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1. シロが牙を剥いた日

初日更新分2話目です。

「うわっ!」


 ナカトは的確に首筋目掛けて襲ってくるシロを、転がって交わす。

 階下には大家が住んでいるのだが、そこへの迷惑など考えている場合では無い。



 ナカトはシロから距離を取り……といっても狭い部屋の中では限界があるが、シロの様子を窺う。その動きに何かを感じたのか、シロも、こちらをまるで警戒するかのように、横に移動をしながら、ナカトの隙を狙っているようだ。


「くそ! 狂犬病か? ゲージは……」


 痛む右手と左足を庇いながらも、シロから距離を取りながら、部屋の隅においてあるシロの外出用のゲージに近づく。痛みが激しいが、傷の手当よりも先に、シロの確保が先だ……


「どうしたって言うんだ……狂犬病の注射は春にちゃんと打っていたよな……」


 ゲージを持ち上げ、扉を開き、シロに向かって構える。同時にシロが飛び上がり(・・・・・)、ナカトの首筋目掛けて牙を向けてきた。


(また首……急所狙いか!)


 ナカトは首筋をかばうようにゲージを持ち上げた。飛びかかってくるシロが、そのゲージに突っ込んでくる。


「よし!」


 ナカトが持ち上げたゲージの中に、シロがうまく入ってくれた。

 すぐさまナカトは扉を上に向け、シロを奥から動けない状態にし、プラスチック製の扉をしめ、(かんぬき)をかける。


「……ふぅ……」

 

 シロはゲージの中で、ドタンバタンと暴れているが、とりあえずは安全な状態になったと言えよう。ゲージを床に置き、ナカトは座り込んでしまう。


「痛い……」


 このまましばらく座り込んでいたい気分だったのだが、やはり傷が痛む。ナカトは、傷の状態を確認した。


「結構ひどいな」


 足の傷は牙が食い込んだ所から血が出ているだけだが、右手は親指と人差し指の間の水かき部分が裂けてしまっている。


「手の方は縫わないと駄目かな……」


 痛みに耐えながらも、とりあえず止血をするために救急箱を探すが、部屋の中はダンボールが積み上がっているばかりで、どこに何があるか、すぐには解らない。昨晩、引っ越しが終わった後、早々に布団とタオルだけを出して、風呂に入り、酒を飲んで寝てしまった事を後悔するが、


「とりあえず、タオルで……」


 身体を拭いたスポーツタオルを手に充て、止血を試みる。


「保険証……と、病院を調べないと……動物病院も行かないと駄目か……狂犬病は発症すると、助からないんだよな」


 ガタガタと動いているゲージをみつめ、涙が出そうになる。

 シロは、ナカトにとって最後の友人とも言えるべき存在だったのに……


「シロ……って、おい! マジかよ!」


 ガタガタと動いていたゲージの動きが早くなり、プラスチック製のゲージの扉が外れそうにな勢いだ。慌てて扉にいくつも付いている空気穴から中の様子を見ると……


「なんだ、これ……」


 真っ赤な目をしたシロの体毛がウネウネと動いている。狂犬病にこんな症状は間違いなく無い。シロはゲージの扉を牙でこじ開けようと、必死に噛み付いている。


「!」


 ナカトは恐怖のあまり奇声を上げ、シロが入ったゲージを持ち上げた。そして、


「許せ!」


 そう言って、昨晩、酔っ払って寝てしまって入っていなかった風呂場に入り、風呂の蓋をあけ、そこにゲージ毎沈めた。


 ゲージの中の動きが更に激しくなり、中にたまった空気もすぐ抜けなかったため、ナカトは怪我をしていない右足でゲージを踏むように押さえつけ、時間が過ぎるのを待つ。やがて、


「動かなくなった……くそ……シロ……」


 今まで一緒に生活をし、可愛がっていたペットを自分の手で殺してしまった……

 そういう罪悪感に襲われた。


(そもそも、シロが化物になったなんて、俺の二日酔いの幻覚じゃないのか?)


