ゆめみ時…2夜に隠れるもの達最終話
ネガフィルムのような世界の上をトケイは無言のまま飛んでいた。両の腕でセイを抱いている。
セイは笛をじっと見つめながらつぶやいた。
「……この笛が導く方へ……。」
セイの近くには半蔵と才蔵がいた。おそらく半蔵と才蔵はセイに導かれたのだろう。
しばらく飛ぶとトケイは一つの世界の中に入り込んだ。
美しい川とそびえ立つ山。太陽がさんさんと輝き、着物を来た幼い女の子達が鞠つきをしながら小唄を歌っている。幼い少年達は木登りや鬼ごっこをして走り回っていた。
セイはそれを眺めながら無言で歩いた。半蔵と才蔵も後をついて歩く。トケイはその場で力なく立っていた。トケイの意識ははっきりしていない。
「きれいな……世界……。」
セイはなぜか涙を流していた。静かな川の流れが心地よく耳に響く。しばらく歩くと森が開け、海に繋がった。美しい白浜と真っ青な海が太陽に照らされキラキラと輝いている。不思議と暑さも寒さも感じず、ただ、心地よい風のみがセイの頬を撫でた。
その白浜の先に人影が二つ見えた。その人影は流木に腰かけ、寄り添い合っていた。
セイが近づくと美しい笛の音色が耳に届いてきた。寄り添っていた人影は着物を来た男と女で男の方が笛を吹いていた。女はただ男に寄り添い、幸せそうな顔で笛の音を聞いていた。
「……あれが……敦盛さん……?となりにいらっしゃるのは……玉織姫?敦盛さんの奥様。」
セイがつぶやいた刹那、男が笛を吹くのをやめた。
「……どちら様でしょうか?」
男は女にその場にいるように伝え、セイの元に歩いてきた。顔つきは凛々しいがとても優しそうな顔をしていた。質素な着流しを揺らしながら男はセイの側に寄った。
「私は音括神セイと申します。あなたは敦盛さんでしょうか?」
「……ええ。そうですが。神様が僕になんの用ですか?」
男、敦盛はセイに微笑み、尋ねた。
「はい。これを……お返しに来ました。」
「!」
敦盛はセイが差し出した笛を見、困惑の表情をセイに向けた。笛は初期の頃の輝きを失い、今は古い笛に戻っている。
「この笛、あなたのですよね。」
「……ああ……そうですね。僕のです。僕が……戦の時に持っていた笛……。」
敦盛が笛をじっと眺めていた時、笛が光り、セイを包んだ。
「……なっ……これは……笛の過去見……。」
セイの目の前は霧に包まれた。霧が開けた時には今と同じ白浜に立っていた。しかし、海には沢山の船が止まっており、男達の怒号が聞こえる。
「……平安の時代の戦……。」
セイがつぶやいた時、ふと目の前に刀を構えた敦盛と無精ひげを生やした男が立っていた。
「どういうお方でいらっしゃるのですか?お名乗りください。お助けいたします。」
無精ひげの男は丁寧な話し方で敦盛に話しかけていた。
「……まず、お前は誰だ。」
敦盛は警戒を強め、鋭い瞳で刺々しく尋ねた。
「……名乗る者ではありませんが……武蔵の国、熊谷次郎直実と申します。」
「そうか。ではお前の為には良い相手だぞ。僕の首を取って人に見せてみろ。皆すぐにわかる。」
敦盛はどことなく疲れた顔をしていた。この世界を恨んでいる……そういう表情だった。
「自分の子供が軽傷を負っただけでも心苦しい。あなたは私の息子と同じくらいの歳。あなたが死ねばあなたの父上も悲しむでしょう……。お助け致したい。」
男がそうつぶやいた時、背後から軍の一団が迫って来ていた。
「……武家の生まれなぞ良い事があるわけがない。もう……殺してくれ。もう笛が吹けないんだ。指を怪我してしまった……。笛が吹けないならもういい。さっさと殺せ。」
敦盛は男に殺してくれと懇願した。
「……もう軍が迫っています。どうせ殺されるのでしたら私の手で……。」
男は刀を振りかぶり震える手で敦盛の首を取った。倒れた敦盛の腰から笛が落ち、赤く染まる白浜に転がった。
「……笛……。そうか。このお方が敵陣で笛を吹いておられたお方だったのだ。」
男は目に涙を浮かべながらその笛をそっと拾った。
記憶はそこで終わった。霧が晴れ、セイは元の白浜に立っていた。
「そうですか……。」
セイは独りつぶやいた。
「……?どうしました?」
「私はあなたの負の感情から生まれた神だったのですね。しっかりと祭られてから私は音楽の神として生まれ変わった……。元々は人に不幸をもたらしてしまう厄神だったって事……。じゃあ……ショウゴの選択は……ノノカの感情は……タカトの想いは……。」
セイはそこまでで言葉をきった。
……私が絶望した事により、私の奥底に眠っていた元の力が出てしまい、さらに歪んでしまった……。
……でもそれは彼らが私を利用しようとした事が原因です。私は……悪くありません。
