流れ時…5プラント・ガーデン・メモリー18
子供達の騒ぎ声で大人達も気がついた。
「あら、あのキツネ。ほれ、お食べ。」
台所仕事をしていた女が家から出てきて青物野菜の切れ端をポンと投げた。
キツネはありがたくその野菜の切れ端を食べた。
キツネは時々村に現れては村人を守っていた。
それもあって村人はこのキツネの事を好いていたようだ。
キツネのまわりに村人が集まってきて拝んだり頭を撫でたりしていた。
「ミノさん、えらい人気ですね。」
「ミノが花泉姫神の化身だと思われていたわけね。」
「あら~?」
突然、草姫が声を上げた。
「こ、今度は何?」
「今、あっちで影が動いたような~。」
「影?」
アヤ達は草姫が指差した方を向いた。
草姫は茅葺屋根の家がある裏あたりを指差していた。
「その影がすうっとあっちの方に~……。」
草姫が指を泉があった方面へと向ける。
「追いかけましょう。」
ヒエンが走りかけた時、チュンッ!チュンッ!と謎の音が響いた。
草姫がぼうっとしていたヒエンをいきなり引っ張った。
「な、何するんですか!」
バランスを崩し倒れそうになったヒエンが草姫に向かい叫んだ。草姫は何も言わずに先程までヒエンがいた所を指差した。
「……っ!」
ヒエンは目を見開いた。草姫が指差していた地面は弾丸が落ちたかのように陥没している。そしてその周囲が少し濡れていた。
「これは……。」
「カエル……!」
どこにいるのかわからないがカエルが放ったと思われる水弾がヒエンを狙ったのだ。
その水弾は次から次へとどこからともなく襲ってきた。
「上だわ~!」
草姫の声でアヤ達は咄嗟に上を向く。
日光が照りつける大空をバックにカエルが舞い上がっていた。
カエルはいたずらっぽい笑顔でこちらを見ていた。
「輪唱!」
突然カエルが大声で叫んだ。
するとどこからともなく蛙が鳴きはじめた。
蛙の声はどんどん大きくなっていく。
「か~え~る~の~う~た~が~」
蛙達の輪唱に交じってカエルが唄い出した。
「き~こ~え~て~く~る~よ~」
カエルは大きく腕を振るった。
するとどこからか厚い雲が立ち込めポツポツと雨の雫が落ちてきた。
「ゲロげろゲロげろ……。」
なぜだかだんだんと平衡感覚がおかしくなってきた。
声も水の波紋のように頭に響き渡る。
「まずい!」
草姫が耳を抑えながら叫んだ。
アヤ達は今、まともに立てているのかもわからないくらい感覚が狂っていた。ハッと何かに気がついたヒエンは咄嗟にアヤを抱きしめた。
「くわっ!クワッ!くわぁ!」
カエルが腕を振り上げた瞬間、豪雨と雷がアヤ達をピンポイントに襲った。
ズカアアンッ!と大地が割れる勢いで光が地面を突き抜けた。
ゴロゴロゴロ……と雷が落ちた後の余響が耳にこびりつく。
「はあ……はあ……か、雷……。」
「ヒエン!?」
「だ、大丈夫ですか?」
ヒエンは肩で息をしながらアヤを離した。見た所アヤに怪我はない。
他の二人にも怪我はなさそうだ。
当たっていたら生きていないと思うのだが……。
「無傷かいっ!やっぱすっごいなッ!大屋都姫神。さすがスサノオ尊の娘。その大きな葉っぱの力は凄いねッ!」
ヒエンは大きな葉を瞬時に出現させアヤと草姫を守った。
葉は雷に当てられ燃えてなくなった。
その後、にやにや笑っているカエルが軽い足音を立ててスタッと地面に着地した。
「どうだった?美しくも狂おしい蛙達の輪唱はッ!」
「最悪だったわ~。蛙はもっとしっとり鳴かないと……。」
草姫がげんなりした顔をカエルに向けた。
「あんた、草姫だねっ!ほんっと似てるよねぇ。
あ、もうこの泉に住んでいる蛙達はあたしに協力してくれるみたいだからこの界隈、日照りになんなくてすむねっ!
