かわたれ時…2織姫と彦星の運12
シホは神社の近くにある大きな松の木と青空を自身の瞳に映した。なんだかとても懐かしい気がした。以前もこうやってこの神社のこの場所で空を見上げた気がする。
その時ふとコウタと出会ったころの事を思いだした。
あれは小学四年生くらいの事か。
シホは正義感あふれる少女だった。困っている人がいたら率先して助け、いじめられている子がいたらすぐさま救ってやっていた。彼女はクラスの中でなくてはならない存在だった。
喧嘩もそこそこ強かった。シホは男の子と喧嘩してもあまり負けた事はなかった。とはいっても、現実的に強気で突っかかってくる女の子をめんどくさがっていた感じだったかもしれない。
たいがい、殴り合いの喧嘩にはならず、男の子の方が醜い言葉を吐いて去って行った。
シホはある時、集団で暴力を振るわれている男の子に会った。
……そのいじめられている男の子がコウタだった……。
今現在の小学生のいじめで、ここまであからさまにやるのは少し珍しかったなとシホは懐かしそうに青空を見上げた。そのまま目を閉じ、過去の記憶を思い起こす。
そのいじめは確か、校庭の端にある体育小屋で行われていた。
「お前、……に……の事チクッたろ!」
「一回死んだら?むしろ死ね。」
「これからこーかいしょけいだ!」
「りんちだろ?」
まだ意味がよくわかっていないだろう言葉を男の子の集団がボロ雑巾のように横たわっているコウタに浴びせている。コウタは何も話さずに暗い瞳で地面を見つめていた。
蹴られっぱなしのコウタを見ていられずシホは男の子達の輪に割って入った。
「あんた達、何してんの?ばっかじゃないの?」
「つり目が来た!」
男の子達はシホを指差しながら馬鹿にしたように笑った。つり目とはシホがいつも怒っている所からとった男の子達のあだ名である。まあ、悪口のようなものだ。
「あんた達がいじめているって事、先生に言っておくから。」
「馬鹿じゃねぇの?証拠なんてないだろ。」
少し怯えている男の子がシホに向かい叫ぶ。シホは不気味に笑いながら男の子達を見据えた。
「大丈夫。証拠はあるから。そのうちPTAにいくかもね。」
具体的に何の証拠かは言わない。だがこのシホの顔を見た男の子達は怯えながらシホにそれぞれ汚い言葉を吐いて去って行った。
「ふう。相手が馬鹿で良かった。で?あんた、大丈夫?名前、なんて言うの?」
シホは逃げていく男の子達を眺めながらコウタに話しかけた。
「……コウタ。瀬戸内コウタ。助けてくれてありがとう。……名前、なんて言うの?」
コウタは身体のほこりを払いながらシホを見上げた。
「うち?うちは鳥海シホ。……あんた、もっとしっかりしなよ。なんでなんも言わないの?」
「いつもの事だからさ。俺は……別に。」
シホの質問にコウタがそっけなく答えた。
「あんた、悔しくないわけ?」
「悔しいけど……それ以上に怖いんだ。俺、弱いよね。女の子に助けてもらうなんて……なさけないよ。」
コウタは力なく笑った。シホは何となく放っておけず、コウタの背中をそっと撫でながらいままでのいじめの経緯やその他を聞いてあげた。しばらくして幾分かすっきりした顔のコウタがシホに微笑みお礼を再び言ってきた。
「ありがとう。鳥海さん。」
「うちはシホでいいよ。」
「女の子を下の名前で呼ぶのは恋人とかだよ。俺には無理かな。でも……ありがとう。」
コウタは早口にそう言うと逃げるようにシホから去って行った。
コウタと会ったのはそれが最初でそれからまたしばらく彼に会う事はなかった。
中学に入ってオシドリ夫婦だった父と母が毎日口げんかをするようになった。父が家族に黙って多額の借金をしていたらしいことが母にバレたようだ。
この時シホはすべてがバカバカしくなっており、無駄な毎日を繰り返し送っていた。家庭の事情も相まって小学校の時の記憶をすべて捨て去りたいくらい正義感という言葉が嫌いになってしまっていた。