 そんな恐怖に襲われた。

 仮にそうなら、ナカトはただの動物虐待者だ。

 

 そして動かなくなったゲージを持ち上げ、恐る恐る、ゲージの中を覗き込む。ゲージの中ではシロがグッタリと横たわり、そして、


「やはり化物のままだ……一体、これは……」


 口からはみ出ている無数の牙は、そのままだった。


***


 ここで主人公 ナカトの紹介をしておこう。田和 中人(タワ ナカト)28歳。男性。独身。そして……無職。そして、後に勇者と呼ばれる男である。


 ナカトは元々、外資系ベンチャー企業のトップセールスマンだった。

 大学まで続けた剣道で培った体力と、得意な英語を武器に同学年で入社した同期だけでなく、数年上の先輩社員まで押さえて、入社4年目でインセンティブボーナスを合わせ一千万プレイヤーになっていた。


 プライベートでは仕事が忙しかった事から、大学時代から付き合っていた彼女とすれ違う事が多く、結果的に別れる事になってしまうという不幸な面もあったが、別れた事により、きちんと貯めていた結婚資金を元手にFXに手を出し、短期間で10年分の年収に匹敵する利益を上げていた。


 まさに勝ち組。


 だが、そんなナカトの転機は入社5年めに訪れる。

 5年目に入り、ナカトが勤めていた会社の拡張路線が仇となり、経営は一気に苦境に陥った。全世界の社員が一丸となって立て直そうと頑張ってはみたのだが、現実は厳しく、日本法人の身売りが決定、その引受先になったのは伝統的なTHE日本企業とも言えるような、あまり評判のよくない企業だった。


 若いナカトにとって、伝統的な日本企業というのは自分を評価してくれない存在のようなイメージがあり、ちょうど取引先の二代目社長が始める新しいビジネスに共同出資をし、役員として来ないかとの誘いがあったため、それに乗っかる事にした。


「それでは、田和君、いや堅苦しいな。ここは我が社の流儀に乗っていこう。ナカトが我が社へジョインした事を祝して!」

「乾杯!!」


 ナカトの入社に合わせ、二代目社長は盛大にパーティを開いてくれた。これからビジネスを始めるという段階で節約すべきでは……そういう考えがナカトの脳裏に過りはしたのだが、社長が採用した何人もの美人社員がナカトの周りを囲み、お酌をするのにつられ、いつの間にか、そんな気持ちも消えていた。


 入社翌日、事務所開設祝いと称してパーティが開かれた。

 その翌日、社長が決めてきたプロジェクトのキックオフと称してパーティが開かれた。


 連日開かれるパーティ、まるで成功者のような日々……

 ここまでがナカトの絶頂期。


 金と地位を手に入れ、後は女だけか……そんな毎日を送っていたはずだが、ある朝、出社をすると、会社には誰もいなかった。


 粉飾決算、ナカトの出資金の持ち逃げ、会社役員として、いつのまにか結ばれていた銀行との連帯保証人契約。正社員だと聞いていた女性社員は全ては派遣社員。会社の破綻とともに、誰も出社してこなくなった。


 二代目社長がいるはずの親会社は、すでに社長を解任していた。

 まるで社長を探すために訪れたナカトを強請り集り(ゆすりたかり)のように扱い、最後には警備員までやってきて、ナカトは放り出した。


 そして―—


 ナカトは全てを失ったのだ。


***


 勿論、本人の同意無しに結ばれている連帯保証人に関しては、契約の無効を訴える裁判を起こしてはいる。だが、法人登記のためとして渡していたはずの委任状を使って契約を結ばれていたため、弁護士から、現実的に契約の無効を勝ち取るのは難しいと言われている。


 そのため、FXの利益を使って一括払いで買っていた湾岸沿いのタワーマンションを売り払い、連帯保証人となっていた債務の支払いにあてた。


 車も売った。

 高給時計も、輸入家具も、服も、靴も……あらゆる売れそうなものは売り払った。


 裁判に勝てば取り戻せる。

 勝てないのであれば、支払わない事で利子が嵩むだけ。


 そういう判断をしていたのだ。


 ただ、前へ進むため。


 高級外車も、随分買い叩かれたが、これも売り払った。


 債務が全て消えた訳では無いが、ある程度の誠意を見せているという事で銀行側も残債については分割での返済を了承している。


 これで前へ進む準備は出来た。


 こうしてナカトは友人の伝手で安く軽トラを借り、最低限の生活必需品だけを持って昨晩、この栄荘201号室へ引っ越してきたのだ。


 一人で荷物を下ろし、軽トラを返しに行き、電車とバスを使って戻ってきた。

 時間が遅かったので隣近所への挨拶は明日に回して、ナカトは風呂を入れ、買ってきたビールの蓋をあけた。


 ちょうど、そのタイミングで一本の非通知の電話があった。

 逃げた二代目社長だった。


 契約無効を証言するように、そして、金を返すように訴えるナカトに対し社長は、


「お前も充分楽しんだだろ!」


 そう捨て台詞を残し、電話を切ってしまった。


 ナカトは暫くスマホを握りしめ動けないでいた。

 そして、やおらに少し気の抜けたビールを一気に飲み干し……さらにダンボールを明け、飲みかけ、残りも少なく引き取り手のなかった高級ウイスキーをラッパ飲みで飲み干し、そのままぶっ倒れた。


