ゆめみ時…3夜が明けないもの達8
しばらくして逢夜が集会所に慌てて現れた。
「何事ですか。お父様……。はっ!」
逢夜が入るとすぐに千夜が目に入った。逢夜は息を飲み、千夜をじっと見つめた。千夜は裸にされ、両の腕を縄で縛られ吊るされていた。
「お父様……これは……。」
「お前は憐夜の場所を知っておるか?」
「憐夜?憐夜は今、更夜と共に……。」
逢夜は怯えた表情で凍夜と千夜を見つめていた。
「逃げた。抜け忍となった。」
「にげっ……。」
逢夜は凍夜の鋭い声を聞きながら動揺していた。逢夜の瞳には弱々しい顔でこちらを見ている千夜が映った。
「更夜が逃がし、千夜は黙認したようだ。これから千夜は仕置きだ。」
凍夜は持っている青竹で千夜の背中を三回ほど打った。千夜は痛みに顔をしかめたが何も言わなかった。
「……っ。」
顔色が悪くなる逢夜に凍夜はさらに冷たい声で語った。
「憐夜は忍としては出来損ないだが我が里の事がばれてはいかん。逢夜、いますぐ殺して来い。」
「そ、そんな事はできませぬ……。お、おそらくまだ更夜と共におります。」
「行け。我々も暇ではないのだ。憐夜は里から逃げた。お前が殺せぬというならば……。」
凍夜は千夜の胸を薄く刀で斬った。
「……。」
千夜は痛みに顔をしかめた。千夜の胸に一筋の切り傷が出来、そこから血が溢れるように流れた。
「おやめください。わ、私が憐夜を殺せばお姉様は傷つかずに済むのでしょうか?」
「……憐夜を逃がした罪は大きい。だがお前が殺しに行けば最小限で済ませてやる。我らは連帯責任だ。わかるな。そして殺したという証拠をちゃんと持ってこい。お前がもたもたと憐夜を探しておると千夜の身体に傷が残っていくぞ。」
凍夜は続いて千夜の頬を刀の柄で殴った。
「うぐっ……。」
千夜は低く呻いた。
「俺が数えて十で千夜は何かしらの罰を受けるという事にする。今から始めるぞ。一、二、三……」
「……っ!そんなっ……そんな事がっ……俺が……憐夜を殺す……?」
逢夜はしばらく頭が真っ白になり、ただ震えていた。
「十だな。」
凍夜はそうつぶやくと千夜の左胸を薄く斬った。
「んっ……。」
千夜の身体に痛みが走り千夜は小さく呻く。
「声を上げるなと教えたはずだぞ。千夜。」
凍夜は冷たく言い放つと周りを囲んでいる忍のひとりに合図を送った。忍は何も言わずに立ち上がると千夜の口を布で縛り上げた。
「んん……んん……。」
千夜は逢夜を視界に入れながら何かを訴えていた。
逢夜には千夜が何を言いたいのか伝わった。
……憐夜を逃がせ。殺すな……。殺してはいけない……逢夜!
千夜は逢夜にそう言っているようだった。
「十だ。」
凍夜は太い青竹を取ると千夜の腹に深く打ちつけた。
「んぐぅ!」
千夜を縛っている縄が大きく動くほどの衝撃だった。千夜は胃液を吐き、痛みに悶え、体を折り曲げた。
「十だな。」
凍夜は青竹で今度は千夜の背を打つ。
「んんん!」
千夜は目に涙を浮かべ痛みに耐えるがあまりの痛みに今度はのけ反った。
逢夜は拷問のような折檻をとても見ていられなかった。
「十だ。早くせんと千夜が死ぬぞ。」
凍夜はそうつぶやき、今度は千夜の背に鞭を入れた。乾いた音と共に千夜の背から血が飛び散った。
「うっ……!」
「お、お姉様……申し訳ありませぬ……。お許しください。」
逢夜はそう言うと千夜に背を向け、走り出した。
「はっ……はっ……。」
逢夜は無我夢中で憐夜の元へ駆けていた。憐夜の居場所はなんとなくわかっていた。
昨夜、人一人分が隠れられる場所がどこかにあるかと千夜から尋ねられたからだ。
候補として挙げた場所の内、一番近い所に憐夜がいると踏んだ。
……俺が憐夜を殺さないといけねぇ……。こんな事ってねぇよ……。
逢夜は山を下り、南にある洞窟へ向かった。草木が覆い茂る場所に人一人くらいが隠れられるような穴があった。憐夜は逢夜が来た事を知り、背を低くして穴に隠れていた。逢夜は気配で憐夜がいる場所を見つけて憐夜を引っ張り出した。
憐夜は青い顔で逢夜に背を向け逃げ出したが逢夜は後ろから憐夜を押さえつけた。
「逃げんじゃねぇよ。」
「お、逢夜お兄様……。」
「お前は俺達を裏切った……。もう俺はお前を止める事もしないし、手をあげる事もない……。もう遅い。」
「……。」
逢夜の言葉で憐夜は急に大人しくなった。憐夜は色々と悟ったようだ。