毎日誰かに当たっていないと気が済まなくて幸せに暮らしている人を恨んでいた。
シホはあの時の男の子達と同じ事をやって憂さ晴らしをしていた。
「パンツ姿で犬のモノマネしろよ!きっもい男。」
「ああ、キモい!こっちこないで!」
シホが憂さ晴らしにつかっていたのが病弱な男子生徒だった。シホは面白半分で入り込んできた女子生徒を仲間にし、暴力を重ねた。
「逆らうんじゃねぇよ。さっさとやれ!」
シホは怯える男子生徒の腹を思い切り蹴る。男子生徒はじざい箒で頭を叩かれながら怯えるように下着姿になり犬のモノマネをしはじめた。シホはその瞬間がたまらなく好きだった。
「あははは!ほんとにやってんよ。こいつ!」
「うわっ!キッモ!」
「きったない犬には汚いものが似合うよ。モップかけてあげる。」
シホは男子生徒の顔にモップを押し付ける。まわりの女子達もこぞってモップを押し付けていた。
机にはカッターで悪口を書き、その男子生徒に一生残る心の傷を刻み続けた。
実はその男子生徒は隣りのクラスだったコウタと親友だった。
「コウタ……。」
「ユウスケ!またやられたのか……。」
ユウスケと呼ばれた男子生徒は暗く沈んだ顔でクラス内の椅子に座っていたコウタの前に現れた。
「……。」
「ユウスケ……。お前の身体が弱いって事を知っててやっているんだな。あの女ども。俺はもう我慢できない。俺が仕返ししてやる。」
コウタは小学四年生の時と比べ別人のように成長していた。身長も遥かに伸び、体型はがっしりと成人男性に近づいた身体つきをしている。
「そんな……悪いよ……僕は平気だからさ。仕返しなんてよくないよ。」
ユウスケは必死にコウタを止めていた。
「お前は優し過ぎるんだ。一発脅しの文句でも言ってみればどいつも蜘蛛の子散らすように逃げて行くぞ。」
コウタはユウスケの肩を乱暴に掴む。
「コウタはなんでそんな事がわかるの?」
「俺がそうだったからだ。小学校低学年の頃さ、俺、超いじめられててほんと、死のうかと思ってたんだ。
情けない話だけど俺、女の子に助けられちゃってさ。あの子はホントに強い子なんだなって思った。男子に囲まれて何とも思ってないみたいだった。
いまでも忘れられない。その後さ、俺、その女の子がやったみたいに強気で突っかかってみたんだ。そしたら皆逃げて行ったよ。で、そいつらさ、その次の日に友達になろうとかぬかしやがったから嫌だとはっきり断ってやった。」
「そうなんだ……。僕はそんな事言えないよ……。」
コウタはユウスケの肩を叩く。ユウスケが自分を責めはじめていたからだ。
「お前は変わらないといけないと思うが変われない事に罪悪感なんて覚えなくていい。お前自身を憎むな。無理ならやらなくていい。」
コウタは怯えるユウスケを横にどけると夕陽が差す廊下を足音荒く走り出した。
だいたいこのいじめがおこなわれるのが放課後。先生はもういないが生徒はちらほら残っているそんな時間帯。
もちろん、他の生徒がシホ達のいじめに関わってくる事はない。皆、見なかったふりをして気の毒そうに走り去る。
認めたくはないがそれが一番自分の身を守る良い方法だ。下手に手を出すとめんどうくさい事になると人間は生きている内にそれを学ぶ。自分自身を守るのに必死な者はそれでいいとコウタは思っていた。
……でも俺はあの子みたいになりたいんだ。あの時はなんだか気恥かしくて逃げるように去ってしまったが……本当はとても嬉しかったんだ。
「ユウスケをやったのは誰だ?」
コウタはシホがいる教室へズカズカと入り込み怒りを殺した声でつぶやいた。シホの教室にはシホ達グループ他、数人の学生が残っていた。数人の学生は恐る恐る教室を出ていく。
残ったのはシホのグループだけだった。
「あんだ、誰?」
シホが睨みつけるようにコウタを見た。
「ユウスケにひどい事をしたのは誰だ。」
「ユウスケ?ああ、あいつか。」
シホはクスクスと笑っていた。まわりの女子達はこちらを威嚇するように睨みつけているコウタに怯えはじめていた。
