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No.05 残像


 空は限りなく黒に近い紺。月はどこかに去り、雲はどこかに消えた。

 その下には廃墟。崩れかけた建物達の隙間を黒が埋めている。

 どこかから荒れた道に白い光がさし、建物の隙間があらわになった。

「へっへへ、うまくいったな」

「兄貴、やりましたね」

 ふわふわと下の人間の動きに合わせて動く明るい球体の光が、大柄な男と小柄な男、そして二人が引っ張っている地面と平行に浮いている二メートルほどのカプセルを照らしていた。カプセルの中では、十五、六の少女が必死に表面を叩いている。

「兄貴、これからどこへ?」

「この奥だ。治安維持機構の連中もここまでは入ってこれないらしいからな」

 小柄な男の顔に不安の色が浮かぶ。

「でも、兄貴、この先って第三特区……」

「ああ? あんな噂話を信じてるのか? あんなのは出鱈目にきまって……」

 大柄な男の声が途中で止まる。小柄な男が前に視線を向けると、黒く塗りつぶされた空間に人の形が見えた。

 黒い帽子に黒いスーツ、黒い靴。黒に紛れた人影は、浮かぶライトの光の中ゆっくりと振り向く。三十代中ごろの印象に残らないような男の顔が帽子の下で光に照らされている。

「何だ、てめえ」

 大柄な男は腰に下げていた銀色の棒を掴んで構えた。作動音がして銀色が鈍く輝きだす。

 その様子をじっと見ていた黒い人影は、表情を変えずに口を開いた。

「ここから離れなさい」

「なんだあ? お前がここか、ら……?」

 大柄な男の声がどこかに迷い込むように途切れる。違和感を感じた男が視線をおろした先で、銀の棒をもった男の右手がぶくぶくと泡立つように形を変えていく。

「間に合いませんでしたか」

 異様な状況の中、黒い人影が抑揚のない声を発した。

「な、なんだこ」

「あ、兄貴、お、俺も」

 小柄な男は足から始まった変化が胴体にまで到達している。

「わ、わ、たすけ」

「あ、あに」

 黒い人影が静かに見守る中、二人の男は戸惑いと混乱の中、ぶくぶくと音を立てながら二つの肉塊へと変わり果てた。

「予測よりも速い」

 黒い人はそう呟くと、肉塊のそばに浮かぶカプセルに近づく。

 黒い人がカプセルの横の表面に指をあてると、カプセルは音もなく開いた。

 カプセルの中では、少女が凍りついたような表情で微動だにせず固まっている。

「侵食に対して耐性があるようですね」

「……え、何? 何なの?」

 黒い人の声で解凍されたかのように少女が騒ぎ出した。

「こここれなんなの?」

「記憶の侵食です。あなたも早くここから離れなさい」

 黒い人は少女を軽々と抱きかかえるとカプセルからおろした。

「え? 記憶?」

 戸惑う少女に一瞥もくれずに、黒い影は暗闇へと歩き出した。

「ちょ、ちょっと待ってよ!」

 少女はあわてて肉塊のそばで淡く光りながら漂う球体を掴むと影の後を追った。

 頼りない白い光に黒い影が浮かび上がる。少女は一定の速度で進む影の横に並んだ。

「ここから一人で帰れっていうの?」

「そうです」

 黒い影は少女を見ずに口を開いた。

「待ってよ! 外まで送って行ってくれても」

「残念ですが、またの機会に」

「待ってってば!」

 少女の言葉に黒い影は急停止した。

「きゃ!」

 動きについていけず前のめりになる少女。影はその様子を表情のない顔で見ながら言葉を発した。

「この先が何かご存じですか」

「何って、確か第三特区……」

「そう、特殊災害特別区域法に基づいて指定された区域です。基本的に人の立ち入りは禁止されています」

 それだけ言うと黒い影は再び歩き出した。

「ちょ、だから待って!」

 あわてて影の横に並ぶ少女。

「じゃ、じゃあおじさんも入っちゃいけないんじゃないの?」

 影は足を動かし前を見据えたまま口を開いた。

「私はこの先に用事があるのです」

「用事?」

「そう、大事な用事です」

 影の足は流れるように動いていく。

「でも、ちょっと送って行ってくれるくらい……」

「この周囲にあなたの脅威になりそうな存在はありません。安心して下さい」

「いや、でも、なんか怖いし」

 少女の力無い声を影の耳が捉えた。影は規則正しい足の動きのまま落ち着いた声を出す。

「何が怖いのですか」

「何って、色々と……だってこの辺噂になってるし」

 影の目は進む方向のみを見据えたまま動かない。

「今から五年前にここで何が起こったかご存じですか」

「え、えーと、確か住んでる人がいきなりみんな死んで……」

「そう、ただそれだけのことです」

「それだけって、なんか怖いじゃない」

「何か怖い、ですか。例えばああいうのですか?」

 足を止めた影の指が前方の空間を指差した。

 少女が何気なく指の先を見ると、前方五メートル位の距離に白っぽい何かがいた。

 わずかずつ近づいてくるぼんやりとした輪郭。それはだんだんと人の形を取り始めた。

「そうそうああいうのが怖……何、あれ」

 意表を突かれて止まった少女をよそに、黒い影は懐に手を入れて金属のプレートを取り出した。

「空間の記憶です。どうやら奴の影響でこの辺りも“思い出しやすく”なっているようです」

 黒い影は手首の動きだけでプレートを飛ばす。まっすぐ飛んだプレートが白い何かに触れると、かきまぜられるような動きで白い何かは掻き消えた。

「空間の……記憶?」

