流れ時…1ロスト・クロッカー2
メガネの少女はパソコンに向かいながら頭を捻らせる。
……時神は時を渡らなくちゃ始まらないよね……。
しかし……私はこのアヤに……会ったことが……いや、会った気がする。
※※
「ふう……無事についた……」
男の子は少女の手を放すとため息まじりにつぶやいた。
少女は恐る恐る目を開く。
「……。」
目の前には時代劇の風景が広がっていた。
木でできた年代物の瓦屋根の前を青物売りが足早に通り過ぎて行く。
そして頭には髷が……
二本差しの侍まで舗装されていない狭い道を歩いている。
狭い道のわきにはたくさんのお店が並んでいて着物を着た看板娘がお客を入れようと必死になっていた。
「嘘……。」
少女はぺたんと地面に座り込んでしまった。
「ど……どうしたの?」
男の子はいきなり力が抜けてしまった少女を心配そうに見ている。
「ど……どうしたって……なに? ここ……」
「うーん……よくわからないけど……江戸後期くらいみたいだね。ちょうどいいや。
確かこのくらいの時代のこのへんに過去の時神がいたはず……。この時間軸だとたぶん、当時の僕もいると思うんだけど……歴史変わっちゃうから僕は僕に会っちゃいけないし……ええーと……」
少女は一人でぼそぼそと謎な事を口走っている男の子の声を聞いていたらなんだか泣きたくなってきた。
理解してしまった。
冗談の世界ではなくこれはリアルな世界なんだと……
よくわからないが私はお話によくあるベタなタイムスリップをしたのだと……
「ニホンの時計が狂っているという事は僕か、過去神か、未来神の誰かが狂っているんだ……。あ……そうだ。僕は現代神って呼んでね。君は?」
「……アヤ。」
アヤと名乗った少女は頭を整理しているのか下を向いたまま固まっている。
「ここにいてもしょうがないし……アヤ、まずは服を着替えよう。……どうしたの?」
「……ふぅ……なんでもない。そうしましょう。」
連れて行ってくれと自分で言った手前、現代に戻してくれとは言えなかった。
ので……やけくそになる事にした。
すくっと立ち上がるとまっすぐ現代神を見つめる。
「な……なに?」
アヤの視線に現代神はまたおどおどし始める。
「あなた、本当に時の神様なのね?」
なんとなく確認がしたかった。少なくとも自分と時計が彼のそばから離れなければいつでも現代に戻れる。そう思うとなんとなく安心できた。
「と……時神だよ。そんな顔で見ないでよ。」
アヤは知らないうちに睨みつけていたらしい。慌てて顔をもとに戻した。
「で? どうするの?」
「とりあえず、これに着替えて。」
現代神は学生服に手を突っ込むと、着物を二着取り出した。
「どこにそんなもの入ってたのよ……。用意がいいわね。」
「とりあえず、着てよ。」
二人は人気のない茂みへと移動した。
「じゃ、じゃあ、僕は向こうで……着替えるから……その……」
「なに?」
「の、のぞかないでよ……」
現代神は顔を真っ赤にして恥ずかしがっていた。
「はあ? ……見たくもないわ。はやく、着替えに行きなさい。」
ふつう……逆……じゃない?
慌てて走り去る現代神を目で追いながら、アヤは深いため息をついた。
絶対に綿ではないぼろぼろの着物に着替えた二人は『ぜんざい』と書いてある店の前にいた。
ぱっと見て二人は農村の子のイメージである。
「ええと……ここ、たぶん、京都だね?」
「京都……。で、いつ?」
「……時代がいまいちわからないけど大火前かな……。」
一七七八年三月に京都の八割を燃やした天明の大火の事だ。その事を知らず、人々は陽気に通り過ぎて行く。
「火事が起こるって言ったらダメなのよね?」
「歴史が変わるからダメ! 絶対ダメだからね!」
アヤのつぶやきに現代神は声を荒げた。
それだけ歴史を変えることはいけない事なのだ。
「わかった。」
アヤが残念そうに言うと現代神はうんうんと頷いた。
「まずは過去神を探さないとね……。過去神は僕と同じく普通に生活していると思うんだ。」
そういえば彼は学生服を着ていた。現代神なのに高校か中学に通っていたらしい。
「時の神って人間に混ざって生活しているものなの?」
「その方が常に時計を監視できるからね……。」
「ふーん。」
現代神が道を歩き始めたのでアヤもその後を追う。
しばらく歩くと大きな建物が見えてきた。
どうやらお寺のようだ。
「あれ……西本願寺?」
「そうだね。ん?」
現代神は前を歩いている者に目を向けた。