「お前らだな。ユウスケは俺の友達だ。お前らは許さない。ぶんなぐられたいやつから出て来い。」
さらに睨みつけると女子達は怯えて次々と何かを言い始めた。
「あ、あたしはシホに頼まれてやっただけだから!し、しらない!」
「私もやれって頼まれたから……。ほんとはやりたくなかったけど。」
「裸で犬のモノマネやれって言ったのシホだから!モップはやれって言われて……。」
皆、自身を守るため必死に言い訳をし、そのまま逃げるようにコウタの横をすり抜けて行った。
コウタは別に何もしなかった。……いや、できなかった。
コウタはシホと呼ばれた少女を呆然と見つめていた。
「……あーあ、皆いなくなっちゃった。つまんねーの。……で?あんた誰?」
「シホ……まさか……鳥海……。」
コウタが驚いているのをよそにシホは眉をひそめていた。
「ああ?お前誰だよ?うちは鳥海シホだけどなんで知ってんの?マジキモいんだけど。」
シホはコウタに気がついていなかった。男の子は中学へ入るととたんに成長する。身長、顔つきもだいぶん変わる。コウタも小学校の時とは顔つきも全く違った。
反対にシホは胸やおしりが少し出て来たくらいで顔つきに変化はあまりなかったのでコウタはすぐに気がついた。
「俺は瀬戸内コウタ。あんたは覚えていないかもな。俺の事。」
コウタはシホを懐かしむように見つめた。
「瀬戸内……コウタ……。」
シホの顔に動揺の色が見えた。シホはコウタの事を覚えているらしい。
「なんでいじめられている奴を助けていたのにいじめる側になってんだよ。あんた。」
「うるせぇな!あんときの話はすんじゃねぇ!殺すぞ!」
「やってみろよ。」
シホの脅しをコウタは軽く流した。
「……。」
「俺、あんたにあの時助けられて嬉しかったんだがな。あんた、こんな奴だったのか。」
「うるせえって言ってんだよ。」
コウタはシホを睨みつけた。シホは言葉が見つからず悪態をつくくらいしかできなかった。
「俺、お前許さないぜ。お前らにとってそれはどうでもいい事かもしれないが、ユウスケは心に大きな傷をつけられた。」
「そんな大げさなもんじゃねぇだろ。ちょっとからかっただけだ。」
シホは何とも思っていないのかフフンと偉そうに笑った。それを見たコウタは怒りを抑える事ができずにシホに叫んだ。
「裸で犬のモノマネさせるのがか!ああ?じゃあ、お前がやってみろ!俺がお前をからかってやるよ。早く裸になって犬のモノマネやれよ。俺がモップで顔を洗ってやる。」
「は、はあ?馬鹿じゃねぇの?あんた、とんでもない変態だぜ!死ねよ。」
シホはコウタの気迫に若干押されていたが無理に笑ってみせた。
「お前らがユウスケにやったのは変態の行為じゃないっていうのか?どういう頭してやがんだ。ああ?」
コウタはシホの胸ぐらをグイッと掴んだ。シホに初めて怯えの表情が浮かんだ。
「ちっ。イラついてんなら……殴ればいいじゃん……。」
「殴りたいのはやまやまだが……俺が犯罪になるからな。」
「じゃあ……離せよ。女の胸ぐら掴むなんて最低だぜ。」
シホがコウタから離れようと身体をばたつかせた。その時、シホの首元に痣がある事にコウタは気がついた。よく見ると首だけではない。ブラウスから見える腕にも痣。膝にも痣。いや、よく見るとたばこの火か……。
コウタはその痣や火傷を見てとっさにシホを離した。
「お前……。」
「殴るのは別にいいけど腹と顔以外な。顔は学校行けなくなるからやめろ。腹は昨日親父に殴られて痛みがひかねぇからやめろ。」
シホの瞳が暗く沈んでいく。
「お前……まさか……。」
「ああ?なんだよ。ああ、これか?これは親父にこないだ首絞められて……。」
シホは首筋の痣をそっと撫でた。
「虐待……されて……。」
「さあな。もうどうでもよくなっちゃってさ。ほんと、ユウスケみたいな呑気なやつがうらやましい。スゲーむかつく。」
シホはそう捨て台詞を吐いて近くにあった椅子を蹴るとコウタから逃げるように走り去って行った。




