね?」
カエルとヒエンの話を聞きながらアヤはなんとなく緑茶に口をつけた。
緑茶の温かみが身体に入った瞬間、今がどれだけ平和なのかに気がついた。
「アヤ、大丈夫?」
「え?ええ。これはけっこうな心労ね……。」
「少し……休みましょうか。」
カエルとヒエンも緑茶に口をつける。
三人ともショックを受け、しばらく呆然としていた。
「あ、天記神さん…わたくし達が入っていた本の前の話ってありますか?」
ヒエンはとりあえず本だけでも出してもらおうと天記神を呼んだ。
「ええ。ありますが……でも、もうちょっとお休みになられてはいかが?本は逃げないわよ。」
「そ、そうですね……。」
ぼうっとしている三人を少し切なげに見た天記神はどこからか洋菓子を持って来た。お皿にクッキーを盛り三人の前に出す。
「これ、もらいものですがどうぞ。はじめての子はけっこう衝撃を受けちゃう子もいるのよね……。私が癒してあげるわよ。ね?」
天記神は微笑むと三人の側に寄り、手を握った。
男らしい大きな掌だったが別に変な気持ちにはならなかった。
この神の心が女だからかもしれない。
どちらかと言えば大らかな母親の手のようだ。
しばらく動く気もしなかった。
アヤ達は放心状態のまま、ただぼうっと座っていた。




