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小舟は帰らず  作者: 霧雨ウルフ
蛇の牙
6/26

懸念

 新たな加勢と軍需品を得たことにより、蛇の牙の状況は徐々に好転した。

 これまでのパン一切れの食事にチーズと干し肉、時にはスープが追加され、多くの兵士が歓喜に踊った。もちろん俺たちも、食事に少しでも量と彩りが増したことを心から喜んだ。

 砦の戦力が増強し心にも体力にもゆとりが出来たことで、俺とライグは以前よりも活動的になり進んで仲間たちと交流するようになった。

 初陣を乗り越えた新米の数は、残念ながら半数にも登らないようだったが、その中で俺とライグは生と勝利を勝ち取り、ライグに至っては先達顔負けの武功を上げていたので、周りからは多いに祝福されたよ。ライグ自身は照れ臭そうに「必死にできることをやっただけだ」と謙遜していたが、俺は友人の功績を我がことのように誇らしく、そして少しだけ悔しく思っていた。

 一方のアルガンは、初めての戦場以来すっかり憔悴してしまっていた。大きな負傷はなかったので体はすぐに回復したが、心に受けた傷は深刻だったんだ。

 やつは剛胆に見える容姿に反し、繊細で気の小さい男だからな。工兵科出身でありながら、その体躯を理由に戦士として戦場に立つことを強いられ、士官候補生時代も半ば無理矢理実戦訓練に引っ張り出されていた。

 女々しい性質とも言えるが、アルガンは昔から仲間たちの衣服や軍手やブーツ、武器や備品などを手入れしたり修理したりするのが好きで、誰かの服が破けるといつも丁寧に修繕してくれていた。俺も、服の袖を引っかけたり、喧嘩してる最中に破ってしまったりすることがあったので、アルガンにはいつもお世話になっていた。

 仲間の中には、アルガンを腰抜けと嘲る者も多くいたよ。俺も、アルガンの仕事をありがたく思いながらも、やつの軟弱な精神を心のどこかで情けなく思うことがあった。

 要するに、そんな心優しい大男が凄惨な戦場に耐えられるのか、耐えていけるのか、という話になるわけだが。

 恐らく無理だろうというのは、砦に到着した頃から薄々感づいていた。

 仲間の頭が吹き飛ばされる様を目の当たりにして以来、アルガンは何かに怯えるように辺りをきょろきょろしたり、逆に上の空で置物や人にぶつかったりしていた。特に武器や刃物には過剰な拒絶反応を示し、剣を持たせようとしたら「おれのせいじゃないんだ、許してくれ!」と訳のわからないことを叫びながら逃げ回る始末だ。

 俺とライグは、アルガンの精神が非常にまずい状態にあると見て取り、本人に気づかれないように二人でこそこそ相談したりした。

「アルガンは、支援要員として後方に配置してもらうのが一番だと思うんだ。本人も昔からそれを望んでいたわけだし。いくら人手不足だとしても、アルガンが戦士として申し分ない体格をしているとしても、剣を握って戦えないのならどうしようもない。心が戦いに不向きなんだ」

 アルガンが寝付いたのを見て、ライグは俺に顔を寄せ尤もなことを小声で口にした。俺も同感だったが、それ以前にアルガンにとってはこの砦の風潮――臆病者や戦えない者は無用、という雰囲気が既に大きな負担だろうと思っていた。

「もういっそ、軍人をやめちまった方がやつのためになる気はするがな……このままじゃ頭がおかしくなっちまうぜ」

「だが、軍人をやめてアルガンはどうするんだ? お前もあいつの事情は知ってるだろう」

 ライグは眉を吊り上げた。

 アルガンの事情というのは、やつは帝都でも最下層に位置する貧しい家庭に生まれているという事実だ。

 帝都には昔から格差が根強く存在しており、居を構える階層の高さはそのまま身分や経済力を意味する。簡単に言ってしまえば、鉄塔都市の上層に住んでるやつらは富裕層、下層に住んでるやつらは身分が低く生活が苦しいってことだ。

