かわたれ時…1月光と陽光の姫21
平和に笑っている三人を眺めながら、チイちゃんは面白くなさそうな顔でぼそりとつぶやいた。
「では、ここから出ないといけないのではないですか?ねぇ?」
「そうですわね。でも……まだ……。」
月照明神がまた意味深な言葉を発する。意味が理解できなかったライは、ここからの出方を自信満々に語りはじめた。
「問題ないよ?ここからは簡単に外に出られる。だってここは月ちゃんの心。壱の世界であるあのお城は今や弐の世界。つまりあのお城そのものも月ちゃんの心。弐の世界との境界が曖昧だから、どこかにお城に繋がっている場所があるはず。あ、妄想の弐の方にいる兎や月神達、今、連れてくるね!」
ライはここから出る気満々で走って行った。
「ちょっと待ってください!まだ出ません!」
走り去るライに月照明神が叫んだ。
「え?」
月照明神の呼び止めにライは驚いて立ち止った。
「どうして?出たくないの?」
ライは戸惑った顔を月照明神に向けた。
「いや、出たいですが、もうちょっとここにいてください。もしかしたらここが月ちゃんの本当の心かもしれません……。」
「こんな真っ暗な所が心なんですか?」
チイちゃんが不思議そうにあたりを見回していたので、月照明神はチイちゃんの頭にそっと手を置き、つぶやいた。
「心は不安定な場所です。どんな姿にでも形を変えられる。今の月ちゃんにはこの世界のビジョンを考えるほど余裕がないという事です。」
「な、なるほどです……。」
チイちゃんは何かに圧倒されるように頷いた。
「で?なんだ?あんたはここで月子の心を少しでも多く知ろうとしているわけか?」
「そうですわ。だってやっと見つけたんですもの……。長かったですわ……。」
月照明神は質問を投げかけてきたみー君に満足そうに答えた。みー君もチイちゃんもそれ以上何も言えず、ただ黙ったまま月照明神が満足するまで待つ体勢に入った。
しばらくの間、月子の心を知るべく目を閉じていた一同だったが突然、息苦しさが襲ってきた。
『たすけて……』
刹那、か細い声が聞こえた。その声は消え入りそうなくらい小さい。
「ん?なんか聞こえたな。」
「みー君、ちょっと黙ってて。」
「黙っててって……お前……。」
ライが人差し指を立てて「しぃー」とささやくのでみー君はため息をつきつつ黙った。
『誰か……助けてよ……。このままじゃ剣王に殺されちゃうわ!何か言わなきゃ……何も思いつかない……。どうしよう……どうしよう……。私はやっぱり一人じゃ何にもできないクズね。お姉ちゃんみたいになれない……。
どう頑張っても追いつけないよ。……こんなダメな神様、いない方がいい……。助けて……なんて言っちゃダメ。私はここで剣王に斬り殺されるべきだ。
……どうして……なんで私は皆と同じ所に立てないの?サキはもうすでに立っているって言うのに……なんで私はできないの?……私はいつから……こんな間違いを犯してしまったの?』
月子は泣いていた。みー君は月子の叫びを聞きながら月照明神を一瞥した。
月照明神は……目を閉じたまま微笑んでいた。
……笑っているのか?
