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No.08 君のいる未来

「有香ってほんと、不器用だよな」

 弟の言葉を思い出して、有香はぐっと奥歯に力を入れた。

 いつだってそう。弟は有香のことをよくわかっている。それがくやしいのに、実際当たっているのだから、反論することも出来ない。


 就職活動を始めてもうずいぶんたつ。

 だが、未だに最終選考にさえ残れない。何が駄目なのだろう、なにがいけないのだろう。もんもんと考えて、不器用すぎる自分の姿を省みる。

 受け答えはしどろもどろ。右往左往する目線。震える手。志望動機や自己PRなど必ず聞かれるような質問の答えさえ、用意してきたセリフ通りに言えない。面接官にしてみれば、「この子は駄目だ」と思わせる要素しか持ち合わせてないのだ。



 細い道を車でひた走り、有香は実家を目指していた。

 連休を利用して、久々に帰省をすることにしたのだ。

 就職活動の骨休みをしたかったのもあった。親はあまり就職にうるさくない。とろくさく鈍くさい有香が就職できるとは最初から思っていないようで、「フリーターでもいいよ、あんたは」と諦めている様子だった。それが有香にとってはありがたく、心休まるものでもあった。

 周りの友人はどんどん就職先を決めていく。取り残される有香に、友人達は「有香ももう少し頑張らないと」と焦らせるような言葉しか言ってはくれない。

 幼い頃、有香は鬼ごっこが大嫌いだった。後ろから追いかけてくる鬼。必死に走っても、足の遅い有香はすぐに追いつかれてしまう。

 自分よりも速い足音がざっざっと土を蹴る音が苦手で、恐怖心さえ抱いていた。

 あの感覚と、この現状は似ている。追われている感覚を背中のどこかで感じている。

 世間のスピードは速く、いつもすぐに追いつかれて、追い抜かれてしまう。その度に自分のふがいなさを情けなく思って落ち込むのに、努力が何も追いついてこない。

 少しだけでいい。ゆっくりと何も考えずに休みたかった。



 のんびりと準備をしていたら、アパートを出る時間も遅くなってしまった。しかも、有香はその性格のせいもあって、運転もとろい。後ろの車に何度も煽られたが、それでスピードを出せるほど、車の運転が得意ではなかった。