 眠りに落ちたその目には涙の流れた跡があった。


***


「とりあえず医者に行かないと……」


 スマホを片手に操作をしようとして、ナカトの動きが止まる。


「まじかよ……ここ電波届かないの? 都内なのに? ……でも、昨日は継っていたよな」


 都内で家賃4万円。

 ボロさに目をつぶれば、場所も考えると破格の値段だったので即決したが……


「電波が安定しないなんて、勘弁してくれよ……」


 世代的にはスマホが手放せない所なのだが、そこでナカトはふと気がつく。


「そういや、もう俺に連絡してくるやつは、弁護士の先生くらいか……」


 留守電の契約は残してあるし、メールやメッセージアプリもある。

 たまに繋がらないくらい、どうって事は無いってことにナカトは気が付いてしまった。


「そんな事より、病院に行く準備……」


 連絡をしてくれる友人がいない事に愕然としてしまったナカトであったが、気をとりなおして、風呂に足を突っ込んだことで濡れてしまったスウェットを脱ぎ捨て、ジーンズに着替える。上のシャツも血がついてしまったので、ダンボールの中からポロシャツを出して着替えた。


 幸い、足首のあたりを噛まれていたので、靴を履くのに支障はなかった。


「シロの身体……獣医さんを探して相談すればいいのかな……」


 シロの死骸が入っているゲージは、そのままシャンプーとリンスのボトルを重しがわりにして浴槽に沈め、上から蓋をしてある。シロの牙をみていた際、体毛がウネウネとまだ動いているようにも見えたので、念のための措置だ。


 その浴槽で消毒の代わりに傷口だけでも流しておこうと考え、ナカトは蛇口を回すが、水は出てこなかった。


「あれ? 出ない? 断水? 引っ越して早々?」


 昨日は風呂も溜めているくらいだし、間違いなく水が出るはずだ。


「え? なんで……」


 不審に思ったナカトは、ガスコンロの火を付けてみた。だが、これもまた出ない。ガスも昨日、ガス会社の立会いのもと、開栓していたはずだ。


「そう言えば……」


 朝からシロに襲われるという状況に陥っていたので気が付かなかったが、


「電気も点いていない?」


 電源式の目覚まし時計のデジタル表示が消えており、電気のスイッチを入れても、電気がつかない。


「いくら債務を抱えているからって、これは無いよな……」


 実際、公共料金はきちんと支払っていたので、止められたりする謂れは無い。

 

「そうは言っても、あるのは多額の借金、無いのは俺の未来……だが、負けんぞ」


 そんな事を呟きながら。


「あ、氷!」


 慌てて部屋の隅にある冷蔵庫にある冷凍室を見るが、昨日買って詰めておいた袋入りの氷が完全に水になってしまっていた。


「だが、ポジティブシンキング! とりあえず飲水と、歯みがき用の水……ゲットだぜ」


 そう考えると風呂場にシロを沈めてしまったのは失敗だったかもしれない。トイレの排水は……あの水を使うのか?


 そんな事を考えつつも、歯を磨き、口を濯いだ。


「それじゃぁ、いきますか」


 この時、ナカトは自覚していなかったが、先程から小さな痒みを感じており、時々、身体のあちらこちらを掻いていたのだ。


 突然、変異して襲ってきたのはシロだけではない。

 目に見えない、小さなノミやダニ。体表に無数に存在する、僅かながらも脳を持つ生物が全て、ナカトに牙を剥いていたのだ。


 だが、その力があまりにも小さいため、体表上にある痛点を刺激する事が少なく、ダメージを与える事も出来ていなかったのだが……


 この突然発生した奇怪な現象。

 これはナカトの部屋だけの現象なのだろうか?


 否。


 ナカトは今、まさに変質した世界。今までとは異なる世界へ足を踏み出す事になる。


 栄荘201号室のドアを開ける事によって!

感想お待ちしております。

本日、あと3話、投稿予定です。

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