流れ時…最終話リグレット・エンド・ゴースト20
なぜだ……。なぜ……俺は更夜に負けない……。こんなに戦っているというのに……。
栄次は更夜を何度も斬った。だが更夜は何事もなかったかのようにまた栄次に襲いかかってくる。
栄次は今、更夜を押し倒し、刀で更夜の心臓を突き刺していた。何度もの戦いで栄次は疲弊していた。肩が大きく上下しており、息も荒い。体は真っ赤になるほどに斬りきざまれている。
……どうして……俺は死ねない?
「あはは。これで更夜は何回死んだのかな?いい気味だね。とっても楽しいよ。」
いつの間に近くに来たのか鈴がケラケラと笑っていた。
「鈴……。お前、これが楽しいのか?」
「楽しいよ!だってあれだけ殺したかった更夜をこんなに何度も……殺してくれて……。」
「では……なぜ泣いているのだ……。」
栄次はうつろな目で鈴を見つめる。鈴はケラケラと笑いながら……泣いていた。
「さあ?わかんないね。こんなに楽しいのに……。憎んでいた更夜を何度も殺しているのに……。」
刺殺したはずの更夜は何事もないかのようにまた栄次と間合いをとるように立っていた。
栄次は霞む目で更夜を見つめる。更夜の顔には何の感情もなかった。
「……こんなに楽しいのに……なんでだろう?わたしは……なぜか悲しいよ……。」
鈴の言葉は風に流れるように消えていった。栄次はまた更夜と刀を交えていた。
*****
オレンジ色の髪の子がわたくしの前を通るのです。その子はその無機質で機械のような目をわたくしに向けもせず通り過ぎるのです。おそらく壊れてしまった壱の世の時神を抹消しに行くのでしょう。
もうああなってしまっては現世で新しい過去神が生まれていなくても、おしまいです。
弐の世界に自ら入り、人間との干渉を絶ち、早く消えてしまいたいと願う時神はもう壱の世界にはいらない。頻繁にいるのです。長い年月を生きすぎてこうなってしまう時神が。
まだ栄次はもとに戻る事ができると思います……。彼を助けに来る時神達がいる。
トケイ……早まってはいけません。……そう言いたいのですが彼には感情がありません。
彼に感情というものがあったらわたくしの言葉は届くでしょう。
しかし、この弐の世界で感情を持つのは死ぬよりもつらい事。ずっとこの世界にいて狂わずにいられるのはトケイに感情がないから。あの子は弐の世界に望んで入り込んだ壱の世の時神を消すために存在する時神……。それも弐の世界の時を守るために大切な事……。
……トケイはそのために生きている……ほんとうにかわいそうな子……。
*****
アヤ達は真夏の太陽の下にいた。地面は青々とした雑草が元気よく伸びている。まわりは何もない。ただ、太陽とどこまでも続く草原が広がっているだけだ。
「ん……。」
アヤはいつの間にか閉じていた目を開けた。アヤは草の上に寝転がっていた。なぜか身体がだるく、意識を保とうとしなければ眠ってしまいそうだった。プラズマがアヤを必死で揺すっていた。
「おい!おい!しっかりしろ!ここでもう一度寝たらやばそうだぞ!」
プラズマはわざと声を荒げる。プラズマも寝てしまいそうになり、大声を出して眠気を覚ましていたらしい。アヤは朦朧とした意識の中、頭を横に振った。少しだけだが目が覚めた気がする。
「大丈夫よ……。プラズマ。」
アヤはよろよろと立ち上がった。ウサギが心配そうにアヤを見ていた。ウサギは眠くないのだろうか。
「ウサギは眠たくないの?」
「自分は夜行性故、眠たいとは思わないであります!現在、壱の世界では夜であるため、本来今は起きているであります。先程、図書館で爆睡したのもプラスして大丈夫でごじゃる!」
