3話
その姿は、つい先ほど堂々と会場入りした時とはうって変わり、まるで、一気に10年以上年を取ってしまったかのようにやつれ切っていた。
「父上…?」
明らかに憔悴している父に気づき、カリトスは、不思議そうに声をかける。
そんな息子の視線を受け流し、ザカリアスは、ちらりと隣を見る。
隣に座している王妃ナターシャは、扇を最大まで広げて、目から下をすっかり隠してしまっていた。
恐らく、苦悩に歪んでいる美しい顔を、みなに見せまいとしているのだろう。
しかしそれでも、慈愛深い海の色と称えられた、紺碧色の双眸だけは、毅然と前を向いている。
―――――まったく、見上げた女だ、お前は。
王妃に背中を押された王もまた、奥歯をぐっと噛みしめ、覚悟を決めて、前を見据えた。
「まずは宣言しよう。今日から1年後、わたしはエルジナ国王の座を退き、王位を、我が息子、カリトスに譲るものとする」
「…!!」
「王…!」
「何を…!!」
「ええっ…?!」
突然の退位宣言。
それは、この場にいる有力貴族たちを驚かすには、十分過ぎる内容だった。
「父上…!!」
「やった…!」
これに喜んだのは、カリトスと、そして、彼を取り巻く4人の子息だ。
自分たちの意見が認められた、そう思ったのだろう。
そんな彼らを後目に、王はあっさりとした口調で言った。
「そして、フランセア・マナミート嬢であるが…、これを無罪とする」
「?!」
「は…?!」
これに驚いたのは、カリトスと4人の子息だ。
今の今まで喜んでいた表情を、一気に曇らせる。
「どういうことですか! 父上!!」
カリトスは、王を睨みつけると、青い顔で父オッテスに寄りかかっているフランセアを、勢いよくゆびで指した。
「この女の罪を、すべて許すおつもりですか! 父上!!」
まるでしつけのなっていない犬のように、きゃんきゃんと吼えるカリトス。
そんな彼の様子に、王は深いため息で答えた。
「許すも何も、フランセア嬢は何ひとつ罪を犯していない」
「!! 何を証拠にそん」
「お前が言ったのだ、カリトス」
王子の薄っぺらい咆哮は、小さくはあっても、力強い王の声に、完全にさえぎられた。
「は…?」
威厳に押された王子がようやく口を閉ざすと、王は静かに告げた。
「お前が自ら、フランセアの無罪を証明したのだ。先ほど言っていたろう。――――聖女は、どのような愚か者にも、ご加護を下さるのだ、と」
この時、会場にいたほとんどの者が、思わず息を飲み込んだ。
そして一瞬息をすることすら忘れ、その視線を、じっと1人の少女、―――――フランセアに向けていた。
彼らの意識がフランセアに向いている間に、王は、従者の手にあった、小さな鉢植えを手に取り、立ち上がった。
そして、フランセアのそばまで行くと、恭しい仕草で、フランセアに、湿った土が入った鉢植えを差し出す。
「フランセア嬢…。いや、フランセアさま。……約束の時が参りました。今こそ、ここに聖女の証を立てていただきとう存じます」
「………」
フランセアは、薄紫色の瞳を、すっと伏せた。
今ここで、証を立てたからと言って、何が変わるのだろうか。
身に覚えのない罪で裁かれた心は、すでにボロボロだった。
前世の記憶を思い出したのは、8歳のころ。
婚約者として、初めてカリトス王子に出会った時だった。
それから、今生きているのが、前世でプレイした恋愛ゲームの世界で、自分は、その中の登場人物、悪役令嬢として生まれ変わったことを知り、絶望した。
ヒロインであるラビナと5人の攻略対象者。
ヒロインが誰と結びついたとしても、悪役令嬢である自分は、命を落とす運命にある。
小さな頭で悩みに悩んで、結局フランセアは、「何もしない」ことに決めた。
たとえこれから何が起こっても、自分は、ゲームの展開には一切関与しないと。
そう決意を固め、ゲームの舞台である学院に入学したのに。
だが、ヒロインが攻略対象者たちと出会い、親密になって行くにつれて、知らないうちにゲームの展開に巻き込まれていた。
ヒロインとすれ違えば、突然彼女が転んだり、顔を抑えてうずくまったり。
学院の植木に元気がなかったので世話をしていたら、突然悲鳴があがり、振り返ると、ラビナ嬢が泥だらけで倒れていたこともあった。
何もしなくても、ゲームのシナリオから逃れることはできないのか。
そう思って泣き明かした夜もあった。
さらに、日を追うごとに、ヒロインの取り巻きが、フランセアに対する憎しみを募らせていった。
彼らが向ける冷たい視線は、フランセアの心を常に凍らせ、怯えさせた。
そんな辛い日々の中、たったひとつ、フランセアを支えた事実があった。
それは、ゲームの悪役令嬢にはなかった力を、フランセアが持っていたこと。
「――――」
フランセアは、王の持つ植木鉢に手をかざした。
こうすることで、無実が証明できるなら。
フランセアの罪状に、家族を巻き込まないで済むのなら。
フランセアは、いつも元気のない植物に語りかけるのと同じように、静かに祈った。
そして、手をかざしてからほんの数秒。
王が手にする植木鉢に、変化がおとずれた。
土の中から小さな芽が出て、するすると茎や葉が伸びる。
やがてつぼみがそっと開き、まばゆいほどの黄色い花びらが、ふわりと広がった。
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(C)結羽2017
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