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No.06 ジェットブラック

 私は毎日夢を見る。カラスのふわふわとした漆黒の羽根が頭上から舞い降りて、横たわる私を包み込んで行く、そんな夢だ。でも毎回、世界が漆黒に染まる前に隣の部屋から女の人の嗚咽が、薄い壁を通って邪魔をする。耳障りこの上ない音だ。

 その音をかき消すように私は左耳をミヤマの胸で塞いだ。すると反対の耳をミヤマの大きな手が塞ぐ。シャツ越しに伝わる彼の鼓動が次第に私のリズムと溶け合って心地よく体に染み渡って行く。

 何でこんなに心地いいんだろう。このままずっとこんな朝が送れればいいのに。


 ミヤマ、その名前以外で私が彼について知っている事は少ない。年はたぶん私より少し上、三十歳前後だと思う。いつも黒いパンツと黒いシャツを身に纏い、長めの艶やかな黒髪を一つに束ねている。先の見透かせないサングラスは外に出る時専用。部屋にいる時はビー玉みたいな目でいつも窓の外を眺めている。

 ミヤマを初めて見たのは二ヶ月くらい前、雪の降る十二月のある日だった。アルバイト先の花屋に向かうためアパートの階段を降りると、すぐ近くの曲がり角に彼は立っていた。

 次の日も、また次の日も、彼はそこにいた。何をするでもなく、ただそこに立っていた。

 最初はストーカーかもしれないと不信感を抱いていた。でもそれはだんだん好奇心に変わって行く。

「いつもここで何してるの?」

 声をかけたのは一週間経った頃だった。

「仕事」

 一言そう答えるとミヤマは紫煙を吐いた。

「今日積もるらしいわよ、雪」

「それは困るな」

「じゃあうちに来ない?狭いし壁薄いし、何にも無いけど」

 そう言った自分に少しだけ驚いた。でも本当に少しだけ。きっと初めて彼を見かけた時からずっと気になっていたんだと思う。

 私が微笑んで歩き出すとミヤマはもう一口煙を吸い込み、煙草を地面に押し付けた。

 部屋に戻って戸棚からマグカップを二つ取り出した。インスタントのコーヒーをカップに注ぎコンロにかけたお湯が鳴くのを待つ間、久しぶりの来客に心が躍る。

「砂糖とミルクは?」

 マグカップを両手に居間に向かうとミヤマは地べたに座り窓の外を見ていた。

「いや、いらない」

 コーヒーを手渡してから脱ぎ捨てられたコートを拾い上げた。まだぬくもりが残っていて、名前を知らない男物の香水の香りがした。

「私は乃亜。あなた名前は?」

「ミヤマ」

「仕事って何してるの?」

「カラス」

「カラス? 何、カラスって。生ゴミでも漁って回っているの?」

 コートをかけたハンガーを壁に掛けながら冗談混じりにそう聞くと、ミヤマはまあそんなもんだ、と答えた。

 私とミヤマの生活はこうやって始まった。


 ミヤマは基本的に部屋から出ない。いつも外を眺めている。

私は昼間、ミヤマに留守を預けて近くの商店街の花屋でアルバイトをしている。店長はアパートで隣の部屋に住む渡さん。彼女のすすめで私は働くようになった。

私が来るまで渡さんは一人で店を切り盛りしていた。でも隣街にもう一店舗オープンさせるためにどうしても人手がいるから、といつも部屋に引きこもっていた私は半ば強引に働かされることになった。

 花になんて興味無かったけど、やさしい色に誘われてお客さんの少ない時間帯に店内を物色するのが楽しくなった。少しずつだけど花の種類やアレンジメントの作り方も覚えて、今ではほとんど店にいない渡さんの代わりに店を切り盛りしている。

渡さんはもうすぐ六十歳になる。家に一緒に住んでいる家族は居ない。私と一緒。でもそんな寂しさなんて微塵も感じさせない顔からあふれる笑顔はすごく柔らかくて、それはどうやら私にも感染しているらしい。


漆黒の羽根の夢はミヤマがうちに来てから見るようになった。

正直、私はミヤマを部屋に泊めた時からミヤマと抱き合うことを頭に入れていた。もちろんミヤマもそのつもりで付いて来たんだと。でもミヤマはただ同じベットで眠るだけ。抱きしめてくれるし、求めればキスもしてくれる。なのに絶対に体を重ねようとはしない。彼が言うには、仕事中だから、らしい。

最初の頃はそれが不満で不満でしかたがなかった。でもミヤマの隣で眠っていると今まで味わったことがないような安心感があって、朝方にはそれが夢に表れる。今日も朝からふわふわの夢を見る。降り積もる黒い羽根に抗うことなく私は眠り続ける。

