流れ時…5プラント・ガーデン・メモリー23
『タケル……』
「花姫!」
『違う……わたしは花姫じゃない……。だけど彼女の心は持っているわ……。あなたの手にいる花姫を捨てて……お願い。』
「お前は誰だ?この花姫は見捨てられない。」
イソタケル神は黒松に向かい叫ぶ。
『お願い……わたしを生き返らせないで……』
「え……。」
イソタケル神は眉をひそめた。
「花姫ちゃん?」
天記神も目の前にそびえる黒松を見つめる。
『天記神さん。わたしは花姫じゃない。
けどあなたの事は覚えている。
あなたはもう苦しまなくていいの。すべてはわたしが招いた事だから。ほんとうにごめんなさい。』
「私は……。」
『あなたがそこまで秘密を守ってくれるとは思っていなかった。あなたは死んではいけない神。』
「でも……私はあなたを殺してしまった……。教えてはダメだから……禁忌だったのよ……。
絶対見つからないってそのことばかりで……最高の策だって調子に乗ってた。
私はあの時……助言するべきではなかった。」
天記神は目に涙を浮かべ両手で顔を覆った。
「おい。どういう事だ?」
イソタケル神は天記神の胸ぐらをつかむ。
掴んだ後、この神が女神であると気がつき、手を離した。
「……花姫ちゃんはあの時私に相談を持ちかけてきた。
誰にも気がつかれずに一人で泉を元に戻す方法はあるかと……。
冷林にもあなたにも気がつかれる事のない方法を教えてくれって。
私は他に思いつかなかったという事もあったけど自分が女になりたかったから禁忌を教えたの。
自信満々にね。」
「……なんだと。」
「キツネ一匹の歴史をいったん消して生まれ変わらせて花姫ちゃんの手足にする方法を……私は教えた。
でも、彼女は失敗してしまった。
キツネを使って泉の破壊を全力で防ごうと努力していたけど本当は蛙を先に助けるべきだった。
人間の方を助けるつもりならば別の神に頼み込んで泉の埋め立てを指揮している側の人間を救ってあげればよかったのよ。
村人をいくら救っても上には逆らえないんだから意味がない。
花姫ちゃんは泉の埋め立ての阻止をいくらやっても何も変わらないって事に気がついてなかった。
その段階でもう冷林に気がつかれていたの。
冷林は花姫ちゃんのことを思ってか、罰するつもりでやったのかわからないけど救いの手を差し伸べようとしなかった。
結果、花姫ちゃんの信仰心は消えてしまい、消滅してしまった。
あの時、花姫ちゃんは色々な神に助けを求めるべきだった。
未熟な神が一人でなんでも背負い込んでしまった結果がこれ。……それが真実よ。」
天記神の悲痛な顔を見ながらイソタケル神は奥歯を噛みしめた。
「そうか……。花姫は……禁忌に手を染めていたのか……。」
イソタケル神は悲痛の声をもらした。それにかぶせて寂しそうな声が聞こえる。
『そう……その通りよ。だからタケルはわたしを無理に生き返らせたり、守ったりしなくていいの。』
「そんな……そんな事を……今更……。」
『ごめんなさい。タケル……。あなたの手の中にいるその子を……もう離してあげて……。本に……返してあげて。』
「そんな事……できるわけないだろう……。」
イソタケル神は花姫を震える手で抱きしめる。
『そのままではわたしが生まれ変われない。
あなたが望んだこのイノチをわたしは無駄にできない。死神からも生きろと命令されているから……。』
草姫の表情も自然と暗くなる。
「死神……ねぇ~。私、一応あなたのおねぇちゃんなんだけどねぇ~。あなたにあの時会えていたらって私はちょっと思っているわ~。でもいいわ~。生まれ変わるなら……それからまた会いましょう……。タケル様、花姫を離してあげて~。」
「花姫……。」
イソタケル神はいまだ気を失っている花姫の美しい顔を見つめた。
……この花姫は自分が手を離して地面についた段階で消えてしまうのか……。
