第十二話・1
翌日、俺は岸川先生に呼ばれて、今回は水泳部の筋力トレーニングに参加することになった。
水泳部の臨時マネージャーとしての初日は、泳いだ後の選手たちにドリンクを作って、適切な時に出すという仕事をした。
泳いでいたら脱水は起こさないのではないかと思うところだが、実際はそうではない。体内の水分に含まれる電解質は水中でも汗をかいて失われるので、水泳中にも給水は必要だ。特に温水プールは身体が熱を持ちやすいので、脱水には気をつけなくてはならない。
水泳部員たちがスイム――泳ぎの練習をするとき、「サークル」という一定のペースを決めて何本か連続で泳ぐということをする。このサークルが一分半としたら、それより早く泳げば休憩時間ができて、給水のタイミングができる。
限られた時間に選手の要望を見極めてすかさずドリンクを出す必要があり、単純に人手が必要になる。他に女子マネージャーが一人いるのだが、彼女はタイムの記録をしているので、俺がサポートに入るのは助かると言ってくれていた。
「ごめんねー、ほんとは一年生の子が入ってくれたら良かったんだけど、マネージャー志望の子も泳げる子だから、選手として入ることになっちゃって」
三年生の槇島先輩は、一年生から水泳部のマネージャーをしている。本来は水球の選手なのだが、この学校では水球部がないので、水泳部のサポートをしながら空いた時間に練習でプールを使っているとのことだった。アマチュアの水球チームでプレイをしているが、大学では水球のあるところに行くらしい。
そんな彼女も受験のために引退が近づき、マネージャーの不在は水泳部において問題となっていた。そこに俺が臨時とはいえ手伝いに入ることになって、かなり喜んでくれている――そうなると、俺もなかなか『臨時なので滅多に来ません』と言うわけにもいかなくなる。
槇島先輩はトレーニングルームに俺を案内するために来てくれたのだが、今日こそ吹奏楽部に顔を出すのではないかと期待してくれていたらしい同じクラスの小谷さんと鈴木さんは、「また水泳部に鬼畜眼鏡くんが寝取られた!」と人聞きの悪いことを言っていた。槇島先輩は何のことかわからなかったように見えたが、それは大人の対応というやつで、しっかり意味は分かっていたらしい。トレーニングルームのあるクラブハウスに向かう途中で「海原くんってほんとにそういうあだ名で呼ばれてるんだね」と笑った。
「あれ? 槇島さん、一緒にいたの二年の男子みたいだったけど、あの人って……」
一階の昇降口で靴を履き替えるところで、槇島先輩が同級生らしい女子に声をかけられる。
「そう、海原くん。うちに新しく臨時マネージャーで入ってくれたんだ」
「海原……あの、岸川先生に睨まれてるっていう? あ、もしかして何かの罰とか?」
「そんなに悪い人じゃないよ。そんなにっていうか、みんなが思ってるより全然いい人だから」
槇島先輩――まだほとんど話していないのに、俺を擁護してくれるなんて。思いがけない人の情けに、思わず胸が熱くなってしまう。
「そうやっていい人に見せておいて、実は……イ、インテリヤクザ的な本性を見せてきたりするかもしれないから、気をつけなよ?」
槇島先輩、実は俺はインテリヤクザであり、怖い人だったんです――なんて言うわけもないし、具体的に悪いことを考えるわけもないのだが。なぜこうも勘違いされるのか。
「そういうこと言ってると、逆にサヤカが海原くんに食べられちゃうよ?」
「ひぃっ……だ、駄目、今の話は絶対言わないでよ? あたし、まだ心の準備できてないから……っ!」
三年女子が逃げていく――槇島先輩と合流するが、彼女は何事もなかったかのように笑っている。
「海原くんって、本当はいい人だけど第一印象は迫力あるよね。私も逃げないように頑張ってたよ、年下の男の子になめられてたら情けないしって」
「……俺は人と接するとき、基本的に無害と証明するにはどうすればいいんでしょうか」
「え? うーん、それはちょっと無理かも。海原くんを怖がる人って、ライオンを怖がるのと同じなんだもん」
「そう言われても、まったく納得できかねますが……ライオンってどこから出てきたんですか」
「あはは、海原くんもう一回言ってみて。眼鏡くいってしながら『納得できかねますが……』って」
槇島先輩が俺に対して物怖じしないのは、岸川先生から「海原は真面目な生徒だ」というようなことを聞いているかららしいのだが――岸川先生も吉田先輩から「芽瑠っち」と呼ばれていたりするので、水泳部の女子が肝が据わっているというだけかもしれない。
◆◇◆
トレーニングルームに行くと、すでに部員たちがマシンを使ってトレーニングをしていた――ランニングマシンで走っている生徒、二人組で腹筋をしている生徒など、みんな必死で頑張っている。
「んぁぁ~っ……も、もうだめ……」
「いけるいける、もう一回! いけたらアイスおごってあげるから!」
「んん~っ……アイスうぅ……っ!!」
汗だくの同級生たちは、男子である俺がここにいることなど知らず、濡れ髪を振り乱し、体操服を汗で濡らしてトレーニングに励んでいる。というかこの部屋自体が、改めて考えると凄い熱気だ――水泳部女子のエネルギーの渦と化している。
「こら、アイスではなくタンパク質を取れと言っているだろう」
「そ、そんなぁ~。ちょっとだけ、ちょっとだけいいじゃないですか」
「少しならばいいが、それでは平田の言っていたようなダイエット効果は……おお、槇島。海原を呼んできてくれたか」
「えっ……う、海原くんっ……!?」
やはり俺の存在はこの空間においては異分子ということか、皆が慌て始める――というか、トレーニングが大人しくなる。さっきまでの気合いの入った絞り出すような声は聞こえなくなり、「はい、じゃあ次いきまーす」というようなさっぱりした感じになってしまった。
「おまえたち……海原はこれからトレーニングを手伝ってくれるのだから、恥ずかしがっている場合ではない。今のうちに、キツいトレーニングをすると自分がどうなるのかを見せておくべきだ。違うか?」
「め、芽瑠っち、それはいくらなんでも……あたしたち、可愛いお嫁さんになりたいって思ってなくもないし?」
「筋肉は全てを解決する。トレーニングをする女性は、男性からも輝いて見えるはずだ。そうだな、海原」
「は、はい。それは確かに、そう思います」
問答無用という雰囲気で返事をさせられるが、特に間違ったことでもないはずだ。岸川先生も空野先輩も、情熱を持って競技に取り組む姿は眩しいと思う。
しかし俺の返事がどう受け取られたのか、男子がいて恥ずかしいという空気はどこかに行ってしまった。それでいいのだろうかと思わなくもない。
※いつもお読み頂きありがとうございます!
ブックマーク、評価、ご感想などありがとうございます、大変励みになっております。
次回の更新は12月8日(日曜日)を予定しています。