 車での帰省を選んだのは、友人が「実家に帰るなら使っていいよ」と車を貸してくれたからだ。はっきりと断ることが出来ず、言われるままに借りることになってしまったのだ。



 あたりはすっかり闇に変わっていた。

 街灯の少ない田園地帯は、家の明かりも少なく、有香の車の明かりだけがぼんやりと道を照らす。

 まっすぐ続く上り坂。道の先が無いように見えて心許なくなり、室内灯を点けた。

 暗闇の中にぽつりといる恐怖を紛らわせるために、のん気なCDの歌声に合わせて肩を揺らす。

 道路の脇は丈の高い草が生えているが、その先は真っ暗だ。ブラックホールがそこに存在しているといわれたら、信じてしまいそうなほどの闇。


 車を使って帰省するのは初めてのことだった。

 こんなにも暗い場所の一角に我が家があるということを今更実感する。

 有香の実家は農家で、家は畑と田んぼに囲われている。駅から家までの道ならば、住宅が何軒か並んでいるから明かりが常に灯っているのだが、車で行くと、住宅街は通らない。

 ずっと続く闇を見ていたら、急激に吐き気が襲ってきた。ちらちらと思い出したくない光景がよぎって、目をつぶりたくなった。

 だが、そんなことをすれば事故を起こしてしまう。有香はぐっと目に力を入れて、前を見据えた。

 道路しか見えない、果てのない暗闇。それは地獄への道にさえ見えて、有香はおびえる。



 家にたどり着くと、玄関のドアに鍵がかかっていた。

 田舎のこの辺りは、鍵をかける習慣が薄い。少しの外出なら、開けっ放しで行ってしまう。鍵をかけているということは、長時間家を空けるということなのだろう。

 昨日、電話で帰るって言っておいたのに、と心の中で愚痴りながら、合鍵をバッグから出した。

 立て付けの悪い木製のドアががたがたと揺れて、ようやく開く。

 誰もいない家は当然ながら真っ暗で、やっとあの闇から抜け出たのに、家の中にまで広がるこの暗さが有香の気をいっそう滅入らせた。

 廊下の向こうから吐き出される夜の匂いを払拭するように、電気のスイッチを右手で探す。ぱっと灯った光は一瞬で暗闇を消し去った。

 廊下の片隅にある階段を上がり、自分の部屋に入る。

 大学入学の時に家を出て三年半。有香の部屋は何も変わらずそのままにしてある。

 ボストンバッグを放り投げて、隣の部屋のドアを叩いた。隣は弟の部屋だ。いないことはわかっていたが、勝手に侵入することに気が引けて、一応ノックしたのだ。

 弟の部屋もまた、有香がこの家から出て行った日から何も変わっていない。

 がさつな有香とは相反して、弟は几帳面な性格だ。勉強机の上に設置された本棚には本がピシリと揃っている。ベッドに乱れは一切無く、絨毯には埃ひとつない。

 以前、弟の漫画を勝手に拝借して読んだら、本のしまい方でばれた。三巻だけ飛び出ていたので、誰かが勝手に触ったのだと、弟はわめいた。

 あんな神経質じゃ彼女も出来ないだろうな、とタカをくくっていたら、高一の春には彼女を連れてきた。あの時のなんとも言えない敗北感を有香は未だに根に持っている。

「嫌なやつ」

 ずかずかと弟の部屋に入り込んで、ベッドに寝転がった。有香が劣等感を抱く時は、きまって弟が先に何かをした時だった。

 一緒に習字を習えば、弟はいつの間にか初段。有香は三級。勉強だって、有香はわからないことが多すぎて何度も何度も復習するのに、弟はすぐに理解する。恋人が出来たのだって弟が先。高校受験では弟はすんなりと推薦で合格し、有香は普通に試験を受け、なんとか滑り込みで合格した。

 いつも一歩先を行く弟が嫌いだった。


 本棚に並んだ卒業アルバムに目が行く。中学の卒業アルバムだ。日に焼け少しだけ変色してきた表紙をめくる。

 二組に弟の写真。四組に自分の写真。双子の姉弟。そっくりな顔立ちなのに、どうして中身はこうも違うのだろう。

 優秀な遺伝子は産まれる時にすべて弟が持っていってしまったのだ。だから、自分はこんなにも情けないのだ。

 そう思いこもうとして、バカらしいと笑った。ほとんど同じ成分で出来ているはずの姉弟。こうも違うのは、産まれた後の、成長過程での努力の差なのかもしれない。

「あいつ宛、か」

 卒業アルバムの後ろの二ページはフリーページになっている。クラスメートや部活の仲間から寄せ書きがされていた。

「実は好きだったんです、だって」

 女子からの告白まで書かれている。

「お前の姉貴が好きでした。って嘘!」

 知らない男子の名前ではあったが、そんなことも書いてあった。冗談かもしれないけど、好意を持っていてくれた人がいるということは嬉しい。

「頑張って、プロのサッカー選手になってね」

 弟の夢はプロサッカー選手になることだった。中学の時にMVPになるほど、実力のある選手だったのだ。

「サインを今のうちにくれ」

「高校でもサッカー頑張れよ」

「テレビでお前の雄姿を見れる日を楽しみにしてるからな」

「オリンピック出ろよ!」

「走る姿が、まじでかっこよかったよ。ずっとそのままでいてね」

 ページいっぱいに書かれた、弟への応援メッセージ。慕われる弟の姿を思い出して、嫉妬心と羨望がにじみ出る。



 玄関の方でがたがたと動く音がした。家族が帰ってきた。

 弟の部屋に勝手に侵入していることがばれたら、なんてどやされるかわかったもんじゃない。有香は慌てて卒業アルバムを本棚に戻し、きちんと元通りか確認して、そっと部屋を出た。