 アルガンはその中でも特に低層の、鋼業を生業とする者が集まる地域の出身だった。

 帝都を取り巻く山々は有数の鉄の産地で、帝都が鋼鉄の都と呼ばれるのもそこに由来している。帝都では鋼業は昔から奴隷や身分の低い者の仕事とされているため、下層の貧困家庭に生まれた者たちの多くは、低賃金で過酷な肉体労働に励むしかないのが現実だ。

 アルガンは子供の頃から採掘などに出て家計を支えていたが、やつが十三の頃父親が不慮の事故で亡くなり、一家は路頭に迷う羽目になった。俺たちが通っていた士官学校は三年間学費無償が採用されており、帝国では軍人になると家族に様々な恩給が給付される制度もあったので、アルガンは家計のために軍隊への道を進むことを決める。

 それに、軍国と呼ばれる帝国では、我が子が軍人になるってのは栄誉だからな。親の面目のため、家計のため、心優しい大男は自らを殺して軍人になろうとしたんだろう。

 俺は様々なことにぐるぐると考えを巡らせた。あの鬼上官、バルビエが簡単にアルガンを後方に下げてくれるとは思えない。それに、アルガンは血や他人の怪我を見るのも苦手なので、そういった点でも後方担当としても力不足だ。

 蛇の牙では陣地の設営や砦の修築は兵士たちが協力してやるのが自然だったので、専門の工兵部隊は抱えていなかった。つまり、工兵科を出ているアルガンであっても、一般兵と変わらぬ戦場の業務へ駆り出される状況というわけだ。

「軍人を辞めたとしても、まともな仕事に就けないってのはわかってる。下層出身で、俺やお前と違って読み書きも計算もちゃんとできないし、言っちゃ悪いが“とんま”だからな。製錬の職に戻るんだとしても、劣悪な労働環境のわりに稼ぎは悪いから、それじゃあ家族は養っていけない」俺は息を吐き出した。「結局はどこに行っても都合良くこき使われて、使い捨ての駒にされちまう類いの人間なんだ」

 俺の物言いにライグは不満を感じたらしく、「悪い言い方をするな。あんまりじゃないか」と反論したが、俺の言っていることを完全には否定はできないようだった。

「確かにアルガンには不得手も多いが、良いところもたくさんある。あの手先の器用さを生かせる場があれば、きっとおおいに活躍してくれるだろう。俺は、アルガンには工兵として俺たちを支えてほしいんだ。軍人である以上危険や戦闘は付きまとうが、下層の仕事よりは確実に稼げるし、家族も養っていける。工兵としてなら、彼もなんとかやっていけると思うんだよ」

 ライグは、あくまで軍人としてアルガンと共にいたいようだった。三年間つるんだ友人だから、やはりこれからも一緒に戦っていきたいんだろう。

 俺も同じ気持ちはあったが、同時に、これ以上アルガンのことで気を揉んだり悩んだりしたくないという思いもあった。あいつの存在は、この当時の俺にとっては心労の種でもあってね。

「それができりゃ苦労しねぇが、少なくともこの砦にいる間は難しいと思うぜ。あいつの精神が参るのが先か、バルビエに叩き斬られるのが先か……俺にはそんな結末しか思い浮かばねぇ」

 俺は疲れた顔で続けた。

「もうあいつのことは放っておけよ。アルガンに足を引っ張られて苦い思いをするのは、たくさんなんだ」

 あとあと、俺は己の薄情な発言を恥じたし、情に厚く友人思いのライグがカッとしたのは仕方ないと思うよ。

 隣の布団の上で就寝態勢に入っていたライグは、俺の横面に鋭い頭突きを見舞った。眠気もあってぼんやりしていた俺は、まともに攻撃を食らいぎゃっと無様な悲鳴を上げる。

「それが、三年間俺たちを影ながら支えてくれた友に対する言葉か」

 ライグはどすが聞いた声で唸るように言った。

「俺たちがまだ寝ている間、アルガンが仲間のブーツを磨いたり武器を手入れしたりしてること、気づいてなかったのか? お前の制服が破れるたびいつも修繕してくれたのは誰だ、お前が誰かと喧嘩するたび庇ってくれたのは誰だ。散々助けられておきながら、その態度はあんまりだぞ!」

