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小舟は帰らず  作者: 霧雨ウルフ
蛇の牙
7/26

提案

 謎の男、ジャベリンに連れられてやってきたのは、砦の東端に位置する方形の兵器格納庫だ。

 砦では刀剣による肉弾戦が主流だと思っていただけに、(バリスタ)投石機(カタパルト)、大砲など大型の兵器を隠し持っているのは驚きだ。

 しかし、考えてみれば重要な城塞にこれらの兵器が備えられているのは当然のことで、むしろ前回の戦闘に際してほとんど使用されていなかったのが不思議である。

 ジャベリンは俺の疑問を見透かしたのか、ランプを弩の本体に近づけてみせた。

「よくご覧よ。ここにある兵器の多くが、どこかしら故障しているか、使用できないほどに傷んでいるだろう。今は、暗くてあまり見えないかもしれないけどね」

 ライグが丁寧な言葉遣いで返す。

「なるほど。状況はわかりましたが、修理して運用する予定はないんですか?」

「俺が相談したいのは、まさしくそのことなんだよ」ジャベリンはわざとらしく嘆かわしげに肩を落とすと、ふっと剽軽そうな笑みを見せた。「それはそうと、そんなに畏まらなくていいよ、新入り君。俺のことは、気軽にジャベリンと呼んでくれ」

 俺たちは顔を見合わせ、どうやら堅苦しい言葉付きは不要だと判断した。ライグは、今度は砕けた調子でジャベリンに話しかけた。

「見たところ、手を入れたらまだ十分に使えそうな物もある。この砦には整備できる技師がいないのか?」

「今の砦には、機械いじりできる者が少なくてね。昔は何人か優秀な技師がいたけど、どんどんいなくなってしまって。それは、この壊れた兵器の山を見ればわかると思う」

 俺は軍器については一通りざっと勉強しただけなので詳しい話はわからなかったが、試しに大砲の砲身に触れると、指先が埃でざらついた。長く使用されていない証だ。

 アルガンは俺とライグ以上に熱心に兵器を見つめていた。前衛として配属されているとはいえ、やつの元々の専科は工兵科だからな。きっと整備が行き届かない大型武器の山を前にして、整備士、技術者としての感覚が疼いていたに違いない。

「ここまでくれば俺が君たちに……アルガンに何を期待しているか予想できるだろ?」

 ジャベリンは、そわそわしているアルガンにそれとなく視線を送った。アルガンはおもむろに頷く。

「ここにある兵器をできるだけ直して、実戦で使えるようにする。それが、おれの仕事か?」

「助かるよ、アルガン」痩せた男は、手袋に包んだ両手で新米工兵の手を力強く握った。

 急にしっかり握手され、アルガンがあからさまに驚く。しかし、悪い気はしていないみたいだった。

「工兵科の仲間が死んでからは、まともにこいつらを活用できなくて、どうにも心許なかったんだ。大佐は兵士個人の戦闘力を重視する古典的な戦士だけど、やはり強力な兵器の援護は戦いにはかかせないからね。この兵器たちが復活したら、砦での戦いはきっと楽になるぞ」

 バルビエには前々から兵器の修理をしたいと申し出ていたので、直したりいじったりしても大丈夫だと付け足し、ジャベリンはアルガンの肩を叩いた。

「もしこれで君の工兵としての技量が認められたら、大佐も工兵の存在を見直すかもしれない。あくまで俺の希望的観測ではあるけど。だから、自分のためにも砦の仲間のためにもなると思って、君にはぜひ頑張ってほしいんだ」

「あ、ああ。できる限り頑張るよ。……ありがとな、ジャベリン」

 アルガンは己の能力を必要とされた嬉しさと照れで赤面し、あたふたしながら礼を述べた。

 友が活躍の場を与えられ、ライグも自分のことみたいに大喜びし、手伝えることがあれば何でも協力すると宣言した。アルガン自身も久しぶりに武器の整備ができるのを楽しみにしているようで、今すぐにでも工具を扱いたいという顔をしていた。

 俺は喜ぶ二人を尻目に、ジャベリンの都合が良い提案に一抹の不安を禁じ得なかった。美味い話には罠があるから簡単に乗るな、というのは、ずる賢いやつが多い帝都で育った俺のモットーだ。

 ジャベリンが俺の不審の眼差しに気づいていたかはわからない。やつは特に気にする気配もなく、夜は暗くて作業も進まないし明日から取りかかろう、と言ってあっさり居館に引き上げた。

