第九話・15
水泳部の先輩が好意的な理由は、彼女たちも言う通り、岸川先生が俺のことを高く買ってくれていること。
もう一つは、空野先輩の応援に行ったこと。
試合会場の外の公園で話した内容までは知られていないと思う――思いたいが、俺はとにかく岸川先生と空野先輩のおかげで、水泳部員たちには嫌われていないようだった。
「あ……インテリヤクザくんって、もしかして言われるの嫌だったり?」
「あ、ああいえ。前からそう言われて、慣れてはいますね。自分から呼んで欲しいわけじゃないですが」
「そっか、それならちゃんと名前で呼ばないとね~」
「えっと……海原くんだから、うみみんとか? ちょっと可愛すぎる?」
「……私と似てるのは、ちょっと恥ずかしいから。ななみんも恥ずかしいけど……奈々ちーも」
「私なんて単に逆から読んで『だしよ』だし、奈々海は可愛い名前だから羨ましいよね。海原くんもそう思わない?」
「え、えっと……そうですね、俺は……確かに、」
「あ、先生戻ってきた。海原くん、それじゃよろしくね」
「ななみんともども、私たちのこともよろしく~」
空野先輩以外の先輩たちが、岸川先生に駆け寄る。先生は薄手のパーカーを羽織っている――この距離では分からないが、胸のことも解決しているだろう。
「……海原」
一年と二年の部員もやってきて、女子だらけの大所帯になっていく。それに少し気取られていた俺は、空野先輩に腕をつつかれた。
「あ……い、いや。水着が気になるとかじゃなくて……ごめん、あまり見ないようにするよ」
「それは水泳部だから、あまり気にしないけど。海原……」
もう一度俺の名前を呼ぶが、その先がなかなか言えない。空野先輩は髪をゴムでくくり、おさげを胸の前に出しているが、髪を指先にくるくると絡めつつ、何か言いにくそうにしている。
「……空野先輩?」
気がつけば先輩の顔は真っ赤になっている。
もういっぱいいっぱいというように口をぱくぱくと動かして、けれど声にならなくて。
それでも先輩は、絞り出すようにして言う。
「……確かに……その続きは、何を言おうとしたの?」
先輩の名前をどう思うか。
空野先輩が、それをそこまで聞きたがってるとは思わなかった。だから俺は、何とはなしに答えようとしていたことを言えなくなってしまう。
端的に言って恥ずかしいことだ。だが――期待するように見ている空野先輩に、ごまかしのようなことは言えない。
「……俺は、奈々姉って呼んでた頃から……『七』って数字が好きだから。いいな、と思ってたよ」
「っ……」
先輩の反応は、判断が難しいものだった――口を抑えて、顔は真っ赤なままで。
しかし、その仕草はただ驚いたとか、そういうことじゃなく。
空野先輩が顔を隠したくてしたものだということに、俺は遅れて気がつく。
「……涼太っていう名前も、私は涼しそうで好き」
「あ、ありがとう……」
「私も行ってくる。海原、今日は一緒に頑張ろうね」
空野先輩は俺の返事を聞かずに、顔の赤みが引くまで頬を抑えてから、岸川先生たちのところに向かう。
俺はといえば――まだ、何を頑張るのかも分かっていないし、溺れたところを岸川先生に助けられただけで、足を引っ張ってしまったわけだけど。
「海原、こちらに来てくれ。皆に改めて紹介をさせてもらう」
「はい、先生」
先生に呼ばれて、俺は二十人以上もいる女子部員の前に出る。あれが噂の、というようなざわつきの中で、先生がまず、なぜ俺がここにいるのかを説明してくれる。
「一年と二年の皆も先輩から聞いていたと思うが、今回マネージャーとして、この海原涼太くんに来てもらうことになった。彼も多忙なので臨時ということにはなるが、部のサポートを少しお願いしたいと思っている。皆も良くしてくれると嬉しい」
「「「はいっ!」」」
この団結力――岸川先生は相変わらず、女子生徒にも慕われている。
「海原、自己紹介をお願いできるだろうか」
岸川先生に振られる――三年生でも緊張している様子の人はいるが、一年と二年は俺を見るなり背筋を伸ばし、カチコチに固まってしまう。
できるだけ丁寧に、ぶっきらぼうにならないように。やってやれなくはないはずだ。
「ええと……急なことで驚かせてしまったと思いますが、岸川先生からの話にもあった通り、何かお手伝いができればと思って来ました。どんなふうにサポートできるのかは、先生と相談して決めることになりますが、練習の邪魔はしないし、少しでもプラスになることを考えたいと思ってます。よろしく」
「……は、はい!」
「ちょっと、皆で合わせて返事しないと気まずいじゃんっ」
「よろしくお願いしまーす。ほらあんたたちも、せーの」
「「「よろしくお願いしまーす!」」」
返事はグダグダになってしまったが、思っていた以上に手応えは悪くなく、内心で安堵する。隣の先生も安心しているのが分かる――今度こそ、駄目なところを見せることにならなくて良かった。
「……よろしく、海原」
「へ? ななみん今何か言った?」
「……何でもない」
空野先輩と部員たちの関係は、俺にとっては少し意外だった――同学年の女子と話しているときの先輩は、俺の前にいるときの掴みどころがなくてクールな雰囲気とは変わって感じたからだ。