みー君は不思議そうに月照明神を眺めた。月子の声はまだ続いていた。
『お姉ちゃん……。お姉ちゃん……ごめん。お姉ちゃんは私を気にかけてくれていたのに……お姉ちゃん……助けて……。』
月照明神はそっと目を開けた。月子の声はまだ続く。
『ライ……ごめんね。あんたが私を好きでいてくれなかったら私は本当に一人だった。今ならわかる。ひどい事言ったのも無理なお願いしたのも全部、ライなら私を嫌わないって思ったから……私、調子乗ってたんだね。私、最低だわ。
最低だってわかっていても罪を隠す事と裏切られない事ばかり考えていて私は……大切なものを失った。サキの言ったとおりだわ。私は抱えていたものの大切さに気がつかずにすべて手放してしまったんだ。本当に今更気がついた……。もうどうしようもないよ……。最低だよ。私……。』
月子のすすり泣く声が空間全体に響く。
「あーあーあー……こりゃあ恥ずかしいな。俺だったらもうこれが人に知られている段階で外に出られないな。
おい。ここまで聞けば十分じゃねぇのか?しっかし、心の中ってのは怖いな。恥ずかしい事、全部筒抜けだぜ。それよりもだ、月子、剣王に殺されるとか言ってなかったか?今、月子の前には剣王がいるのか?」
みー君はため息をつきつつ、疑問を口にする。
「まったく……剣王ったら……少しやりすぎですわ……。」
みー君の疑問に関係なく、月照明神はほぼ独り言のようにぼそりとつぶやいた。
「え?やりすぎって?何が?」
声を拾ったライが月照明神をきょとんとした顔で見つめる。
「あ……えっとですね……。その……。」
月照明神は狼狽し、必死で言葉を探している。
「なんだ?なんか怪しいな。」
みー君に鋭く睨まれて、月照明神は困惑した顔をしながら肩を落とした。
「ああ……もう白状しますね……。実はわたくし、剣王に色々お頼み申し上げたのですよ。」
月照明神は言い訳するのをあきらめ、ため息をつきながら口を開いた。
「剣王に?どうやってだ?」
「弐の世界に落ちる前、わたくしの刀に思いを込めました。」
月照明神はチイちゃんの頭をまたそっと撫でる。
「思い?」
「ええ。わたくしは月ちゃんの本当の心が知りたい。弐の世界で待っているので、月ちゃんを救ってほしいとお願いいたしました。そしてしばらく月が荒れる事など、追加でいくつか未来をお伝えしてあの場にいたウサギに向かい、彼を投げました。」
「……!」
ライとチイちゃんは驚いて口をパクパクさせていた。
「剣王はただの刀でどうやってあんたの思いとやらを受け取ったんだ?」
みー君は驚いている二人をよそに質問を続ける。
「剣王は武神です。武器や防具から人の思いやメッセージを読み取れるのです。だからこそ彼はどんな武器でも使いこなせる。剣王に届くかはほぼ運でしたが……。」
「なるほどな。」
みー君は感心したように頷いていた。
「刀だけ帰ってきたのではわからないだろうと剣王の計らいで、わたくしの刀は人型として戻ってきました。わたくしとしてはただ、剣王の元から来たという結論だけあればそれでよかったわけですから、彼が何も知らなくても別に良かったわけです。ただ、剣王の所から来たと、それだけ言ってもらえれば良かったのです。」
「よかったな。なんかわからんが役に立ったみたいだぞ。」
月照明神の言葉を耳に入れながら、みー君はチイちゃんに目を向けた。
「えっと……まあ、お役に立てたのならそれでいいです。」
チイちゃんは複雑な顔で頷いた。
……別にここに来るために頑張って人型になったわけじゃないんだけどなあ……。
……っていうか勝手になってた。うん。
「おい。何変な顔してんだよ?」
みー君に突っこまれチイちゃんはハッと我に返った。
「いや、なんでもないのですが……オレが月照明神様の刀なら、オレは刀としての使命を果たさないといけないのではないでしょうか?刀に戻った方がいいと思いますが……オレ、戻り方わからないのですが……。」
「別にそのままでいいですわよ。あなたはもう刀神です。わたくしにつくのではなく、剣王の元に行きなさい。その方があなたのためになるでしょう?」
チイちゃんの困り顔を眺めながら月照明神は笑顔で言った。
「ですが……主を守る刃がいなくなってしまいます。」
「……あなたにこれを言うのは心苦しいですが……わたくしはあなたを剣王に渡す事で、剣王に今回の件の手助けをしてもらっています。つまり、あなたはもうすでに、剣王の持ち物でわたくしのものではありません。」