 俺たちはその後、明日からの仕事に備え早めに床に就いた。ライグとアルガンはバルビエにきついお灸を据えられていたので、はしゃいでいたわりにすぐに寝息を立て始めた。

 二人が並んでうつ伏せに寝ている様がなんだかおかしくて、俺はライグと喧嘩したことなんかさっぱり忘れて、二人の隣で同じようにうつ伏せになって寝ることにした。俺はむち打ちされたわけじゃないから背中をつけて寝ることも可能だったが、なんだか二人と同じようにしたかったんだ。

 存外子供じみているだろう、俺は? 笑いたければ笑ってくれていいぜ。




 ジャベリンは朝早く俺たちの元にやってきた。いつ見ても変わりないというか、常にのったりしていて余裕綽々に見えるのが逆に不気味で、俺は昨日と同じくやつの言動には注意することにした。

 昨夜見学した格納庫まで一緒に近づくと、扉の前には見慣れない男たちが数人たむろしており、俺はますます不安を募らせる。

 このとき俺が思い浮かべたのは――ジャベリンは本当はバルビエの忠実な部下で、反抗的な態度が目立つ俺たちを徹底的に痛めつけるつもりなんじゃないのかってことだ。

 ジャベリンはバルビエのことを知った風な口ぶりだったし、兵器の修理についても事前に相談していると言っていたので、やつと何かしら親交があるのだろうと疑ったんだ。

 俺はライグやアルガンと違って、すぐには人を信用しないたちだ。このときも、ありとあらゆる情報を全部悪い方に解釈して、猜疑心のかたまりみたいになっていた。

「どうした、機嫌が悪そうだな」

 ライグが俺の様子に気づく。

「……用心しとけよ。あのジャベリンって男、もしかしたら俺たちを騙すつもりなのかもしれねぇ」

 俺が小声で曖昧に警告すると、ライグは心底驚いたように先を行くジャベリンの背を見て、「騙す? どうして俺たちを?」と声を抑えて聞き返した。

 俺はどう説明したものかと考えていたが、入口前にいた男たちが俺たちに声をかけてきたので、仕方なくライグとの会話を切り上げた。

 男たちは気さくに俺たち三人組を歓迎し、自分たちも兵器の修理を手伝うつもりだと言ってくれる。しかし、俺はバルビエやその取り巻きに対する恐れで疑心暗鬼になっていたので、全てが自分たちを騙す嘘みたいに感じられた。

 格納庫に入り皆で兵器を確認し、修理したら使えそうなものと廃棄するしかなさそうなものを選り分ける作業になった。

 俺がやたら陰険な雰囲気を醸し出し人を寄せ付けないようにしていたので、ライグとアルガンは体調が悪いのかと無駄に心配してくる。俺は二人にもなかなか理由を説明できず、不機嫌そうに接することしかできなかった。

 アルガンは、工兵科を出ている者として申し分ない能力を振るい、ちゃんと機材の損傷や欠陥を見つけ出し、的確に修理を進めていた。

 やつは帝国史や軍隊陣形などを取り扱う座学の時間はとんでもなく不出来な生徒だったが、兵器に関する知識だけは柔軟に吸収し、陣地設営の実技でも弩の組み立ての授業でも手際よく立派に作っていた。子供向けの絵本でさえ読解に手間取るくせに、工作や建造などの想像的活動が絡むとなると、不思議なほど記憶力と構成力を発揮するのがアルガンだ。

 しばらくして、少し困った顔のジャベリンが寄ってくる。

「どうしてそんなに苛ついているんだ? なにか理由があるなら、教えてくれないか」

「……これはちゃんと、アルガンの手柄にしてくれるんだよな?」

 俺が訝しげに訊ねたら、ジャベリンはきょとんとした顔になった。

 が、そのままくすくすと笑いはじめ、俺の苛立ちを増長させてくれたよ。

 切れ長の眼をした男は俺の隣に並んで腰を降ろし、作業する仲間を見ながら呑気にも聞こえる声音で言った。

「あの男たちが、手柄や称賛ほしさに働いているように見えるかい? 兵器を修繕し、バルビエ大佐に取り立ててもらおう、みたいな下心で動いていると感じる?」

「……いや、たぶん違うと思うけど」俺は寸刻躊躇ったが、打算的な考えを持って行動しているやつらではなさそうだとの考えに至る。

 ジャベリンは感情の読めない目で俺をじっと見つめてきたので、居心地が悪くてもぞもぞした。この男は、時々何を考えているのかわからない目をする。

 やつは神妙な面持ちで返した。

「君が言う通り、彼らにはそんなおおそれた望みはないよ。つまり、手柄をかっさらってやろうとか、バルビエ大佐に取り入ってやろうとか、そんな野暮な願いは持ってないと思う。ただ単純に、兵器を修復して今後の戦いに役立てたいだけだ」