いつの間にか本は元通りになっていた。炎もなく水槽もない。天記神の足元に先程まで浮いていた本が散らばっている。術は切れていた。
本の中の時間がゆっくりと動き出す。
……もうダメだ。彼女を助ける事がどう考えてもマイナスにしか思えない……。
……彼女は禁忌に手を染めていた……。
……だから彼女は助けるべきではなかった。
……そう助けてはいけなかった。
「花姫……ごめんな。僕が……気がつけなくて……ごめんな……。」
イソタケル神は涙を流しながら花姫を抱きしめ、震える手で花姫を手放した。
花姫はゆっくりとイソタケル神の手から滑り落ちて行った。
苦しかった。
自分が守ろうとした部下を……冷林にも見捨てられた部下を……自分も手放してしまっている。
救ってあげるどころか二度も殺してしまった。
……タケル……
頭の中ではなく直に声が聞こえた気がした。イソタケル神は落ちゆく花姫を見つめた。
花姫はこちらに笑いかけていた。
……いままでありがとう。そしてごめんなさい。
地面に着く直前、最後にもう一つだけ言葉を発した。
……あなたが大好きだった……ずっと……今も……
「花姫!」
イソタケル神が叫んだ刹那、花姫は地面に落ち、消えて行った。
「……花姫……。」
花姫は本来いるべきページに戻ったのだろう。
『ありがとう。イソタケル神様。
大丈夫。今度は間違えない……。
……わたしはもういなくなるけど生まれ変わったわたしをお願い……。
……タケル。さようなら。』
そこで完全に頭の声も消えた。
……風に流れるように消えて行った。
「うう……。」
イソタケル神は地面に手をついて泣いていた。
アヤ達は震えているイソタケル神の側に寄った。
「あの子は……そう……いつも自分勝手で……。」
「お兄様……。花姫さんはもう何百年も前に死んだ神です……。今は……前を向きましょう?」
ヒエンはそっとイソタケル神の肩に手を置く。
「でも……あれは僕のせいでもあるんだ……。」
「そんな事はありません。花姫さんだって自分で選択した道です。お兄様が気に病む事はありません。」
ヒエンは優しくイソタケル神の肩を撫でる。イソタケル神はヒエンの頭に手を置いた。
「……お前の言う通りだ……。僕はおかしくなっていた。
花姫を救う為に歴史を壊すという禁忌を侵そうとしていた……。お前はそれを止めに来てくれたんだよな……。
僕はお前に救われたんだな……。下手したら僕も花姫と同じことをするところだった。」
ヒエンとイソタケル神の会話を聞きながらアヤは草姫を見上げる。草姫もアヤを見つめていた。
「アヤ、私は早く彼に会いたいわ~。」
「彼?誰の事よ?」
「あの松~。」
草姫が松を指差しながら微笑んだ。
「なんで男ってわかるのよ?女じゃないの?」
「だって黒松は男松じゃない~?赤松は女松だけど~。」
「そういう事ね……。」
アヤは松に目を向け、ため息をついた後、もう一度草姫を見上げた。草姫は珍しく険しい顔をしていた。
「私、もう離れないわ……。妹が死んだって事を気がつかずに……助けられもせずにこうやってのうのうと生きていたなんて……。
あの木は私が守っていく。いずれ、神になった時、すぐに手を差し伸べてあげられるように……私が……そばに。」
草姫の顔は決意に満ちた顔だった。会ってまだ間もないが彼女のこんな顔は初めて見た。
「そう。頑張ってね。」
「ヒルガオ~。花言葉は優しい愛情……。あの兄妹みたいになりたいわね~。」
草姫は再び笑顔に戻った。
「そうね。」
アヤも微笑み返した。
そして先程から忙しなく、隣でカエルが無駄にぴょんぴょんと飛び跳ねていた。
「あたし、けっこう花姫の悪口言っちゃったけど英雄があんなに大切にしていたんだからきっといい神様だったんだよねっ?はんせー……。」
カエルは隣でへこんだ顔をしていた。
「大丈夫よ。あなたが言った事は事実でしょ。」
「まあね。いやー、世知辛いねぇ。」
