第七話・4
「まだ、バイトのシフトがどうなるか分からないので、行けるかはわからないんですが」
「来られるかもしれないと、そういうことか……しかし、私や空野に対して義務を感じる必要はない。バイトが大変だったら無理はしなくていいし、空野もそれは同じ気持ちだろう。杜山先生も吹奏楽部一同で応援に来てくれると言っていたが、休日に試合が行われるので、有志での参加になるそうだ」
「参加できる人数で、曲目も変わりそうですね……」
編成に合わせて色々な曲があるので、杜山先生は集まった人数に合わせて最適な楽譜を選ぶのだろう。先生がどんな曲を選ぶのか、少し想像する――それを自分が吹けるのかどうかも含めて。
「私は良く知らないが、譜面を見ればすぐに吹けるものなのか?」
「コンクールに出るときは、同じ譜面を全体で何度も練習して、やれるところまで良くしていきます。演奏するだけなら譜面があればできますよ。でも基本的には、練習する時間は欲しいですけどね。楽譜に書いてあることを表現できないと、同じ曲でも良さが全然出せなかったりもするので……」
部活に入りたての頃は楽譜の記号を意識せずに演奏して、先生に先輩の楽譜を見て参考にしろと言われたものだ。練習したことを忘れずにおくためのマークや、難しいところを乗り切るために気合いを入れる書き込みなど、あると無いとでは全く違ってくる。
飛び込みで演奏する時に、練習から参加していないとテンションを合わせるところから入らないといけない。吹奏楽に関しては、俺の協調性は特に欠落していない――それは、去年の文化祭で演奏に参加したとき、ある程度手応えが掴めている。俺が周囲に恐れられても、演奏には反映されないということだ。
吹奏楽部にいても、黙っていると怖いと言われることはあったが、それを言っていたあの人は今どうしているのか――久しぶりにそんなことを考える。
「……海原は、気づいているか?」
「……え?」
ふと、岸川先生の目が優しくなる。俺は目をそらすことができなくなり、先生の言葉を待つしかなくなる。
「吹奏楽の話をするとき、海原の目は輝いている。君はきっと、中学の頃はまだ、そんなに怖がられていなかったのではないか?」
「い、いや……残念ながら。中学のころも、目つきの悪さは変わらないですよ」
「ふむ……そうか。しかし考えてみれば、吹奏楽は女の園だな……海原は、その……こ、交際をしている相手はいたのか?」
「い、いないですよ。部内でそんなことを考えようものなら、女子部員に敬遠されて部活どころじゃなくなりますし」
「……そ、そうか。うん、それは何というか……君らしいな」
「杜山先生も言ってましたが、俺は女子に好かれるってことは全くないですよ」
「……そうなのか? そ、その……空野以外に、話せる先輩がいるのではないか……?」
可能性としてはあると思ったが、岸川先生のことをあまりにも侮っているように思えたので、あえて考えようとしなかった。彼女が石川先輩を演じたことを、俺に見抜かれていないと思っているのではないかということを。
岸川先生は、自分の変装が完璧だったと思っているのだ。もし先生みたいな三年生がいたら、評判にならないなんてありえない話なのだが、それも自覚がない。それだけいっぱいいっぱいで現役時代の制服に袖を通してくれたのなら、俺は彼女を恥ずかしがらせるとしても、ただ感謝する以外にないのだが。決して制服フェチではありませんが、先生の制服にはギャップを感じましたし、素晴らしかったと太鼓判を押します。太鼓判ってどういうものだろう。
「海原はもっと自信を持っていいと思う。勉強の教え方も上手で……いや、上手そうだと思う。先生の勘というか、海原を見ていての予想だ」
無条件に肯定されることは、甘やかされていることと同じだ。
先生は、生徒を甘やかすものじゃないし、先生に甘えてもいけない。
それは普通のことで、守るべきルールのはずで。
なのに、心が解けていく。どれだけ壁を意識しても、いつの間にか無くなっている。岸川先生の根気の前では、ルールに縛られている俺がちっぽけに思えてくる。
「そろそろ私は職員室に戻らなければ。海原、応援のことは杜山先生とも話して決めるといい。私たちは期待はするが、押し付けはしない」
「ありがとうございます、先生」
岸川先生は俺の肩を叩き、印刷室から出ていく。一緒に出てきたら何か言われるかもしれないので、俺は少し時間をずらして出ることにした。




