流れ時…5プラント・ガーデン・メモリー最終話
雨の音がする。今はちょうど梅雨の時期だった。思わず忘れてしまう所だった。
「……戻ってきたのよね……?」
アヤは周りを見回す。大量の本がずらっと棚に並べられており、机と椅子が沢山置いてある。その奥の方でもう一人の天記神が本を読んでいた。
間違いなく天記神の図書館だった。
「はあ、やっと戻って来れたっ!じゃあ、かえろっと!蛙だけに!あれ?これってどうやって帰るの?」
カエルは忙しなくあたりを見回している。
「現世に戻るのならばこの図書館から出れば戻れるわよ。」
「ほんとっ?わーい!」
カエルは天記神の回答に目を光らせると外へ飛び出して行った。
「あ、皆バイバーイ!また会ったらあそぼっ!」
ドアから出て行った後にカエルの声が遠く聞こえた。
彼女はあっという間にアヤ達の前から姿を消してしまった。
「騒がしいわね……。なんかこう、余韻的なものに浸ったりとかしないのかしら?」
アヤは呆れた目で完全に閉まったドアを眺めた。
「あ~あ~、カエルはやっぱカエルよねぇ~。じゃ、私も帰るわ~。先にハコ村に行ってるわよ~。じゃあね~、スサノオ尊の子孫達……とアヤ。」
「はい。助けてもらった事感謝しています。先にハコ村に行っててください。」
「そうだな。ありがとう。草姫。」
ヒエンとイソタケル神の言葉を聞いた草姫はフフッと笑うと堂々と歩き出した。
「また会った時、声かけなさいよ。」
アヤは咄嗟に言葉を発した。草姫は立ち止ると振り返り、満面の笑みを浮かべた。
「ふふ……。あなたの事、忘れていなければね~。彼岸花。花言葉は悲しい思い出。これは忘れちゃいましょう~?そしてもう一つの花言葉……再会。今はこちらを採用するわ~。じゃね~。」
草姫はまたアヤ達に背を向けると鼻歌を唄いながらドアから外へ出て行った。
「なんでこう、神って軽いのよ……。」
アヤが眉をひそめたのを見たヒエンはクスクスと笑った。
「アヤさん、わたくし達は個人個人で生きる意味を持っています。その役割は一人ではできません。必ず誰かがそばにいる。神々はいつでもつながっていると考えているから軽いんですよ。」
「そういうものかしら?」
アヤは釈然としない顔をしている。
「そういうものです。」
ヒエンはふふっと微笑んだ。
「そろそろ行こうか。」
イソタケル神がヒエンに笑いかける。
「あ、わたくしはアヤさんをおうちにお送りしなければなりませんので。」
ね?とヒエンはアヤに目を向ける。
「いや、私は別に一人でもたぶん帰れるけど……。」
「でも約束しましたから。」
ヒエンの真面目な声にアヤはポリポリと頭をかいた。
「そうか。時神……本当にすまなかった。何か相談事があれば何でも乗る。いつでも僕を呼んでくれ。」
「あなたを呼ぶほどの惨事が起きたら頼らせてもらうわ。」
「くだらない内容でも構わない。お前の頼みとなればなんでもしよう。」
イソタケル神は真面目な顔で大きく頷いた。
……この真面目兄妹……。私みたいな神が神話の大御所を動かせるわけないでしょう!
世間的に!