「お前がお父様の仕置きを受けるというならば山の中からは出ていなかった事にしてやる。戻る気がないのであれば……死ぬしかない。だが、俺はお前を斬りたくない。」
「お兄様、もう前者は無理ですね。私が戻ったら更夜お兄様もお姉様も皆酷い罰をうけます。痛い事はいけません。皆幸せになれません。」
「馬鹿野郎……。なんでそこまでわかっていて逃げたんだ!」
逢夜は目に涙を浮かべながら憐夜を地面に押し付けた。
「一瞬でも光の中を歩いてみたかった……ただそれだけでした。貧しくてもいい、辛くてもいい……だから人と笑い合って楽しく暮らしたかったんです!できればお兄様、お姉様と楽しくお話しがしたかった!優しくされたかった!それがかなわなかったから私は自分でかなえようとしたんです!人を殺すことなんて嫌だ!人を傷つけるなんて嫌だ!私は道具じゃない!動物でもない!私は心を持った人間なの!」
憐夜は幼い子供の様に泣きじゃくっていた。
逢夜はそんな憐夜を見ながら悟った。
……こいつはもうダメだ。いらない事に気がついてしまった。もう連れ戻す事は不可能だ。
俺が見逃したとしても他の忍に惨殺されるだろう。ならば俺が優しく殺してやるしかない……。
逢夜はそのような判断しかできない自分をとても悲しく思った。
「憐夜……。」
逢夜は憐夜を離してやると少し距離を取り、優しく名前を呼んだ。
「お兄様?」
逢夜が見せた優しげな声に憐夜はきょとんとした顔をしていた。
「こっちにおいで。」
逢夜は優しい顔で憐夜を手招いた。憐夜は戸惑いながらも逢夜の前まで来た。
逢夜はそっと憐夜を抱きしめた。
「お兄様?」
「お前はとても良い子で優しい子だ。俺達の世界にはいちゃいけなかった……。辛かったな。いままでごめんな。憐夜。」
逢夜はゆっくりと憐夜の頭を撫でた。憐夜は初めて優しくされ、戸惑っていたが逢夜の背に手をまわし、大声で泣き始めた。逢夜はそんな憐夜を強く抱きしめ、ただあやまった。
「……ごめんな……。憐夜。……ダメな兄と姉を許してやってくれ……。」
逢夜は優しい言葉をかけ、そっと頭を撫でながら背中から憐夜を小刀で突き刺した。
「うっ!」
憐夜は低く呻き、わずかに動いた。刹那、袖に隠してあった絵筆がぽとりと地面に落ちた。
「……筆?お前……こんなものどこで……。」
逢夜は自分達が散々傷つけてしまった憐夜の身体をそっと抱きながら小さくつぶやいた。
「絵描きさんに……もらったんです……。おにい……さま……。私は運命を……呪います……。自分の生を……呪います……。私は道具じゃない……。生まれ変わったら……子供に絵を配る絵描きさんに……なりたい……な。」
憐夜の身体から温かさが消えいき、瞳にも光が消えた。憐夜は更夜達の目を盗んでかたまたま会っただけかわからないが絵描きから筆をもらったようだ。そして自分も絵描きになりたいと思い、山を下りたのだった。
「くそっ……。」
逢夜が歯を食いしばった時と憐夜の身体から力が抜けるのが同時だった。逢夜は自分が散々殴った憐夜の顔をそっと撫でる。
……皆が楽しく生きられる人生なんてねぇんだよ。俺はこうなる事がわかっていたから全力で止めたんだ!俺達はあの家系からは逃げられない。だから俺はあの家系から逃げなくても兄弟が生きていられる環境を作ろうと努力したんだ!本当はお前なんかに手は上げたくなかったんだよ!なんでどいつもこいつも俺の事をわかってくれねぇんだ!
「畜生!」
逢夜はそうつぶやくと憐夜の身体を抱き、去って行った。
……おかしな家族の狂った規律に逢夜もすでに壊された後だった。
逢夜は光のない瞳で里に戻ってきた。冷たくなった憐夜を抱きかかえ、集会所へと入る。
そこにはすでに誰もおらず、ただ、酷い暴行を受けた千夜が血だまりの中で倒れていただけだった。逢夜を監視していたものがいたようで憐夜が死んだことはもう伝わっていたようだった。
……どちらにしろ……憐夜が逃げられるはずもなかった。先程逃がしてやろうと思ったが俺が見逃しても俺を監視していた忍が殺すだろう。
「……お姉様……申し訳ありませぬ……。」
「憐夜……憐夜ァ……。」
千夜は頭を抱えるようにしてうずくまりながらただ憐夜の名を呼んでいた。
……千夜、逢夜、更夜の心にほんの少しだけ残っていた優しさはこれを期に完全に消え失せた。




