ゆめみ時…3夜が明けないもの達6
逢夜はしばらく更夜を痛めつけると何も言わずに消えて行った。
更夜は逢夜が去って行くのを見届けると憐夜の怪我の具合を見た。憐夜は傷だらけではあったが重たい傷ではなかった。逢夜が手加減をしたのは本当の事のようだ。
むしろ更夜の傷の方が重たいくらいだった。更夜は自身の傷の処置をする前に憐夜の傷の処置をしてやった。気を失っている憐夜を柔らかい土の上に寝かせると自身の傷の手当に入った。更夜が手当てをして憐夜の元に戻ると憐夜は目を覚ましていた。
「憐夜、兄がそんなもので許してくれたのだ。感謝しなさい。そしてもう二度とやらないと誓え。」
更夜が憐夜を叱りつけると憐夜は寂しそうに更夜を仰いだ。
「お兄様、お兄様もお怪我を……。」
「……お前が規律を破ると俺にも罪が飛ぶ。」
「……そんなのおかしいです。普通の兄弟はちょっと喧嘩したりとか……助け合ったりとかするんです。こんなの酷いです……。」
憐夜は更夜に小さくつぶやいた。
「……憐夜、お前、里から勝手に下りたな……。もう少しで抜け忍になる所だったぞ。」
更夜の言葉に憐夜はビクッと肩を震わせた。この周辺のことしか知らないはずの憐夜が普通の兄弟の事を知っている……これは憐夜が更夜の目を盗み、勝手に山を下りていた事を意味する。
「……ごめんなさい。私は兄が妹に優しく接している所を見ました。兄と妹が小さい事で喧嘩をしている所も見ました。私達とは違っていました。……なんだか悔しくて殺してやりたくなりました。お兄様がいつも教えて下さるやり方で殺してやろうと思ってしまいました。」
憐夜は憎しみのこもった目で拳を握りしめた。自分の環境では絶対に手に入らないものを羨む子供の目だった。地面に指で更夜を描き、さっと手でかき消した。
「憐夜、仕事以外で人を殺すな。目立つ行動もするな。俺達から逃げたら殺される、そう思え。俺達の命令なしでここから出たら俺も、兄も、姉もお前を容赦なく殺すぞ。俺達は規律を守れば何もされない。だから兄も姉もこの規律を全力で守る。守る事で俺達も守られているのだ。」
更夜は憐夜を諭すようにささやいた。しかし、憐夜は更夜を睨み返してきた。
「こんなに痛い事して死んでしまいそうな暴力をずっと振るっておいて守る?それをおかしいとは思わないんですか!お兄様は大馬鹿ものです!」
憐夜は更夜と兄弟喧嘩をしたかったようだった。半分演技のようであったが憐夜は更夜に怒鳴った。
「憐夜、いい加減にしろ。」
更夜は一言それだけ言った。殺気と威圧を込め、憐夜を睨みつける。
「ううう……。」
憐夜の顔に恐怖の色が浮かんだ。憐夜がふっかけた兄弟喧嘩の種はすぐになくなった。
憐夜は更夜も逢夜も千夜も父である凍夜も皆怖かった。上に逆らえば酷い罰がくる。そうやって恐怖心を植え付けられた憐夜は勇気を振り絞って口答えするだけで精一杯だった。
……私は動物?道具?それとも人間?お兄様……教えて……。
「メシにするぞ。……憐夜。」
更夜が冷たく言い放ち、憐夜に背を向けた時、憐夜が声を上げた。
「あの……っ。演技でもいいです……。私に優しくしてください……。お願いします。お兄様……。私に優しく接して……。」
憐夜は切なげに更夜を見ると更夜の着物の袖を掴んだ。
「……いい加減にしろ。……俺に触るな。」
更夜は憐夜の頬を再びきつくひっぱたくと歩き出した。
「……そう……わかりました。私は道具……。道具なのね……。」
憐夜のむせび泣く声が更夜の背で聞こえた。更夜にはどうする事もできなかった。ただ、いままで自分が信じてきたものがすべて壊れていくような感じがした。
……おかしな家族の狂った規律は抗う憐夜を壊し続ける。
しばらく時間が経った。やはり憐夜は修行をまじめにはやらなかった。更夜は若干の焦りを見せていた。父から言われたある程度まで憐夜はまったく到達できていない。むしろ、常人よりも少しだけ動きの速いレベルだった。このままでは憐夜の道は暗い。憐夜の身体には傷が残るばかりでこのままではいつ処断されるかわからない状態だった。