そう思ったがアヤは黙る事にした。この真面目な兄妹にこれ以上言うと面倒くさい事になりそうだったからだ。
「では……。天記神、また来る。」
「え……ええ。私も……頑張るわね。」
イソタケル神は天記神を一瞥すると外へと出て行った。
「天記神……。今はつらいと思うけど……頑張って。私もここを利用したいと思っているの。」
アヤは先ほどからうなだれている天記神に声をかけた。
「あなたを殺そうとした私のもとへあなたは来たいの?」
「もう、解決したでしょ。あなたはもう十分苦しんだんじゃないの?もう、いいと思うの。」
「アヤちゃん……。」
天記神は戸惑った顔をアヤに向けた。
「ね?だから、私はまたここに来るからね?」
「……私を慰めてくれるの?」
「そ、そういうつもりでもないんだけど……。」
アヤは顔をほんのり赤くして頭をかく。
「ありがとう。ごめんね。本当に……ごめんなさい。」
天記神は震える手でアヤの肩を掴んだ。
「別にいいわよ。私は生きているから。」
「ほんとに私何やっていたのかしら……。ほんと……馬鹿ね。」
天記神はアヤから手を離した。
「天記神さん。わたくしもこの図書館を利用したいと思います。もっと本を読みやすくしていただけませんか?」
ヒエンは天記神に真面目に提案した。
「はい……。努力してみます。あなたにも畏れ多い事をしてしまったわね。非礼をわびます。」
天記神はヒエンに深々と頭を下げる。
「別にいいですよ。わたくしは生きてますから。」
ヒエンはアヤが言った言葉と同じ言葉を発すると歩き出した。アヤもヒエンに続き歩き出す。
「ああ、ちょっとお待ちを。カッパをお忘れです。」
天記神は優しくアヤとヒエンにカッパをかぶせた。
「ありがとう。」
「ありがとうございます。」
「いえいえ、こちらこそありがとうございます。」
三人はお互い笑い合うと歩き出した。天記神はドアの傍までアヤ達を見送ってくれた。
「また……来るわね。」
アヤは手を振るとヒエンと共にドアを勢いよく開けた。外は大雨だったがヒエンと共に元気よく走り出した。なんだかすごく走りたい気分だった。
天記神はそんなアヤとヒエンを悲しそうに微笑みながら見つめていた。
……アヤちゃん……あなたも過酷な運命を背負っているのね……。私なんかが手を出せる神ではなかった。……頑張ってね……アヤちゃん。それと……本当にごめんなさい。
天記神はそっと目を閉じた。
アヤとヒエンはもう霧の中へと姿を消していた。
※※
アヤが走り去ってすぐのこと……。
「では、イソタケル神と冷林、そして……日穀信智神……ミノさんが関係している本を出してください。ヒエンさんの兄、イソタケル神が冷林の封印をしたまま行方知らずのようなのです。その関連の本を出してください。」
ある赤髪の少女の要望に天記神は明らかに狼狽していた。
「……?どうしました?」
「……いずれ来ると思っていましたが……これはちょっと複雑な事案なの……。」
天記神は迷った顔をしていた。
「どういうことですか?」
「……私は壱の世界を生き、陸の世界を生き……未来の肆、過去の参も生き……そして弐に住んでいます……。他の世界は次元が違いますがこの図書館は常に一定です。つ、つまり私は壱の世界の方面の事も変わらずにわかる……。」
「何を言っているのですか?話が……。」
少女は困惑した表情を浮かべていた。
※※
「ふう……なんか駆け抜けた感じだったわね。」
「けっこうあっという間に現世に戻って来れましたね。」
ここはアヤの家の前。アヤはマンションの一室に一人で暮らしている。雨は相変わらず降っており、今夜は台風になりそうだ。
「この雨が過ぎるのはいつなのかしら?」
「もうだいぶん暑いですからね。もうすぐ梅雨が明けますよ。」
「ヒエンはこれからハコ村へ行くの?」
「ええ。アヤさんも来ますか?」
ヒエンの問いかけにアヤは首を横に振った。
「私はいいわ。関係ないしね。それよりも行きたいところがあるから。」
「そうですか。じゃあ、ここでお別れですね。色々助けていただきありがとうございました。兄妹共々、これからアヤさんの手助けをいたします!」
ヒエンはまたビシッと頭を下げる。
