ゆめみ時…3夜が明けないもの達1
生きているものが持つ心の世界、弐。弐の世界は嘘や妄想、想像などの世界である上辺の弐と心の真髄、精神である正真正銘の弐の世界がある。この内、本当の弐の世界の中には霊魂も住んでいる。霊魂はそれぞれ現世を生きる人間達を見守る役目を持つ。
その弐の世界をさらに守る神々、時神がいた。
その時神、トケイは現在行方不明だ。
「ふむ……。」
銀髪蒼眼の男、更夜は怪我を癒しながら少女漫画「クッキングカラー」を読んでいた。
「更夜―!」
更夜が漫画を読んでいると突然、赤い着物姿の少女、スズが現れた。
「なんだ。」
更夜はそっけなく言葉を発しながら素早く漫画を隠した。
「え?何?また少女漫画読んでたの?だからそれって少女が読む漫画じゃないの?」
「置いてあったから手に取っただけだ。」
「またまた……。素直になりなって。」
頬に若干の赤みが差している更夜をスズはからかうように笑った。
「……スズも読むといい。お前が読むくらいがちょうどいい。」
更夜はなげやりに手に持っていた漫画をスズにほうった。スズは目の前に落ちた漫画をパラパラとめくる。
「ふーん。けっこう読み込んでるじゃない。置いてあったんじゃなくて自分でここに置いたんでしょ。何がいいの?この漫画。」
「お、俺に聞くな。」
ニヤニヤした顔でこちらを見ているスズから更夜は目をそらした。
「更夜、俺に気がつかないとは気が緩んでんぜ。忍失格じゃねぇか?昔みてぇに痛~い罰がいるか?」
「!」
ふとスズの後ろに更夜の兄である逢夜が厳しい顔で立っていた。更夜にそっくりな鋭い瞳に銀の髪。額にハチガネをしている。
「お、お兄様。も……申し訳ありません。お許しください。」
更夜は素早く姿勢を正すと逢夜に向けて頭を深く下げた。
「……痛い罰?更夜、お兄さんに何かされてたの?」
「……聞くな。」
いそいそと近づいてくるスズに更夜は顔色悪くつぶやいた。
「聞かない方がいいぜ。おじょーちゃん。更夜は痛みに慣れている。拷問されても平然としていられるように俺が更夜を育てた。最初は泣き叫んでやがったがその内、泣かなくなったな。そういえば。」
逢夜はため息交じりに更夜を見た。
「……なんか酷いわね。人じゃないみたい。」
スズは更夜をかばうように立つと逢夜を睨みつけた。
「そんな目で睨まねぇでくれ。ああやって俺達の家系は強くなっていったんだ。死んでいく忍が多い中で俺は更夜には死なねぇように教育したつもりだ。この俺も姉に同じ教育を受けたんだぜ。まあ、一番悲惨だったのは姉だな。姉は男として育てられて父の教育を受けていた。そりゃあ死んだ方がマシだったんじゃねぇかな。俺達の家系は甲賀望月の中でも異色だったが誰よりも強かった。教育、習練が辛すぎでどいつもこいつも髪の毛が真っ白になっちまっていたがな。」
逢夜は「なあ。」と更夜に同意を求めた。
「お兄様、お兄様がここにいらっしゃるという事は何か情報をお持ちになったのでしょうか?」
更夜は逢夜の同意を無視し、要件を話しはじめた。更夜自身、あまり昔の事を思い出したくないようだ。
「っち、相変わらずつれねぇ男だな。おめぇは。……ああ、もちろん。話は後でお姉様からあると思うが才蔵と半蔵を捕まえたぜ。」
「半蔵と才蔵を!」
更夜の横でスズが声を上げた。信じられないといった表情だ。
「それはおいおい話すから声を上げんじゃねぇ。で、尋問は俺が更夜になりすましてやる。まだあの二人は目を覚ましてねぇからこれから叩き起こしに行ってくる。だから更夜とおじょうちゃんはここから動くんじゃねぇぞ。わかったな?」
「……なんであんたが更夜になりすますの?」
スズは疑いの目を逢夜に向け声を発した。
「俺達という余計な情報をあいつらに与えないためだぜ。幸い、俺と更夜は外見が似ている。変装して俺の演技力がありゃあ問題ねぇ。」
「なるほど……徹底しているのね。」
少し怯えているスズに逢夜はにっこりと微笑んだ。
「逢夜、何をしているか。時間がかかりすぎておるぞ。その緩んだ心で万が一失敗でもしたらどうなるかわかるな?」
ふと逢夜のすぐ後ろで凛々しい女の声がした。
「お、お姉様。も、申し訳ありません。今、向かいます。お許しください。」
逢夜はビクッと肩を震わせると後ろに佇む銀髪の少女に頭を下げた。瞳は更夜、逢夜に良く似て鋭く、少し癖のある銀髪は肩先で切りそろえられていた。羽織袴で男装をしている。
「よい。すぐに向うのだ。影縫いはかけておいた故、簡単には動けまい。」
「ありがとうございます。すぐに向かいます。」
逢夜は顔を引き締めると消えるようにその場から去って行った。
「さて。」
小柄な少女、更夜、逢夜の姉、千夜はスズと更夜の側に寄り、腰を下ろした。
「お前達は色々と知りたい事があるようだから順を追って最初から説明する。」
「お願い致します。」
更夜とスズは小さく頷き、千夜の話に耳を傾けた。
