流れ時…5プラント・ガーデン・メモリー7
横でキツネが死んでいる。だが彼女がいる歴史書にはまるで関係のない物事だ。キツネの方へ向かうとおそらく違う歴史書に入ってしまうだろう。
「私は彼に会わなくちゃいけないんだから~。まっすぐに!牡丹並みにね~。」
草姫はきりっとした瞳を目の前にいる神に向ける。キツネを通り過ぎまっすぐに走る。
……彼に会う為に……
アヤはあまりの暑さに着ているカッパを脱いで下に着ている青いワンピース姿になった。
カッパを脱いだと同時にカッパは跡形もなく消えた。
着ている本人がいらないと感じたものはこの世界から消える仕組みになっているらしい。
「カッパが消えたわ。図書館に戻ったのかしら?」
「それはわかりませんが……ここは本ですからね……。異物は無い事になるのではないでしょうか。」
アヤがカッパを持っていた手を開いたり閉じたりしている。
急につかめなくなったので変な感覚だけが手に残っていた。
番傘をやめてカッパに着替えていたヒエンもカッパを脱いだ。
やはりカッパは消えてしまった。
「やっぱりそういう事なのね……。」
アヤは納得すると歩き出した。
しばらく歩いていたので先程の場所からはだいぶん遠のいた。
土で舗装されている道に出、その道をゆっくりと歩いている。
その道の周りは林だ。
「あーあ、ほら見てよ~、キツネもグダグダだよ。」
アヤの隣にいたカエルがフラフラと歩きながら歩道脇のしなびた草むらを指差す。すぐ横でキツネの群れが力なく動いていた。
その反対側の林では死んだキツネの肉を腹を空かせた子ギツネがつついている。食べられるものなら見境がなくなっているようだ。
「うわあ……。見たくないの見たね……。」
カエルはその光景から目を離し、ため息をついた。
「草花にも力がありません……。」
ヒエンは枯れて茶色くなっている草花を悲しそうに見つめていた。
さらに歩くと草も木も何もないただ、ひび割れた地面が広がっている場所に出た。不自然なくらい何もなく広い。草の一本も生えてなかった。
「ここは……何かしら……?」
「空き地かな?」
アヤとカエルは顔を見合わせながら足を前へ進める。
「なんかこの近くにいるって言われている人間が行事とかに使っていた場所なのではないですか?ほら、お祭り……とか。」
後ろを控えめについてきたヒエンがぼそりとつぶやいた。
その一言になんだか納得した二人は「なるほど」とつぶやき大きく頷いた。
謎の空き地を通り過ぎ、また林の道に戻った。
「あっ!」
林の道に入った刹那、アヤは声を上げた。
「え?どうしたの?」
「なっ、なんですか?」
カエルとヒエンがそれぞれの反応を見せつつ、アヤを仰ぐ。
「今、人が……。」
アヤは遠くを眺めながら目を細める。
「人?例の村人?」
「じゃないかしら?」
カエルは村人に興味を持ったらしい。
少し元気を取り戻すとヨタヨタとしながら足を速めた。
「木々がこんな状態では人間の状態はもっと劣悪でしょう……。そしてあのキツネ達も長くはありません……。」
ヒエンは色々ショックを受けているようだ。先程から顔色が悪い。
「ヒエン、ここは本の中よ。事実かもしれないけど言い伝えとかなら空想も入っているかもしれないじゃない。」
「そう……ですよね……。」
アヤはヒエンの背中を軽く叩くと先に歩き出したカエルの後をついて行った。
ヒエンも顔色を青くしながら続く。歩くにつれ茅葺の屋根がぽつりぽつりと見え始めた。やはり人間の住む集落らしい。
「まったく声が聞こえないわね……。」
「……どういう状況なのか見なくてもわかりますね……。」
人影一つない家々を眺めながらアヤ達はさらに進む。さすがに家の近くに寄る事はできなかった。餓死した人間の骨を見てしまいそうだったからだ。
恐る恐る足を進めていた時、男の声が聞こえた。
「またか……。」
男は吐きすてるようにつぶやいていた。
アヤ達は声が聞こえた場所へと近づいていった。
草陰から覗くと痩せこけた人々が何人か村の真ん中に集まっていた。
「キツネだ。」
「くそ……。あのキツネの肉を食ってやりたい……。」
村人の声が力なく聞こえてくる。
目の前に起こったありえない事象にどの村人も戸惑いを隠せなかった。
村人達の前には沢山の果物、野菜などが散らばっていた。
「この日照りで作物が育たないっていうのに……こんな事があるか?」
「だから、キツネだ。あいつらが俺達に幻を見せているんだ。」
村人達の心は荒んでいるように見えた。
「キツネは私達をみて喜んでいるのよ。ざまあみろってね……。」
痩せこけた頬、目の下にクマが出ている女がすたれた目でその場に座り込む。
「もう、お乳も出やしない。涙の一滴も出やしない。」
その一言を境に誰もが黙り込んだ。
しばらく沈黙が流れる中、アヤは考え事をしていた。
……ざまあみろ?