「あ、そうなの?……というか……暑いわね……。」
アヤは真夏の太陽を迷惑そうに見上げる。あの太陽も心を持つ者が創ったものか。
こんなに暑いのならセミが鳴いていてもおかしくないのだがこの世界はセミどころか音がまったくしない。
「風の音すらしないぞ。」
プラズマは耳を澄ましたが自分達の声以外何も聞こえない。草を踏んでも踏んだ音がしない。
「なんだか……不気味でごじゃる。ウサギンヌぅ……。」
ウサギの髪か耳かがだらんと垂れている。怯えているようだ。
「!」
突如、ウサギの耳が片方立ち上がった。
「どうした?」
「足音が聞こえるでごじゃる!この音のない空間で……。はわわわ……。」
ウサギはさらに怯え、体を震わせながらアヤの影に隠れる。さすが兎と言うべきか耳の発達は素晴らしい。
「ちょっとしっかりしなさいよ……。ついて来た時の威勢はどうしたのよ!」
アヤは腰に引っついてきたウサギに喝を入れる。
「そういえば俺達は霊的着物をまだ着ていたんだったな。」
「それがなんなのよ?今、関係あるの?」
アヤとプラズマは月子さんに会う為に正装をした。そのまま着替える事なく弐に入ってしまったから着物のまんまだ。
「久々だが、霊的武器を……。」
プラズマは手から弓と矢を出現させた。
「あなた……そんなものを持っていたの?」
「ああ、生きるために持ち歩いていたんだが知らんうちに具現化できるようになってしまって……。栄次の場合は刀がそうなんじゃないか?」
プラズマは弓を懐かしそうに眺めながらアヤに答える。
「そうなの?……その道具に付喪神がつきそうね……。」
「まったくだ。……まあ、なんか襲ってくるって感じかもしれないし、一応構えておく。」
プラズマはウサギが怯えている方向に矢を絞った。
「あなた、弓矢の腕前は?」
アヤは弓矢を構えるプラズマに問いかけた。格好が恐ろしく似合っている。平安の世の人間のようだ。
「俺は遠距離攻撃専門だ。あんまり覚えていないが火縄銃の鉄砲隊の時、狙ったものははずさなかった。弓矢なんかはたぶん古くからの付き合いだ。まあ、なまってなきゃ当たるだろ。」
「本当に大丈夫かしら……。『たぶん』とか『覚えていない』とか……話を聞く限りでは不安だわ。」
「ミライ!頑張るであります!」
呆れているアヤの影に隠れながら不安げにウサギは声を発していた。
「おう!バックにいるのは女二人!俺が守ってやるよ!」
プラズマはにやりと笑った。
「ほんと……大丈夫かしら……。」
アヤは頭を抱えた。
「おい、ウサギ。足音が聞こえてくる正確な位置、わかるか?」
「えーと……ちょい右?いや左?」
「OK!」
「ちょっ……!OKじゃないでしょ!今の!左か右かもわかってなかったわよ。」
ウサギのグダグダな言葉にプラズマは頷いた。アヤは慌てて会話に割って入った。
「んー……。なんとなくわかった。」
足あとはもう近くまで聞こえる。それなのに姿が見えない。静寂な中、不気味な足音だけどんどん近づいてくる。
「ん?」
プラズマが何の前触れもなく狙いを定めた。刹那、人影が少し遠くで揺れた。
「ま、待つでごじゃる!ミライ!」
「いっ?」
ウサギが叫んだ声と弓が唸る音が同時に響いた。
「月照明神様!」
ウサギは矢が当たる寸前の人影に向かい叫んだ。ウサギは絶望的な顔をしていたが矢は当たる事なく顔のすれすれを飛び、地面に刺さった。
「危なかった……。お前が叫んだからわざとはずしたんだぞ……。」
プラズマは冷や汗をかきながらウサギに目を向けた。アヤはプラズマの腕前が常人を超えている事に気がついた。
……あれは明らかに額を狙っていた。あの瞬時で的を絞り、的確に矢を放った。
