第十一話・3
「……岸川先生にはかなわないけど。難しいものじゃなかったら、私も作れる」
「先輩の得意料理っていうのがあるなら、食べてみたいな……それは図々しいか。俺は味噌汁も満足にできないからな」
「……本当に? それはちょっと心配。お味噌汁は大事だから」
嘘をついているわけではないので、苦笑して頬をかく。さすがに生活能力が低すぎだと、先輩に呆れられてしまいそうだ。
先輩はしばらく何も言わなかったが、交差点で立ち止まったところで、家とは違う方向を見やった。その先には、まだ営業しているスーパーがある。
「……お味噌汁、作ってあげようか?」
「俺もインスタントくらいはできるから、わざわざ先輩に作ってもらうのは……え?」
今言われたことの意味を、あまり俺は深く考えていなかった。
先輩はくい、と俺の服の袖を引く。そしてお姉さんらしく、嗜めるように言った。
「インスタントのお味噌汁と、手作りは違うから。お出汁を取ってつくらないと、だめ」
「そ、それは……先輩……」
「……お母さんが、今日は帰ってこないから」
そのセリフがこの流れで出てくるとは――どういう意図で言ったのかすぐに理解できず、しかしよほどの理由がなければ先輩が言いそうにないというのは分かる。
「お、お母さんが……っていうことは、先輩も家で、一人で食事を……?」
「お父さんは今日は仕事場で缶詰めだから、そういうこと。一人分だけ作るのなら、二人分でも一緒だから……海原が、良かったら……」
気がつくと青になっていた信号が、また点滅している。赤信号で止まっていた車が発進して走り去ったあと、辺りが静かになり――街灯の明かりでも、先輩が顔を真っ赤にしているのが分かる。
もう少し返事が遅れたら、きっと先輩は遠慮してしまうだろう。勇気を出して言ってくれたに違いない、だから――。
幼馴染みに戻れるのなら、これがその一歩になるのだとしたら。俺がどうしたいのかは決まっている。
「……先輩も疲れてると思うし、簡単なものがいいと思うんだけど……俺は料理はからきしだし、何が簡単で何が難しいかも分からないから、先輩が作りたいと思ってくれたものが食べたい……そんなのは、厚かましいかな」
「……っ」
先輩が目を見開く。そんな反応をしないで欲しい、俺も照れて仕方がなく、先輩の顔をまともに見られないんだから。
「……卵か、魚か、お肉。メインディッシュは、売ってるものを見て決める」
「ああ、分かった。予算は俺が出すよ」
「大丈夫、私もスマートフォンの支払いをしたら、後はそんなに使わないから。私が作りたいものを作って、涼太に食べさせる」
岸川先生にお弁当をおすそ分けしてもらうようになって、夕食を杜山先生の家で食べる機会ができて――さらに、空野先輩まで。
先輩は自転車の方向を変えて、スーパーに向かう。途中でサドルにまたがると、俺を置いてすいすいと先に行ってしまった。
「せ、先輩っ……」
「……もうすぐお店が閉まっちゃうから、涼太も早く」
何とか追いかけると、先輩は後ろの俺をうかがいながら言う。こんなに嬉しそうな先輩の顔を見るのは、試合の日以来だった。
◆◇◆
空野先輩が作ってくれたのは、和風あんかけのオムライスとサラダ、そして味噌汁だった。なめこと豆腐にあさつきを散らした味噌汁は、出汁が大事と言っていただけあって、とてもいい香りがしている。
髪を結び、持っていても使っていなかった俺のエプロンを着けて料理をしていた空野先輩は、俺がダイニングテーブルに配膳をしている間にエプロンを脱ぐ。しかし髪は上げたままで、手を洗ってから席に着いた。
「……涼太、並べてくれてありがとう。よくできたね」
「これくらいはできて当然というか、できないと思われてたら困るというかだな……」
「今のは冗談。涼太がしっかりしてるの、分かってるから。お料理以外は……お掃除は思ったよりしっかりしてた」
「まあ、それはロボット掃除機が活躍してくれてるからだけどな」
「うちには無いから、どんなふうにお掃除するのか見てみたい」
思った以上に、先輩は俺の家の色々なことに興味を持ってくれているようだ。
いつもクールな先輩なのに、心なしかテンションが上がっている気がする。目が輝いているというか――けれどはしゃぎすぎないように、抑えているように見えたりもする。
「……お味噌汁が冷めないうちに、召し上がれ」
「そ、そうだな……じゃあ、いただきます」
椀を手で持ち、口に運ぶ。一口飲んでみると、昆布と鰹節のコクのある出汁と合わせ味噌の芳醇な風味が広がった。
「ああ、美味い。この出汁の味は、やっぱりインスタントとは全然違うな……」
「焼あごの出汁も入ってるから。鯖節とか、ムロアジで出汁を取っても美味しい」
先輩もこんなに料理がうまいとは――岸川先生、杜山先生と比べると空野先輩の料理は初々しさを感じる仕上がりだが、それも俺の守備範囲においてはストライクだったりする。
「……オムライスも食べてみて」
先輩は言って、自分も味噌汁を口に運ぶ。左手に箸を持ち、右手で椀を持つ――そういえば先輩は左利きだった。こうやって味噌汁を飲む時の女性の仕草が、何か魅力的に感じるのは俺だけだろうか。と、ぼーっと見とれていてはいけない。
「ん……美味しい。ほうれん草のオムレツによく和風のあんが合ってる。野菜も多く摂れそうだし、これはいいな」
「……良かった。お母さんが作ってたのを、横で見てただけだから……上手くできてよかった。卵焼きのほうが好きかなとも思ったんだけど」
昔はほんのり甘い卵焼きが好きで、そんなことを先輩にも言ったような気がする。それを覚えていてくれたのなら、素直に感激してしまう――先輩が夕食を作ってくれただけでも、感謝以外の感情が存在しないのに。