アヤは村の女が言ったその一言が気がかりだった。
……ざまあみろ?この日照りに対して?キツネがざまあみろ?
……この村人達……何かしたの?キツネに恨まれるようなことを?
「アヤ、あれってミノさんの昔話?」
気がつくとカエルが眉を寄せながらアヤの顔を見上げていた。
「そうだと思うわ。」
「わたくし、一つ気になる事がございます……。」
ヒエンが珍しく凛とした顔でアヤを見据えていた。
「何が?」
「あのキツネさん、日穀信智神、ミノさんはどうやってあの作物を手に入れたのかです。」
ヒエンの言葉にカエルが「ああ!」と目を見開いた。
「そういえばそうだね!だってキツネもあんな状態だったじゃんね?」
「そうねぇ……。確かに変だわ。」
アヤも首を傾げた。
「幻術って事はないのかなっ?」
「それはないです。ただのキツネには力はありません。この辺に力を持ったキツネもいないようです。」
カエルの言葉にヒエンがはっきりと言った。
「うーん……そう?じゃあさ、あれ何?」
カエルは納得のいかない顔で野菜や果物を指差す。
「……それはわかりません……。ですが、あれは本物でしょう。よく見ると赤茄子や胡瓜などが転がっていますね?
……この時代にない食べ物ではないでしょうか?」
「そうなの?この時代はいつ頃?」
「この草花の感覚は間違いなく江戸時代以前でしょうね。赤茄子が食べられるようになるのは明治以降ですし、胡瓜は江戸時代ですから。」
「草花の感覚……色々凄いわね……。じゃあ、未来に食べられている野菜がなぜかここにあるってわけね。」
「そういう事です。」
ヒエンとアヤの会話をふんふん聞いていたカエルが口を挟んできた。
「じゃあ、やっぱりあれは怪しいねっ!いますぐミノさんを尾行しなきゃ!」
「尾行って言ってもこの時代の彼はキツネさんなのではないですか?」
「そっかあ……。そうだねぇ……。」
カエルとヒエンが同時に唸る。
カエルとヒエンをよそにアヤは一人答えにたどり着いた。
「なるほど……。冷林だわ……。ここで冷林が絡んでくるんだわ。」
「え?」
「だってこの本のタイトルは『冷林が守りし森、日穀信智神誕生』……。ミノが普通のキツネだったら怪しいのは冷林じゃない。」
「おお!確かに!」
カエルはアヤの言葉に大きく頷いた。
「冷林はどこにいるのでしょうか……。」
「それに関してなのだけれど村人に聞くって言うのはどうかしら?」
アヤの発言にヒエンが顔を青くした。
「そ、それはダメなんじゃないでしょうか?」
「あら?どうして?ここは本の中なんでしょう?知りたい事は調べればいいのよ。」
「はあ……まあ、そうなんですけど……。
知らないわたくし達がいきなり話しかけて大丈夫なのでしょうか?
それからわたくし達は人間に見える事になっているのですか?」
ヒエンが不安げな顔をしているのでアヤは顎で前を見るように促した。
「あっ……。」
ヒエンは前を見て驚いた。目の前でカエルが普通に村人と会話している。
カエルが見えているようだ。
村人達は怪しむ事もなくカエルに話しかけている。
「ね?いいみたいよ。」
「は、はあ……。」
とりあえず二人はカエルが何を話しているのか耳を傾けた。
「あのさ、冷林知らない?どこにいるの?ねぇ?」
まったく態度のなっていないカエルにアヤ達はため息をついた。
「冷林?いるとかいないとかじゃなくて不思議な林だ。」
今にも倒れそうな男性がカエルに普通に答えていた。
「ん?」
「霊魂が寄りつく林だ。
霊魂が寄りつくせいかその林は少し他とは違い、涼しい。
霊魂の『れい』と冷たい林の『れい』、それをかけてあそこの林を冷林と呼んでいる。それだけだ。」
「ふーん。もとは場所だったんだ。どこにあるの?それ。」
「ひときわ濃い緑色をしている場所だからすぐにわかる。あっちの方だ。」
男はアヤ達が先程歩いてきた方を指差した。
「ああ、さっき行ったとこ?ありがと!バイっ!」
カエルはにこりと男に笑いかけて手を振るとアヤ達の所に戻ってきた。
アヤはすかさずカエルの頬を引っ張る。
「いででで……!何すんのさあ!」
「あなたねぇ……。なんで餓死寸前の人にあんな態度がとれるのよ……。」
「ええ?だって本の中じゃん……。」
カエルが頬を膨らませてアヤを見上げた。
アヤはため息一つつくと話題を戻した。
「で?さっき私達がいたあそこが冷林がいる林なのね?」
「冷林は場所なんだってさ。」
「そこに冷林がいないって事はないでしょ?とりあえず行きましょう。今度はちゃんと調べるのよ。」
「ほーい……。」
カエルはアヤに渋々従った。
「手間になりますが戻りますか?」
「ええ。戻ってみましょ。」
ヒエンとアヤは歩き出す。その後をカエルが追うようについてきた。