その後、ウサギの止める掛け声で咄嗟にぎりぎりで的を外した。やはり長く生きた時神は生が人間から始まるとはいえ常人ではない。
「あら……物騒ですこと……。」
人影が声を発した。声は女のものだ。だんだんと姿が露わになっていく。白拍子の格好をしたピンク色のストレートヘアーの女が地面に刺さっている矢を眺めていた。
「月子さんのお姉さんか?さっき、あの宇宙で寝てた女だな。」
プラズマがアヤに耳打ちする。
「ウサギが月照明神って言っていたわ。月照明神は月子さんじゃない。」
「月照明神様は二人そろってそう呼ぶでごじゃる。」
アヤのつぶやきを聞いていたウサギはすぐさま声を上げる。
「じゃあ、やっぱりあの神は月子さんのお姉さんなわけね?」
「うん。」
アヤの問いかけにウサギは複雑な表情で頷いた。
「ウサギ、あなたは何のためにこちらに?情けないですよ。足音だけで怯えるのではなく、月神の使いならばもっとしっかりしなければ。」
月照明神はウサギに優しく微笑みかけた。
「も……申し訳ないであります……。月照明神様は何故この世界に……。いや、それ以前の問題で何故弐の世界に入られたでごじゃる?」
「そんな事を言っている場合ではないのです。このままでは栄次が消滅しますわ。あの子はまだ戻れる……。彼の心はこの裏側にありますわ。」
月照明神はウサギに対して何も答えなかった。
「まあ、あんたの事はいいとして、栄次にはどうやったら会えるんだ?」
プラズマが馴れ馴れしく月照明神に話しかける。
「目を閉じて栄次を探しなさい。それだけでいいのです。」
月照明神は静かにそう言った。
「目を閉じるだけ?そのまま寝てしまいそうなのだけれど……。」
アヤが不安そうに月照明神を見上げた。月照明神は女性ながらプラズマほどではないが身長が高い。凛とした雰囲気の美しい女性だった。目元は月子さんに似ているが可愛らしさはなく、おしとやかだ。
「眠ってしまったら戻れないですよ。目を閉じて栄次を感じなさい。それから、ウサギ、あなたは栄次を知らないのでいくら目を閉じても心へは入れません。」
月照明神はアヤの後ろに隠れながら目を必死で閉じているウサギに声をかける。
「はっ!そうでありましたか!」
「人の心に入るという事は大変な事です。お互いが知り合っている事が第一条件で絆が深まれば深まるほど心に入りやすくなりますが深くなりすぎると今度は嘘にまみれます。自分を嫌いにならないでほしいとか余計な感情が入るとその人間は嘘という壁を作ってしまいます。
お互い、なんでも話せる仲だとしても……心では大事に思っている人であっても……言えない秘密はあります。
心に入るという事は泥だらけの靴で畳を踏むのと同じ事。それだけ大変なのですよ。それと……栄次が作り出した心の世界の住人は栄次の心です。栄次が動かしているに過ぎません。心は色々なところで繋がっています。一人で何役も演じられます。」
月照明神は切れ長の瞳でアヤとプラズマに目を向けた。
「なるほど……な。その話だと栄次はそれほどまでに追い詰められているという事だな。」
プラズマは何とも言えない顔でアヤを見た。
「栄次はこの世界のカラにこもり、自分一人で演劇を行っているという事よね。……栄次は……私達に心を開いているのかしら……。」
「わからないが……やってみるしかないだろ。どうせここからどうしたらいいかわからないんだ。この女のやり方でやってみよう。嘘をついている感じでもないしな。」
「ええ。そうね。」
プラズマとアヤはお互い頷き合うと、そっと目を閉じた。
「トケイも……よろしくお願いいたします……。時神様。」
この意味深な月照明神の声を最後にアヤ達は暗闇に飲まれていった。