カエルは相変わらずカエルだとアヤは思った。
「それより早く、あの松を戻してよ~。」
「ああもう、わかったわよ。」
草姫が催促するのでアヤはさっそく時間の鎖を木に巻きつけた。
「苗の所までよ~。種までは戻さないでね~。」
「わかったわ。」
アヤは手を広げた。
「アヤちゃん……。」
「何?」
アヤに話しかけてきたのは天記神だった。
「私は……このままでいいのかしら……?」
「いいんじゃないかしら?花姫がそう言ってたじゃない。
それから罪を償うって事は死ぬ事じゃないわ。あなたも罪悪感を持っているなら別の事で罪を償って行ったらどう?」
「……そう……。何をすればいいかしら?」
天記神は救いを求める目でアヤを見ていた。
「……知らないわ。そういうのは自分で考えるのよ。
現にそうやって頑張って生きている神を知っているわ。
今は歯科医院で働いているみたいだけどね。」
「……わかったわ。自分で言うのもあれだけど、死にたくはなかったのよ……。
私が死ぬと色々面倒だから。これから頑張って生きる道を探すわ。……ありがとう。アヤちゃん。」
最後のありがとうの部分だけ天記神は男になった。
結局、彼は男なのか女なのかいまいちわからないままだった。
所々で捨てきれない男の部分が出てしまったのだろう。
「さ、お兄様、外へ出ましょう。」
「……ああ、そうだな。」
ヒエンとイソタケル神は立ち上がり、寂しそうな表情でこちらに向かって来た。
「皆さん、ごめんなさい。ここまでありがとうございました。
おかげで兄を見つけられました。感謝しています。」
ヒエンはアヤ達の前で一礼をした。
「そんな、あなたのような有名な神に感謝を述べられるほど私は働いていないわ。」
アヤは慌ててヒエンの頭を上げさせた。その横でカエルは笑っている。
「ま、あたしは何もやってないけどねっ!
邪魔はちょっとしたかなっ?ははっ!」
こんな状況でもぶれないカエルはやはりカエルなのだとアヤは思った。
「色々とすまなかった……。」
ヒエンの横にいたイソタケル神がヒエンに習い頭を下げる。
「……っ!」
一礼をしたイソタケル神にアヤとカエルは息を飲んだ。隣にいた天記神も目を丸くしている。
「タケルちゃん!
い、いえ、タケル様!あなたは頭を下げてはいけない神……。」
「天記神、彼女達は僕とお前、そして花姫も救ってくれたんだ。こんな事だけでは足りないくらいだ。」
「……っ!……そうね。ごめんなさい。」
しばらく目を丸くしていた天記神だったがイソタケル神に習い、一緒に頭を下げた。
「ちょっと、ちょっと、何これっ?」
カエルがこの奇妙な光景に指を差しながらアヤを見上げている。
「……。」
アヤは無言で無礼なカエルの頭をひっぱたいた。
「痛いじゃん!アヤ!なにすんのさっ!」
「ちょっと黙ってなさい。」
「……ほーい。」
アヤの一睨みが怖かったのかカエルは素直に黙り込んだ。
「そんな事はどうでもいいんだけど~、ほら。」
この奇妙な状態を壊したのは草姫だった。
草姫は黒松の苗を抱いている。
先程とはまるで違う、とても小さい松だ。
手で簡単に折れてしまうほど弱々しい。
「この松が……花姫の生まれ変わりか。」
「かわいいですね。あと何百年待てば樹霊になるのでしょう。
今から楽しみです。
樹霊になった時、神になった瞬間にわたくし達がいられたらいいですね。」
二人は草姫が持っている小さい松をそっと撫でた。
「私も手伝うけど~、あなた達が主に育てるんだから頑張ってね~。」
草姫は松をイソタケル神達に押し付けると少し寂しそうに笑った。
「ああ。ありがとう。草姫。この苗は……今はなくなってしまったハコ村があった場所に植えようと思う。」
イソタケル神とヒエンはお互いを見合い、大きく頷いた。
「じゃ、もどろっか!」
カエルがしおりを取り出した。一同はカエルに微笑むと頷いた。