 ライグは俺の胸ぐらを掴んで早口に言葉を連ね、怒りに燃える金眼で俺を真っ直ぐに見た。

 俺は動揺と悔しさ、情けなさが込み上げてきた。素直に自分の失言を訂正できなかった。

 今思うと子供じみているが、心が鬱屈しているときにライグに説教されてひどく癪に障ったんだ。

「うるせぇぞこの綺麗事野郎! だからって戦場で足を引っ張られちゃ困るんだよ。学校での話とはまた別だろ!」

「だからこそ、アルガンのためになにかしてやりたいって言ってるんだ。お前には、友人を助けたい気持ちはないのか!」

 俺とライグは熱くなって、互いの胸ぐらを掴んだまま立ち上がり睨み合った。

 体格や腕力ではライグには敵わないが、喧嘩を売られたなら買ってやるさ、と攻撃的な気持ちで大柄な友人を睨み付ける。

 しかし、俺たちが罵り合っている声で少し離れた場所に寝ていたアルガンが目を覚まし、驚きと焦りを孕んだ声を発した。

「おい、何してるんだ二人とも。喧嘩か?」

 俺とライグはハッとし、喧嘩の原因になった当の本人の意志を聞いていないことに気づいた。

 どちらからともなく手を離すと、ライグが決まり悪そうに訊ねた。

「いや、ちょっとな。それよりアルガン、あとでお前に聞きたいことがある」

「あとで? 別に、今答えられることなら答えるけど……」

「いや、こんな夜更けに長々とするような話ではなさそうだからな。昼間、時間があるときに相談したい」

 ライグは俺にちらっと横目で視線を送った。どうやら俺がいる前で話すのは、アルガンのためにならないと踏んだらしい。

 俺はアルガンをお荷物扱いしたくせに、仲間外れにされるといじけ、ふんっと鼻を鳴らしそっぽを向いて横になった。

 大半の兵士たちは広間の床に布団を並べ雑魚寝していたので、このとき俺たちが寝ていた場所にも他に兵士がおり、まだ起きている者は俺たちがガタガタしている様を何事かと見ていた。俺は一人離れて寝ている状態が虚しくなって、友だちを大切にできない自分が悪いんだとわかりつつも、アルガンやライグに対する恨めしい気持ちで一杯になった。

 そんな状態では寝つきも悪く、何度か微睡んだものの息苦しい夢ばかり見て、嫌な気分で朝を迎えた。




 翌朝、俺が他の仲間たちに叩き起こされてみると、既にライグとアルガンの姿はなかった。俺を除け者にして二人で話し込んでいるのだろうか、と思うと拗ねた子供みたいな心境になった。

 その日、俺に見張りや斥候の任は入っておらず、本当になにもすることがなくて、飲み過ぎて奇行に走る仲間を観察したり、普段はあまり参加しない負傷した兵士の介抱を手伝ったりして暇を潰した。

