二節 ジョウ・キサラギは食生活にうるさい
結局、男ナオヤ・ヤマシタは味気ないランチを思う存分味わい、空となった箱をサクラへと返却した。
ジョーはその気概を認め、思わず拍手までしてしていた。サクラは首を傾げていたが、特に何も聞いては来なかった。
そして、ナオヤがマスタードサンドボックスの犠牲になってから時が経ち、今は放課後である。
「……ん?」
ジョーのヘッドギアが、彼の鼓膜に軽快な音を響かせる。
それはテレフォンの着信音であり、誰かに通信を求められている合図であった。
耳の物理キーを押したジョーは、連絡を寄越してきた相手に応答する。
「もしもし」
「もしもし。私だ、ジョシュアだ」
「ジョシュアさん? どうかしたんですか?」
耳元から聞こえる渋い声。その声の主はサクラの父親、ジョシュア・ホワイトであった。
「実は頼みたいことがあってね……」
「頼みたいこと?」
「ああ。今日は私も妻も家に戻れないのだが――どうしても気になることがあるから、娘の様子を見て来て欲しいのだ」
「そのぐらいなら別に全然かまいませんが……何が気になるんです?」
「なに、私たちがいない間、サクラが何を食べているのか見て来て欲しいのだ」
一瞬だけ、ジョーは親としてのジョシュアを疑った。
年頃の娘だけしかいない家に、これまた年頃の男を迎え入れる神経がジョーにはわからなかった。
だが、その考えはすぐに霧散した。恩人の頼みであったし、自分がサクラに何かするつもりもないし、何よりも面倒だから深く考えないことにしたのだ。
「わかりました。じゃあ、夕方ぐらいにお邪魔しますね」
「ああ。君ならサクラも無下には扱わんだろう。よろしく頼む」
そう言い残すと、通信は途切れた。
ジョーは教室から出ると、一旦自分の家へと帰ることにした。
――――――
――そして午後七時。
ホワイト家を訪れたジョーは、サクラによってリビングへと案内されていた。ジョーの叔父の家と同程度の広さである。
ジョシュア・ホワイトが世界有数の大金持ちであることは周知の事実だが、それが何かの間違いではないかと疑わせるほどに、この家は小さい。すぐ隣のキサラギ家と同程度の大きさで、つまりは一般庶民の家と変わりない。
「で、今日は何のようなのよ?」
「新しいホラー映画を借りてきたんだ。良かったら一緒に見ない?」
ジョーがビデオディスクのパッケージを見せると、サクラはマジマジとその絵を見つめだす。
その表情から、サクラの興味を惹くことが出来たと確信し、内心ほくそ笑む。
表向きの理由が無ければ、如何にジョーと言えど人の家には上がり込みづらいのである。
「どれどれ……『蘇りゾンビさん、血肉を貪ってパワーアップ!』……? これホントにホラーなの?」
「多分そうだと思うよ」
この映画を選んだことに、深い理由はない。
ただ、サクラの知らなそうなマイナーなタイトルを適当に選んできただけである。
ジョーは内容の下調べなどしてないし、どんな映画であるかすら把握していない。
「……ま、いいわ。その前に晩御飯食べさせてよ」
「うん、わかった。適当にテレビでも見て待ってるよ」
「まだ食べてないなら、アンタの分も用意するわよ」
「食べてきたから大丈夫」
「あっ、そう」
ジョーはリモコンを手に取りながら、横目でサクラの様子を伺っていた。
サクラはおもむろに戸棚を開け、中から発泡スチロールのカップを取り出す。その容器の口には蓋がされていて、更に容器全体がビニールに包まれている。
――そう、それは世間一般で言う『カップラーメン』であった。
サクラは蓋を半分剥がし、電気ケトルからお湯を注ぎこむ。
豚骨味の濃厚な香りが、リビングに充満する。
「……それ、ごはん?」
「そうよ。それ以外の何なのよ? アンタバカなの?」
不機嫌に顔を顰めたサクラは、三分も経たずに蓋を剥がした。
そして割り箸を割ると、麺を豪快に啜り、破顔する。
「カップラーメンを作った人は偉大よねぇ。アタシのパパの百倍ぐらいは偉いっ!」
ジョーはそんなサクラの姿を眺めながら、こう思った。
『コレはもう駄目だ』と。
「ちょっと外に出てくるね。すぐ戻ってくる」
ジョーは夢中でラーメンを食べるサクラに一言だけ言い残して、ホワイト家を出た。
そして耳元のボタンを操作し、ある人物へと連絡を取る。
「もしもし」
「もしもし、ジョウ・キサラギです」
「おお、ジョー君か。サクラの件かね?」
「はい、そうです」
ジョーがダイアルしたのは、ジョシュアであった。
忙しいのだろうとは思いつつも、ジョーは黙っていることが出来なかったのだ。
「今日の夕飯はカップラーメンのようでした。ついでに言っておくと、昼はマスタードだけを塗ったサンドイッチでした。あまりこういうことは言いたくないですけど――」
「ふむ……」
ジョーが忠告をしようとしたその時、ジョシュアが声を遮る。
思わずジョーは言葉を止め、ジョシュアの次の言葉を待った。……待ってしまったのだ。
「――良かった。しっかり食べているようだ」
「……は?」
予想外のジョシュアの言葉に、ジョーは素っ頓狂な声を上げることしかできなかった。
そして、ジョーの耳にジョシュアを呼ぶ声が響くと、ジョシュアは通話相手であるジョーとは異なる人物に対して返事をした。
忙しいと言わんばかりに、ジョシュアは急かす。
「ありがとう。後日、ささやかだがお礼をしよう。では、お休み」
「あっ! ちょっと!」
通話は打ち切られた。
ジョーの中でやりきれない気持ちが蓄積されていき、呆れとも怒りとも付かない感情が彼を動かす。
気が付けば、ジョーの足は徒歩数分ほどの、最寄りのコンビニエンスストアへと向いていた。
買い物を済ませ、ジョーはホワイト家へと帰還する。
「ただいま」
「随分時間かかったじゃない」
「ああ、ちょっと予定外の買い物があってね……」
「買い物?」
ジョーがコンビニのビニール袋を差し出すと、サクラは中身を確認した。
その中には、透明なプラ容器に入った、色とりどりの野菜が入っている。
「サラダじゃない。やっぱまだ食べてなかったの?」
「いや、これは君が食べるんだ」
「はぁ? なんでよ?」
「流石にカップラーメンだけだと体に悪いよ」
「カップラーメンにだって野菜は入ってるわよ?」
「いや、それは不健康と言うか……」
「まあ、どっちにしても今は食べられないし、とりあえず冷蔵庫にでも入れておきなさいよ」
サクラの言う通り、ジョーは買ってきたサラダを冷蔵庫の中へとしまう。
そしてその中身を見たジョーは、愕然とした。
「駄目だこの家……早く何とかしないと……」
冷蔵庫の中に、食材は入っていなかった。