『しおり』を置いてまた最初から戻った方が早いのだが何か見落としている事もあると思い、歩いて戻る事にしたのだ。
相変わらず日差しは強い。
カエルはもう倒れそうだがアヤが手を引き必死に歩かせる。
「もうダメだ……。おんぶっ!」
カエルがアヤにまとわりついてきた。
「甘えはダメよ。ちゃんと歩きなさい。」
アヤに怒られ、カエルは文句を言いながら素直に歩きはじめた。
「ごめんなさい。カエルさん……。付き合ってくださって本当に感謝しております……。」
ヒエンがカエルに必死に頭を下げている。
「お願いだから周りを見て。見落としがないか調べるために歩いているんでしょ!」
アヤもイライラしていた。この暑さとまだまだ歩かなければならないという気持ちがアヤをイライラさせていた。
「そうだ!着物になろう!霊的な着物は神々の正装!そして最強の防具でもあるじゃないか!」
カエルはいきなりそう叫び、両手をバッと広げた。
刹那、カエルの周りを光が包みこんだ。すぐに光は消え、カエルの服は赤い着物へと変化していた。
「あ、それいいですね。」
ヒエンも両手を広げカエルと同じように服を着替える。
ヒエンは淡いピンク色のかわいらしい浴衣に変身した。
「ああ、全然違うねぇ。オシャレで人間の服着てたけどやっぱ頼るところは着物なんだよねぇ。」
「人間は『着物は窮屈で色々不便だ』と言いますが神は逆ですね……。あ、アヤさんは着替えないんですか?」
ヒエンとカエルがきょとんとした顔をアヤに向けている。
「着替えるって……あなた達どうやっているのよ……。なんか魔法少女の変身シーンみたいな……。」
「え?」
アヤの発言に二人は口をポカンと開けた。
「魔法少女ってなんですか?」
「ヒエン、そっちの疑問じゃないよっ!」
頭を捻るヒエンにカエルが一応つっこむとアヤに目を向けた。
「え、本当に知らないの?」
「知らないわ。他の神も皆そうやって着物に変わるのよね。そういえば。」
「両手広げて服を着替えるイメージをすればいいんだよ。」
「よくわからないわ……。」
「とりあえずやってみよう!」
カエルはアヤにガッツポーズをおくる。
アヤはカエルに指示された通り両手を広げた。
「着替えるイメージって何よ。」
「ええと自分が服を脱いでいるってイメージ。」
カエルの言葉通りをなるべく実践してみた。
ワンピースを脱いでいる自分を想像する。
普段、服を脱ぐときに『脱ぐぞ』と思った事がないのでそう思うと少し新鮮だった。
「おお!アヤはオレンジなんだねっ!」
「何がよ?」
カエルは感動していた。
「着物だよ!きもの!変わってるでしょ?」
カエルに言われ、アヤは自分の身体に目を落とした。
「え?」
アヤは驚いて目を見開いた。
なぜかアヤはオレンジ色の着物を着ていた。
いつ着替えたのか予兆も感じ取れなかった。
本当に自然に服が変わった。着ているイメージすらしていなかったがアヤは買った事もない着物に身を包んでいた。
「ああ、アヤさん、きれいなオレンジ色……。コウリンタンポポみたいですね。」
ヒエンもうっとりとしたまなざしでアヤを見ていた。
「コウリンタンポポって何よ……。」
「北海道あたりで野生化しているタンポポです。キク科ヤナギタンポポ属の多年草です。きれいなオレンジ色をしています。」
「そ、そうなの?」
ヒエンがあつく語り始めたのでアヤはとりあえず相槌を打っておいた。
「うーん。ちょっとマニアックでわからないかなー……。」
カエルはあまり興味がないのか目を細めてぼうっとしている。
「ええと、確かに着物になれたけど……これすごい身体軽いわね。温度もあまり感じないし……適温って感じ。」
アヤは巧みに話題を変えた。
「そうですね。だから神々は着物を脱がないんですよ。」
「なるほど……。」
「でも服のバリエーションがこれしかないのでオシャレをしたい神はだいたい着物を脱いで着替えてしまうんですよ。」
「へぇ……。」
元気を取り戻したアヤ達は着物のまま歩き出した。
「ほんと、歩きやすいわね。人間が着る着物とは大違いだわ。」
「これは霊的な着物だからねっ!」
先程よりも幾分元気になったカエルが先頭をぴょんぴょん飛びながら進む。
「なんか色々凄いわね……。」
アヤはいまだに着物になれた理由もよくわからず機能のみに感動をしていた。
アヤが着物を触っているとヒエンが声を上げた。
「あっ!キツネさんが走っています。まだ走る余力のあるキツネさんがいるんですね。」
ヒエンは林の奥を走っているキツネを目で追っていた。
アヤも慌ててそちらに目を向ける。
「なんか怪しいわね……。追いましょう!」
「あれミノさんかな?」
素早く走り出したカエルがぼそりとつぶやいた。
アヤもわからなかったがそんな気がした。