 夕刻になり、居館の広間にライグとアルガンが姿を現した。が、二人の顔は無様に腫れ上がり、何か良くないことがあったのは明らかだ。

 俺がそれとなく寄っていくと、ライグは俺を見て少しのあいだ躊躇う表情を見せたが、深く溜め息をついて近づいてきた。

 俺は二人を交互に見比べ「雷が落ちたみてぇだな」と探るように質問した。

「おれのせいだ」アルガンは死人みたいに生気がない顔をしていた。ライグはアルガンの肩を優しくぽんと叩き、

「お前は悪くないって何度も言っただろ。俺が提案したことなんだから、そう気を落とさないでくれ」

 とフォローを入れる。

 俺はすぐに、この二人が「アルガンを工兵に転身させてほしい」と願い出て、結果バルビエの逆鱗に触れたのだと確信したよ。

 それ見たことか、あの古くさいハゲ爺に話が通じるわけがねぇ、と思う反面、二人が見事に返り討ちにされたことに同情した。

 俺は二人に座るよう促す。ずっとつらそうにしているので大丈夫か、と問うと、ライグは悔しさを露に毒づいた。

「久しぶりに枝むちで打たれまくったおかげで、背中が焼けそうだ。学校で一番怖いと言われていた教官でも、ここまではやらなかった。あの指揮官は、気に食わない部下を鞭打つのが愉しみと見えるな!」

 除け者にされたおかげで体罰を免れたと知り、俺は素直に安堵した。俺は極めて単純に出来ている。

 背中を丸め俯く二人は落胆しているのが明らかで、徹底的に釘を差されたのだろうと感じ、俺は「そいつはご愁傷さま」という素っ気ない対応しかできなかった。

 しばらく三人で葬式みたいに押し黙っていると、

「バルビエ殿に逆らうとは、新入りのくせに勇敢だね、お二人さん。いや、彼の恐ろしさをまだ知らないから、そんな無謀ができるのかな?」

 という、少し面白がるような声が聞こえた。

 俺たちに声をかけてきたのは、向かいのテーブルでカード遊びをしていたうちの一人――淡い金髪の男だ。

 俺たちの視線がそいつに集まると、男は席を立ちゆっくり近づいてきた。

 俺は男の面に見覚えがあった。確か仲間内でジャベリン(投げ槍)と呼ばれていて、ライグと並ぶ長身、鋭い鷲鼻が印象的で、俺たちが死体処理をしていたとき早くから協力的だったやつだと思い出していた。

「冷やかしならやめてくれませんか。生憎、今の俺たちはそんな気分じゃないんです」

 いつになくとげとげしいライグに俺はひやりとしたが、きっとアルガンの心配もしていたんだろう。さっさと人の集まる場所を抜けてゆっくり休みたい、という気持ちがあからさまに顔に出ていた。

「まあまあ、そう言うな。砦の先輩として、見込みある君たちが潰されないか心配してるんだよ。新米兵の中でも、君たちは良くも悪くも目立つし、なんか危なっかしいからなぁ」

 ジャベリンとちゃんとした会話を交わしたのはこれが初めてだったにも関わらず、向こうはまるで古い友人みたいに自然に馴れ馴れしく接してきた。

 思えば、出逢った当初から不思議な雰囲気を感じる男だったよ。

 俺はジャベリンが何を考えているかわからずに警戒したが、向こうは敵意をまるで感じさせない顔でにこりとし、アルガンの頭をぽんぽんと親しげに触った。

 俺たちは突然の出来事に面食らい、三人でぽかんとする。

 ジャベリンはアルガンに目線を合わせ、優しげな調子で言った。

「君はどうやら工兵希望だったらしいね。蛇の牙は水が合わずにさぞ大変な思いをしてるだろう。だけど、俺たちも密かに工兵を――要するに、手先が器用でサポートに長ける仲間が欲しいと思ってたところなんだ。……どうだい、ここは少し先輩に相談してみないか?」

 ままならないアルガンの状況を打開してくれるというのであれば、当然嬉しい申し出だった。

 しかし俺は、ジャベリンをすぐに信用できなかった。ここは荒んだ城塞内で、味方同士での闘争やリンチなども起こりうる場所で、新米の俺たちにとってはひどく恐ろしい兵士の巣だ。だから、この腹の内が読めない長身の男も、なにかしらの悪巧みゆえに俺たちに近づいたのかと疑ったのさ。

 訝しむ俺たちとは対照的に、ジャベリンは相変わらず涼しい顔をしていた。



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