「憐夜、いい加減にしろ。これは体術の練習だ。なぜ俺の言う事を聞かない。」
更夜は憐夜の腹に軽い蹴りを入れた。憐夜は腹を押さえうずくまりゴホゴホと咳を漏らしていた。
「憐夜、これは酷いな。」
ふと横に千夜がいた。
「お姉様……申し訳ありません。」
更夜は憐夜の状態が酷い事について深く頭を下げた。千夜は刀の柄を更夜の腹に勢いよく打ちつけた。更夜は呻きその場に膝をつく。
「一時はよいと思っておったがしばらく経っても状況が変わっておらんではないか。」
千夜は更夜を叱りつけた。そのまま鞘に納められている刀で更夜の顔を殴る。
「ごほっ……。も、申し訳ありませぬ……。お姉様。」
更夜は口から血を吐き、苦しそうに呻いた。千夜は表情なく更夜に刀を振るう。更夜の顔を殴り、腹を殴り、背中を打った。鞘に入っているとはいえ、重たい刀、更夜は耐えがたい苦痛を受ける事となった。
「お姉様!やめてください。」
憐夜が更夜の前に慌てて入り込んだ。
「憐夜、何故私達の言葉を聞かない。」
あの時の優しげだった千夜の面影はなく、厳しい顔つきで憐夜を睨みつけていた。
「こんなの兄弟の形としておかしいんです!違うんです!」
「違うからなんだ?お前はそんな事を理由に我らに逆らうのか。お前は運命を恨み、我らに逆らっているようだが意味はない事を知れ。」
千夜は刀の鞘部分で憐夜の顔を何度も殴り、体を刀で薄く斬り刻んだ。憐夜の顔が腫れていても身体から血を流していても構わずに暴力を続けた。
憐夜は更夜が一番優しかった事に気がついた。
憐夜は泣き叫び、千夜に許しを乞うた。
「ごめんなさい……。許してください。もう……逆らいません。逆らいませんから!」
千夜は憐夜の謝罪を聞き、手を引いた。憐夜の身体は血にまみれ、震えていた。
「次、このような事があればその時は私が許さぬ。お前を監視しておるのが更夜だけだと思うな。」
千夜は憐夜の髪を乱暴に掴むと目線を合わせさせて底冷えするような声でささやいた。
「は、はい……お姉様……ご、ごめんなさい。」
憐夜はガクガクと震えながら千夜に素直にあやまった。
「次に逆らったら……そうだな、死にはしない程度になます斬りにしてそこの木に吊るすとしよう。一度、逢夜にはやった事があるがな。逢夜も私に反抗的だった故な。かなり痛いぞ。拷問だ。どうだ?やられたいか?……聞いておるか?憐夜。」
「うっ……うう。」
千夜の感情の入っていない声に憐夜は言いようのない恐怖心を抱いた。
「返事をしろ。」
千夜は憐夜の腹を刀の柄部分で容赦なく突いた。
「うぐっ……がふっ……。」
憐夜は胃液を口から吐くと苦しそうに呻いた。
「返事をしろ……憐夜。」
「は、はい……。申し訳ありません。お姉様。」
千夜は憐夜を冷徹な瞳で一瞥すると更夜に向き直った。
「更夜、ぬるいやり方では憐夜は死ぬ。真面目にやらないようであれば逆らえなくさせろ。憐夜は大事な妹だ。お父様から全力で守るのだ。」
「……はい……。」
更夜が静かに返事をした時、千夜は悲しそうな瞳で更夜を仰いだ。
「……あと二年で憐夜がそこそこ成長しなければお父様は憐夜を斬り捨てる算段をたてている。憐夜を斬り捨てたら次は腹違いの弟である狼夜をお父様が育てる事になるそうだ。更夜……私は……どうすればよい?本当に……こんなやり方で良いのか……。」
千夜は更夜に聞きとれるようにだけ話した。千夜も焦っているようだった。千夜の瞳は戸惑いで揺れていた。
「お姉様……私が……なんとかいたします。」
「……時間がない……お前では憐夜を育てきれない。逢夜に渡せ。逢夜はお前と違い、しつけるのがうまい。少々荒いがお前よりはマシだろう。その判断はお前がしろ。」
千夜はそう言うと去って行った。
「はい……。」
更夜は苦しそうにつぶやくとうずくまって呻いている憐夜に目を向けた。
……おかしな家族の狂った規律は憐夜だけでなく更夜も壊しはじめる。