月照明神はきっぱりと言い放った。それを聞いたチイちゃんはとても傷ついた。月照明神の刀だった時期は覚えていない。覚えていないが、守るべき主だった神から、あなたはもういりませんと言われたら覚えていなくてもやはり傷つく。
「そう……ですか。」
「ちょっと、月照明神、チイちゃんはこれからあなたを守ろうとしていたのにそんな事言うなんて……。」
チイちゃんの暗く沈んだ顔を見たライは、いてもたってもいられず声を発した。
「ライ……。あなたは物を相手に送った事がないのですか?大事なものでも手放さなければならない時があるのです。」
「チイちゃんはもう物じゃないよ?最初は刀だったからあげちゃうのもしょうがないかなって思うけど、今は全力でチイちゃんを取り戻さないといけないと思うよ。」
ライはチイちゃんの前に立つとまっすぐ月照明神を見つめた。
「そんな事はもうできません。実際これで手をうっている以上、終わってから返してくださいなんて言えないでしょう?剣王は心の広い方ですが、交渉決裂するような事などわたくしはできません。」
月照明神はまったくぶれずにライを見つめ返した。あまりの眼力の強さにライは黙り込み、目を逸らした。
「ライ……もういいっすよ。」
チイちゃんは無理に微笑みながらライを後ろに下がらせる。
「でも……チイちゃん……。」
ライが悲しそうな顔でチイちゃんを見た。チイちゃんはライに目を向けず控えめに月照明神を見つめていた。その様子を見ていたみー君が「……なあ。」とつぶやいた。
みー君は眉にしわを寄せながらまわりの反応に構わず口を開いた。
「あんた、妹を本当に大事な存在だと思っているんだな。感心するぜ。」
「みー君?」
ライは首を傾けながら言葉の続きを待つ。
「自分が本当に大事だと思っていた刀まで剣王に売って、その刀が人型になって戻ってきても意思は変わらずだ。あんたは月を背負っている。それだけに重い。何を一番に考えるかあんたはよくわかっている。あんたは立派なんだよ。俺には到底できない。」
「……。」
みー君の言葉に月照明神は微笑んでいたが何も話さなかった。
「そいつを手放すのも本当は身を斬られるくらいだったはずだ。」
「……そう……ですわね。」
月照明神の感情はよくわからない。感情がまったく表に出ていなかった。月子とは逆だ。
月照明神は自身の感情を隠す事ができるようだ。
……この女……強いな。
みー君はそう思いながら今度はチイちゃんに目を向けた。チイちゃんはみー君から目を逸らした。
「なあ、お前は月が存在するかしないかっていうスゲェ事件を解決するためのカギになったって事だぞ。自分の使命をもっとよく考えろ。その取引相手は剣王だ。剣王はそんな簡単に動かないぜ。いつもぐーたら寝てるからな。
……その剣王が動いたんだぞ。つまり、お前にはそれだけの価値がある。月照明神も剣王に送るのに値する物が、お前しかいなかったからしかたなく渡したんだ。」
チイちゃんはゆっくりとみー君を見据え、気がついたように目を見開いた。
「あ……確かに……そう……です!よく考えたらオレ、凄いじゃないですか!」
チイちゃんは先程とはうって変わり、顔が輝いていた。
「そっか!チイちゃん、凄いんだね!よく考えたら!」
ライも目を輝かせながらチイちゃんを見ていた。
……こいつらは単純すぎるな……。馬鹿か。
みー君はふうとため息をついた。
……まあ、よくわからんが嘘は言ってないはずだ。たぶん。
みー君はうんうんと頷き、月照明神を見た。月照明神は微笑みながらみー君を一瞥するとすっと歩き出した。
「おい。どこ行くんだ?」
「ここから出ますわ。もう月ちゃんの心を知れたのでわたくしは弐の世界にいる必要がなくなりました。」
月照明神はみー君が言った事を何も気にしていないのか、顔に出していないだけなのか、わからないが変わらない表情でみー君に笑顔を向けた。
「じゃあ、私の出番だね。さっきのドアから妄想の弐に行けば出られると思う。
あの世界に他の兎や月神達もいるから皆で一緒に外に出ようね。」
「ありがとうございます。ライ。」
すっかり機嫌が良くなったライに月照明神は大きく頷いた。
「えっと……オレ、外に出るまで月照明神様をお守り致します!」
チイちゃんは決意に満ちた顔で月照明神を見上げた。
「ありがとうございます。……それと……ごめんなさい……。わたくしの大切な……」
『ありがとうございます』から先は月照明神が背中を向けてしまったので、チイちゃんに届く事はなかったがみー君には聞こえた。
……この女……本当は笑っていられないんだろうな……。
色々抱え込み過ぎて崩れてしまいそうな月照明神の背中をみー君は黙って見つめていた。