後は蛙達が弱って死んでしまう前になんとかすれば!」
カエルはケロケロと笑う。
「ダメです!ここの蛙は本来生きてはいけない蛙達です!歴史を戻しなさい!」
ヒエンの忠告をカエルは笑って流した。
「やーだよっと。この蛙達が死んでいいなんて誰が決めたの?歴史を戻す事ってそんなに大事な事?あたしにはわからんねっ。」
「兄はどこですか?」
ヒエンがカエルに鋭い口調で聞いた。
「さあねっ。それよりアヤをもらっていくねっ!輪唱!」
「それはさせません!」
ヒエンが身構えた時、また蛙の声が響く。
「うう……。だ~か~ら~これは……なんなのよ~……。」
草姫とヒエンは頭を押さえてうずくまった。
カエルはその中、草姫とヒエンの横を通り過ぎアヤの目の前に立った。
「アヤ、大丈夫?」
「う……うう……。」
アヤは苦しそうに頭を押さえ呻いている。
「さ、いこう!」
カエルはアヤの手をとった。アヤは動けなかった。
蛙の声で意識を失いそうになったのははじめてだった。
「あ……アヤさん……。」
「いったい~……頭が割れそう~……。」
二人はアヤを助ける余裕はなさそうだ。カエルはアヤの手を掴むとその強力な脚力で空高く飛んだ。
「か~え~る~の~う~た~が~……」
カエルはまた輪唱にかぶせて歌いはじめた。
「き~こ~え~て~く~る~よ~。ぐわっ……ぐわっ……ぐわっ……ぐわっ……ゲロゲロゲロゲロ……」
「や、やめて!」
アヤがカエルに叫んだ。だがカエルはこちらをみて笑っていた。
「クワックワックワッ!」
今度は比較的普通に聞き取れた。
アヤは咄嗟に目をつぶったが先程のような雷は落ちなかった。
そのかわり、雲がヒエンと草姫を覆い尽くす。アヤは上からだんだんと見えなくなっていくヒエンと草姫を怯えた目で見つめていた。
「さあ、いくよっ!」
カエルが空中で足を動かした。
カエルはまるでそこに地面があるかのように空間を飛んで行った。
トンッ!トンッ!トンッ!
と、音をさせながら雲に覆われたヒエンと草姫を追い越して地面に着地する。アヤも危なげながら着地をした。
カエルはそのままアヤを引っ張り走りはじめた。
「じゃあ、そろそろ。」
走りながらカエルがパチンと指を鳴らした。
地面を揺らすほどの衝撃と音が響く。
それは絶えず続き、地響きがこちらまで伝わってくるほどだ。
「な、何?今の!あなた!何したのよ!ねえ!何したの!」
アヤはカエルに手を引かれながら必死に叫んだ。
「……何って?美しい夏の積乱雲をヒエンと草姫のまわりに置いただけだよ?あれくらいしないときっと倒せないでしょ?」
平然と答えるカエルにアヤは目を見開いた。
「何言っているのよ……。そんなことしたら……。」
「アヤはそんな心配しなくていいんだよっ!ただの暴風雨と雹と雷じゃん?」
「あなた……ヒエンを助けるって言ってたじゃない……。」
「助ける?イソタケル神に会いたいからって言ってただけじゃん。イソタケル神にはもう会えたんだし、頼まれごと終わったし、もう自由に動いていいんでしょ?」
涙声のアヤにカエルはふてくされたように言い捨てた。
「いい加減にしなさいよ!」
「うるっさいな!さっさといくよっ!」
カエルは走る速度を速める。アヤは引っ張られながら続いた。
「ヒエン……草姫……。」
アヤは心配そうに振り返ったが相変わらず雲が立ち込めていて二人が無事かはわからなかった。
アヤは無理やり走らされている間、進んでいく歴史を見ていた。
カエルは埋め立てられた泉をまっすぐに走り去る。
色々な記憶がその間に流れた。
だんだんと追い詰められていく花姫。雨が降らなくなったこの地域。
荒んでいく人々の心。
キツネは苦肉の策として高天原の作物を人々に届けはじめる。
村人の支えとなっていたキツネは今や幻を見せる化けキツネとして罵られていた。
カエルはこの記憶をすべて見て見ぬふりで一点を見つめただ走っていた。
どこへ向かっているのかとアヤは走らされながら周りを見回す。
もうただの空き地に成り果てている地面を蹴りあげながらカエルはあの林に向かって走っていた。
「冷林の林に……はあはあ……向かっているのね?」
アヤは上がる息を抑えながらカエルに話しかける。
「……。そだよ。そこに英雄もいるよっ!」
英雄とはおそらくイソタケル神の事だ。
「イソタケル神はどうやってあなた達蛙を救ったの?」
「イソタケル神は弱っていた蛙達に木が持っているわずかな水を与えてくれたらしいよっ!
噂によると根っこに溜まっている水を抽出してくれたんだってさ。
木を何本か犠牲にしてあたしらを助けてくれたんだ。
蛙はほとんど死んじゃったらしいけど生き残りの蛙達が頑張って鳴いて雨雲を呼んだんだってさ。
そんでイソタケル神が土を掘って小さい穴をつくってくれて、そこに雨がたまってさ、蛙はそこで繁殖を繰り返して元の雨が降る状態に戻したんだってさ。」
「なるほどね……。それで英雄。」
「あたしは実際見てないから知らないんだけどねっ。
この話はずっと残っていてねぇ。
もともとはこの泉がなくならなければよかったんだよ。
イソタケル神は今度、泉を消さないように頑張ってくれている。
それを助けなければ蛙がすたるってもんでしょ?