何事もなかったように表情を取り繕って、階下に行く。

 母と父が談笑しながら廊下を歩いていた。

「おかえり」

「あら、おかえり、有香」

「ただいま。どこ行ってたの」

「町内会の集まり。あんた、いつ帰ってきたのよ」

「さっき」

 母がいつもよりきちんと化粧をしているのは、寄り合いがあったからか。有香は納得してふと客間を見た。

 もぞもぞと墨の塊が蠢きそうな暗い部屋。あの部屋は、あまり好きではない。

「ちゃんと仏壇に手を合わせた? 帰ってきたんなら、挨拶するのよ」

 たいして信心深くないくせに、こういうことにだけはうるさい母を睨みながら、有香は仏壇のある客間に足を踏み入れた。

 電気の紐がぶら下がっているあたりを探って、手を空中で振るわせる。わずかに風が起こる。

「怖がりなんだよ、有香は。ちゃんと見ろ。怖いもんなんて、世の中にはたいしてねえよ」

 自信過剰な弟。弟というよりも兄のよう。

 やっと紐をつかんで引っ張る。光が灯ると、恐怖心は波のように引いていった。

 仏壇の上に飾られた写真を見る。

 少しだけ微笑んだ弟の写真。短く刈られた髪。高校入学の時に切ったのだが、「切りすぎた」と嘆いていたのを思い出す。有香と似た少し切れ長の瞳には、有香には無い凛とした強さが宿っている。

 高校入学してすぐだった。学校帰り。農道を歩いていた弟は車に轢かれて死んだのだ。

 有香が車で通ってきたような、街灯の無い真っ暗な道。田んぼしかない、まっすぐな道路での悲劇だった。

「ねえ、あたしには、怖いものばかりだよ。夜が怖い。暗闇が怖い。見えないことが怖い。あんたがいないことが怖い」

 同じように成長してきた弟。だが、高一のあの日、弟は歩みを止めた。なのに、有香だけは今も歩き続ける。

「あんたみたいに、将来を思い描けないよ。真っ暗なの。あんたが死んだ、あの道みたいに」

 闇に飲まれ、ぽっかりと消えた道。その先はあるはずなのに、不可視の世界。

 弟の遺影に向かって、不安を吐露する。仏壇の奥は、闇があるだけ。


「有香は将来の夢、無いのかよ」

 卒業式を迎えた日の夜、卒業アルバムをめくりながら、弟はぽつりとそう言った。

「別に、無い」

「じゃ、雑誌の記者になれ」

「なにそれ。なんでよ」

「俺がサッカー選手になったら、それを記事にするんだよ」

 身勝手な提案。いつだって王様のように振る舞う弟。

「俺のおかげで、お前、サッカーの知識だけは豊富じゃん。いい記者になれるぜ。サッカーの記者」

 文章なんて書けないもん、と断ったのに、弟はその後もずっとありえもしない将来を有香に語って聞かせた。

 サッカーで俺が活躍して、お前がそれを記事にするんだ。俺はお前だけに色々語るから、お前はきっと重宝される。二人三脚で進んでいくんだぜ。双子らしくて、いいと思わないか?

 きらきらした目で語る、未来。

 それは展望に溢れ、光り輝いていた。絵空事だと、弟だってわかっていただろう。

 それでも、弟はまるで実現するかのように語るのだ。

「スポットライトを浴びて、俺は言うんだ。俺が頑張れたのは俺を褒め称える記事を書いてくれた姉がいたからです。姉弟愛に皆泣くぞ。きっと俺、モテまくり」

「バカみたい」

 そう言って笑いながら、有香も少しだけその夢に乗っかってみたくなった。

 弟が死んだ今では、けして叶わない夢だけれど。



 闇の中を走る車は、ぼんやりと光を湛える家に帰りつく。

 あのブラックホールみたいな道の先にも、たどり着く場所がある。

 有香は線香に火を灯して、そっと目を閉じた。

「もう少し、頑張ってみるね」

 まだ闇夜が怖い。けれど、思い描く先は光に満ちている。それを知っているから。

 頑張れるよ、と有香は遺影を見上げた。

 弟の目に宿る強さは、有香だって持っているのだ。


「有香は不器用すぎるんだよ。自信持て。俺の姉貴だろ」

 自信満々にそう言う弟。そう言える弟が、大嫌いで、大好きだった。



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