「そうだとしても、なんだか腑に落ちねぇんだよ」俺は思いきって告げた。「はっきり言うが、俺が変に思ってるのはあんたのことだ、ジャベリン。どうしてそんな美味い話を俺たちに持ってきてくれたんだ? アルガンが工兵科出身だと知っていたのも謎だし、こんなひよっこの俺たちに良くしてくれる理由もわからねぇんだ」

 今思うと浅慮丸出しの言葉だが、こうして警戒をあらわにすることは、若い頃の俺にとって精一杯の強がりだったのかもしれない。

 俺の発言を受け、ジャベリンはしばし考え込むそぶりを見せた。

 室内にこもった暑さゆえか、それとも考えこむときのちょっとした癖なのか、痩身の男は何気なく手袋を外した。

 俺はつい無意識に、晒されたやつの腕を食い入るように見つめる。

 ジャベリンの右腕には、大きな瘢痕――火傷の跡が広がっていた。

 腕の表皮はひきつれ、正常な肌よりもてかてかしていて、手の甲から肘まで全体的に赤みを帯びている。服で隠れていて全貌は見えなかったが、右腕の広範囲に及んでいそうだ。

 爛れた皮膚が歪に治癒し、箇所によっては醜くひきつれていて、痛々しい有り様にぞっとしてしまった。ジャベリンは火傷を感じさせないくらい右腕を自然に動かしているが、けっこうな大怪我だったことは跡からもわかる。

 火傷を見るのは初めてじゃない。教官の中にも、戦地で大怪我をした痕跡が残る者は大勢いたし、様々な傷痍軍人も見てきた。

 しかし、ジャベリンは本人の印象と火傷跡の落差が大きくて当惑した。さらりとした優男には似合わない醜怪な右腕だと感じた。

 やつ自身は特に隠す気もなさそうで、しばらく火傷が広がる腕を晒していたが、俺がなんとなくぎこちなくしている気配に気づいた。

「なに、蛇の牙ではこの程度の怪我は珍しくないよ。俺よりもっと大きな傷を負いながら戦ってるやつもたくさんいる」

 ジャベリンは修理に勤しむ兵士の一人を指差した。大柄で豪快そうな、見るからに力自慢って感じの男だ。

 こいつのことは、容姿だけなら前々から知っていた。左足の膝下に先端が鉄製の義足を装着していたので、一際目立っていたからな。

「彼はデシデリオ。義足でありながら、他の仲間とさして変わらない生活を送ってるし、戦闘もなんなくこなす頼もしいやつだよ」ジャベリンは、デシデリオの隣に立つ頭部を手拭いで隠した男についても紹介した。

「あっちはロルダン。あいつの額には大きな傷跡がある。頭皮が抉れて、骨が見えるくらい派手にやられたって話だけど、ロルダンは今も真っ先に敵前へ飛び出して、他の仲間を奮い立たせながら勇敢に戦ってる」

 ジャベリンは、この砦には他にも色んな傷跡を持つ仲間がいるから観察してみるといい、と締めくくり、改めて俺に目を戻した。

 やつは、自分の手首の火傷跡にそっと指先で触れる。

「少し自由が利かないこともあるが、幸い指は全部ついてるし、腕も動くし、俺はまだ運がいい方だ。若くして介助なしでは生きていけない体になった仲間も、たくさん見てきたよ。話すことも見ることも、聞くことも動くこともできない状態に陥った友人を、俺たちの手で介錯したこともある。たくさんの兵士が、仲間が、むごい傷を抱えながら今なお苦しんでいる」