まあ、実際、蛙の存在に気がつかないで人間ばかりどうにかしようとしたダメダメな花姫の事はどうでもいいんだけどねっ。」
カエルは鼻息荒く話す。
「そう。花姫は色々なところに目がいかなかったのね。」
アヤはそこから先、何も話さなかった。
ヒエンと草姫が無事である事を祈りただ走った。
カエルは泉があった空き地を過ぎて林の中へと入って行った。
そしてそのままあのキツネがたどった険しい岩肌を登っていく。
カエルがアヤの手を離す事はなかった。
アヤは半ば引きずられるように足を進めている。
やがて岩山を登りきり最初に入った歴史書で見た林……冷林にたどり着いた。
「カエル。連れて来てくれたか。」
肩で息をしているカエルとアヤに緑の髪をなびかせた男、イソタケル神が微笑んだ。
イソタケル神は近くにいた金髪の女を抱き寄せる。おそらく花姫だ。花姫は眠っているようだった。
「花姫?」
アヤは目を細めた。
「そだよっ!英雄が花姫を捕まえたんだっ!」
カエルがアヤの隣で嬉々とした声を上げた。
「さて、時神。協力してもらおうか……。」
イソタケル神が鋭い目でアヤを見据え、笑った。
アヤはイソタケル神を睨みつけながら拳を握りしめた。
「協力って何よ……。」
「なるほど、口のきき方がなってないな。」
イソタケル神が目をそっと細める。
「神は皆こんなもんでしょ。」
「違いない。
神は神力で神を従わせる事ができるから敬語なんてあってないようなものだ。」
イソタケル神はアヤを見つめクスクスと笑った。
……そういえば……この神からは今、威圧を感じない……。
アヤに動揺の色が現れるとイソタケル神は笑うのをやめた。
「気がついたか。僕は今、力を消しているんだ。君を力で支配したくはない。これからためになる話だ。協力してもらいたい。」
イソタケル神の横でカエルが騒いでいる。
「何悩んでんのさ!」
と言っているような感じだが今のアヤにはカエルの言葉はまるで頭に入って来ていなかった。
「嫌よ。私には断らなければならない理由がある。」
アヤは頬に伝う汗もそのまま神格の高い神と交渉をしている。
威圧感とかそういうものがまるでないにしても恐怖心は消えない。
「ふむ。」
「あなたに協力したら……日穀信智神……ミノが消えてしまう……でしょ?」
「ああ、彼は僕が生かしたんだ。
あの神だけだったら信仰を集められなかっただろう。
この地域には泉と蛙が必要だった。
その判断もできないような神はいてもしょうがない。
だが、花姫の力を受け継いでいる以上、守るしかなかった。
しかたなしに生かしたんだ。」
イソタケル神はたんたんと言葉を紡いだ。
「すべては花姫の為ってわけね……。ミノはどうでもいいの……。」
「どうでもいいわけではない。日穀信は生かしたまま、花姫も生かす。
それが……僕のしたい事だ。
君はただ、時間の鎖を花姫に巻くだけでいい。後はこちらがやる。」
「……い、嫌よ。私やらない!」
アヤは恐怖と戦いながら叫んだ。
イソタケル神が何かを言おうとした刹那、水色の物体がアヤ達をすり抜けた。
それを見た瞬間、イソタケル神から抑えられていた神力があふれ出した。
「冷林……。」
神力はどんどん広がり、言葉にこもった言雨がアヤとカエルを震え上がらせる。
冷林は林を一通り飛び回るとイソタケル神の前で停止した。
「本の冷林か。好都合だ。ここで消させてもらおう。」
イソタケル神は花姫を震え上がっているカエルに預けると冷林を消しにかかった。
……こんな状況じゃあ一歩も動けないじゃない……
アヤは目だけそっと動かし、カエルを見た。
カエルもアヤ同様足の指も動かせないような状態らしい。
イソタケル神は冷林に飛びかかりながら両手を広げた。
すると周りの草花が動き出した。その草花達はそのまま冷林に襲いかかる。
地面の草はまるで剣のように冷林を切り裂き、木の枝は鞭のように冷林に飛ぶ。
冷林は驚いた様子で必死に避けていた。
イソタケル神は素早く冷林の後方にまわると冷林を掴み地面に押し付けた。
衝撃が突き抜け、冷林が剣のような草に食い込む。
「……っ!」
アヤは絶句した。
このまま見ているだけでは冷林が消滅してしまう。アヤは咄嗟に時間の鎖を冷林に飛ばした。時間の鎖は冷林に巻きつき、すぐにフッと消えた。
「―っ!」
イソタケル神がアヤを鋭い目で睨みつける。
刹那、イソタケル神の力がアヤを貫いた。
アヤは立っている事すらできずその場に崩れるように膝を折った。
意識を集中していないとそのまま死んでしまいそうだった。
……この神は……やっぱりレベルが違いすぎる……
アヤは瞼すら閉じる事ができず定まらない焦点でイソタケル神を見つめていた。冷林はなんとか弱る前に戻す事ができた。
しかし、その冷林も臨戦態勢どころか立っている事もつらそうだった。
冷林よりも遥か上をいく神力……アヤには想像ができなかったが実感はしていた。
……何よこれ……どうすればいいの?
アヤはどうする事もできず、その場から動かなかった。