……もういいです。考えるのをやめましょう。私は……ここで消える事ができるのだから……。
「それは皆にとってプラスの事……。私はいなくなった方がいい。私は笛から生まれた神です。持ち主に笛を返せば私は消えられる。」
「……神様?」
敦盛はセイを不思議そうに見つめていた。セイはそっと目を閉じると微笑んだ。
「この笛……お返しします。今のあなたならばこの笛を清める事ができるはずです。この笛にはあなたの厄が残ってしまっています。いままでは私の力で封印されていたようです。」
セイは敦盛に笛を押し付けた。敦盛はセイから笛を受け取ると戸惑った顔でセイを見た。
「どうして……あなたはお泣きに……。」
敦盛が心配そうに声をかけた刹那、セイの周りから世界が歪み始めた。
「!?」
近くにいた才蔵と半蔵は目を見開いてあたりを見回していた。
突然、セイはその場に倒れ、塵のように消えた。塵のように消えて間もなく、消えてしまったはずのセイがまったく別神の表情で悠然と現れた。瞳は赤く冷徹だ。
「……こんなはずじゃない。私はさっき、一度死にました。消えるはずだったのにこちらの世界で魂になってしまった……。まったくどこまでも……理不尽な世界ですね。」
セイは誰にともなく声を発すると手から敦盛に渡したはずの笛を出現させた。その笛は敦盛も持っていた。
「なんですかい?セイに一体何が……。」
半蔵は様子のおかしいセイを戸惑った表情で見つめ、才蔵に意見を求めた。
「わかりません。ですがこれがセイの望みです。少なくとも我々は主の望みを叶えたのです。」
才蔵も不安げな顔をしていた。
二人が戸惑っているとセイが笛を吹き始めた。低く、悲しく、不安定な曲調で人を不安にさせるようなものだった。世界はさらに歪み、半蔵と才蔵は耳を塞ぎながら苦しそうに呻き、真黒な世界へと落ちて行った。
歪んでいた世界は崩壊を始め、魂になったセイは空に浮かびながら崩壊する世界から遠ざかっていた。遠くに見える世界で敦盛が不安げにこちらを見つめているのが見えた。その後、敦盛もガラスが割れるかのようにバラバラになり消えた。
……壊して壊す……この世界を壊す……。弐の世界がなくなれば私は本当にいなくなれる……。この世界から消える事ができる……。
……壊す……私が……壊す……。
セイの感情は破壊の方面へと動いていた。この感情は生前の敦盛やショウゴが持っていたものと酷似していた。人が抱える闇の心。自暴自棄になった時に起る、すべて壊してしまいたいという衝動。
セイは人にとても近い神だった。神話などではなく一個人である人間から生まれた神様だからだ。
しかし、その感情をトケイは許さなかった。
いままで動かなかったトケイの目が突然オレンジ色に光りだし、服についていた電子時計が何かの時を刻み始めた。
トケイは無表情のままウィングを広げ、崩壊した世界からセイに向けて飛び上がった。
「!」
セイは突然飛んできたトケイに目を見開いた。トケイは感情なくセイに殴り掛かった。
セイは腕で防いだがあまりの力強さに大きく吹っ飛ばされ、別の世界の地面に叩きつけられた。
「ごほっ!」
セイは仰向けのまま苦しそうに呻き、勢いよく下降してくるトケイを黙って見つめていた。
トケイはセイの腹目がけて拳を振り下ろした。
「……っあうぅ!」
セイは再び呻き、トケイから離れようとしたがトケイはそのままセイをボロ雑巾のように踏みつぶしはじめた。表情に感情はなく、まるでロボットの様だった。そこにあるものが道具か何かのように無慈悲に足を上げる。
……私はもう魂……ここで殺されてもこの世界で死んだことになるだけ……意味はありません。
セイは折れてしまった腕で笛を吹いた。
セイの笛の旋律でどこだかわからない世界は崩壊を始めた。トケイは再び足を振り上げるが地面が急になくなってしまったため、一時止まった。セイは崩壊する世界から真黒な世界へと消えて行った。
トケイは機械のようにあたりを見回してからセイを探しどこかへと飛んで行った。
「お姉様。あれがトケイのようでございます。」
遠くで一部始終を見ていた更夜の兄、逢夜は隣にいる姉、千夜にそっとささやいた。
「……。少し……様子がおかしいようである。やみくもに突っ込まずにまずはセイの側にいた服部半蔵と霧隠才蔵を回収し、話を聞こうぞ。」
千夜は階下の世界で気を失っている半蔵と才蔵を見据え、逢夜に声をかけた。
「お姉様。拷問いたしますか?」
「その必要はない。あれらはもうセイの命令を叶えた後である。仕事は終わっているはず故、話すだろう。嘘を言う可能性もある故、警戒しつつ尋問する。とりあえず捕まえようぞ。」
「はい。」
千夜と逢夜は階下に広がる世界へと落ちて行った。