でもそれはお決まりのように隣の部屋の渡さんの嗚咽で薄れて行く。


「渡さん大丈夫なのかしら」

 日課になっているインスタントコーヒーを淹れながらそう呟いたが、ミヤマの返事はない。彼も日課の朝の一本を吸うために窓を大きく開けた。朝の刺すように冷たい空気が温い部屋の空気を一気に冷まして行く。

「たぶんそろそろ止むと思う」

「え?」

「お隣さんの嗚咽」

ミヤマはそう言うとコートを羽織り、行き先を告げずに外へ出て行ってしまった。窓からその姿を目で追うとあの真っ黒のサングラスもかけられていた。

あれがカラスの仕事なんだろうか……。私はミヤマの姿が見えなくなるまで眺めると時計に目をやり、バイトに出掛ける準備を始めた。

アパートを出るときに渡さんの部屋をノックしたけど、もう渡さんは出かけているみたいで応答は無かった。私は部屋にあったリンゴをドアノブにかけてアパートを出た。


翌日、私はまたいつものように漆黒の羽根の夢を見た。

半分意識があるんだと思う。そろそろ邪魔が入る、そう恐れながら羽根に埋もれていたが、今日は無事に漆黒の世界に行けた。

漆黒の世界は想像と違っていた。真っ黒ではなかった。羽根のひとつひとつに艶があってそこに少しの光が当たって白い光を放つ世界だった。


目を覚ますと部屋の中にミヤマの姿が無かった。渡さんの嗚咽も聞こえない。普段と違う朝に私は酷く不安を覚えた。

私はミヤマの姿を探しながら気付けば渡さんの部屋の前に立っていた。

ドアをノックする。やはり返事は無い。ノブに手をかけるとドアは音を立てずに開いた。

「渡さん」

私は中に入った。玄関に昨日置いていったリンゴが転がっていて、私はそれを拾い上げて奥へと足を進めた。狭い部屋だから数歩進めば部屋のすべてが見渡せる。私の目に映ったのは真っ白な顔で血を吐いて倒れている渡さんとその血を拭っているミヤマだった。

「何してるの」

 ミヤマは一度私を見ると再び渡さんに視線を戻した。家の中ではかけないあのサングラスをかけていてミヤマの表情は見て取れない。

「ミヤマ、渡さんに何したのよ」

「何もしてねえよ。俺は仕事をしてるだけだ」

 ミヤマは少し口角を上げてそう言った。

「仕事って……殺し屋?」

 そう聞いた唇が思わず震えた。

 ミヤマは私にかまわずに準備していた正方形の箱の中に渡さんをそっとしまった。

「ねぇミヤマ……渡さんをどこへ?」

 ただ呆然と見ていることしか出来ない私はやっとの思いで口を開けた。

 ミヤマは箱にテープで封をして私のところへ近づいて来た。

「怖がらせたなら悪かったな。前にも言ったとおり俺はカラス、身寄りの無い依頼人の遺体を引き取る仕事をしている」

 ミヤマは煙草に火をつけながらこう続けた。

「このご時世だ、身寄りの無い病人なんて山のようにいる。一人で亡くなった時に遺体がそのまま放置されないように処理するのが俺の仕事だ。この依頼人も前々から病気を患っていてな。毎朝嘔吐が激しかっただろう」

 私はただ呆気にとられて、話を理解するのに精一杯だった。

「乃亜、これは依頼人からの遺言だ。店はお前に頼みたいそうだ」

ミヤマに差し出された紙の封筒を開けると中には私の名義に書き換えられた花屋の権利書が入っていた。

「じゃあ俺はもう行く。世話になったな」

 ミヤマは吸い終わった煙草をシンクに投げ入れた。

「待ってよ」

 背を向けるミヤマの腕を掴みこっちを向かせた。さすがにこの距離ならサングラスの中のミヤマの目が何を見ているか確認できた。

「私も身寄りがいないの。だからもし私が死んだらミヤマが迎えに来て。死ぬ時はあの光る漆黒の羽根の中で死にたいの」

 こんなにミヤマと見つめ合ったのは初めてかもしれない。ミヤマが私の言葉の意味を理解したのかわからないけど、口角を上げて分かったと小さく頷いた。

「絶対よ、絶対だからね」

 私は約束の意味を込めてミヤマと抱擁をした。ミヤマの胸に顔を埋めると目の前は真っ黒に染まり、名前を知らない男物の香水の香りがした。


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