「あー、そうね。うん。わかったわ。私が本当に困ったら助けに来てもらおうかしら。」
アヤはてきとうに答えたがヒエンは目を輝かせていた。
「ぜひ!」
ヒエンは目を輝かせたまま、アヤに手を振ると去って行った。
……はあ……やっぱり神でまともな神に会った事ないのよねー……。まあ、何がまともなのかよくわからないけど。
アヤはヒエンが走り去った方向とは逆の方向へと歩き出した。大通りから裏道へ入り公園を通り抜けて大きなスーパーを横切る。今日は大雨だからかあまり歩いている人を見ない。
「……いるかしら?」
アヤはスーパーの裏に続く長い階段を見上げた。遠くの方に鳥居が見える。この裏道はほとんど人が通る事はない。静まり返った裏道に雨の音だけが響いていた。
アヤは階段を登っていく。階段の周りには紅葉の木が植えられているが今は真緑の若々しい葉っぱがついている。
この階段を登っていると山を登っている感覚になる。都会の中の緑。そしてここはやけに神秘的な雰囲気に包まれていた。
……まあ、ここにいる神はてきとーでいつもごろごろしてて……
気がつくと鳥居の前にいた。山の頂上にあるこの神社は日穀信智神が住んでいる神社だ。
アヤは鳥居をくぐる。
「誰だ?」
すぐに男の声が聞こえた。
「私よ。」
「なんだ。アヤか。」
「なんだって何よ。人が心配して来たってのに。『キツネノカミソリ、花言葉は再会』って草姫が言ってたわね。」
「心配?再会?花言葉?草姫?何言ってんだ?おたく。」
アヤの目の前にスタッと男が降ってきた。金色の短髪にキツネ耳、赤いちゃんちゃんこを着ている青い瞳をしている男だ。
男は日穀信智神、皆からミノさんと呼ばれている男だ。
「おたくが俺の事を心配するなんて珍しいな。」
ミノさんの軽い発言を聞いていたらなんだかイライラと共に胸が熱くなってきた。
「何よ……。元気そうじゃない……。いなくなっちゃうかもって心配してたのに……。」
「おいおい……なんだよ……。なんでいきなり泣くんだよ?いなくなるってなんだ?いきなり存在を消すなよ……。」
ミノさんは戸惑っていたがアヤは目から落ちる涙を止められなかった。
「あなた!消えるところだったのよ!私がどんだけ頑張ったと思ってんのよ!馬鹿馬鹿!」
アヤはミノさんに抱きついた。
「ななな……え?」
ミノさんは素っ頓狂な声を上げてオロオロとしていた。当然だ。ミノさんはアヤがいままで何をしていたのか知らない。
「……あなたの過去を見たわ……。キツネの時からね。」
「ああ、なつかしいな……。キツネの時はよく覚えてねぇが。」
アヤのささやきにミノさんは切ない声を発した。アヤに抱きつかれてちょっと恥ずかしくなったミノさんはアヤを自分から離した。
「んー、えっと……なんか食うか?そういえばさっき、ニンジンを供えに来たよくわかんねぇ人がいたな……。なんか多く買っちゃったからとか何とか言って置いていってたな。ほら、これ。」
ミノさんは生のニンジンをアヤの前に出した。
「それ……供え物っていうのかしら?それからニンジンってそのままボリボリ食べろとでも言うの?」
ミノさんを眺めながらアヤは大きなため息をついた。
「ん……。そりゃあ、あれだな。野性的だな。」
「わかったわよ。なんか料理してくればいいんでしょ?私が!」
「お?本当か!」
「そのかわり手伝って。」
「ええ……。」
あからさまに嫌な顔になったミノさんをアヤは無理やり引っ張って行った。
なんか少し幸せな気分になっていた。……自分も単純な生き物だなあと感じてしまった。
……キツネノカミソリ……花言葉、再会。いい花言葉だわ……
アヤはミノさんを引っ張りながらふふっと笑った。
その日の夜、雨風が強い中、寝たアヤは夢を見た。
それは大きく育った黒松の前にヒエンとイソタケル神と天記神と草姫がおり、その真ん中に見知らぬ幼い男の子が立っている。その男の子は茶色の短髪をなびかせて幸せそうに笑っていた。
……さ、これから頑張ろうな。名もなき神、イズミ。
イソタケル神がそう言って男の子の頭をそっと撫でた。
草姫もヒエンも天記神もイソタケル神も皆幸せそうな顔をして笑っている……そんな夢だった。