 少女は茫然とした表情で呟いた。

「空間がここに以前いた人を思い出したのです」

 黒い影は再び歩き出した。

「一般的には幽霊と言った方が通りがいいでしょうか」

「え……? あ、ちょっと待ってってば」

 少女は再び後を追った。

「お、おじさん、なんでそんなこと知ってるの?」

 少女の問いに、影は視線だけをむけた。

「ここへ戻ってくるためです」

 二人は並んで薄く照らされた暗闇を進む。

「私は以前ここにあった家に住んでいました」

「へ?」

「五年前、この付近が“思い出した”のです」

「思い出した……?」

 影の手がいつの間にか握りしめられている。

「最悪のタイプ……自己増殖、感染型の記憶です。周囲の物質の記憶に侵食し、取り込み、書き換える……幾度もの感染と増殖、数え切れないほどの記憶を無差別に取り込んだ結果、原形をとどめないほどに変質し、混沌そのものと化した記憶」

 影は眼前の暗闇を凝視した。

「奴に侵食された物質は、原形を保てず、不定形に変化していく……私の家族も皆肉の塊になって死んでいきました」

「あ……」

 少女の脳裏に、自分を誘拐した男たちの末路が再生された。

「歪んでゆく家族が、肉の塊になっていく家族の断末魔が私をここへ」

「おじさん……」

「あなたも早くここから」

 突然影は右手で少女を突き飛ばす。少女は後ろに尻もちをついた。

「痛っ、何……」

 少女が見上げた先で、影の右手がぶくぶくと泡立つように形を変えていた。

「おじさん!」

「私まで侵食するとは……特殊災害指定は伊達ではない、か」

 影の呟きに合わせたかのように右の手が弾け飛んだ。

 少女の目に影の右手の傷口が映る。少女の顔に戸惑いと驚きが浮かぶ。

「おじ……さん?」

 影は少女の視線を受け止めたまま静かに呟く。

「先程言った通りです。私の家族は皆殺されました。優しかった妻、まだ四歳だった娘……そして」

 破れた服から覗く銀色の骨格、血管のようなコード。

「そして、私」

 影は無表情のまま失った手首から先を眺めた。

「絶望の中、自らの断末魔を聞きながら絶命するはずだった男の記憶をデータ化して移植された存在……」

 影の顔に初めて表情が浮かぶ。何かを嘲笑するように。

「本人は彼方へ去り、残像だけが残りました。金属が思い出す死者の記憶。私もまた、亡霊なのです」

 しばらく時が止まったかのように誰も動かない。

 影から表情が消えた。

「さあ、早くここから去りなさい」

「おじさん、どうするの……?」

 ゆっくりと立ち上がった少女がじっと影を見つめる。

「私はこの先へ」

 影の視線が前方の黒で満たされた空間を貫く。

「大丈夫、なの?」

「大丈夫ではありません。しかしそんな事は問題ではないのです」

 少女は影の顔をじっと見つめる。少女は口を開いた。

「おじさん。名前、なんていうの?」

「名前……ですか。生きていた頃はハザマという名前でした」

「ハザマさん……は、どういう人だったの?」

「記憶によると、結構激しい性格の人だったようです」

 少女は不思議そうに影の顔を見た。

「おんなじ人のはずなのに違うのね」

「そもそも私は人間ではありません」

 影は真面目な顔をして答える。

「ああ、うん、そういえばそうだよね」

 少女は何かに納得している。影は音もなく少女に背を向けた。

「これからこの先とその周囲は少々危険になります。もう行きなさい。そして死人の事は忘れるのです」

 少女は影の背中を見つめる。黒い背中。

「では……」

 影は帽子をかぶりなおし、暗闇へと歩を進める。

「忘れないよ」

 影の足が一瞬止まる。

「ハザマさんはよく知らないからしょうがないけど、おじさんの事は忘れないよ」

「……出来るだけここから遠くに離れることです。可能な限り急いで」

「うん、じゃあ……」

 少女の駆け出す足音がする。

 影は音もなく歩きだす。頭脳は静かに演算を始めた。

「妙な疑問だ。私はハザマなのか、それとも……」

 影の記憶領域から一つのデータが再生された。


 “おじさんの事は忘れないよ”


 影の表情に緩やかな笑みが浮かぶ。

 そうか、私はそこにいたのか。



 太陽が一日の始まりを照らす。

 高級住宅街の一角、リビングの壁に朝のニュースが四角く映っている。

「ほら、ぼーっとしてると遅刻するわよ」

 母親と思しき女性の声に、ソファでぼんやりしていた少女が顔をあげる。

「なーに?」

「なーにじゃないでしょ。まったく、何も連絡しないであんなに遅くなるなんて」

「だからそれはもう謝ったでしょ」

「あなたねえ」

 泥沼の説教の気配を感じた少女は素早くソファから立ち上がり、リビングから出て行こうとした。

「次のニュースです。昨夜未明に崩壊した第三特区について、政府のコメントが発表されました」

 少女は足を止め、画面の中の無機質なアナウンサーを凝視する。

「かねてからの再開発の予定を繰り上げ、昨夜より工事を開始したとの事です。周知の徹底が不十分で、付近の住民の皆様に迷惑を……」

「どうしたの?」

「……ううん、なんでもない。じゃあいってきます」

「え? ちょっと待ちなさ」

 母親の声を背中に受けながら少女は玄関のドアを開け、朝の世界を歩きだした。

 どこまでも続く青い空に真っ白な雲がいくつも浮かんでいた

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