 治療師が中心となり負傷兵たちの処置に当たっているが、砦における負傷兵の生存率は芳しくない。ここ数日で、力尽きた仲間を新たに埋葬したりもした。

 もしかしたら俺も、俺たちも、明日や明後日にはそうして横たわったり泣いたりしているかもしれない。蛇の牙はそういう場所だ。

「わかるかい、ひよっこ君。こんな現場だからこそ、使えるものは使って、協力できることは協力して、少しでも有利に戦いを進めたいと願うんだ。君たちが役に立つと思ったから、俺は君たちに声をかけた、それだけさ。単純な話だろ?」

 ジャベリンは面白がるように問いかけてきた。

 俺は、さっきまでこの男を変に疑っていたのがアホらしくなっていた。

 ジャベリンは確かに読めない男だが、少なくとも弱い者虐めで興に入る性質だとは思えない。むしろ、そんなことに労力を割くのは馬鹿らしいとわかっていて、だからこそこうして自分たちの戦いの負担を減らすために、アルガンを誘って行動に乗り出したのだと思えた。

 俺はぼそりと呟く。

「手柄も何も、まずは生き残らないと始まらないからな。仰る通り、簡単な理屈だ」

 ジャベリンは正解だと言うようにウィンクした。兵隊のくせに茶目っ気のあるやつだ。

「厳しい戦いが続く砦では、武器や兵器の磨耗も著しい。だから、アルガンみたいに兵器の整備に長けた若者が来てくれて助かったよ。俺たちは俺たちで、見込みある若い後輩に教えられるだけのことを教え、その成長を支援しよう。若手が逞しく育てば砦の戦力増強にも繋がるわけだし、俺もできる限り君たちを支えてあげたいと思うよ」

 ジャベリンはライグとアルガンに目を向けたのち、俺のこめかみを軽く小突いた。子ども扱いされたような感覚はあまり嬉しくなかったが、一応俺たちの今後を楽しみにしてくれてるってことだろうか。

 蛇の牙に来たはじめの頃は、砦の兵士はみんな無気力で、粗野で、未熟な俺たちの存在は煩わしいんだろうと決めてかかっていた。

 だが、決してここの兵士全てが根っこまで腐ってるわけじゃないとわかってきた。

「それならそれで、ありがたく頼らせてもらいますよ、ジャベリン先輩。……最初はあんたのことわからねぇ男だと思ってたが、話を聞いてみて理解したよ。変につっかかって……悪かった」

 俺はそっけなく詫びた。今思うと当時の俺はさぞかし生意気な後輩だったろうな。ジャベリンの心の広さというか、緩さというか、ともかくやつの寛容な対応をありがたく思う。

「砦に長くいる者として、若者の成長を支えるのも大事かと思ってね。だけど、誰でもかれでも信用しちゃいけないのは、残念ながら事実だ」

 ジャベリンは俺に顔を寄せ耳打ちした。

「弱い立場にある者をなぶり者にして憂さ晴らしする陰湿な連中はたくさんいるし、自分さえ生き残れば良いという考えで他人を駒みたいに利用するやつもいる。バルビエ殿と同じく、“弱いやつは生きる価値も弔う価値もない”っていう逞しすぎる人もね」

「それは、俺もわかってるつもりだよ」

 俺たちが仲間を埋める墓穴を掘っていたときに、死体の山を蹴散らして嫌がらせしてきたやつらを思い浮かべた。凄惨な現場にいるうち、心が麻痺する者、歪んでしまう者も少なくないんだろう。

 俺自身も戦いの負担は感じていたので、やつらが自暴自棄になってしまう気持ちもわからなくはなかった。

 だが、ライグやアルガンは、こんな場所であっても真面目に懸命に働いている。あの二人が頑張っているなら、俺だけ腐れたり嘆いたりしているわけにもいかない。

 そう思い至り、深く息をついて立ち上がった。

「さて、疑惑はだいたい晴れたわけだし、俺もちゃんと仕事しねぇとな。兵器の修理、やれるだけやってやるよ」

 ジャベリンも続いて立ち上がった。

「そうこなくっちゃ。けど、これからも慣れなきゃいけないこと、やらなきゃならない仕事はたくさんあるからね。兵器の管理に砦の修築、見張りや偵察の任、砦の雰囲気や倣わし……色々と面倒だろうけど、ここでやっていく以上は身につけなきゃならない。がんばるんだよ、新人諸君」

 やつは笑いながら、俺の気が滅入りそうな発言をしたが、そこに嫌味は感じられなかった。

 ジャベリンという男は、この砦には珍しいほどに涼やかなやつだった。


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