「どうしたの?」
「黒衣……黒袴……新撰組?」
アヤは現代神が見ている方向を見た。
そこには黒い陣羽織に黒い袴を着た男が多数集まっていた。
「え? 新撰組ってあさぎうらの着物じゃないの?」
「新撰組があのダンダラを着ていたのは一年足らずだよ。それからずっとああいう黒ずくめの格好をしているんだ。……大火の時代じゃなかったのかな。百年近く違うもんね。新撰組が西本願寺にいるって事は一八六何年……くらいなのか?」
「そうなの?」
二人が不安そうに会話をしていると、後ろから異様な気を感じた。振り返ろうとした時、アヤの肩に大きな手が置かれていた。
「どけ。小娘。」
なんだかわからずアヤは現代神のもとに突き飛ばされた。
「わっ……。」
現代神はアヤを受け止め、アヤを突き飛ばした者を見る。
背が高く眼光鋭い侍だった。
こげ茶の髪を後ろでひとまとめにしている。ちょうどポニーテールのようだ。
いや、この場合は総髪が正しいか……。
茶色の瞳で二人を睨みつけている。
「っ……なに?」
アヤも男に目を向ける。
「い……いきなり突き飛ばすなんて……し……失礼だと思いませんか?」
現代神は震える声で必死に抗議したが侍は
「……斬らなかっただけありがたいと思え。」
とそう言うと新撰組がたむろしている方へ歩いて行ってしまった。
「……」
二人は恐怖心で何も言えなかった。
その後、変な感覚が襲ってきた。
気がつくとさきほどまでいた新撰組の者が血を流して倒れていた。
「え?」
何があったかわからない。
知らないうちにあの侍が新撰組のいたところに立っていた。右手に抜き身の刀を持ち、その刀から血が滴っている。
「……き……斬った……」
「……?」
現代神が震えながらつぶやく。
どうやら現代神はなにが起きたかわかっているようだ。
「!」
アヤも状況が見えてきて小さく悲鳴を上げた。
「……時神……過去神……。」
現代神は侍を睨む。
「え? あ、あれが過去神?」
「たぶんそう。さっき、アヤ、君は止まっていた。そして前を歩いていた彼らも止まっていた。動いていたのは……僕と、あの侍だけだ……。あの侍が……時間を止めたんだ……」
眼光鋭い侍がまっすぐにこちらを見ている。
背筋が凍りそうな感覚でアヤは気を失いそうになったが、かろうじて立っていた。
「……。そうか……お前が時の神か……。この世の行く末を案じたか……。」
過去神の言葉に現代神は意味深な笑みを浮かべた後、言う。
「そうだよ……。僕は現代神。君は僕の時代では参の世界と呼ばれている世、過去にあたる。」
「なんの用だ。」
「君、時間を狂わせているね?」
「さあな。」
過去神は刀の血を新撰組の羽織で丁寧にぬぐいとると鞘に戻し、着物を翻して消えて行った。
現代神は過去神が消えた後、すっかり存在を忘れていたアヤに目を向ける。
「うええ……」
アヤは死体を見て気持ち悪そうにしていた。
「大丈夫?」
現代神はアヤの背中をさすった。
「そ、それより、あの人達死んだの?」
「さあ……ここからじゃわからない。けど、死んでいたらまずいね。現代に生きているかもしれない子孫が消えてしまう……。」
「それ、まずいどころじゃないじゃない……。」
「もっと前の時代に戻って彼らが襲われるのをなかった事にすればいいから今は過去神を追おう。」
気がつくと辺りがガヤガヤうるさくなっていた。
「辻斬りか?」
「新撰組?」
「また過激派か?」
などときれぎれに言葉が聞こえてくる。
知らないうちに野次馬が血を流して倒れている新撰組のまわりを囲んでいた。
「永倉さん……どうしますか? 犯人捜ししますか?」
「待て。総司。とりあえず近藤さんと土方さんに報告するのが先だ……。また隊士がやられたか……。」
聞きなれた名前がアヤの耳に入った。
後ろを振り返ると、侍と思われる男性二人が立っていた。
一人は身長が低く色白な顔で目つきはかわいらしい。
もう一人は背が高く目つきが鋭い偉丈夫である。
二人ともちゃんと髷を結っている。
「沖田総司と永倉新八……」
アヤは一発でわかった。
小さい方が沖田、大きい方が永倉だ。
二人はアヤと現代神の横を通り過ぎ、野次馬の中に入って行った。
「僕達は早く過去神を探そう。なんで新撰組を襲っているのか謎だし。」
「う……うん。」
本物を見る事ができたことに感動して話しかけに行く所だった。
危ない。危ない。
アヤは頬をパンパン叩くと現代神の後ろを歩きはじめた。