「私達はトケイがセイを連れて進むのを見、後をつけた。入った世界は平敦盛の世界。敦盛は平家物語での有名どころだがその敦盛が持っていた笛から生まれた神がセイだったようだ。何が起きたかわからんがセイはその敦盛に笛を返しに行ったようだな。笛を返したその直後だ。セイは突然に倒れ、死んだ。」
「死んだ!?」
千夜の言葉にスズが驚愕の表情で叫んだ。
「スズ、静かにしろ。」
更夜に止められてスズは慌てて口を塞いだ。
「小娘、まだ話の途中だ。我が家系ならば仕置きとして鞭打ち百回といった所か。……まあ、よい。お前は私の家系ではないからな。話を続ける。」
千夜は厳しい顔つきでスズを睨みつけた。
「うわー……話の途中で声を上げただけで鞭打ち百回……?重すぎる……。」
スズはこっそりと更夜を仰いだ。更夜の頬からは汗がつたっていた。千夜がスズに対し、何かするのではないかと思ったようだった。何もないとわかり更夜は少し安心したようだ。
「更夜、次、小娘が声を上げたならばお前が代わりに罰を受けろ。わかったな。」
「……はい。」
更夜は鋭い千夜の言葉に静かに返事をした。
「い、いや……はいって……更夜、怪我してんのよ……ダメでしょ。あんたの家系……厳格すぎない?」
スズは小さくつぶやいたが更夜に止められた。
「時間の無駄になる。……お姉様。申し訳ありません。お話をお続けください。」
厳格な雰囲気が漂う中、千夜は小さく頷き、口を開いた。
「セイは死んだ。だが、ここは霊魂の世界だ。彼女は霊として蘇った。もちろん、あの神は現世には行けなくなったようだがこちらの世界では存在できている。霊になったとたんに禍々しいものがその世界の時空を歪ますほど溢れ出し、敦盛の世界を壊した。世界が壊れた刹那、橙の髪の男……トケイだったか?がまるで機械のようにセイに暴力を振るい始めた。」
「トケイがセイを!」
スズがまた千夜に向かい叫んだ。叫んだ後にまた慌てて口を塞ぐ。
更夜は隣で深いため息をついた。千夜はスズの側に寄ると鋭い瞳でスズを睨みつけた。
「小娘……よいか?今、この家の外で才蔵と半蔵が逢夜に尋問を受けている最中だ。あやつらは並みの忍ではない。お前の声が万が一聞きとられていたらどうする?我々の仕事は何かで不利な状況に変わるのだ。わかるか?お前も忍なのだろう?」
「う……。ごめんなさい……。」
千夜の睨みが怖かったスズは震える声で素直にあやまった。
「……よい。お前は素直で良い子のようだな。」
千夜はふと柔らかい表情を見せ、スズの頭をそっと撫でた。更夜は姉がそんな事をするとは思っておらず、声には出さなかったが戸惑っていた。
「……あの……更夜には何もしないで。お願い。更夜のひどい怪我、あんたも見たでしょ。更夜をこれ以上傷つけないで。お願い。」
スズも困惑した表情のまま、千夜から更夜をかばうように立った。
「……スズ、黙って身を引け。お前の厚意はありがたいが。」
更夜はスズを自分の横に座らせた。
「更夜、死んでからも甲賀望月に縛られているのは辛かろう。今のはなかった事にしてやる故、とにかく話を最後まで聞け。」
「はい。ありがとうございます。申し訳ありません。」
ため息交じりに更夜を見た千夜に更夜もため息交じりに答えた。
「話の続きをするぞ。……その後、才蔵と半蔵は崩れゆく世界の中で気を失い、階下の別の世界で倒れていた。その間にセイは敦盛に渡したはずの笛を再び出現させ、禍々しいものを纏わせながらトケイから逃げて行った。トケイは逃げたセイを追い、なんの感情もなく飛び去って行った。その後に私達は才蔵と半蔵を捕縛し連れてきた……というわけだ。おそらくセイは死んだ。だからもうこちらの世界の住人。この世界をもう自由に動けるのだろうな。話は以上だ。」
「そうですか。」
話は終わったと千夜が言ってから更夜は声を発した。
「今は待機だ。……お前の傷を本格的に見てやろう。着物を脱ぎなさい。」
「……はい。申し訳ありません。お姉様。」
千夜の言葉に更夜は素直に従い、着物を脱いだ。
「うつぶせになれ。もう一度背中の傷を治療する故な。」
「……はい。」
更夜はまるで赤子のように千夜の言葉に逆らわず、素直にうつぶせになった。
スズは更夜の体中にある古傷や重たい背中の傷を怯えた目で見つめながら彼らの家系の恐ろしさをはっきりと感じた。
……自分よりも年上の人間に逆らってはいけない……。上の人間も判断を誤ってはいけない。
千夜、逢夜と会話している更夜の瞳はまるで操り人形のように光がなかった。幼いころからの教育が彼らの心を奪ったようだった。
……わたしがまだ現世にいた時……更夜に斬り殺された時……一瞬見えた更夜のせつなげで悲しい顔。……あの時……更夜にも監視役がついていたに違いない。更夜もきっとわたしと同じようにあの境遇から逃げ出したかったのかもしれない。
スズは複雑な表情で光のなくなった更夜の瞳をただ見つめていた。




